第6章第21節
お待たせしました。第6章第21節です。
うまく書けているといいのですが……。あまり自信はないです。
「……それでは、ケン・ノーティスはアビリティ“水鏡の心仮面”を保持し、それを学園に報告していないのだな?」
「はい、そしてそのアビリティを用いてノゾムを嵌めたのだと考えます」
教官長室で向き合うジハードを始めとした学園関係者とアイリスディーナ達。
2年前、この学園で蔓延した噂の真実とノゾム・バウンティスを陥れた人物について聞き終えたジハードは、顎ヒゲを弄りながらギリッと歯噛みした。
“水鏡の心仮面”自体、相当希少なアビリティである。その珍しさと能力からほとんど表に出ることはなく、ジハード達も思考の端から無意識の内に除外してしまっていた。
正直な話、個人の所有するアビリティを直接看破する手段は未だに確立されてはいない。
ティマの“四音階の紡ぎ手”等は本人の魔法適性からある程度推察することはできるが、アイリスディーナの“即時展開”等は使用されることで初めてその存在に気付く。
アビリティなどの研究は10年前までは各国が独自に行っていたが、それには限界があった。全ての人間がアビリティを発現させるわけではないし、一国では研究の規模もたかが知れている。
10年前にアルカザムが完成し、ようやく各国共同で研究を行えるようになり、情報の共有化が可能とはなったが、アビリティが発現する人間が増えたわけではない。
また各国の意思統一も難しく、まだ十分な結果が出せているとは言えないのが現状だった。
「インダ女史、現在のそのアビリティ保持者が学園やグローアウルム機関に入り込んだという報告はもたらされているか?」
「いいえ、確認されておりません」
「なら、ここ最近、学園周辺の各施設に不審な魔力反応は確認できたか?」
「少々お待ちください。確認してまいります」
執務室を後にするインダを見送りながら、ジハードは先程聞いた“水鏡の心仮面”に考えを巡らせる
水鏡の心仮面というアビリティは諜報に特に有益なアビリティだ。姿形を変え、侵入し、情報を持ち去る。
アビリティを使われると本人の特定が非常に困難になる上、使用しなければ一般人と全く変わらない。
「確認って……。そんな事記録したりしているのか?」
「あたりまえだろう。この街は人の出入りが多く、よからぬことを考える輩もやってくるのだ。侵入してくる者を捕縛、撃退するための厳重な警備を敷いているし、そのための設備もこの学園には数多ある。もっとも、公には公表したことはないがな」
このアルカザムには毎日多数の冒険者や商人、旅人、各国の政府関係者が出入りしている。
その数はあまりに多く、街を出入りする人間を一人一人確認することは難しい。
そしてアビリティそのものを直接探知出来ていない以上、アビリティ発動による周囲の影響を調べる二次的な対策を充実させる他ない。
ゆえに学園は今まで水鏡の心仮面などの諜報に適したアビリティに対して、学園の敷地内の防備を徹底的に固めたのだ。
そのレベルは病的と言っていいほどで、特に生徒達がいなくなる夜間はそれこそ要塞のような警備体制となる。しかもそんな警備態勢が敷かれている事を外から見ただけでは全く分からないようにしているのだ。
教師の中にはその諜報員を撃退することを専門として配属された者もいる。そして、施設内にも、それに相応しいだけの設備やグローアウルム機関が開発した魔法具などが配布されていたりする。
しかもその事実を学生達に知らせないように秘密裏に行っている。これも未熟な学生達から情報が流出することを防ぐためだ。
「というか、そんな事を俺達に話していいのか」
「敷地内の警備状態が街中と比べて雲泥の差であることは既に各国では周知の事実だ。その事を知ったところで、詳細を知らないのであれば別段問題ない……。とはいえ、迂闊に話されても困るがな」
ジハードはジロリと目線を鋭くして、マルスに釘をさす。
ひやりとした汗が背筋を走り、マルスは息を飲んだ。
「昼間は生徒達がいるから警報は切っているが、夜間に敷地内に侵入でもしようものならすぐさま察知して学園中に兵が駆けつけてくる。無論、私やインダ先生もな」
この男が駆けつけてくると知っているなら、どんな組織も下手な人間を送り込もうとは考えないだろう。
そしてジハードだけではなく、それ以外の人間もAランクなどの高位の実力者が揃っている。
学園の敷地内という限定空間に精鋭が集まり、最先端の魔法技術が用いられているからこそ、このソルミナティを始めとしたアルカザムの中心は、アークミル大陸で最も侵入が困難な要塞と化しているのだ。
だが内の守りを固めているからこそ、逆に街中の警備については取れる手が限られてしまう。
「おそらくケン・ノーティスは自分のアビリティを徹底的に隠し、ノゾム・バウンティスを陥れる時にしか使わなかったのだろう。この学園は内側については厳重だが、外側では出来ることが限られる」
魔法や気術が社会の基幹となっているこの大陸において、魔力や気を使わずに出来ることは限られてしまう。
問題は水鏡の心仮面は使用されない限り、保持者が誰であることが分からない点である。
このアビリティは魔力を篭めた水を体に張り付けるため、使用すると微弱ながら魔力を放出するが、使用しなければ保持者とは気付くことは極めて難しい。
学園の敷地内で使用すれば何らかの形で気付くことは出来たかもしれないが、厳重な警備が不可能である学園外で使用したからこそ、ジハード達はケンが水鏡の心仮面を保有している事に気付かなかったのだ。
最も、ケン本人が学園の警備について知っていたかどうかは定かではないが。
そんな会話を交わしている内に、脇に紙束を抱えたインダが執務室へと戻ってきた。多分その紙束がここ最近学園にあげられた報告書だろう。
「お待たせしました。犯行があった当日の深夜に、男子寮で極微弱な魔力反応が検出されたことが報告されています。しかし、寮長が確認したところ、不審者の影は存在しなかったと……」
「不審者の痕跡がなかったということは、その魔力反応は寮の人間で、この件と関わりがある可能性が高いな」
「ノゾム君は魔法が使えませんし~、彼が犯人である可能性は低くなりましたね~」
ノゾムが犯人でない事が証明しきれたわけではないが、少なくとも他にも真犯人がいる可能性を示されれば、まだ捜査を続けていく必要がある。
「ふむ、とりあえずマウズ殿に連絡して他に犯人がいる可能性について話をしよう」
とにかく今は警備隊長であるマウズと話をし、この事実を知らせておく必要があるだろう。
ジハードの言葉を聞いて、アイリスディーナ達が安堵の表情を浮かべる。
完全に事件が解決したわけではないが、これで捜査が進めばノゾムの無実を証明できるかもしれない。
立ち上がったジハードはノゾムが囚われ、尋問を受けている憲兵の詰所へと赴こうと扉のノブに手を掛ける。
その時、コンコンというノックの音と共に執務室の扉が開かれ、1人の妙齢の女性が姿を現した。
「失礼します」
現れた美女にジハードを始めとした全員が目を見開く。
喪服を思わせる黒い衣装に身を包んだ美女は穏やかな笑みを顔に浮かべ、ゆっくりと執務室に入ってきた。
「メクリア殿、困りますな。事前の連絡無しとは。おもてなしの準備もできていないのですよ?」
「不躾な訪問、申しわけありません。火急の用事がありましたので」
にこやかな笑みを浮かべた顔。その瞳がスッと細められ、張り詰める様な緊張感が室内に満ちる。
「この学園生が起こした暴力事件について、詳しくお聞きしたいと思い、訪ねた次第です。ご説明願いませんか?」
「それについては、まだ捜査段階です」
“やはりその件だったか”とジハードは歯噛みしながらも、表情を変えないまま淡々とメクリアの質問に言葉を返す。
だが既にある程度自体は把握しているのか、メクリアはジハードの言葉をあざ笑う様に口元を吊り上げた。
「変ですね、犯人はすでに捕縛されたと聞きましたが?」
「捕縛された学生が犯人ではない可能性も浮上しています。結論を出すにはまだ早計ですな。捜査の結果はご報告しますので」
話はそこまでとしてメクリアの脇を通り過ぎようとするジハードだが、彼女はスッと流れるような自然な動作でジハードの行く先に身体を割り込ませる。
「しかし、私としてもこの件は無視できません。大陸に名だたるソルミナティ学園の生徒が不祥事を起こしてしまったのなら、確かめないわけには参りません」
肘に手を当て、白魚の様な指で優雅に髪を梳きながらメクリアは更にジハードに言い寄ってきた。
使命感に駆られた様な口調だが、その言葉の端々に逃す気はないという態度がありありと感じられる。
隙を見せたら喉元を食い破られる。そんな危機感すら感じられる威圧感だった。
「それに、我が主からの書をお読みになりましたでしょう? キチンとした説明をお願いいたしますわ」
「先程も説明しましたが、まだ現在調査中ですので、詳しい事はまだハッキリとはしていません。犯人と思われていた学生にも、犯人ではない可能勢が浮上しております」
だが、あくまでジハードの態度は変わらない。
詰め寄ってくるメクリアから視線をそらさず、真正面からその重圧を受け止めていた。
しばしの間、両者の視線が空中でぶつかり合う。
ヒシヒシと感じられる重圧感が執務室を支配し、沈黙が漂う。
「メクリア殿には説明は不要でしょうが、ここは“アルカザム”です。フォスキーア国ではありません。この意味、メクリア殿も十分理解されていると思われますが?」
アルカザムはどの国にも属さない中立地。どんな権力者だろうと、この街で好き勝手な振る舞いはできない。
それがこの街ができた時に交わされた条約であり、決して犯さすことを許さない誓約だ。
「……仕方ありません。捜査の結果が学園から発表される時を待つことにいたします」
メクリアもそのことは十分理解している。彼女は仕方ないと言う様に大きく息を吐き、踵を返して執務室から出て行く。
「それでは、一日も早い解決を願っておりますわ」
メクリアは見惚れるような笑みを浮かべて一礼し、扉の向こうへと消えていく。その表情には先ほどのような威圧感はもはや感じられなかった。
扉が占められると同時に、執務室に満ちていた重苦しい空気が霧散する。
「さて、では憲兵の詰所へ行くか。マウズ殿と話をせねばならんからな」
「私達も行きます」
「ジハード先生、よろしいですか?」
アイリスディーナ達がジハードに憲兵の詰め所へ連れていくよう言いながら詰め寄ってきた。
やはりノゾムのことが心配なのだろう。ジハードとしても詳細な情報を知っている彼女達がついて来てくれた方がいいと判断したのか、あっさりと許可を出した。
「そうだな、その方がいいだろう。アンリ先生、引率をお願いします」
「分かりました~! それじゃあ皆~、行きましょうか~」
気が緩みそうな声で気合を入れたアンリ先生が、アイリスディーナ達を伴って執務室を出ていく。
ジハードは彼女達が部屋を出て、扉が完全に閉まったことを確かめると、囁くような声でインダ先生に耳打ちした。
「インダ殿、分かっていると思うが、メクリア殿は犯人が捕まったということは知っているようだが、彼女が話していた事がどこまで真実なのかはわからん」
「そうですね。彼女が本当に詳細な情報を持っているのか、それとも単にカマをかけて情報を得ようとしたのか……」
真実はともかく、メクリアがソルミナティ学園の生徒が不祥事を起こしたことを知っている以上、何らかの手段で非難の矛先をこちらに突き付けてくるだろう。
これから先、メクリアがどんな行動に出てくるかはわからないが、少なくともこの学園にとって、これ以上頭が痛くなるような事態は避けたかった。
「どこまで出来るか分からんがメクリア殿から目を離すな。学園の外ではできる手は限られているが、最低限泊まっている宿やどんな場所に行ったか把握しておきたい」
「分かりました。こちらの人間を数人厳選して貼り付けておきます」
インダの返答に頷いたジハードは、机の上に散乱していた資料を片付け、棚の中から紙束を引っ張り出すと、それをインダに突き出した。
「これを用意しておいてくれ。多分、必要になるだろう」
「……分かりました。すぐにでも」
素早く紙束に目を通して頷いたインダは、速足で執務室を後にする。
ジハードもまたインダの姿を見送ると、執務室に鍵をかけて学園の外へと向かう。この事件の真相を探り、そしてこの学園を守るために。
ジハード達が執務室で話を終えた頃、ノゾムは前触れもなく目の前に現れたカミラを驚愕の表情で見上げていた。
「どうしてここに……」
いったいなぜ彼女はここに来たのだろうか。そしてなぜそんな憂い顔を浮かべているのだろうか?
ノゾムの頭に様々な疑問が泡のように浮かんでは、別の泡に押しつぶされていく。
呆けるノゾムを見て察したのか、カミラが自虐的な笑みを浮かべながら口を開いた。
「貴方のことを憲兵達に聞いたら妙にピリピリしていたから、こうでも言わないと会わせてくれなくて……」
どうやら彼女は自分がノゾムの恋人だからと泣き落として彼に会いに来たらしい。
しかし頬を伝っていた涙の跡と赤く腫らした目元は偽りではなく、彼女が本当に涙を流していたことをハッキリと感じさせる。
気色ばむノゾムに対して、カミラは沈痛な表情のまま言葉を続ける。
「大丈夫なの? 何かされたとか……」
「いや、別に暴力を振るわれたとかはなかったよ。ただ、仲間に害が及んだ上に俺自身にアリバイがないから禄に話を聞いてもらえなかった。取調室から出されるときに水鏡の心仮面の名前だけ話せたんだけど……」
「そう……」
ノゾムの体には特に殴られた跡のようなものはない。問い掛けに対する答えもはっきりとしている。
泣き顔だったカミラだが、ノゾムの無事な姿を確かめると、ホッと安堵の表情を浮かべていた。
彼が無事だったことに笑みを浮かべていたカミラ。しかし、その微笑みはすぐに沈痛な表情に塗りつぶされ、再び重苦しい空気が漂い始めた。
「何か、あったのか?」
戸惑い交じりにノゾムは何があったのかをカミラに尋ねる。
すると、突然カミラはノゾムに向かって深々と頭を下げてきた。
「カ、カミラ?」
訳が分からず狼狽するノゾム。
再び問いかけようにも垂れた髪から覗くカミラの引きつった頬と、怯える様に縮こまっている姿が、ノゾムに再び声を掛けることを躊躇わせる。
地下牢にはノゾム以外には誰もおらず、カミラもまた悔いるように目を伏せたまま何も言えずに俯くのみ。
まるで飾られた絵の様に二人の時間だけが静止していた。
周囲の時間だけが過ぎ去っていく中、やがてカミラがゆっくりと口を開く。
「…………、なさ…」
「え……?」
ただ一言。伝えようとした言葉に合わせてカミラの口が僅かに動く。だが喉の奥から絞り出した言葉は小さすぎて、全てがノゾムの耳には届かない。
だが彼にはこう聞えた“ごめんなさい”と。
震え続ける彼女の肩と噛み締められた唇、そして泣き腫らした涙の跡がただ事ではない彼女の心の内を如実に物語っている。
いきなりの出来事で思考が回らずにいたノゾムだが、何か言葉を掛けなくてはと考えて口を開こうとする。
しかし彼の言葉は顔を上げたカミラの声に遮られた。
「ちょっと待っていて。憲兵達に事情を話して、せめて牢から出してもらえるよう計らってみるから」
カミラはゴシゴシと自分の制服の袖で涙の跡をふき取ると、意を決した顔で何とかノゾムを牢から出すように憲兵達を説得すると宣言してきた。
「ちょっと待……」
「大丈夫。ここに来るとき警備隊長の許可を貰ったんだけど、その時何か難しそうな顔して調べ物をしていたわ。多分ノゾムから水鏡の心仮面のことを聞いて、調べてみたら容姿が当てにならない可能性が浮上したからだと思う。
ケンが“水鏡の心仮面”の保持者でノゾムを陥れようとしたって教えれば他に犯人がいる可能性が浮上する! 疑いは晴らしきれなくても、まだ希望はあるわ!」
妙に声に力を入れた彼女はノゾムの言葉を待たず、切羽詰まったように踵を返して走り出そうとする。
「その必要はない」
だが、駆け出そうとしたカミラの足は地下牢に響き渡った野太い声に止められていた。
声が聞こえてきた地上への階段の入り繰りには警備隊長のマウズが神妙な顔で佇んでいた。
憮然とした顔のままノゾムがいる地下牢に近づいてくるマウズ。
ノゾムとカミラが不思議そうな顔で見つめてくる中、マウズは懐に手を伸ばし、取り出した鍵で牢の錠前を開けた。
「出るんだ」
憮然とした口調のまま、マウズはノゾムに牢から出るよう促してくる。
「あの、どういうことですか?」
「……まあ、そこのお嬢さんも言っていたが、他に容疑者がいる可能性が出た」
一体何が起こっているのかよく分からないノゾムだが、少なくとも何か進展があったのだろうと考え、マウズの指示どおり牢から出る。
牢の出入口をくぐると、思った以上の開放感がノゾムを包み込んだ。
ノゾムは凝り固まった体をほぐすように背筋を伸ばす。周囲はまだ石壁に囲まれた地下だが、気分は鉄格子の中とは比較にならなかった。
「それに、どうやらまだ話さなければならない事も出てきた。だから、このまま牢屋の中に入れておく訳にもいかない。
ただ、容疑者の一人であることには変わりないから、監視をしなければならないのだが……」
バツが悪そうな顔でマウズは頬をかく。
犯人がノゾムしかいないと決めつけていたことに、内心申し訳なく思っているのだろう。
とはいえ、ノゾムの疑いが完全に晴れたわけではないので、素直に謝罪するわけにもいかなかった。
「……とにかく、今はこの事件を解決することに専念しましょう」
ノゾムはマウズが立場と感情の板挟みになっているのだろうと考え、特に自分を牢に入れたことには特に言及しないことにした。
「それで、これからどうするつもりなんですか?」
「その辺りのことは私から話す」
「ジハード先生、それに後ろにいるのは……」
ノゾムの問い掛けに答えるように響く落ち着いた声。ノゾム達が再び地上への階段に目を向けると、見覚えのある白銀の鎧を纏った偉丈夫が佇んでいた。
彼の後ろには会いたいと思っていた仲間達の姿も見える。
「ちょっと遅くなってすまない。ジハード先生達に事情を話して協力してもらえるように頼んでいたら時間がかかってしまった」
アイリスディーナとシーナが心配そうな顔を浮かべてノゾムに駆け寄り、肩をすくめたマルスや不敵な笑みを浮かべたフェオ達が後から歩み寄ってくる。
「まあ、お前のことだからあまり心配していなかったけどな」
「せやな、森の中に比べれば命の危険がないから、ノゾムには余裕やろ?」
「もう、不謹慎だよ2人とも……」
「調子いいこと言ってるな~」
そしてノゾムの無事を確認するや、ここに来る前の苛立ちをどこかに放り出したマルスとフェオに、苦言を漏らすティマとミムル。
彼女達の後ろには苦笑いをしているトムや飛び跳ねながら全身で喜びを表現しているアンリ先生の姿もあった。
ノゾムの様子を確かめた時の反応は違うが、皆一様にホッとした表情を浮かべていた。そんな仲間たちの姿を見て、ノゾムの口元にも笑みが戻ってくる。
「シーナが事情を話したって言っていたけど、それじゃあ……」
「ああ、君とケン君やリサさん達との確執について、ジハード先生とインダ先生、そしてマウズ殿には全部話した。もちろん、水鏡の心仮面についても」
アイリスディーナの話では、事情を知ったジハード達が憲兵の詰め所にやってきて、事情を説明。
水鏡の心仮面について調べてノゾム以外に犯人がいる可能性に気付いたマウズと情報を共有した結果、この事件の真相を暴くために協力体制を敷くことになったそうだ。
「そういう事だ。これだけ事件が大きくなるとさすがに……な」
「今回の件は学園としてもあらゆる面で協力します。私共としても看過できない事態ですので」
水鏡の心仮面の使い手が学園内におり、その存在を把握していなかった。
このアビリティ自体希少であり、見抜く手段が確立されていないとはいえ、今回のような不手際を続けてしまっては非常にまずい。ついこの間、厄介な人物からの親書が届いたばかりであり、その人物の片腕がこの町にまだ滞在しているのだ。
「しかし、問題はどうやってその男のアビリティを確認して、犯人と特定するか、ですね……」
マウズが顎の不精ひげを撫でつけながら考え込んでいる。
「水鏡の心仮面は、本人の顔はおろか、体格すら化ける対象と全く同じに変化させます。外見だけを見て偽物と見破るのは非常に困難です」
一歩前に踏み出たインダが手の持った資料をめくりながら説明する。
「しかし、偽者と分かっているなら、その変化を見破るのは実のところさほど難しくありません。そのために、皆さんにはこちらを携帯していただきたいのです」
そう言いながらインダが皆の前に見せたのは手の平に収まるくらいの蒼い石だった。
澄んだ湖を思わせる深い蒼。その石をノゾムは何となく見たことがあるような気になった。
「これは?」
「“悲運の双子石”をグローアウルム機関が手を加えたもので、“通魔石”というものです。わずかな距離ではありますが、魔力を込めることで遠くに声を飛ばすことが出来るものです」
そう言いながらインダが手を振ると、憲兵達が木製の台に乗せられた大きな岩を持ってきた。
その岩は先ほどの通魔石と同じように深い蒼色に染まっている。
「この岩は“縁石”と呼ばれる石の塊で、通魔石や悲運の双子石の材料でもあります。縁石は魔力的なつながりを持った石であり、この巨大な縁石に術式を施すことで、通魔石間での言葉のやり取りを可能としています」
インダの話では、この通魔石は試作品の段階であり、出力が低いものの、サポートしてくれる魔法使いがいれば、街の東西南北の一区画くらいなら声を届けることはできるそうだ。
「また、この通魔石は魔力を込めると赤く変化するのですが、少々感度が強すぎて周囲の魔素にも若干変化します。水鏡の心仮面は魔力を込めた水で全身を覆うので、近づけばその魔力に反応して石の色が変化します」
「なるほど、これなら相手がアビリティを使っているかどうか、見破ることが出来ますな」
「へえ、よく考えられとるな~」
インダの考えに感心したマウズとフェオが感心したように繰り返し頷いている。さらに眼鏡をかけて知的な教師は言葉を重ねる。
「そしてノゾム・バウンティスを一度証拠不十分で釈放します。犯人がケン・ノーティスであるなら、彼が釈放されたことで何らかの行動を起こそうとするでしょう。その現場を押さえ、捕らえます」
「ですが、それは危険なのでは? 相手がAランクの実力者で姿を変えられるとすれば尾行も難しい。現場を押さえるにしても、一体どうやって……」
インダの提案にマウズが苦言を漏らす。
確かに相手は学生とはいえ、Aランクに値する戦士として学園が認めた人間だ。
一度泳がせる以上、相手に感付かれないよう慎重に、かつ行動を起こした時は迅速に動かなくてはない。その為の通魔石だが、ケンの行動を伝えてくる人間がいなくては素早い対応ができない。しかし、それに適した人材がいない。
憲兵が学園内をうろつく訳にもいかないし、いくら教師でも四六時中一人の生徒に張り付くのは不自然だからだ。
「私がやります」
声を響かせ、手を挙げたのはジハード達が来てから一言も話さなかった一人の少女だった。
突然の提案にその場にいた全員が狐につままれたような顔をしている。
アイリスディーナと同じ白の制服に身を包み、3学園の最高クラスに属する生徒。
確かに彼女はケン・ノーティスと親しい間柄であったので役目としては適切だが、インダとマウズは生徒に任せていいものかと逡巡を見せる。
ジハードはカミラの真意を探るように彼女を凝視し、カミラもまたじっとジハードの視線を真正面から受け止めていた。
「私もこの事件については何とかしたいと思っています。いえ、どうにかしないといけないんです! お願いします。私を捜査に協力させてください!」
だがカミラは止まらない。自らの決意を一心に伝えるように、背筋を伸ばし、深々と頭を下げて、ハッキリとそう懇願した。
ノゾムが牢から出され、ある程度話がまとまった段階で生徒たちはジハードに寮に帰るよう言いつけられた。彼はおそらくこれから細かい調整をマウズ達と行っていくのだろう。
一足早く家路に就いたノゾム達だが、彼は帰り道の途中でカミラを呼び止めると彼女を連れて街の外縁部へと歩いて行った。
自らがケンの内偵をすると宣言した事にインダとマウズは迷いを見せていたが、ジハードの“任せてみよう”という鶴の一声で彼女に任せることに決まった。
またアイリスディーナ達も、ジハード達に捜査に協力したいという意思を告げるが、こちらはインダ達の猛反対にあってしまった。
無理もない。確かにギルドの依頼の中には探偵のような情報収集を求める依頼もあるが、それを受けることが出来るのは確かな実績と信頼を勝ち取った冒険者だけだ。元々学生達である彼女達にそこまでの実績も信頼もなかった。今回のカミラの場合は特殊なのだ。
だが彼女たちは諦めが悪かった。自分達の技能や魔法を全面的に推し出し、今までこなしてきた依頼の実績も上げ、インダ達を説得にかかったのだ。
アイリスディーナは即時展開による即応性を語り、シーナは精霊魔法をはじめとした大規模魔法の有用性を述べる。
ティマはその身に余る膨大な魔力を見せ、マルスは住処である商業区での情報網、ミムルは獣人特有の敏捷性、フェオは符術をはじめとした多彩な技能を、そしてトムはトルグレインからお墨付きをもらうほどの錬金術の知識を持ってジハード達に自分たちの有用性を熱心に語っていた。
あまりの勢いにインダもマウズもタジタジで、大の大人が少年少女に詰め寄られて狼狽えるその姿は、とても奇妙なものだった。
結局、彼女たちの実績を認めたジハードが後方支援限定で捜査に参加する許可を出したことで、ついに彼女達は自分達の有用性を認めさせてしまったのだ。
もちろん捜査内容の秘匿等の様々な制約をつけられ、誓約書にサインすることになるが、それでも彼女達の顔は晴れやかだった。
ノゾムは先程のジハード達のやり取りを思い出しながら、湧き上がる嬉しさと可笑しさに苦笑を漏らす。その時、ノゾムの目に自分達と一歩離れて歩くカミラが映った。
内偵役に任命されてから、カミラはほとんど口を開いていない。
男子寮と女子寮は近くにあるので帰り道もほぼ一緒だが、一人ノゾム達から離れた所を歩く彼女には未だにどこか暗い影が張り付いているようだった。
アイリスディーナ達も雰囲気を察したのか、何も言わずに2人を見送ってくれた。
「どうして捜査に協力するなんて言い出したんだ?」
外縁部に到着するとノゾムがカミラに質問を投げ掛けた。
黄昏時の生暖かい風が頬を撫で、地平線からに僅かに残った太陽が2人を茜色に染め上げている。
ノゾムの言葉は耳に届いているはずなのだが、カミラは俯いたまま何の反応も示さない。
困ったようにノゾムは頭をかく。
「ねえ、私達があなたを裏切ったとき、やっぱり恨んだ?」
「そういう感情がなかったのかと言ったら嘘になる……。
正直信じたくなかった。全身の力が抜けて、自分が何をしているのかもわからなくなったよ。猛烈な怒りが湧き上がってきて、手当たり次第に暴れたこともあったし……」
そこまで言って、ノゾムはハッと気づいたよう目を見開いた。
「カミラ、今言ったことって……」
ノゾムの問い掛けに彼女はゆっくりと首を縦に振った。
彼女の“私たちが裏切った”という言葉。それは彼女が2年前の事件について、ノゾムの言葉が真実であると認めたということだ。
そういう事なら牢で顔を合わせた時の彼女の尋常ではない様子も、消えるようなか細い声での謝罪の言葉も納得できる。
肩を震わせ、泣き腫らした顔のまま頭を下げた彼女の様子が頭に思い浮かぶ。
かつての友人。自ら嘘をついてまで捕まってしまったノゾムの元に来たのは、偏にただ一言だけでも謝罪をしたかったのだろう。たとえそれでノゾムから罵声を浴びせられたのだとしても。
とはいえ、ノゾムとしても今更彼女を責めようとは思わなかった。
大事な親友であるリサが部屋に引きこもって茫然自失となったと知れば、怒り狂うのは当たり前。元々それだけ情に深い女性なのだから。
「……ノゾム、自分で言ったわよね。“自分は逃げていた”って。なら、どうしてアルカザムを離れなかったの? あんな目に逢っていたら、普通はこの街から出ていくのに……」
「逃げていたからこの街を出ていけなかったんだよ。努力し続けていればいつかリサも戻ってくれるんじゃないかって無責任なこと考えていたから」
深刻そうな顔を浮かべているカミラとは違い、過去を話すノゾムの姿は凛としていて、その表情に影はない。
「それに、独りじゃなかった。俺が逃げているって気づかせてくれて、そんな俺を受け入れてくれた人達がいたから」
一度倒れ、それでも立ち直った人間が纏う力強さ。まるで折れた木を苗床にして、天に向かって伸び始めた若木のような雰囲気を醸し出していた。
「ノゾムは……リサにどうなってほしいの?」
俯いていた顔を上げ、まるで覗き込むようにカミラがじっとノゾムの目を見つめてくる。
顔色は相変わらず良くはない。憔悴した雰囲気は拭い切れていないが、それでもカミラの瞳は強い光を放っていた。
ノゾムはゆっくりと自分の胸の内に問い掛ける。
「……俺は、立ち直ってほしいだけだよ」
数秒の沈黙の後に。絞り出すようにノゾムは口を開いた。どこか若干の迷いを感じさせる口調。
だが、少なくともその言葉自体に偽りはないとノゾムは感じていた。
あの時、夜の街で狼狽したリサの様子を見れば、彼女が未だに過去にとらわれているのは明らかだ。既に完全に壊れてしまったノゾムとリサ達の関係ではあるが、少なくともその状態のままでは良くはない。せめて自分が逃げている事だけでも自覚して欲しかった。
「……そっか、やっぱりそうなんだよね」
「カミラ?」
どこか上ずったカミラの声に、ノゾムは首を傾げる。
だが彼女は俯いたまま何も答えず、くるりと踵を返した。
「私、帰るわ。それから、この件が終わるまで私に話しかけない方がいいわ。下手をするとケンに感づかれてしまうから」
紅く染まった太陽に背中を照らされながら、カミラが夕暮れに染まる街中へと姿を消していく。
その顔は何かを決意したように引き締められ、そして彼女の瞳はどこか危うい色を宿していた。