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第6章第20節

お待たせしました。第6章第20節更新です。

今回の主役はやっぱり彼女でしょう……。

 事が始まったのは人の明かりで満たされた夜の商業区だった。

 日が沈み、闇に包まれたアルカザムでもこの商業区だけは煌々とした明りに包まれ、道行く人々でごった返し、喧騒が鳴り止まない。

 夜になれば旅の商人や冒険者等が酒を求め、昼間とはまた違った装いを見せる場所でその事件は起こった。

 現場にいた人達の証言によると、始めはごく些細な口論からだったらしい。


「あのお上品な坊ちゃん連中なんて、いざ魔獣と戦うことになったら泡喰って逃げ出すに違いないぜ」


 旅の冒険者と思われる一団がソルミナティ学園の制服を着た少年に向けた嘲笑。そんな一言に同調し、5人程の冒険者達はそうだそうだとその生徒を囃し立てた。

 話によると、彼らはDからEランクの駆け出し冒険者たちだったそうだ。

 彼らにとっては卒業すれば各国の重役に抜擢され、冒険者としてもすぐさま頭角を現すソルミナティ学園出身者は目の上のたんこぶの様に目障りな存在だったのだろう。

 もっとも、彼らの言っている事はソルミナティ学園に入学した者にとっては聞く必要のない戯言。

 ソルミナティ学園を卒業することは簡単ではない。才ある生徒を集めるために入学は比較的容易いが、実際に第一線で活躍できるほどに成長できる人間は入学時の1割にも満たないのだ。

 つまる所、この冒険者たちの発言は単なる嫉妬以外の何物でもない。


「ふん……」


 そんな冒険者たちの一言に対して、学生は嘲笑の笑みで答えた。

 明らかに挑発としか取れないその表情に、酒で酔っぱらった上に喧嘩っ早い未熟な冒険者達が我慢などするはずもない。

 冒険者達は一瞬で頭に血が上り、口汚い言葉を吐きながら学生に襲いかかった。

 酒屋の中はすぐさま怒号と騒音に包まれ、椅子や皿の上の料理、酒瓶や杯が飛び交う大乱闘に発展。

 慌てた店主は近くを巡回していた憲兵に助けを求めるが、駆けつけた憲兵達が見たのは叩きのめされ、地面に這いつくばっていた冒険者達だった。

 うずくまる冒険者たちの中には足や手があらぬ方向にねじ曲がっている者もおり、痛みを訴えるうめき声が酒屋の中におどろおどろしく響いていた。

 憲兵達はすぐさま騒ぎを起こした冒険者と学生を捕えようとしたが、学生の方は何故からまれた自分が捕まらなくてはならないのかと憲兵達に抵抗した。

 近くにあったイスを投げつけ、憲兵達が怯んだ隙に一人を沈黙させるとそのまま逃走。

 憲兵達はすぐさま学生を追跡するが、逃走しながら学生は一人ずつ憲兵を打ち倒しながらそのまま姿を眩ませた。

 ソルミナティ学園の生徒による暴行事件。結果的に被害にあった人間は憲兵を含めて10人近くに上った。

 打ち倒された者達の中には骨を折るなどの重傷者も出ており、特に治安維持を担っている憲兵達が倒されたという事実は、大きな波紋となってアルカザム中に広がった。

 そして憲兵達は自分たちの威信にかけて捜査を行い、翌朝一人のソルミナティ学園生が捕縛された。

 それが3学年10階級に所属する生徒、ノゾム・バウンティスだった。



 






「一体どういう事だ、それは!?」


 マルスの怒声がソルミナティ学園の正門前に響き渡る。

 突然の大声に周りにいた生徒達が何事かと目を見開いて注目しているが、マルスにはそんな視線など気にならないくらい怒り心頭だった。

 早朝、いきなり学生寮に押しかけてきた憲兵。

 突然の出来事に騒然となった学生達が事情を理解する間もなく、憲兵達はノゾムを捕え、連行していったらしい。

 当然のことながら、その事実は瞬く間に学生寮中に広がり、登校時に一気に学園中に広がった。

 登校した時、ノゾムの姿がない事に訝しんだマルスが、同じように男子寮に住んでいるフェオを問い詰めたところ、ノゾムがいきなり拘束された話を聞いたのだ。


「ワイだって分からんわ! 情報が無さすぎてワイも事情が呑み込め取らんのや!」


「マ、マルス君、落ち着いて……」


 フェオに掴みかかるマルスにティマが怯えながらも落ち着かせようとマルスの上に手を沿える。


「あ……ワ、ワリィ」


「ええよ、気にせんでも」


 白磁のように細く、ひんやりとした手の感触に幾分か頭が冷えたのか、マルスはバツの悪そうな表情を浮かべてフェオに掴みかかっていた手を引っ込めた。

 申し訳なさそうな表情を浮かべているマルスに、フェオは気にするなと言う様にプラプラと手を振っている。

 

「……で、どういう事なのかしら? 学園中に広まっている話は内容がバラバラで事の詳細は分からなかったけど」


 口元に手を当てて考え込んでいるシーナの言葉にマルス達も頷いた。

 ノゾムが暴行事件を引き起こして憲兵達に拘束されたという話は様々な憶測を呼んでいて、正直事の全貌はほとんど見えてこなかった。

 その話の中で共通しているのは、昨夜ノゾムが彼が商業区で暴行事件を引き起こしたというものくらいだ。


「そういえば、昨日の夜に憲兵が女子寮にやって来ていたみたいだったわ。まだ起きていた寮長に何か聞いていたみたいだった……」


「言われてみれば、店の周りにもいつにも増して憲兵が多かったな」


「ソルミナティ学園の生徒が暴力事件を引き起こしたという話は既に街中にも広まっているらしいわ。登校してくる時にもチラチラとそんな話が聞こえてきたから」


 思い出したように呟いたミムルとマルスの言葉に、シーナが話を付け加える。

 森の中で小さな音を聞き分けることが出来るエルフは、聴覚などの感覚も優れている。登校時の生徒達を横から覗き見ている街の住人が、学生達に聞こえないように小声で噂をしているのを彼女は聞き取っていたのだろう。

 事件が起こった場所が人通りの多い商業区という事を考えれば、話が広まる速度が速い事も納得できる。

 だからと言って、マルス達がこんな話を鵜呑みにはできない。

 先程から黙っているが、アイリスディーナも苦虫を噛み潰したような厳しい表情を浮かべている。

 ギュッと握りしめられた手が、彼女の憤りを物語っているようだった。


「……街中に話が広まっているという事は、恐らく先生方も話は聞き及んでいるのだろうな」


「そうね、それは間違いないと思うわ」


「なら、まずはそこからだな」


 長い黒髪をたなびかせ、アイリスディーナは踵を返すと校舎へと足を進めていく。

 その足取りは普段優雅な歩みとは違い、彼女の怒りを表すように荒々しかった。










 アルカザムの学生による暴行事件。しかも犯人は最近この学園で注目され始めた生徒であり、憲兵まで叩きのめしてしまった。

 報告を受けたジハードは、沈黙が支配する自らの執務室の机でアルカザムの警備隊長であるマウズから当てられた書簡を睨みつけていた。

 彼の傍らには今回の件で呼び出されたのか、インダ先生やアンリ先生の姿も見える。

 ジハードに傍らに控えていたインダもまた、疑惑と戸惑い目を机の上の報告書に向けていた。


「これは、一体どういう事なのでしょうか……」


 自らの動揺を現すように、詰まったようなインダの声が執務室に響く。

 ジハードとしても今回の事件は信じられない事ではあった。

 ノゾム・バウンティスと接した時間はそう多くはないが、模擬戦の時に目の当たりにした彼の剣は何処までもまっすぐで、迷いの無いものだった。

 確かに剣士のカンと言ったら説得力に欠ける話ではある。

 しかし、初めてノゾムと模擬戦をし、彼の刀術と気術を目の当たりにした時の周囲の驚き様を見れば、彼が自らの技を今までの学園生活で全くと言っていいほど使ってこなかった事は察することが出来る。その理由も、そして自分の力をひけらかす事をよしとしない彼の気質も。

 それを考えれば、今回報告を受けたように、流れの冒険者の挑発に乗って喧嘩をし、止めに入った憲兵もろとも叩きのめしたという話はどうにも納得できなかった。


「分からん。報告と犯人の似顔絵を見る限り、事件の犯人がノゾム・バウンティスであることを否定する要素はない。しかし……」


 ジハードは改めて警備隊長であるマウズからの報告書に目を落とす。

 マウズの性格は以前にキクロプス討伐任務を共に担った時に理解していた。

 堅実かつ真面目な性格で、礼儀正しい彼が出鱈目な報告をしてくるはずもない。

 丁寧に作成された報告書には憲兵や住人達の聞き取りから制作された似顔絵も添付されており、その絵はノゾムの顔に非常によく似ていた。


「私は~、犯人はノゾム君ではないと確信しています~」


 唸るジハードを傍らで見守っていたアンリは、確信を持ってノゾムが犯人ではないと断定する。

 はっきりと述べられたその言葉を聞き、ジハードは“その理由は?”と問いかける様に視線を向けた。


「それは~」


 アンリがジハードの無言の問いに答えようとした時、執務室の扉が突然開かれ、7人の学生がぞろぞろと入ってきた。先頭に立っているのは憮然とした顔を浮かべたアイリスディーナ。


「失礼します」


「アイリスディーナさん? それにシーナさん達……」


 ノックもせずにいきなり入ってきたアイリスディーナ達にインダが目を見開くが、すぐさま普段通りの鋭利な顔に戻ると、外に出ているよう言い含めようとする。


「今は大事な話の最中です。用があるなら後に……」


 今回の件は憲兵にまで重傷者が出ており、正直学園だけでどうにかできる範疇を超えて大きくなってしまっているのだ。

 無用な混乱を避けるためにも、今回の件には迅速かつ的確な対処が必要だ。もちろん、その“対処”の中には犯人の退学だけでなく、罪人として裁きを受けさせることも含まれている。


「その大事な話に関することです。今回の事件の犯人はノゾムではないと私達は確信しています」


「その根拠は?」


 インダの詰問をアイリスディーナは胸を張って受け止めた。

 ノゾムからあの噂の真実を聞かされているのだ。一体何が起こったのか、大まかな予想は既についている。

 ただ、確たる証拠を得るためにも、とにかく情報を得ることがアイリスディーナ達には必要だった。


「それを確かめるためにも、詳しい話を聞かせてください。そして、私達の話を聞いて欲しいのです」


「私もいいと思います~。多分アイリスディーナさん達が話そうとしている事は、私と同じだと思いますから~」


 アイリスディーナの言葉に、アンリもまた同意を示す。

 彼女もまたノゾムから以前学園で流れた噂の真相を聞いた1人。考えている事は同じだった。


「……いいだろう。まずは事の始まりから話そうか」


 ジハードがゆっくりと昨夜商業区で起こった暴行事件の顛末を話していく。

 アイリスディーナ達はジハードの言葉を一言一句聞き逃さないよう気を張りながら、耳を傾けながら、今ここにいない仲間の身を只管に案じていた。

 










 ノゾム・バウンティスが夜の商業区で起こしたという暴行事件の所為で、学園の中は一日中騒然となっていた。

 特に3学年ではノゾムに対する評価が真っ二つに分かれていることもあり、あちこちのクラスで勝手な憶測が蔓延した。

 だが、その傾向は大きく分けて2つ。

 ちょっとジハード先生に認められて増長したというものと、この件は全く関係ない誤認であるというものである。

 3学年1階級の教室でも、この2つの推測を主軸として、様々な憶測が飛び交っている。

 そんな教室の中で、カミラは周囲の喧騒を無視するように自分の席でじっと己の手のひらを眺めていた。

 包帯を巻かれた痛々しい両手が、カミラの虚ろな瞳に映し出される。

 今まで自分が信じていた事実が全くの偽りであったことを突き付けられ、今まで自分がノゾムに向けていた言葉全てが跳ね返り、深々とカミラの心に突き刺さっていた。

 

「カミラ、その手……大丈夫?」


 傍にいたリサが心配そうな顔を浮かべてカミラ声をかけてきた。

 見上げたリサの顔色は悪く、目にはクマが浮かんでいる。本来は艶のある真紅の髪も、今は色褪せてしまっている。

 最近向けられるようになったリサに対する無遠慮な視線や噂のせいで消耗していた彼女。

 多分昨日もあまり眠れなかったのだろう。

 そして今回のこの騒ぎだ。さらにリサの心に負担がかかることは目に見えていた。


「ち、ちょっと料理で火傷しちゃったんだ。大丈夫、十分な手当はしてあるから……」


 自分の状態すら良くないのに、気を使ってくれるリサに感謝を感じながらも、彼女が向けてくる好意がなおさらカミラの胸を深く抉っていく。

 リサがそんな状態に晒されてしまう原因を、自分も担ってしまっていたのだから。

 だが後悔と罪悪感に苛まれながらも、カミラはその事実をリサに伝えることが中々出来ずにいた。


“ノゾムはリサを裏切ってなんかいなかった。裏切ったのは……”


 喉元までせり上がった言葉はなぜか押し止められ、声色のない空気だけが肺から押し出されるのみ。

 そしてその度に、カミラの心の奥で罪悪感が膨れ上がっていく。


「で、朝の事件は一体どういうことなんだ?」


「さあ、大方調子に乗ったノゾムがバカやらかしたんだろ?」


 同級生たちの勝手な憶測が、カミラの耳に濁流のように押し寄せてくる。

 早朝の事件についての詳細な情報は入ってきていないし、学園側からの発表もない。憶測でしかない話が飛び交っているが、カミラには先ほどの話が完全に出鱈目であることを確信していた。

 そもそもノゾムは初めから無罪だった。彼を陥れたのはリサのもう一人の幼馴染であり、真実に気付いた今、カミラにはノゾムを排除しようとする人間はケン・ノーティス以外思いつかない。


「リサ……」


「…………」


 リサも先程からクラスメート達が話している憶測が聞えているはずだが、彼女は黙したまま何も語らない。

 ただ、何の表情も浮かべない顔とは裏腹に、リサの瞳には涙がたまり、揺れ動いている。

 どうしてそんな表情を浮かべているのだろうか? どうしたらそんな顔をさせずに済むのだろうか?

 自分を救ってくれた親友の消耗した姿に、焦りだけが掻き立てられていく。

 そんな風に無言のまま向き合う二人に歩み寄ってくる、一つの影があった。


「2人とも、何話していたんだい?」


 ケンが普段通りの笑みを浮かべながらリサ達に近づいてくる。

 ノゾムが犯人であることをまるで不思議に思わない態度。今はただその声が憎たらしい。

 

「そういえば、ノゾムがまたやらかしたらしいね。ちょっと上手く行ったからって調子に乗ったんだろうな」


「っ!?」


 ケンが漏らした言葉にカミラは一瞬で激昂した。

 何を言っているのだ! すべてを嘘で塗り固めて、守る人を欺いて、幸せから遠ざけたのはお前だろうが!

 だがその怒りはすぐさま鋭い矢尻となってカミラの心に突き刺さる。カミラは痛みに耐えるように歯を食いしばり、表情を悟られまいと蹲る様にうつむいた。


「カミラ。本当に、大丈夫なの……?」


「カミラは昨日からちょっと調子悪そうにしていたからね」


 込み上げてくる自責の念と、それに相反するように猛り狂う憤りが、打ち付ける高波の様にカミラの心を削り取っていく。

 そしてジクジクと傷口から血が流れ出るように、カミラの全身を寒気が襲ってくるのだ。

 何も言わないカミラの様子を一瞥したケンは輝く金髪を掻き上げると、満足そうな笑みを浮かべていた。


「まあ幸いなことに、ノゾムがバカやらかしたから、アイツを庇っていた人達もリサが正しいって気づくだろうね」


 まるでもう心配事はないというようなケンの態度だが、リサの顔色はやはり優れない。

 

「ノゾムは……どうなるのかしら」


「退学は決定的だろうね。でもいいんじゃないか? この2年間元々アイツはいなかったんだし、今更いなくても一緒だろう。アイツがいなくても、手を貸してくれる。“仲間”はいるんだから……」


「っ!?」


 俯いたままのカミラにケンが視線を向ける。

 ケンの高揚した口調で言い放たれたその言葉を聞いた瞬間、カミラの渦巻いた感情が猛り狂う火山の様に爆発した。

 椅子を蹴っ飛ばして、カミラは教室から飛び出ていく。

 もう我慢できなかった。あのままあの場所にいたらこみ上げる自責の念と無力感で押し潰されそうだった。


「カミラ!?」


「こ、こら! 何をしている。教室に戻りなさい!」


 リサや授業に来ていた教師の慌てた声が後ろから聞こえてくるが、カミラは足を止めない。止めることなど出来ない。

 ただ只管に走り続けたカミラは校舎を出て中央公園までたどり着き、そして崩れ落ちるように芝生の上に膝をついた。


「っうううぅううぅぅうう!」


  脳裏に自分が陥れてしまった人の姿を思い浮かべながら、カミラは人通りの殆どない中央公園の片隅で、声を押し殺して泣き崩れる。

 まるで許しを請うかのような泣き声だが、それに答えてくれる人間はこの場にはいない。

 公園の片隅で呻くような泣き声は誰にも届かず、空しく風の音にかき消されていく。

 やがてゆっくりと体を起こしたカミラは学園には戻らず、そのまま街の喧騒の中へと消えって行った。

 憔悴しきり、覚束ない足取りで、どこか虚ろな瞳のまま。








 その日、ノゾムはガチャガチ言う耳障りな音と近づいてくる多数の気配に目を覚ました。

 気が付けば剣呑な空気が満ちている寮内。何事かと思ったノゾムは、常に近くに置いてある自分の愛刀に手を伸ばすと、周囲の様子を探ってみる。

 階下から聞こえてくるガチャガチャという金属が擦れる音と、複数の足音。

 やがて耳障りな音は自分の部屋の前で立ち止まり、じっと部屋の中の様子を探っている。

 周囲に満ちる緊張感から、不審者でも入り込んだのだろうかと気を張り、腰を落として刀の柄に手を伸ばす。

 しかし、次の瞬間ノゾムの目に飛び込んできたのは、ドアを破って部屋に踏み込んでくる憲兵達の姿だった。


「いました! 本人に間違いありません!」


「よし、捕えろ!」


 侵入者だと思っていた相手が、治安を維持するはずの憲兵で、しかもなぜか自分を捕らえようとしてくる。

 驚き、迎撃すべきか迷ったノゾムは完全に初動が遅れてしまう。

 有無も言わさずノゾムに跳びかかってくる憲兵達。そして彼は訳が分からないまま、憲兵達に捕縛されて連行され、冷たい鉄格子の牢屋に閉じ込められてしまった。

 そしてノゾムは今、数時間拘束されたのち、警備隊の隊長であるマウズ直々に取り調べを受けていた。

 薄暗い取調室の中で、ノゾムと、マウズが向き合っている。ジハードとほぼ同じくらいの壮年の男性で、穏やかで礼儀正しそうな人物なのだが、ノゾムの目の前にいる男性の顔は内心の怒りを隠すかのように無表情だった。

 無音の空間の中に時折、不機嫌そうにトントンと机を叩く音が響く。

 問い詰めるようにジッとノゾムを凝視していたマウズが、ゆっくりと口を開いた。


「で、改めて確認するが昨日は一体何をしていたのだ?」


「だから、何度も言っていますが、体調を崩して寮の部屋で寝込んでいました」


 今日、この取調室の中で数えるのも馬鹿馬鹿しい程繰り返されたやり取りが再び展開される。

 

「つまり、独りだったというわけだな」


 確かめるような口調だが、その言葉の裏には犯人がノゾムであると断定していた。


「俺は無実です」


 顰めた顔と鍛え上げられた身体威圧してくるマウズの視線を真正面から受け止めながらも、ノゾムは胸を張って無罪を主張する。


「だが君の無実を証言する人間はいない。そして憲兵達や現場近くにいた住民達は君の顔をしっかりと見ている。本当に君は嘘偽りなく話をしているのか?」


 だがマウズはノゾムの主張を一笑に伏すと、目を細めてギロリとノゾムを睨みつけた。

 マウズは大事な仲間や部下を傷つけた犯人を見逃す気など毛頭ないし、現場で実際に犯人の顔を見た憲兵がいる。

 逃走ルートも証言からある程度特定し終わり、深夜の夜遅くにソルミナティ学園の男子寮に生徒が入っていく姿を見たという住人の証言も得ている。

 いくらノゾムが自分はやっていないと言い張ろうが、マウズ達は既に十分な証言を纏めてあるのだ。

 だが、ノゾムとしてはそんな身に覚えのない冤罪に付き合うつもりは全くない。

 彼は睨みつけてくるマウズの視線を跳ね返すように胸を張る。

 睨み返されたマウズが一瞬眉を顰める。

 反抗的なノゾムの態度に仲間を傷つけられたマウズは不快感を僅かにのぞかせたが、すぐさま気を取り直すように大きく息を吐いた。


「……あくまでそういう態度なら仕方ないな」


 ペンを走らせていた調書を纏め、部屋の外に待機していた見張りの憲兵を呼び寄せる。

 もうこれ以上ノゾムの話を聞いても無意味だと判断し、後は適切な法で捌かれるまで牢屋に拘束しておくことにしたのだ。

 取調室に入ってきた憲兵はノゾムの腕を取る。両脇をガッチリと固められて椅子から立たせられると、ノゾムは部屋の外へと続く扉へと引っ張られていく。


「どちらにしろ、この事はキチンと学園にも報告してある。どの道、退学は免れないだろうな」


「……“水鏡の心仮面”って知っていますか?」


 去り際にノゾムが背中越しに掛けられた言葉が、マウズの耳に響く。

 だがマウズがノゾムに言葉を返す前に、ノゾムの姿は扉の向こうへと消えていった。

 






 連行されたノゾムは再び鉄格子と石壁に囲まれた牢屋に押し込められ、じっと自分を監視してくる憲兵の視線を受け続けていた。

 じっと冷たい石床に座り込みながら、ノゾムは自分をこの牢屋に押し込んだであろう人物の事を考える。

 自分をここに押し込んだのは、間違いなく彼だろう。最近下級生たちからはあまり負の感情を向けられることはなくなったが、それでも同級生たちの中には未だにノゾムに対して良い感情を持っていないものは多い。

 いや、ノゾムの実力が再評価され、ジハードから一目置かれるようになった時点で、見えない所から嫉妬や怒りを買っている可能性は十分あり得る。

 しかし、自分をここまで完全に排除しようとする人間を、ノゾムは一人しか思いつかなかった。


「ケン……」


 かつての親友の名前を口にする。

 同じ女性を守ると誓い合いながらも、自分を陥れた人間。

 おそらくケンはノゾムを学園から完全に排除するために冤罪を押し付けて退学させようとしているのだろう。

ギシリとノゾムの拳が固く握りしめられた。

 腸が煮えくり返りそうになるほどの怒りが込み上げてくる。


“ドクン”


「っ!」


 その時、ノゾムの心臓が激しく脈動した。

 同時にどす黒い憎悪がじんわりと胸の奥から染み出してくる。


“グルルル……”


 深淵に響き渡る唸り声と共に、猛烈な痛みがノゾムの頭に走る。

 荒くなる吐息と滝のように滴り落ちる汗。


「っううう!!」


 ノゾムは石床に蹲ると胸元を固く握りしめて必死に理性を押し流そうとする憎悪に抗う。

 やがて激しく脈打っていた心臓がゆっくりと落ち着きを取り戻し、染み出していた汚濁のような憤りが消え始める。

 残ったのは妙に物悲しい寂寥感。

 それはノゾムの中に残っていたケンとの友情の残滓だったのかもしれない。

 ケンが再びこのような行動に出たということは、おそらく彼はまた同じことを繰り返すつもりなのだろう。

 それを許すわけにはいかない。何とかしてノゾムは自分の無罪を証明できないか考えを巡らせる。それには、事件発生時にノゾムが現場にいることが不可能であることを証明するしかない。


「ふう……」

 

 目を閉じ、大きく息を吐いて過去に沈みかけていた気持ちを切り替える。

 取り調べの時にマウズが言っていたことを考えれば、ケンは寮に戻るまでずっと“水鏡の心仮面”を使っていただろう。

 そうなると証言を覆すにはノゾムのアリバイを証明するしかないが、ノゾムは事件発生時に寮の自分の部屋で寝込んでおり、訪れた人間もいないためアリバイの証明も不可能。

 正直、ノゾム一人では無実の証明ができないし、証明してくれる人間を探そうにも牢屋の中では探しようがない。


「参ったな……」


 仲間達に連絡を取って、手を貸してもらうのが望ましいが、牢屋の中では連絡を取れそうにない。

 ノゾムが持っていた道具や武器一式はすべて押収されているし、この牢屋は地下に造られているので、出入口は地上に通じる階段一つしかない。

 おまけにその出入口は憲兵が見張っている。

 力ずくで牢を破ろうにも、こんな街中で能力抑圧を開放するのは不味いし、そもそもすぐさま死刑にされるわけでもない。もっとも、脱獄の経験がないノゾムが力ずく以外で牢破りが出来るとも思えないが。

 しばらくこの牢に閉じ込められるのは仕方ないかもしれない。

 下手な脱獄は悪手であり、もしそれを実行してしまえば、ケンに“犯罪者の捕縛”という名目で堂々と自分を排除する機会を与えかねないのだ。

 最悪の場合牢を破るにしても、それは最後の手段であり、少なくとも今は事を性急に運ぶべき時ではない。

 とはいえ考えることは山程ある。

 ノゾムが唸りながら考えを巡らせていると、1人の憲兵が不機嫌そうな顔で地下へと降りてきて、ノゾムが入れられている牢屋に近づいてきた。


「おい、面会人だ」


「面会人? 誰が……アイリス達か!」


 気力が戻ったノゾムの声色に、憲兵が顔を顰める。

 憲兵のぶっきらぼうな態度はノゾムが仲間を傷付けたと思っているからだろうが、これで何か情報を得られるかもしれない。

 そう考えていたノゾムだが、次に憲兵が漏らした一言に再び首を傾げた。


「お前の恋人だ。ったく、なんでこんな奴に……」


「……え? 恋人?」


 憲兵はそれだけをノゾムに伝えると肩を怒らせながら戻って行く。一方ノゾムは、憲兵の言葉が全く理解できずに呆けていた。

 今のノゾムに恋人はいない。いったい誰のことなのだろう。

 ノゾムの疑問に応えるように、コツコツと先ほど憲兵が降りてきた階段から、誰かの足音が聞こえてきた。

 地下牢には鉄格子がはめられた小さな天窓から差し込む光が、カーテンのよう近づいてくる影の姿を隠している。

 やがて近づいてくる影が光のカーテンに照らされた時、ノゾムは驚きに目を見開いた。


「ノゾム、無事?」


「カミラ……?」


 それはずっとノゾムを敵のように憎んできたかつての友人。リサの無二の親友であるカミラが、どこか虚ろな表情で佇んでいた。


いかがだったでしょうか?

まだまだ彼女の出番は続きます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 水鏡の心仮面みたいな能力をメインストーリーに絡めるのはどうなんでしょうかね…。 読者に有無を言わせないですよね、そういうのって。 よくある「洗脳」と一緒で。 「そういう能力だからみんな騙さ…
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