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第6章第18節

お待たせしました。第6章第18節投稿しました。

時間がかかってすみません。

ついでに第17節も一部修正しました。

 無限とも思えるほど広大な湖畔で、漆黒の巨龍は腸が煮えくり返るような程の激情を隠そうとせず、目の前の矮小な人間を踏みつぶそうと足を振り上げていた。

 かの龍から見れば豆粒のように小さなその人間は、潰されてたまるかと疾風のごとき速さでその場から飛び去り、お返しばかりにその手に持った刀を振り抜く。

 極限まで研ぎ澄まされた気刃がティアマットの足にぶち当たるが、漆黒に輝く龍の鱗の前に雨滴のように弾かれ、空しく霧散するのみ。

 振り下ろされた龍の足が地面に激突し、粉砕された岩盤が衝撃波を伴ってノゾムに襲いかかってくる。

 全方位に放たれた衝撃波はまるで獣のように地面を疾走し、ノゾムに回避する隙も場所も与えない。

 ノゾムは気を篭めた刀を円状に切り払い、気術“扇帆蓮”で襲い掛かる衝撃波を受け止める。

 展開した気の膜がたわみ、ビリビリと悲鳴を上げながらも、扇帆蓮はしっかりとティアマットの衝撃波を受け止てくれた。

 だが衝撃波に呑まれ、石礫を叩きつけられたノゾムは、完全に足が完全に止まってしまった。

 ティアマットは地面に打ち込んだ足を起点に身体を回転され、勢いをつけた尾をノゾムめがけて薙ぎ払う。

 完全に足を止められたノゾムに回避できるわけもなく、彼は苦悶の声すら上げられないまま、遥か彼方へと弾き飛ばされた。

 何度もノゾムの身体が地面に叩きつけられる。

 身体のあちこちから骨が砕ける音が耳に響き、視界が回り続ける中、10秒ほどしてようやく彼の身体は止まった。

 しかし、既に彼の身体は満身創痍。

 何とか体を起こそうとするものの、左腕と右足は完全に骨が砕け、タコの様にグニャグニャと力無く垂れている。

 脇腹にも激痛が走り、折れた肋骨が肺を貫いたのか、咳き込めば口からドロリとした血塊があふれ出てくる

 たった一撃で瀕死の重体を負わされ、追い詰められたノゾム。

 それでも彼は満足に立てなくなった身体を右手で支え、歯を食いしばって身を起こす。

 そして目の前でその威容を見せつけている巨龍をまっすぐに見据えた。

 力では到底敵わずとも意思だけは譲るまい。

 強い意志の光を灯した瞳がティアマットに向けられている。


“っ!!”


 その瞳がさらにティアマットをイラつかせる。


“何故そんな目をすることが出来る! 何故諦めようとしない! 何故……自分を裏切った相手にあんな言葉をかける!!”


 癒えない古傷を抉られた様な怒りを胸に滾らせながら、ティアマットはその口腔を開く。


“絶対に認めてたまるか!”


 そんな明確な拒絶と憤りを胸にありったけの力を喉に掻き集めた巨龍は、目の前で睨みつけてくる人間を全否定するために、燃え盛る怒りを解き放った。

 湖水を蒸発させ、地面を抉り、消滅させながら突き進む混沌の巨炎は、あっという間にノゾムを飲み込み、跡形なく消し飛ばす。巨炎が過ぎ去った後には抉られた地面のみが残るのみ。

 今度こそ……。

 そんな思いが巨龍の胸に過るが、その直後に、リン……という鈴のような音が空間に響いた。


“くっ!?”


 同時に水面に波紋が広がり、湖の底から無数の鎖が飛び出す。

まるで飛び立つ鳥の群れのように空中に延びる鎖は、次の瞬間猟犬のごとく漆黒の龍に襲いかかり、その身体を縛りつけ始めた。

 次々と飛び出してくる鎖は幾重にもティアマットの身体に巻き付き、かの龍の自由を奪っていく。


“ええい! 忌々しい!”


 鎖から逃れようと翼を広げるティアマット。

 しかし一見頼りなさそうに見える鎖は、どういうわけか漆黒の龍の膂力を完全に抑え込み、いくらティアマットが羽ばたいても、その身を高く舞い上がらせることを許さない。

 それでもティアマットは必死に抵抗し続ける。翼をはためかせ、鎖にその牙を突き立て、光弾を撃ち込む。

 だが自らの身に巻き付いた鎖には傷一つ付けることが出来ず、遂に翼にも鎖が絡みつき、かの龍は湖へと引きずり降ろされてしまう。

 そのまま湖の中へと引きずり込まれていくティアマット。

 逃れようと巨木の様な足に力を入れるものの、やはり抗しきることは出来ず、その巨体は徐々に湖に沈んでいく。

 足、胴体、翼、首が完全に水没し、水面は喉元にまで迫っている。

 必死に首を振るティアマットだが、もはや逃れる術はない。

 そしてゴポリという音を立て、残っていた頭が完全に水没する。

 同時に薄れていく意識。

 憤怒、復讐、失望、諦観、寂寥。

 混沌とした感情に蝕まれながら、かの龍は湖の奥底へと沈んでいく。

 その瞳が閉じる最後まで、憎々しげに、悔しそうに、そしてどこか悲しそうに、光り輝く水面を睨みつけ続けながら。

 











 学園中に、活力に満ちた声が響いている。

 白い制服を纏った少年少女達が、笑顔を浮かべながら廊下を歩いている。

 それは普段と変わらない昼過ぎの風景。この学園都市での日常と言える光景だ。

 だが、その安寧とした空気は突然破られた。


「どああああ!!」


 断末魔のような絶叫が校舎中に響き渡る。

 驚き、跳び上がった生徒達の眼はつい最近復旧したばかりの武技園に向けられていた。

 続けて聞こえてくる爆発音。

 ズドン! ズトン! と立て続けに響き渡る轟音はまるで巨人の行進のように思える。

 しばらくの間、学園中の空気を震わせていた炸裂音だが、ひときわ大きな音と土煙を上げると、その後全く聞こえなくなった。

 シン……と学園中が静まり返る。一体何が起こったのか全く分からない生徒達はただ茫然とした表情のまま、白亜の武技園を見上げていた。








 先程まで轟音を響かせていた武技園の中では、1人の偉丈夫が地面に巨大な巨剣を突き立てて佇んでいた。フィールドの外にはアイリスディーナやシーナ達、そしてエクロスから来たソミアの姿がある。

 彼の目の前には、ぼろ雑巾のようになって倒れ伏すノゾムの姿。

 昼休みになって教室から出ようとした時、ノゾムは教室の前で待ち構えていたジハードに捕まり、武技園に連れ込まれて再び模擬戦をする羽目になってしまった。


「……返事がない。まるで屍のようだ」


 フェオがヒキガエルの様に地面に倒れているノゾムに駆け寄り、ツンツンと棒でつつきながら、肩をすくめて冗談の様な言葉をのたまう。


「……生きとるわ」


「ふぎゃ!」


 おどろおどろしい声を上げながら、ノゾムがフェオの尻尾を引っ掴む。

 いきなり尻尾を掴まれ、思わず声を上げたフェオが振り向くと、黒い笑みを浮かべたノゾムがフェオを見上げていた。

 その様子が地獄の底から這い上がってきた幽鬼の様で、その姿を見たフェオは思わず顔を引き攣らせる。


「あ、あらノゾムさん。生きていらしたんですか?」


「ああ、残念ながらな。ちょっと尻尾借りるぞ」


「ちょっ! ワイ尻尾は敏感やから……ギャン!」


 フェオの尻尾をロープ代わりにして立ち上がるノゾム。

 悪戯狐が何やらキャンキャン鳴いているが、ノゾムはそんな鳴き声は完全無視である。

 最後に思いっきり尻尾を引っ張ると、フェオは一際大きな悲鳴を上げて倒れ伏した。

 ノゾムはパンパンと自分の手についた土を叩き落とすと、ジハードと向き合う。


「ふむ、相変わらず良く練り上げられている。私の剣を封じようとする策も悪くない。しかし、君ならもう少し粘れるのでは?」


「人を空中に吹き飛ばして自由を奪っておきながら何言っているんですか……」


 擦れた声でノゾムはそう呟く。

 結果は見ての通りノゾムの惨敗。

 ノゾムは振り回される巨剣をどうにか見切り、ジハードが振り下ろした顎落しを紙一重で避けて地面にめり込ませた。

 そして彼は巨剣の上に飛び乗ると、顎落しの上を疾走しながら “幻無-纏-”を付した刀で斬りかかったのだ。

 自分の体重で相手の武器を封じ、間合いを詰めて刀を振るう。

 普通なら武器を放棄して回避に転じるか、そのままノゾムの斬撃を受けてしまうだろう。

 ところが、ジハードは大人一人分の体重を乗せたまま地面にめり込んだ巨剣を無理矢理引き抜き、ノゾムを空中に放り投げたのだ。

 あまりに非常識なその行動と、それを可能としてしまう膂力。

 ノゾムは空中に放り出されながら一瞬呆けてしまい、気が付けば巨剣の腹で地面にベチャリと打ち落とされてしまった。


「最後はともかく、よく避けるものだ。その身体では無駄に使える気など砂粒ほどもないというのに……」


「それはどうも……。ところで、他に何か思うところないんですか?」


 ジト目でジハードを睨みつけるノゾム。一方、ジハードは何を気にしているかと言う様に首を傾げていた。


「ん? 少し手加減しすぎたか? 確かに先の模擬戦のように剣を振るうわけにはいかぬことは理解している。それなりに手加減したつもりだが?」


「そうじゃないですよ!」


 ノゾムが手を広げた先にあったのは、抉られ、掘り起こされた地面。

 確かに武技園の魔法障壁は全く問題ないのだが、そのかわりフィールド内の様子は燦々たるもので、まるで巨人が暴れた後の様に荒れ果てていた。

 もっとも、暴れていたのはその巨人すら一蹴してしまう御仁だが。


「見てくださいよ、一面穴だらけのこの惨状! どこの戦場ですか!? インダ先生は立ったまま気絶してしまっているし!」


 フィールドの外ではインダ先生が呆然と立ち竦んでいた。

 口を半開きにしたままのインダ先生に、ティマやシーナが肩を叩きながら呼びかけているが全く返事が返ってくる様子がない。まるで屍の様である。


「む……。まあ、確かにあちこち穴が開いてしまったが、魔法障壁は一枚も壊れていないし、問題はないだろう」


「もういいです……」


 額に手を当てて、ノゾムは天を仰ぐ。

 初めて顔を合わせた時、そして師の話を聞かせてくれた時は、なんて理知的な人だろうとノゾムは思っていた。

 しかし、結局この人もシノと同じでどこか常識が通用しない部分があるらしい。

 がっくりと肩を落としたノゾムは、大きく諦観の溜息を吐き出した。


「それでは、自分達は戻ります……」


「うむ、ご苦労だったな。午後の授業も励むといい」


 力のない声で“はい……”と呟きながら、ノゾム達は武技園を後にする。

 ノゾム達の背中を見送ったジハードだが、彼の後ろから重苦しい声を掛けられて振り向くと、陰鬱とした表情のインダが佇んでいた。

 光の反射の所為か眼鏡の奥が見えず、何やら肩を震わせている。


「ジハード先生……」


「ああ、インダ殿。そろそろ……」


 昼食にでもしようかと言おうとしたジハードを遮ってインダが何か突きつけてくる。

 思わず受け取ってしまったジハードが自分の手に持つものに目を落として見ると、それは大きなスコップだった。


「後始末、お願いします」


「……は?」


 穿り返されたアリーナを指さしながら、有無を言わさぬ雰囲気を放つインダの宣告に、ジハードが呆けた声を漏らす。

 その後、銀色の鎧を着た大男が必死になって地面に空いた大穴を埋めている様子が見られたそうだ。













「酷い目にあった……」


 憔悴した顔でぼやくノゾムは、仲間達と武技園を出て学園の中庭へと向かっていた。

 先程の模擬戦で大変な目に合ったせいか、ノゾムの顔色はあまり良くない。


「ノゾムさん、大丈夫ですか?」


 ソミアがノゾムの顔を見上げながら心配そうに見上げながら尋ねてくる。

 ノゾムは“大丈夫”と手を振って答えようとするが、その時不意にかけられた声に足を止められることになる。


「すみません、ジハード・ラウンデル殿がどこにおられるかご存知ですか?」


「え?」

 

 声のする方に振り返ったノゾム達の目に飛び込んできたのは、この様な学園にいるにはあまりに異質と言える女性の姿だった。


「あの。どちら様ですか?」


「初めまして。私はファブラン家に仕えるメクリア・アフレクトという者です」


「ファブラン家……」


 ファブランという名前を聞いたアイリスディーナが窺うような視線をメクリアという女性に向ける。

 アイリスディーナと同じように艶のある黒髪が腰のあたりまで伸び、その肢体は熟れた果実を思わせるほど扇情的だった。

 喪服を思わせる黒を基調とした衣に包まれた身体は、胸元をきつそうに押し上げ、スリットの入ったスカートからは張りのあるスラリと伸びた白い足が覗いている。

 容貌は人形の様に整っており、病的なほどの白い肌と透き通るガラスの様な瞳。

 一見すると清楚な淑女を思わせる容姿だが、口元に浮かべた蠱惑的な笑みが黒い衣装と相まって、どこか妖艶な蛇を思わせる女性だった。


「そちらは、フランシルト家のご令嬢ですか。どうぞお見知りおきを」


「いえ、こちらこそメクリア殿のことは聞き知っております。エグロード・ファブラン殿からも信頼される方で、非常に敏腕な方だと」


「フランシルト家次期頭首の方に覚えていただけているとは光栄ですね」


 貴族としての形式的な挨拶を交わすアイリスディーナとメクリアと名乗った女性。

 洗練された挨拶と言葉づかいを皮切りに、いつもの学生生活とは違う華やかな雰囲気が辺りに満ちる。2人とも笑顔を浮かべ、相手を称賛していた。

 アイリスディーナはファブラン家に認められたという事実を。メクリアはソルミナティ学園で学年主席という成績をそれぞれ称えている。

 笑みを浮かべて厳かな言葉を交わしながら、恭しく続く2人の会話。

 当然ながら、一般人であるノゾム達がこんな会話に入れるはずもなく、ノゾム達はただ黙って事の次第を眺めるしかなかった。

 だが、一見可憐な空気を纏いながらも、ノゾムは会話を続ける2人の空気にピリピリとした緊張感を覚えていた。

 まるで背中に毒を塗ったナイフを隠し持っているような、白黒のモノクローム。

 ノゾムはゴクリと生唾を飲み込んだ。

 しばらく表面上は当たり障りのない会話を続けていた2人だったが、やがてアイリスディーナが思い出したようにメクリアに尋ねる。

 

「そういえばメクリア殿、今日はどのような御用でこの学園にいらしたのですか?」


「ジハード殿に所用がありましてこの学園に来たのですが、執務室にはおられなかったようで……」


「ジハード殿なら、武技園におられますよ」


 アイリスディーナが今しがた出てきた武技園に目を向ける。


「ありがとうございます。それでは私はこれで……」


 深々と礼をして、メクリアは武技園の中へと消えていった。

 事の成り行きを見守っていたノゾムがアイリスディーナの傍に寄る。


「アイリス、知り合いか?」


「いや、直接面識がある訳じゃないよ。ファブラン家は私の家と同じようにフォスキーア国の中ではそれなりに大きい家でね。かの家の頭首とはパーティーでも何度か顔を合わせたことがあるんだ」


「へえ……」


 ノゾムの気のない返事を最後に沈黙が辺りを包む。

 貴族社会というものはよく分からないが、あの重苦しい空気から察するに、お世辞にも友好的な関係ではないのだろう。

 

「それにしては、何かパッとしない答え方やな? それに初対面の相手にしては妙に空気重かったやないか?」


 そんな中、フェオが持ち前の図太さから自分から沈黙を破って正面から質問を投げかけた。

 無遠慮なフェオにアイリスディーナは苦笑を浮かべる。


「まあ、あの家と私の家はお世辞にもいい関係ではないからね。いわゆる政敵というやつかな……」


 なるほど、それであんな空気になったのかと、ノゾム達は納得した。

 確かに初対面の相手にしては妙に緊迫感があり過ぎた。


「私の家、フランシルト家はこのソルミナティ学園の建設に賛成し、父様はフォスキーア国内だけでなく、大陸中でアルカザム建設に奔走した。一方ファブラン家は一貫して反対の態度を崩していなくてね」


 アイリスディーナの話によると、メクリアは、数年前にファブラン家に仕えることになった女性らしい。

 当時ファブラン家はある問題を抱えていて、その難題は解決するのに20年は掛かると言われていたそうだ。

 だが、メクリアはその問題を数カ月で解決してしまう。その時の功績が認められ、今ではファブラン家の当主に直接仕えているらしい。

見ての通り見目麗しい女性でもあるから、社交界でも時々話を聞く機会があったらしい。


「最近ファブラン家はすごい勢いで勢力を取り戻している。その原動力となっているのが、メクリア殿らしい」


「アイリスディーナの話を聞く限り、相当なやり手らしいな……」


「そんな家の使者が、一体何の用で……」


「さあ、そこまでは……」


 何故そんな名家の重要人物がこの学園に来た理由までは、アイリスディーナにも分からないようだ。


「まあ、気にしても仕方ないんじゃないか? アイリスディーナもよく知らない奴なら、今この場で話をしても仕方ないだろ?」


 あまり考えることが得意ではないマルスだが、そのこと事はある意味正しかった。

 正直、情報が少なすぎて、今この場で議論しても答えが出ない事は明白だからだ。

 メクリアが持ってきたであろう話はあまりいいものではないかもしれないが、この学園は大陸中の国々の総意で作られている。

 たった一国の重鎮の言葉で傾くようなことは考え辛い。


「まあ、そうなんだけどね……」


「とりあえず、中庭に行こうよ。正直ジハード先生のせいで急がないと昼飯食いそびれちゃうし……」


 よほどお腹が減っているのか、ミムルが催促してくる。

 尻尾も耳もダラリと力無く垂れ下がり、今にもグ~っと腹の音が聞こえてきそうだ。

 

「それもそうだね。それじゃ行こうか」


 そんなミムルの姿に肩を竦めたアイリスディーナは、先程メクリアと話していた時とは違う、純真な笑みを浮かべると、中庭へ向かって歩き始めた。

 あそこは木陰が多く、熱い夏の日差しを避けて涼むにはいい場所だ。

“やった!”と拳を握りながらはしゃぐミムルに続いて、トム達も足を進める。

 ノゾムはみんなの背中を後ろから眺めながら、楽しそうに微笑む仲間達を眺めていた。


「なあ、ノゾム……」


「ん?」


 気が付けば、隣にはアイリスディーナがいた。何やら髪の毛をいじりながら、言い難そうにチラチラと横目でノゾムの様子を窺っている。


「嫌な気分、だったか?」


「え?」


「その……さっきの私」


 どうやらアイリスは、先程のメクリアとのやり取りで見せた自分の態度をかなり気にしているらしい。

 彼女としては先程の光景は親しい人達にあまり見せたくはなかったのだろう。

学園やアルカザムでノゾムが今まで見てきた彼女とは違う、次期頭首としての姿。

 確かにノゾムは、先程のアイリスディーナとメクリアとのやり取りには驚いた。ノゾムは今までアイリスディーナの貴族としての振る舞いを実際に目の当たりにしたことはないのだ。しかもそれが先程の様に政敵を相手にした場合となれば、その驚きもひとしおだろう。

 だが、ノゾムはそれでアイリスディーナに対する態度を変えようとは思わなかった。

 驚きはしたし、気圧されもしたが、それで彼女が嫌いになるわけではない。

 ノゾムは別に気にしていないと言う様に首を振るが、それでもアイリスディーナの表情は何故か優れなかった。

 ノゾムの様子を窺うその姿は、まるで暗闇を怖がる子供のように見える。


「……そうか?」


「当たり前だろ? 何言っているんだよ?」


 そもそも、その程度の関係ならノゾムは辛かった自分の過去、全てを打ち明けていない。ティアマットの事だってそうだ。

 そう言いながらノゾムが指差す先には、こちらを急かしてくるミムル、マルス、そしてソミアと振り返って自分達を待つ仲間達の姿が見える。


「そうだよ、みんなだって気にしていないと思うよ?」


「おーい! 2人とも速く!」


「姉様、どうしたんですか~!」


「何やってんだ2人とも! 昼休みが無くなるぞ!」


 いつもと全く変わらない仲間達の姿がアイリスディーナの目に飛び込んでくる。

 ノゾムはアイリスディーナに目配せして肩をすくめると、彼女を促すように速足で仲間の元へと急いだ。

 アイリスディーナも周りの目などを浮かべながら、彼の後に付いていく。

 その口元に浮かぶ笑みは先程ミクリアと対面した時とは違い、色鮮やかに輝いていた。



 










 ノゾム達が中庭に向かっている時、ジハードとインダは使者としてやって来たメクリアが持って来たファブラン家の書を受け取っていた。

 もっとも、受け取ったジハードの姿は、どう見ても誉れ高い英雄の姿ではなく、土塗れになった土建屋のおっちゃんと言った風体だったが。


「それでは、我が主からの書、確かにお渡ししました」


「ご丁寧にどうもありがとうございます。どうですか、これから少しこの学園を回ってみるのは」


 受け取った親書をインダに預けると、ジハードは学園内を散策しますかとメクリアに尋ねる。

 しかし、彼女は丁重にその提案を断った。


「いえ、せっかくのお誘いですが、今日は他に用事がありますので。それにしても、立派な校舎ですね……」


 メクリアは武技園と、その奥に見える白亜の校舎を眺める。

 色彩を感じさせない視線が円形に形作られた武技園を一周し、再びジハードへと向けられる。

 冷たく、凍える様な視線。インダの様に厳しさの中に暖かみを隠した瞳ではなく、全く人間味を感じさせない瞳だった。


「しかし悲しくはあります。今でも多くの人達が故郷に帰れず、涙を飲んでおります。一日も早く、彼らが故郷に戻れるようにしなくてはなりません」


「ええ、そのために、私達も尽力いたします」


 形式じみた言葉を交わすジハードとメクリア。その実、内に込められた意味はお世辞にも友好とは言い難い物だった。

 要は、メクリアは“兵力が直ぐにも必要。こんな場所で血と汗によって絞り出された資金を使う意味はない”と、言葉の裏に込め、ジハードは“これからも頑張って生徒達を教育します”とメクリアの真意を全く無視したのだ。


「それではこれで失礼いたします。私はしばらくの間、我が主の命でこの街に滞在いたしまので」


 自分の言葉を完全に流されたメクリアだが、嫌な顔一つせずその場を立ち去っていく。

 残されたのは土にまみれたジハードと、親書を手にしたインダのみ。


「ファブラン家の者が一体どういうつもりでしょうか?」


「さてな、大方……」


 ジハードはインダに預けていた親書をおもむろに掴み取ると、封を破って中身を読み始めた。

 その無遠慮な仕草にインダが顔を顰めるが、ジハードはどこ吹く風と彼女の抗議の視線を無視して読み続ける。

 やがてジハードはフンと鼻を鳴らすと、書をインダに突き返した。


「あの、一体何が書かれていたのですか?」


「この前起こったアビスグリーフの1件での抗議文だ。全く、幾ら名家とはいえ一国の重鎮の抗議文程度でこの学園を廃止できるものか」


 宛てられた書にはこの前のアビスグリーフが復活した件についての抗議が延々と描かれていた。

 安全を確保されていない実験を強行するなとか、議員に命の危険が及び、怪我人も出すとはどういう事かなど、事細かな抗議と注文が、書の端から端までびっしりと書かれていた。

 要は、親書という名の嫌がらせである。

 内容は、正直よくもまあここまで文句のネタを考え付くものであると感心してしまうものだったが。

 そして、文の最後にはこう述べてあった。

 

“現在の大陸情勢を鑑みるに、10年前に失われた地を奪還する事は、各国にとって最重要問題である。ソルミナティ学園にも今後より一層の協力をお願いしたい”


「つまり、さっさとこの学園を廃止して生徒を兵士として送り出せということだ」


 呆れたようにジハードは両手を上げる。吐き捨てるように言い放った言葉には彼の憤りが感じられた。


「しかし、この前のアビスグリーフの件は決着がついています。これを出してきたという事は……」


「単なる嫌がらせであろうな。それと、一応言及することでこちらの行動を抑えようとしているのかもしれん」


 相手の間違いを一応指摘しておけば、その後の交渉の手札として使えるかもしれないという話らしい。

“あの時忠告したじゃないか!”

 と声高に叫ぶことで、今後似た様な出来事が起こった場合、相手を責める手札の1つとしたいのであろう。

 とはいえ、書の隅々まで埋める様な執念深さと意地汚さは、はっきり言って見苦しいものがあるが。


「どうしますか?」


「騒ぐだけならば放っておく。書を送ること自体を禁止などできないし、言いたいように言わせておけばいい。だが、メクリア殿がこの都市に来た理由は気になる。念の為、行動は把握できるように」


「分かりました。ではジハード殿、続きをお願いします」


 そう言ってインダは半ばまで塞がったフィールドの大穴を指差す。


「……やっぱり、まだ私がやるのか?」


「はい、急いでください。午後の授業が始まるまで時間がありません。穴を塞ぎ終わった後も仕事が控えておりますのでお急ぎください」


 丁寧な言葉の裏にあるのは“さっさとしろ!”と言う鬼教官の声。

 譲歩とかは一切ない、一方的な通告を叩きつけられ、そして再び土木作業という名の後始末が再開された。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] >アイリスディーナも周りの目などを浮かべながら、彼の後に付いていく。 周りの目などを浮かべ、という言い回しがよくわかりません >やがてジハードはフンと鼻を鳴らすと、書をインダに突き…
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