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第6章第25節

お待たせしました。第6章第25節の更新です。

 すでに暗くなってしまった街並みに幼い声が響く。図書館を出て、並んで歩く2人の少女。

 夜の闇のように艶やかな黒髪を持つ少女、ソミリアーナ・フランシルトは友人のランサと一緒に、夜遅くまで図書館で調べ物をしていた。


「遅くなってごめんね」


「いいわよ。その代り、今度ウィロッペのお菓子をおごってもらうからね」


 気のいい顔をしている友人にソミアは苦笑いを浮かべている。ゆるんだ口元から涎が垂れている所を見ると、テーブルいっぱいに並べられたお菓子を想像しているのだろう。

 ちなみにウィロッペというのは商業区で有名なお菓子屋さんである。

 本来はパン屋なのだが、本業であるパンを焼く傍らに余った材料で様々な種類の新しいパンを試作したり、果物と砂糖を煮詰めたペーストなどで様々な菓子パンも作っている。

 街の女性たちに特に人気のある店であり、人気のパンは連日売り切れが続くほどの盛況である。


「それにしても頑張るわね。前からそうだったけど、最近は特にそうじゃない?」


「そ、そうかな?」


 帰路につきながら他愛のない話を続けていた2人だが、ふとランサが思い出したようにソミアに尋ねてきた。

 ランサの言葉に、ソミアはちょっと恥ずかしそうに頬をかく。


「そうだよ。ソミアが頑張るのって、やっぱりあの男の人の影響?」


「あの男の人って?」


「ほら、この前武技園でジハード先生と模擬戦していた刀使いの先輩!」


 ソミアとしても、ここまで言われて思い浮かぶのは1人しかいない。彼女にとって魂の恩人であるノゾム・バウンティスその人だ。

 興奮気味にまくし立ててくるランサに、ソミアはちょっと腰が引けた。ランサはソミアにとって気の良く、面倒見がいい友人ではあるのだが、何かと噂好きであちこちに要らぬ話を振りまいて騒動を起こしてしまう時もある。

 そのため良く担任の先生から注意を受けるのだが、本人はその度に適当は返事を返して煙に巻いてしまう。


「すごかったわよね! あのジハード先生相手にあれだけ打ち合えたりするんだから!」


「うん、そうだよね」


 ジハードと打ち合っている時のノゾムの姿は、ソミアには自分を連れ去ろうとした吸血鬼と立ち向かっている時を彷彿とさせた。

 迷いなく真っ直ぐに前を見据えて、目の前の強敵に立ち向かう様は、連れ去られそうになった自分を助けてくれた時と同じ姿だったから。


「ねえ、ちょっと紹介してくれない!? クラスのみんなも気になっているみたいだし」


「ええっと……」


 ランサの質問にソミアは困ったように言葉を濁す。

 実のところ、ソミアは武技園での模擬戦が終わってから、ノゾムについて同級生達から何度も尋ねられていた。大陸の英雄相手に善戦したとならば、純粋で夢見がちな子供達の注目を浴びる事も当然だった。

 しかもソミアは模擬戦中に大声でノゾムに声援を送っている。彼女がノゾムと親しい関係である事は、既に周知の事実となっていた。


「良いでしょ? 別に減ったりしないんだから」


 減らないかもしれないが、ソミアはランサとノゾムを会わせる事に一抹の不安と羞恥を感じていた。噂好きのランサが一体何を話すか正直予想が出来ない。

 考え込むソミアの様子にあまり良い返事は貰えなさそうだと感じたのか、ランサがぐっと身を乗り出してきた。


「あ、大丈夫! 別に取ったりしないから!」


「取ったりって……」


 この手の恋愛話には特に目ざといのか、ランサはズイズイとソミアに迫りながらノゾム・バウンティスについて矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。実際に彼女は同級生内の恋愛関係をすべて把握していたりするから恐ろしい。 誰が誰を好きとか、誰と誰がどこでキスしたとかも彼女は知っているのだ。正直な所、ちょっと危険を感じるレベルである。

 友人に隠し事をする事には気が引けるが、ちょっと困った友人の性格を差し引いても、ノゾムには普通でない事情が多い。

 この大陸でほとんど使い手のいない東方の刀術を習得していることもそうだが、何よりその身に宿してしまった異質な力がある。

 ほんの数か月前から垣間見てきたノゾムに宿る龍の力。危ういバランスの中でどうにか安定しているその力が暴走しかけたこともある。

 今はノゾム本人がかなり落ち着いていることもあるが、そうそう簡単に話せる事でないことは明らかだった。


「ま、まあ、機会があったら……」


なので、ソミアは曖昧な返事でランサの質問を煙に巻くしかない。


(ノゾムさんや姉様に相談したほうがいいかな?)


 話くらいはしておいた方がいいかもと考えながらも、ランサの話を聞いているとソミアの脳裏には以前のノゾムとのデートが思い起こされる。

 2人で並んで街に繰り出し、苦労しながら一緒に占いをして、一緒に飴作りをして……。

 あっちもこっちも引っ張っていく自分に、苦笑いを浮かべながらも快く付き合ってくれた年上の男性。あの時は時間を忘れるほど楽しかった。

 そして、尊敬する姉にも言えなかった自分のコンプレックスを聞いてくれた。

 ノゾムから話を振ったわけではなく、ソミア自身から言い出したことではあったが、それでも最後に“それでも姉様が大好き!”と気付かせてくれた。

 兄がいたらあんな感じだったのだろうかと思いながらも、ソミアはちょっと嬉しそうに微笑む。

 最後にはお礼と称して頬にキスをしたせいで、その後色々と騒動になってしまったが……。


「えへへ……」


 はにかみながら、ソミアは自分の指で唇を撫でる。こうしてみると、今でもその時の感触が蘇るようだった。

 心がほんわかと温かくなるのを感じながら、ソミアは考えに耽る。

 

(そういえば、年上のシーナさんはノゾムさんとキスしていたっけ。本当のキスってどんな感じなのかな?)


 ノゾムを助けるためとはいえ、みんなの面前でキスをしたシーナ。その時の事を聞こうとしたら、ミムルがあおりすぎたためにシーナが暴走し、結局話を聞くことは叶わなかった。


(姉さまは……どうなのかな?)


 ノゾムとアイリスディーナ。ソミアから見ればお似合いの2人なのだが、なかなか進展は見られない。姉にデートを覗いた罰として特総演習に一緒にパーティーを組むように仕組んでみたが、中々進展はない。

 自分と姉、そしてノゾムと一緒に街を歩きながら休日を楽しむのもいいかもしれないのだが……。

 そんな幸せ一杯の光景に頬を緩めながらも、ソミアはちょっと胸がキュ……となるのを感じた。


「あっ!!」


 その時、ランサがハッと目を見開くと、何故か含みのある笑みを浮かべてソミアを見つめてきた。

 一体何だろうかとソミアが尋ねる前に、ランサが彼女の後ろに回り込んで肩を押す。


「ほらほら、お迎えよ」


「え?」


 ランサに押されるまま足を進めた先にいたのは、つい先程考えていた気になる男性。ソルミナティ学園の制服に身を包んだノゾムの姿だった。


「やあ、ソミアちゃん」


 笑みを浮かべて手を振ってくるノゾムの姿に、ソミアも慌てて返事を返そうと手を挙げた。

 しかし、目の前に佇むノゾムの姿をハッキリと捉えたとき、ソミアの頭に言いようのない、奇妙な感じを覚えた。振り上げた手は硬直したように動かなくなり、やがて力を失ってダラリと下ろされてしまう。


「ノゾム……さん?」


「ソミア、どうかしたの?」


 ソミアの口から出た声は、どこか戸惑いを隠せないものだった。グイグイと背中を押していたランサもソミアの様子に気がついたのか首を傾げている。


「ちょっと通りかかってね」


「…………」


 2人の様子に気付かぬまま、目の前のノゾムはソミア達に話しかけてくる。その顔も声も、ソミアにとっては間違いなく大好きな恩人のもの。しかし、彼女はどこか言いしれぬ違和感が過る。


「それにしても、こんな夜遅くまで頑張っていたんだね。アイリスも鼻が高いだろう」


「あ……」


 目の前のノゾムが話せば話すほど、詰まるような違和感は大きくなっていく。

 そして見つめてくるノゾムの眼を見た瞬間、ソミアは思わずこんな言葉を言いはなっていた。


「あの……誰、ですか?」


「……え!?」


「…………」


 時間が止まったかのように、周囲の空気が固まる。

 ソミアの後ろにいたランサの視線は戸惑いながらノゾムとソミアの間を行ったり来たりを繰り返し、目の前のノゾムは驚いたように目を見開いている。


「ノゾムさん、じゃないですよね。雰囲気が全然違いますし、それに、ノゾムさんはそんな眼をしていません。貴方、誰ですか?」


 一言口にすれば、もうソミアは胸に詰まった違和感の正体を看破していた。

 姿は全く同じでも、目の前のノゾムの瞳には言いしれぬほどの濁りが垣間見える。それは貴族の社交界の中で見てきた者達と全く同質のもの。きらびやかな外見の裏に、底知れぬ欲望とおどろおどろしい負の情念を隠した人間の色だった。


「…………」


 静寂が両者の間に流れる。

 無言のまま向き合う両者だが、時間が流れるにつれて、ソミアは背筋に痺れるような冷気を感じていた。這うような寒気が全身に回り、徐々に手足の感覚が鈍くなってくる。

 日は落ちたとはいえ、今はまだ夏であるにもかかわらず、全身を襲う寒気はまるで雪に埋もれたかのように手足の感覚を鈍らせていく。

 やがて目の前のノゾムは諦めたように肩をすくめた。


「……驚いたよ、姿形は完全に化けたつもりだったんだけどな」


 ため息混じりに聞こえた声と歪んだ口元。穏やかなノゾムの印象とは真逆のその姿。

 それは目の前のノゾムが完全な別人であると確信させるものだった。


「やっぱり、ノゾムさんじゃない。ケン・ノーティスさんですね……」


 ノゾムでない事を気付かれたのならともかく、正体まで悟られた事にケンは目を細める。

 完全に予定外であった。今のソミアはノゾムと一緒にいる時のような無垢な顔ではなく、1人の凜とした女性の顔をしている。

 ケンの異常な気配を圧されているのか、ソミアの体は小刻みに震えている。

 しかし、彼女の眼は真っ直ぐにケンを睨み返し、威圧するケンの視線に必死に抗おうとしている。とても10歳そこらの少女が出来るような眼ではない。


「まあ、気付かれたのなら仕方がないね。多少怪我を負って貰う程度で終わらせるつもりだったんだけど、知られたなら仕方がないか……」


 当てられていた威圧感が一気に膨れあがり、ソミア達に襲いかかる。咄嗟に背中の友人を逃がそうと、ソミアは震えているランサの手を引っ掴む。


「ランサちゃん! 逃げよ!」


 ケンが素早く宙に陣を描く。光を伴って描かれた陣が霧散し、続いて大人の腕ほどの氷柱が空中に形成され、打ち放たれる。

 ソミアは友人を逃がそうと震えるランサの手を掴んだまま走り出そうとするが、ソミア達が逃げ出すよりもケンの氷柱の方が遙かに速かった。

 足元に甲高い音を立てて氷柱が突き刺さり、ソミア達の足が止まる。


「悪いけど逃がさないよ。リサのためにも知られたからには黙っていて貰う」


 ケンから向けられる、ネットリと全身を這いずり回るような視線と負の情念。

 仮面が剥がれ、剥き出しになったノゾムに対する嫉妬と憎悪は、いくら歳不相応の精神を持ったソミアといえど、幼い少女にはあまりに強烈すぎた。


「……リ、リサさんの為、ですか?」


 声は震え、舌も回らない。それでもソミアは今にも崩れ落ちそうなほど震える足に必死に活を入れて、目の前のノゾムの姿を偽るケンに向き合う。彼女は自然と自分の左手を右手の腕飾りに伸ばしていた。

 ノゾムから誕生日プレゼントに贈られた、鈴を付けた腕飾り。握った瞬間、チリンと小さくなる鈴の音がソミアの耳に響いた。


「あ……」


 チリン、チリン……。

 恐怖に怯えるソミアの腕が震える度に、大事な人からもらった大切な贈り物は、まるでソミアを励ますように鳴り続け、その音色は凍り付いてしまったソミアの体を溶き解していく。

 気がつけば……体の震えは治まっていた。


「ああ、そうだよ。リサを守れるのは僕だけ「違います」……何?」


「違います。少なくとも貴方には無理です」


 ハッキリと、ソミアはケンを否定した。

 ノゾムから聞いていた話。恋人と引き裂かれた彼の過去。

 周りに人気がないこの場所で、ケンを刺激する事は悪手かもしれないと分かっていても、一度火がついたソミアの口は止まらない。


「ちゃんと自分の気持ちを形にしましたか? きちんと相手に伝えましたか? きっとしていません。だって、貴方がやったのは好きな人同士を引き裂く事だけなんだから」


「っ!!」


 ソミアの言葉がグサリとケンの胸を貫いた。

 そう、ケンはリサに自分の気持ちを形にして伝えた事はなかった。彼が選んだのはライバルを陥れるという事だけ。

 ノゾムを蹴落とすという選択をして以降、ケンは自分の行いを顧みた事もないし、リサの気持ちも顧みた事もない。ただ盲目的にリサが自分のものになったと勘違いして悦に浸っていただけだ。リサもまた傷心の内にノゾムの事を離せなくなり、ケンに縋り付いている内に彼から離れられなくなっていた。

 それは積み木の独り遊びによく似ている。

 それを目の前の少女に看破され、突きつけられた。


「伝えてもいないのに好きになって貰うなんて出来ません」


ギリッと奥歯を噛みしめる音がケンの口内で響く。


「貴方は誰も見ていないです。大切なのは自分だけ。そんな人を……」


「随分と口が過ぎるお嬢さんだな!」


 顔を真っ赤にしたケンが腰に差した長剣に手を伸ばした。

 恐怖に引きつった顔を浮かべたランサが小さく悲鳴を上げ、ソミアの目が見開かれる。

 だが次の瞬間、シュッという音と共に何かが高速で駆け抜けた。


「ちっ!」


「え?」


 ケンが舌打ちしながら後ろへと下がる。同時にバァン! という炸裂音と共に、ケンの足元の石畳が弾け飛んだ。

 そして2人の間に大きな影が割って入ってくる。


「あ、貴方は……」


「逃げなさい!」


 ケンとソミア達の間に割って入ってきたカミラが、逃げるように促しながら、ケンと対峙する。

 腰を落として油断なく構えながら、ケンを睨みつけるカミラ。その瞳には今まで我慢してきた明らかにケンに対する敵意を光らせていた。


「やれやれ、どういうつもりだい? リサを守るにはこの手段しか……」


「うるさい! アンタの妄想にこれ以上付き合ってなんていられないわよ!」


 カミラの行動に呆れた様な声を漏らすケンだが、当のカミラはすでにケンに対して一片の仲間意識も持っていない。聞く必要も義務もないと言い切る様にケンのセリフを遮った。


「そうかい、じゃあ仕方ないな」


 ちょっと残念そうに溜息を吐くケン。しかし彼はすぐに“どうでもいいか”というよう顔を上げると、口元を吊り上げた。


「そこのエクロス生徒……。彼女達と同じように、ぼくのアビリティについて知られている以上、カミラもこのまま放置できないよね……」


「っ!? あ、あんたは……」


 2年の付き合いがある友人すらもすぐさま敵と判断し排除にかかる。ケンの態度に迷いや葛藤というものは見受けられない。

 タガが外れ、暴走した人間の本性というものをまざまざと見せつけられたカミラは、ただ怒りに震えながら目の前の“敵”を睨みつけていた。


「ゴメンねカミラ、これもリサの為だから……」


 罪悪感を覚えるはずの言葉を抑揚のない平坦な口調で述べながら、ケンは腰にさした長剣を抜き放つ。

 月の光を受けて鈍く光る鉄の輝きが、カミラやソミア達には死神の鎌に見えた。

 そしてノゾムの姿を模したケンは、目の前の獲物に向かって一歩一歩足を進めていく。


「う、うう……」


「大丈夫、大丈夫だから……」


 怯える二人の命を背負いながら、カミラはギュッと構えた杖を握りしめた。震えそうになる自分の腕に喝を入れ、全身の魔力を猛らせる。

 続いて詠唱を開始。大気中に奮える魔力を放出しながら術式を構築し、人の頭ほどの炎塊を作り上げる。


「リサのため? あんたの自己満足と身勝手な妄執のためでしょうが!」


 カミラは大声で叫びながら、手にした炎塊を投擲。彼女の怒りを体現するかのように飛翔した炎塊は猛烈な勢いでケンに牙をむく。

 しかし、ケンはすばやく剣身に魔力を注ぎ込むと、長剣を切り上げるように一閃させた。


「ふっ!」


 水色の魔力光を帯びた剣閃が襲い掛かる炎塊の底部を払いのけ、はじかれた炎の塊は空しく闇夜の空へと消えていく。

 さらにケンはカミラが次の術式を構築する前に、身体強化魔法を発動させ、一足飛びにカミラへと躍りかかった。

 まるで疾風の様にカミラとの間合いを侵略したケン。腰だめにした長剣を翻らせ、カミラに向かって袈裟懸けに振り下ろす。

 だが、カミラもまた3学年1階級に属する優秀な生徒。素早く身体強化を自らの体に施し、魔力を込めた杖でケンの長剣を受け止める。


「くっ!」


「無駄だよ。後衛向きの君がこの距離で僕に勝てると思うかい?」


 ギシギシと受け止めた杖がきしむ音が響く中、カミラが苦悶の声を漏らす。

 ケンの言う通り、元々カミラはその性格とは裏腹に、後方で味方の援護を行うことを得意とする人間だ。入学当初、周りに溶け込めなかった自分を助けてくれたリサに対する義理人情などはまさにそれだろう。

 気の強い性格から杖を使った接近戦もそれなりにこなせるものの、その技量は同学年で5人しかいないAランクに到達したケンには到底及ばない。


「そこの2人、何をしているの、早く逃げて!」


 そして、その事実をカミラもまたよく自覚している。だからこそ、彼女はせめてこの事件に巻き込まれてしまったソミア達だけでも逃がそうと声を張り上げた。


「あっ……。でも……」


「早く! 友達を守りなさい!」


 緊張感に声を震わせながらも、身を挺してソミア達を守ろうとするカミラ。

 そんな彼女の勇気に叱咤されたのか、2人の戦いを茫然と眺めていたソミア達が踵を返して弾かれたように走り出した。

 何とかしてこの事を誰かに伝えないと……。恐怖でガクガクと震える足を必死に動かして、この場から離れようとする。


「逃がすと思うかい?」


 だが、ケンは彼女達をこの場から逃がすつもりなど毛頭ない。鍔迫り合っているカミラの腹に蹴りを放つ。


「がはっ!」


 めり込んだケンの蹴撃にカミラが苦悶の声を漏らしながら後方へ吹き飛ばされる。

 地面の倒れこんだカミラを横目で確認しながら、ケンは再び術式を発動。再度空中に腕ほどの氷柱を作り上げる。

 目標は背を向けて、この場から逃げようとしているソミア達。ケンの指が指揮棒の様に宙を泳ぐと、氷柱の切っ先がソミアの背中へと向けられていた。


「っ! やめなさい!」


 地面に体を打ち付けた痛みで視界がゆがむ中、カミラが悲痛な声を上げる。

 しかしケンの指は無情にも振り下ろされた。次の瞬間、放たれた矢様に氷柱が無防備なソミア達目がけて飛翔する。


「くっ……この!」


 カミラは痛む体に鞭を打ち、後先など考えずに魔力を全開にして駆ける。発動していた身体強化の術が一気にその効力を引き上げた。

 高速で飛ぶ氷柱がソミア達の無防備な背中へゆっくりと迫る中、カミラは勢いを全く殺さずにソミア達のもとへと駆け寄り、飛びつく様に身を投げ出して2人の体を抱きかかえる。

 次の瞬間、ザシュッと引き裂くような嫌な音がカミラの耳に響いた。続いて全身に衝撃が走る。


「ッ……!」


 地面に倒れこんだカミラが顔を顰めながら腕の中を確かめると、呆けた様子のソミアとランサの顔があった。

 いきなり抱きかかえられたことに驚いている様子ではあるが、怪我をした様子はない。

 

「よか……くあっ!」


 カミラがホッと気を緩めた瞬間、右足に激痛が走った。

 足元を覗き込んでみると、紅く染まった氷柱が深々とカミラの右足を貫いている。

 さらにカミラの視界の端から、こちらに向かって悠々と足を進めてくるケンの姿が映った。


「くっうう! このおおおおお!」


 右足から走る激痛に集中が出来ず、まともな魔法を構築できないカミラ。たとえ術式を組めたとしても格上であるケン相手では通用するかどうかも怪しい。

 だが、それでも引き下がるわけにはいかない。カミラは自分の残った魔力を全部絞り出す勢いでケンに向かって叩きつける。

 術式も何もない魔力の奔流。ただ垂れ流しただけの魔力がケンに通じるはずもなく、その歩みを僅かに緩めただけだった。

 しかし、だが次の瞬間、ノゾムの姿をしたケンの体に異変が起きた。突然ケンの姿がまるでレンズ越しに見たように歪む。そしてパシャと水が跳ねるような音と共に、ケンを覆っていた水の層が剥がれ落ちてカミラがよく知るケンの姿が出てきたのだ。


「ち、水鏡の心仮面が……」


 ケンが水鏡の心仮面が解除された事に舌打ちする。

 水鏡の心仮面は魔力を通した水を全身に張り付け、アビリティ保持者が制御することで外見を自在に変えているが、強力な魔力に当てられると体に張り付けた水の魔力と反応して変装が解けてしまうのだ。

 射殺すようなケンの視線がカミラを貫く。してやったりと口元に笑みを浮かべるカミラ。だが、右足を潰された彼女はもう走れない。歩く事さえ困難だろう。先ほどの様にソミア達を守るとなど到底不可能だ。

 自分ではケンを止め切れない。そう考えたカミラはソミア達を抱きしめていた腕を解き、この場から立ち去れと言うようにそっと押し出す。

 だがカミラの気持ちとは裏腹に、ソミアは逃げようとしなかった。

 恐怖に震え、零れ落ちそうになる涙を必死にこらえてカミラの足に治癒魔法を施し始めたのだ。


「なに、やっているの……」


「て、手当です……」


 恐怖を押し殺そうと噛み締めた唇は痛々しく、健気な少女の後ろでは死神が一歩一歩と近づいてきている。


「早く逃げなさい……」


 逃げるように促すカミラの声を聞きながらもソミアは治療をやめようとしない。やがてランサも彼女に続く様にカミラの足の治療を始めてしまった。

 すでにケンは彼女達のすぐ近くまで迫っている。ネットリと粘ついた笑みを浮かべたまま、ケンが長剣を振り上げる。


「なに……これ.」


 だがその時、ここで聞くはずのない声がカミラとケンの耳に響いた。

 聞えるはずのない声に固まるカミラ達。そしてソミア達もまたこの場に現れた闖入者に言葉を失っている。

 後ろで一纏めにした真紅の長髪と整った容姿。誰もが振り返るほどの美貌を持ちながらも人懐っこい笑みを浮かべていた容貌は、今では驚愕の色に染まっている。


「何で、ケンがノゾムの姿に……。それに、なんでケンがカミラを……」


 理解しがたい光景にリサ・ハウンズの頭は一瞬思考が停止し、彼女はまるで案山子の様に立ちすくむ。

 だが彼女の目は水鏡の心仮面が解けた際のケンの姿をはっきりと捉えていた。

 まるで衣を脱ぎ捨てるように姿を現したケンと、幼い少女達を庇いながらも傷ついた姿で横たわる親友の姿。

 何故リサがこの場にいるのか理解できず、ケンもまた茫然自失となったまま顔を青ざめている。

 だが、ノゾムの姿をしていたケンの存在は、今まで思考の袋小路に追い込まれていたリサに一筋の道を示す。それは彼女が今まで気づかなかったこと。無意識の内に理解しようとしなかったこと。


“2年前に自分が見た裏切りの光景はケンが見せた偽りである”


 今までリサを惑わせていた、相反するノゾムの姿が明確に変化していき、ゴチャゴチャしていた意図が瞬く間に解けて一本の線となって繋がっていく。


「じ、じゃあ、あの時も……」


 2年前に自分が目の当たりにしたノゾムの裏切りの姿がケンの姿へと置き換わり、今まで信じていた、現実がガラガラと音を立てて崩壊し始める。


「ち、違うんだよリサ……。こ、これは……」


 青ざめた顔のままケンが何とか言いつくろうとしているが、そんな動揺しきった言動は彼自身がリサに植え込んだ“2年間の欺瞞”を打ち壊していくだけだった。

 取り繕うとするケンがリサに歩み寄ろうとする度に、彼女は一歩一歩と後ずさっていく。


「それじゃあ……私は……」

 

 同時に、今まで自分がノゾムに向けていた憎しみや怒りが全て無実の人間に向けたものであり、全てが見当はずれのものだと理解した。理解してしまった。


“自分の気持ちを踏みにじった裏切り者”“他の相手に逃げた最低な人間”


 それは本当のところ、一体誰だったのだろうか。

 今まで信じていた世界が裏返り、ノゾムに向けた怒りや憎しみの言葉全てが反転して一気にリサの心に圧し掛かってくる。

 ギシギシと悲鳴を上げるリサの心を表すように、彼女の体は小刻みに震えていた。


「リサ、は、話を……」

 

 助けを求めるようにケンはリサに手を伸ばすが、指先から零れ落ちる水は手に戻ることはない。

 彼女を2年間縛り付けていた鎖は完全に砕かれていた。他ならぬ、鎖を掛けたケン自身によって。


「い、いや!!」


「っ……!」


 反射的にリサが伸びてきたケンの手を拒絶した。パシンと甲高い音が響き、刺す様な痛みが二人の手の平に走る。

 それは決定的な断裂の瞬間。流れる静寂とは裏腹に、急速に2人の距離は離れていく。

 いや、元々2人は一つではなかった。元々破綻した関係だったのだ。いずれにしろ、時間の問題だっただろう。

 だが、2年という時間をかけて蓄積した歪みが炸裂した衝撃は、2人に激震となって襲いかかる。

 言葉を失い、血の気を失うケンとリサ。

 その時、リサは飛び込んできた光景に目を見開いた。心臓が鷲掴みにされたように激しく鼓動し、水底に沈んだように呼吸が重苦しくなる。

 彼女の視線の先には、こちらに向かって駆け寄ってくるノゾム・バウンティスの姿があった。








 ノゾムは目の前の惨状を見て顔を顰める。

 足から血を流して倒れ伏したカミラと、彼女に寄り添うソミア達。そして何よりノゾムの目を引いたのは、青ざめた顔のまま向かい合って立ち竦むリサとケンの姿があった。

 なぜここにリサがいるのだろうか? 

 疑問がノゾムの脳裏をかすめるが、目の前には氷柱に足を貫かれたカミラが倒れている。

 状況がよく分からなかったが、地面には赤黒い血が絨毯の様に広がっていた。さすがに怪我人であるカミラを放って置く訳にもいかない。

 疑問を一時的に頭の端に追いやり、ノゾムはカミラ達の元に駆け寄った。


「ソミアちゃん、カミラ、無事か!?」


「ノ、ノゾムさん……」


 よほど怖かったのか、ソミアとランサは泣き顔を浮かべている。

 カミラは青白い顔でノゾムを見上げた。唇も血色を失っている。おそらくかなり出血しているのだろう。


「ど、どうやってここに……」


 カミラが擦れる様な声で、何故ここにケンがいることに気付いたのかを尋ねてきた。

 カミラは通信網が壊れたままだと思っていたし、ここはエクロスの校舎でもなければ学生寮でもない。ノゾムが的確にこの場所を導き出せたのか疑問を持っても不思議ではなかった。


「お前の通信を聞いてエクロスの校舎に向かっていたんだが、そうしたら途中で空に花火が打ち上がるのが見えたんだよ」


 カミラの疑問を聞き流しながら、ノゾムは服の裾を帯状に千切ると、カミラの足に突き刺さった氷柱をゆっくりと引き抜き始めた。


「っ!」


 足に走る痛みにカミラが顔を顰める。

 動脈や筋を傷付けないように気を付けながら氷柱を抜き終わると、ノゾムは千切った帯で傷口を巻いて締め上げる。

 ノゾムはカミラの止血を続けながら、ノゾムはここに来るまでの経緯を思い出していた。

 カミラの通信を聞いて寮から飛び出したノゾムはエクロスの校舎へと急いでいた。アイリスディーナから最近ソミアが勉学をさらに頑張るようになったと聞いていたから、まだ校舎に残っているかもしれないと考えたのだ。

 その時、ノゾムの目に空に向かって飛んでいく光が見えた。そう、カミラがケンめがけて打ち放ち、弾き飛ばされた炎塊である。

 普通に考えれば、あのような攻撃魔法が使われる場で何かが起こっていることは明白。それが、ノゾムがこの場所に来ることが出来た理由だった。

 止血した際に足に走った痛みにカミラが顔を顰める。だが流れ出ていた血の量はかなり減ってきている

 ホッと安堵の息を吐くノゾムだが、やがてゆっくりと立ち上がり、顔を上げた。 


「……バロッツァさん。ソミアちゃん達とカミラを頼みます」


 一歩ずつ、ノゾムは足を進めていく。カミラはその背中を見守っていた。

 バロッツァは仕方ないというように肩をすくめながらも、腰に差した剣の柄に手を添え、ソミアとランサはどこか心配そうな目でノゾムを見送っている。

 そしてカミラは申し訳なさそうに顔を伏せていた。

 ケンを止め切れなかったことを悔しがっているのか? それともリサを巻き込んだことを悔いているのだろうか?

 ノゾムにはカミラの心中を察しきることはできなかったが、それでも彼はカミラに伝えておきたい言葉があった。


「カミラ……」


「……何?」


「ありがとう、ソミアちゃん達を守ってくれて……」


 ノゾムが贈ったのは深い感謝の言葉。彼にとってソミアもまた大事な、かけがえのない仲間であり、友人であり、自分を受け入れてくれた大事な女の子だ。そんな人と身を挺して守ってくれたカミラに、ノゾムは心からの安堵とお礼を述べる。


「グス……お願い」


 鼻をすすりながら、カミラはノゾムに何かを懇願する。

 何をどうしてほしいのか、カミラは明確に言葉にできなかったが、ノゾムは彼女の言葉に小さく頷いた。

 その言葉に背中を押されるように、ノゾムは目の前の幼馴染達の元へと足を進めていく。


「ケン、リサ……」


「あ……」


 声を掛けられたリサが怯えたような表情を浮かべる。その眼に色濃く浮かぶのは深い後悔の色。

 明らかに今までとは違う彼女の態度にノゾムはすべてを悟った。今この瞬間、自分たち3人の本当の関係が、完全に白日の下に晒されたのだと。


「ノ、ゾム……!」


 ノゾムの存在に気付いたケンが、まるで仇を見るような目でノゾムを睨みつけてくる。ビリビリと殺気が背筋に走り、ノゾムの鋭敏な感覚が警鐘を鳴らしてくる。いつ斬り掛かってきてもおかしくない程の敵意だ。


「ケン、もう無駄だ。全部終わったんだ」


 そう、もうリサはケンの欺瞞に完全に気付いている。ノゾムに裏切られたと信じていた時のリサはあれだけケンを頼りにしていたのに、今では完全にケンに怯えていた。

 いくらケンが取り繕おうとしても、もうどうにもならないだろう。

 一度壊れたものはもう元には戻らない。時間を戻すことは精霊にだって不可能なのだから。


「お前、お前さえいなければ……!」


 だが、もう戻らないと分かっていても人は過去に固執する。そしてどうにもならない憤りのはけ口を求めるのだ。

 ケンはゴチャゴチャな独り言をつぶやきながら、長剣の切っ先をノゾムに向けてきた。

 その言動にもはや現実感はまるでない。ただノゾムをすべての元凶と決めつけ、自らの妄執に固執する。

 まるで幽鬼のように空ろで、それでいて危険極まりない狂気を剥き出しにしながらケンは一足飛びにノゾム目がけて踏み込んできた。

 まるで疾風のごとき突進の勢いそのままに、ノゾムの体を砕く勢いでその刃を振り下ろす。

 そこに躊躇いは一切なかった。


「……しっ!」


 一瞬で攻撃を仕掛けてきたケンに考えるよりも先に反射で動くノゾム。

 素早く腰を落として“無銘”の柄を引っ掴み、一瞬のうちに高めた気で体を強化。体幹を捻りながら刃を抜き放つ。

次の瞬間、火花を散らしながら二つの刃がぶつかり合った。


今回の主人公は……カミラかな。

というわけで次節はノゾムVSケン。再戦です。

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