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第6章第13節

お待たせしました。第6章第13節投稿しました。

時間がかかってしまいました。お待たせして申し訳ありません。

それでももう少し足りなかった……。

 教師も含め、学園にいる人たちが昼時の安らぎに興じている頃、ジハードとインダは執務室で仕事に追われていた。


「では、先日のアビスグリーフは完全に死んだのだな?」


「はい、トルグレイン氏の報告では、かの魔獣の遺骸は魔素や気も含め、あらゆる生体活動が停止し、その身体も灰のように崩れてしまったそうです。恐らく、保有していた源素をすべて使い切ったことが原因かと思われます」


 ジハードは手に持った厚い書類を読み耽りながら、インダの報告に耳を傾ける。

 彼が目を通しているのは昨日行われた、かの魔獣に対する干渉実験の報告書だ。

 10年前の大侵攻に関わると思われる魔獣だけに、この実験が行われた場所には研究者だけでなくアルカザムの要人達の姿もあった。

 その実験最中に突如復活したアビスグリーフ。一時は恐慌状態に陥りかけた現場だが、ジハードと兵士たちの奮戦により、すぐさま事態を収拾することが出来たのだ。


「……怪我をした兵士の容体は?」


 そんな戦いの中アビスグリーフが逃げ出さないように、その身を挺して脱出を阻んだ兵士が1人、軽くない怪我を負っている。

 ジハードはその兵士の事が気がかりだったのだろう。

 いつも通りの精悍な表情はまるで崩れていないが、書類から目を離し、じっとインダの言葉を待つその姿には、彼がどれだけ部下を心配しているかが見て取れる。


「怪我をした兵士にはすぐに回復魔法を掛け、傷を塞ぎましたので大事には至っておりません。今日の昼ごろには。職務に復帰するそうです」


 そんなジハードの質問に、口元に笑みを浮かべて答えるインダ。

 普段は冷淡な態度を崩さない彼女も、犠牲者が出なかった事が純粋に嬉しいのだろう。言葉の端々には、やや気持ちが高揚している雰囲気が感じ取れた。


「そうか……。怪我をした兵士にはあまり無理はしないように伝えて欲しい。あと、念のために体調に違和感を覚えたらすぐさま診察を受けるようにと」


「分かりました」


 インダの言葉に安堵の声を漏らしたジハード。

 だが、彼はすぐさま顔を引き締める再び執務室の中に満ちる緊張した空気。

 その空気口を感じ取ったインダも、口元を引き締めて表情を改めた。


「各国の方々の様子は?」


「退避時に何人か転んで怪我をされた方がいらっしゃいますが、いずれも軽傷で何ら問題はありません。ただ、今回の件は間違いなく各国に伝えられるでしょう」


 この都市の各国から選出された議員は、それぞれの国の使節としての役割も持っている。インダの言うとおり、先の事件は間違いなくそれぞれの国の指導者や上層部に伝えられることになるだろう。


「別に先の事件で分かったアビスグリーフについての情報を送るのは構いません。元々そのために議員の方々にも同席を願ったのですから。問題は……」


「魔獣が復活し、騒ぎが起こってしまった事だろうな。この都市を快く思わない者達が何らかの非難の声が上がるかもしれんが……。」


 ジハードの言うとおり、このアルカザムと言う都市の建設を誰もが諸手で歓迎していた訳ではない。

 大侵攻で故郷を失った者達や魔獣達の領域と接している国々の中には、このような都市を作るくらいなら軍備を整え、魔獣達を殲滅して失われた土地を取り戻すべきだという者達もいる。

 しかも、そのような意見は大侵攻で直接の被害を受けていない国々からも出ていた。

 それは、いわゆる国の安全保障の問題であったり、経済的な問題であったりと様々だ。

 各国が出資をして様々な研究がされているこの都市の存在は、国力の低い国にとっては懐を痛めずに技術開発を行える場であるが、大国にとってはせっかく開発された技術が他国に漏洩しやすい場でもあり、そのことに危機感を感じる者もいる。

 隙あらばこの都市の存在意義に異を唱え、解体を目論む者も決して少なくないのだ。

 もちろん、この都市の存続を喜んでいる者もいる。そんな人々がいるからこそ、この都市は今でもこうして存続できている。

 各国の思惑が複雑に絡み合う、薄氷の上の都市。それがこのアルカザムの実態だった。


「ですが、その可能性は高くないでしょう。起こった問題に対しては最小限の被害で素早く片づけることが出来ましたし、何より貴重なアビスグリーフの情報を得ることもできました。今騒ぎを起こせば、逆に自分達が叩かれるだけです」


 とはいっても、今回の発生したアビスグリーフの復活については、さほど問題はなかった。それは、負傷者1名と言う極めて少ない被害で問題を解決することが出来た事。そして、未だ謎に包まれていた アビスグリーフの貴重な情報を入手し、すぐさま各国に公表した事だ。

 多少口を尖らせる者もいるだろうが、得たものが大きい以上、ほとんどの国が今回の事件については責任を追及してくることはないだろう。


「その辺りは議員の方々に同席してもらい、全ての情報を開示した甲斐があったな。何か行動を起こしてくる者もいるかもしれんが、その辺りはハイバオ殿に任せるしかあるまい。私達は私達にできることを続けていくだけだ」


 そう結論づけ、ジハードは執務室の椅子にもたれかかる。

 一通り結論が出たところで、ジハードは手に持っていた書類を片付け始めた。

 彼は机の上を片付け終わると、日の光が差す窓の向こうに目を向ける。

 その先には白く輝くソルミナティの校舎と、賑わいを見せるアルカザムの街並みが見えた。

 廊下や中庭を行き交う生徒達や、心地よい日差しに導かれて屋根に上った人達が、そのまま屋根の上で昼食をとっている姿も見える。

 彼の口元に零れる笑み。

 そんなごくごく当たり前の光景を眺めながらも、ジハードは年甲斐もなく自分の心が高揚していくのを感じていた。

 それは彼がこの光景がどれだけ貴重なものだと知っていたからなのかもしれない。


「とりあえず、午後からの3学年の1、2階級の合同授業だな。下級生やエクロスの生徒達も来るのだ。指導教官として、彼らにあまり情けない姿を見せる訳にもいかないな」


「ジハード殿なら学生など問題ではないでしょうに……。まだまだやっていただきたい事は山の様にあるのです。その様な事を言われても、この学園は貴方を手放したりは致しませんよ?」


 インダもまたジハードと同じ気持ちなのかもしれない。いつも冷淡な表情を崩さない彼女もまた薄い微笑みを浮かべていた。


「それは、私には引退はまだ先という事かな? やれやれ、そろそろ色々と辛くなってくる歳なのだがな……」


「あのアビスグリーフを圧倒する方が何を仰りますか? それに、実力はあっても経験が足りない彼らを指導できる方に休みを与える余裕など、この学園にはありません」


 言葉は淡々としていても、何処か暖かな声。

 そして、静かな沈黙が流れる。

 束の間の休息。ほんの僅かな時間だが、自然と笑みを浮かべられる時間だった。


「あの……、ジハード殿。差しさわりなければ、質問をさせて頂いてもよろしいですか?」


「質問? 何かな?」


 その沈黙を破ったのは、戸惑う様なインダの声。


「今日の午後の授業についてです。何故下級生やエクロスの生徒達が見学に来るこの時期に、彼らを1、2階級の合同授業に参加させたのですか?」


 彼ら。彼女が一体誰の事を指しているのかをジハードにはすぐに理解した。


「特総演習の時の結果は見たであろう? それら結果が偶然によるものかどうかを確かめるためだ」


「ええ、その辺りの趣旨は理解いたしました。ただ、なぜ授業の最後にこの項目を追加されたですか?」


 インダ自身、特総演習の結果は入念に分析し、理解している。

 3学年から行われるようになった合同授業の趣旨は、より実戦に近くて現実味のある訓練とあらゆる状況における総合力の養成だ。

 ならば、別に10階級の人間が上位階級の授業に加わることに問題はない。実力差が明らかな者同士の戦闘も、この授業では組み込まれているからだ。

 ただ、それはもっと後に行われる予定だった。今現在は生徒達を慣れさせる段階であり、ここまで開けた実力差のある者同士は組ませないようにしている。

 だが、それ以上にインダの目に留まったのは、前日に突然この授業に組み込まれた課目。それは、組み込まれた課目が合同演習の趣旨からはあまりに外れるものだった。


「ですが、これはあまりに無謀かつ無駄ではありませんか? 合同授業の趣旨には合っていません。それをなぜここで? あの生徒の実力を試したいなら、ほかにも手はあるのでは?」


「……アンリ女史の話では、それがその生徒にだけでなく、他の生徒達。特に下級生達には必要だからだそうだ」


「……どういうことですか?」


 アンリの名前を聞いたインダがさらに表情を厳しいものにする。

 彼女としてもアンリ・ヴァールの能力自体は疑っていないが、優しすぎるその性格から変に生徒に肩入れしすぎる傾向がずっと気になっていた。


「分らん。だが、この街でアビスグリーフが最初に発見された事件。私自身あの生徒のことが気になっていた。せっかくの機会なのだ。それを確かめてみよう」


 怪訝な顔を浮かべるインダを尻目に、話を決めてしまうジハード。

 インダはしばらく無言のまま佇んでいたが、ジハードにこの決定を覆す意思がないことは理解できた。

 疑問は残るが、致し方ない。

 そんな気持ちを胸に抱いたまま、彼女は自分の仕事を再び片付け始めるのだった。









 昼休みが終わり、午後の授業が始まろうとしている。

 今、ノゾムとマルスが立っているのはこの学園で“武技園”と呼ばれる訓練場だ。

 複数のクラスが集まっても有り余るほどの広いスペース。この辺りは普段ノゾム達が使っている訓練場とかわらない。

 だが、訓練場の周囲には階段状の観客席が造られ、まるで闘技場のような雰囲気を醸し出している。

 事実、この“武技園”は学園外の人間を招致し、その人達に競い合っている学生たちの姿を見せるためにも使用されている。

 それは祭りのようなイベント的なものから、各国の人材スカウトに来た要人達が生徒達の将来性を見極める場にもなる。いわばこの学園の“顔”となる施設の一つだ。


「これは……」


「すごいな……」


 感嘆の声を上げるノゾムとマルス。

 舞台となる中央のフィールドには既に1、2階級の生徒達が集まっており、各々が黙々と準備に精を出している。

 だが、何よりノゾム達を驚かせたのは、観客席に座って彼らを見ている下級生や、エクロスの生徒達の姿だ。

 普段は閑散としているアリーナが、今では祭りの前夜祭のように賑わっている。


「しかし、何でまた俺達がこんな所に?」


「アンリ先生の話から考えると、この前の特総演習の結果が理由だろ? ジン達もいるんだし……」


 自分達がここにいることに疑問を持つノゾムに、軽い口調で答えるマルス。

 このアリーナに来た2人の隣には、特総演習の時に一緒に組んだジン達の姿もあった。

 

「そうなんだが……。何も下級生達が見ている場に態々俺達を参加させる理由がわからないんだ」


 ノゾムの言うとおり、この話は今日突然聞かされた話だ。

 1、2階級の合同授業下級生やエクロスの生徒達が見学に来るのはいい。そのように優秀な先輩達の姿を見せることは学習意欲の向上にもつながるだろうし、先輩達の戦技を学ぶ絶好の場となるだろう。実際、ノゾム達も何度か上級生達の戦う様子を見学したことはある。

 だが、その場に最下位階級の生徒を参加させる理由というのもわからない。

 上位階級と最下位階級の実力差は歴然だ。普通に考えれば、見せしめにしかならないと思うだろう。

 ノゾムは少なくとも生徒達の意欲を湧かせるにはあまり適当な選択でないような気がしていた。

 まあ、上位階級と下位階級との実力差を見せて、逆の意味で学習意欲の高揚を図っているのかとも考えなかったわけではない。

 つまるところ、打ちのめされているノゾム達の姿を見せて“お前達、こうなりたくなかったら死ぬ気でがんばれ!”というわけである。

 まあ、どちらにしても下手をすると逆効果なのは変わらない。意欲を高揚させるにしろ、戒めさせるにしろ、バランスが重要だ。そのあたりを旨く調整するのが教師であり、指導者と呼ばれる人間である。

 ノゾムはアリーナの反対側に目を向けた。そこではこの授業を担当する1、2階級の担任であるジハードとインダ、アンリが何かを話し合っている。

 ただ、アンリは積極的にジハード達に話しかけ、大きな手振りで何かを説明している。その様子に、忌避感というものは感じられなかった。


「向こうにいるアンリ先生の様子を見る限り、そんな理由じゃなさそうだけど……」


「だけど、大掛かりなのは確かみたいだな」


 話し合っているジハード達の近くには、普段は保健室に詰めているノルン先生の姿もある。彼女の手元には、おそらく医療器具を入れているであろう大きな鞄があった。

 おそらくこの演習のために上から要請があったのだろう。

 ノゾムの視線に気づいたアンリ先生が、満面の笑顔を浮かべてブンブンと手を振ってくる。

 いつも笑顔を絶やさない女性ではあるが、ノゾムには今向けられた彼女の笑みが普段よりも嬉しそうに映っていた。

 アンリの手振りに答えるように、ノゾムは小さく一礼する。

 だがアンリはそんなノゾムの返答が気に入らなかったのか、今度は両手を大きく振り、ぴょんぴょん跳ね始めた。

 まるで子供のようなその仕草。当然、そんな彼女の様子は周りにいる1、2階級の生徒はおろか、アリーナの観客席にいる下級生達にまで丸見えである。

 周囲の奇異なものを見る目がアンリだけでなく、彼女が手を振っている相手であるノゾム達にも集中した。


「ど、どうも……」


 一斉に向けられた視線にノゾムは苦笑いを浮かべた。アンリは未だに自分の存在をノゾムにアピールしている。

 彼女の長いスカートが飛び跳ねた際にふわりと広がる。

 元々足首まですっぽりと覆う彼女のスカートは多少飛び跳ねても大きくめくれたりはしない。

 だが、お淑やかそうな外見を持つアンリのそんな子供っぽい仕草は逆に男性諸君の関心を惹き、ちらりと見える彼女の真っ白なふくらはぎが、その視線を釘付けにする。

 彼女を見つめる男子生徒の視線にある種の“欲”が見え始めた。

 このまま満足な返事を返さなかったら、彼女はもっと大胆な行動に出るかもしれない。本人の魅力が周囲にどれだけ影響を与えるという事は考えないまま。

 それはさすがにまずいと思ったノゾムは彼女を同じように大きく手を振って挨拶を返した。

 さすがにこんな公衆の面前で手を振るのはちょっと勇気が必要だったが、アンリはノゾムの返答に満足したようだ。

 彼女は一際眩しい笑顔を覗かせるとジハードたちとの話し合いに戻っていく。

 自分達がこの場に呼ばれた理由が気になり、肩に力が入っていたノゾム。

 だが、こんな時でも無邪気なアンリの姿に、すっかり気が抜けてしまった。


「は、ははは……」


 脱力したノゾムにマルスが言葉をかけてきた。

 

「まあ、確かに呼ばれた理由は引っ掛かるが、今は気にしても仕方ねえんじゃねえか? どんな考えがあるか分からねえけど、俺達にどうにかできるとも思えねえし」


「確かに、そうだな。ありがと、マルス」


 ノゾムのお礼にマルスは“気にするな”と言う様に肩をすくめて見せる。

 次に彼が目を向けたのは、自分達の隣にいるジン達だった。


「で、そっちは大丈夫なのか?」

 

「だ、だいじょうぶ……」


 ジン達はやや緊張した面持ちで震えた声を漏らしている。首を傾げたノゾムが彼らに声を掛けた。


「どうしたんだ?」


「い、いや、僕たち普段こんなところ使わないじゃない?」


「こんな大勢の前に出ることもないし。だからちょっと緊張して……」


 性格的に大人しい魔法使いのハムリアだけでなく、槍使いのデックや剣士のトミー、そして特総演習の時にノゾムに突っかかってきたキャミまで肩に力が入っている。


「ま、まあ、確かに……」


 周囲を見渡したノゾムも言葉に詰まる。

 確かにジン達の言うとおり、アイリスディーナやティマたちのような上位階級の生徒達ならともかく、10階級であるノゾム達がこのような大勢の前に出る機会はほとんどなかった。彼らが緊張して硬くなるのも無理はない。


「ノゾム」


「来たのね」


 その時、鈴のような澄んだ声がノゾム達の耳に響いた。彼らが振り向くと、そこにいたのは黒髪の少女と長耳のエルフの姿。

 彼女達の隣にはティマやミムル達の姿もあった。


「なんか俺達も参加することになっちゃったけど……」


 肩をすくめたノゾムの肩に、フェオが腕を回してくる。


「ええやないか。ワイは嬉しいで。特総演習のときはケヴィンの奴が横槍を入れたから、まともに手合わせできんかったからな」


 心底楽しそうに笑みを浮かべているフェオにノゾムは苦笑を浮かべた。


「俺は遠慮願いたいかな。お前の相手は骨が折れるし……」


「何やつれないな……」


 ノゾムの回答が不満だったのか、フェオは口を尖らせる。

 そんな彼らの様子を見つめていたアイリスディーナは笑みを浮かべて近寄ってきた。


「ふふ……。実の所、私も楽しみなんだ。ノゾムとは何度も手合わせしているけど、こんな風に大勢の前では初めてだ。ソミアも見に来ているし、フランシルト家の者として情けない姿は見せられないから、いつもとは違った気持ちでこの授業を受けられそうだ」


「わ、私はちょっと苦手……」


 そう言って観客席の方にチラリと視線を向けるアイリスディーナ。ノゾムが彼女の視線を辿ってみると、そこにはソミアと同い年くらいの少年少女の姿がある。多分、あの子たちが今エクロスから見学に来ている子供達だろう。

 その隣にはノゾム達と同じ制服を着た生徒達が観客席に座り込み、話をしたり、時折こちらを指さしたりしている。あちらは1、2学年の後輩達だろうか。

 誰もが目をキラキラ輝かせながら、巨大なこの武技園やフィールドに立っている上級生たちに目を奪われている。

 特に彼らの視線が集中しているのが、3学年1階級でAランクに到達したアイリスディーナやティマ、リサ達。そして、彼ら以上の実力者であり、大陸有数の剣士であるジハード・ラウンデルであった。

 周囲から向けられる数多の視線を全身で浴びても、アイリスディーナはいつも通りの凛とした表情を崩していない。

 一方、人前に出ることが苦手なティマは余り顔色が良くなかった。

 彼女もまた3学年の頂点に数えられる人間の1人だ。周囲から向けられる視線もそれに相応しい数になっており、彼女はいつにも増してオドオドしている。


「周りの連中なんて気にする必要はねえんじゃねえか? お前なら全然問題ねえだろ?」


「そ、そういわれても……」


 そんな彼女に言葉を掛けるマルスだが、表情はやはり芳しくないままだ。

 制御に多少の難があるとはいえ、ティマの魔法は間違いなくこの学園でもトップクラス。下級生たち相手に見せるなら、それほど強力な魔法でなくても十分だと思われる。

 ならば特に気張る必要はないとマルスは思うのだが、それでも彼女にとっては無数の視線が怖いのだろう。ティマはまるで怯えるように身を小さく縮こませていた。


「おい、ティマ……」


「な、何?」


 マルスは無言で自分の背に背負った大剣をコンコンと叩きながら、ゆっくりとティマに近づいていく。

 

「大丈夫だろ? 自信を持てよ。物覚えの悪い俺相手にあれだけ教えられたんだ。お前なら落ち着いていれば簡単に出来るさ」


 小さく、ティマだけに聞こえるように呟くマルス。彼が話をしているのはしばらく前から続いている魔法講義の事だろう。

 確かに、彼女がマルスに魔法を教え始めてから、彼は今までおざなりだった魔法技術を少しずつ習得し始めている。

 あまり勉強が得意でない彼に教えることが出来ているのは、ティマがそれだけキチンと魔法理論を理解しているからに他ならない。

 マルスの励ましに、彼女は身を小さく縮めながらも、窺うように目線を上げた。

 周りからの蔑みの目線を受けながらも、マルスは不敵な笑みを受かべながら口元に笑みを浮かべている。

“見てろよ”と言わんばかりに周りにいた他階級の生徒たちを一瞥するその姿。

 とてもマルスのように傲岸不遜に考えられないティマは、彼の言葉にちょっと不満そうな表情で口元を尖らせていた。


「……簡単に言うんだもん」


「実際、簡単だろうが?」


 ややムスッとした口調でそう漏らすティマに、マルスは肩をすくめていた。


「もう……」


 あくまで態度を変えないマルスにティマが呆れたように肩を落とす。だが、彼女の肩からは何時の間にか力が抜けていた。

 そして、マルスとティマをほくそ笑みながら眺めている者達。


「なんだよ……」


 彼らの視線に気づいたマルスがジト目で覗いていた連中を睨み付ける。

 マルスの視線の先にいたのはこんな話題が三度も飯より好きな獣人2人。

 彼らは大好きなおもちゃを見つけた様な、そして碌でもない事を考えているようなニヤついた笑みを浮かべている。

 まるで今にも獲物に飛び掛かろうとする肉食獣のようだ


「別に~。ところで2人さ……」


 そして、遂にその腹を空かせた獣が新鮮な獲物に飛び掛かろうとする。

 だが次の瞬間、フェオとミムルめがけて1つの影が疾風のように突進して行った。

 いきなり眼前に現れた影に驚くマルス。彼が呆けたまま目弾きしていると、いつの間にか1人のエルフの少女がマルスに背を向けて立っていた。

 無駄のないスレンダーで清廉な後姿。

 だが、マルスが目を引かれたのは彼女の両手で持ち上げられている存在だった。

 時折ビクンビクンと痙攣しているそれは、間違いなく先ほど自分をひやかしてきた獣人族の2人。

 いかなる早業なのだろうか。シーナの両手は2人の獣人の顔をがっちりと抑え、その細い指がメキメキとこめかみに食い込んでいる。


「もう何言っても無駄みたいね、2人とも……」

 

 この2人に散々手間をかけさせられた所為だろうか。シーナは今までのように口で注意することなく、即座に実力行使に踏み切ったようだ。

 一言も発することなく沈黙させられたミムルとフェオ。2人は声も出せないまま、身体をビクンビクンと痙攣させている。

 スラリとした細身の肢体のどこにそんな力があるのだろうか? 

 彼女の背中から放たれる異様な怒気に当てられ、マルスは先ほどの怒りがすっかり薄れた様子で肩を落としていた。


「ん?」


 その時、ノゾムの耳に複数の足音が聞こえてくる。彼が足音の聞こえてきたほう目を向けると、よく知る黒髪の少女が駆け寄ってくる様子が見えた。


「ノゾムさん! こんにちは! って……どうしたんですか!?」


 駆け寄ってきたソミアの目に飛び込んできたのは仁王立ちするシーナの足元で虚ろな表情のまま、天を見上げているデバガメ獣人達。


「くっ、ここであたし達を止めたとしても……」


「この世に美味しいネタがある限り、いずれ第2、第3のワイらが……」


「…………」


 シーナは捨て台詞を吐いているミムル達に言葉すら返さず、再び2人の額に手を伸ばす。

 そして再び響く不協和音。メキメキとかミシミシとか、聞こえてくる音は教育上大変よろしくない。

 ノゾムはシーナ達とソミアの間に割り込んで話を逸らそうとするが、声が上ずって妙に芝居くさいものになってしまう。


「ソ、ソミアちゃんはどうしてここに……って、エクロスの生徒達も来ていたんだっけ」


 必死に話を逸らそうとしたノゾムにソミアが元気そうに「はい!」と頷いた。後ろで繰り広げられている惨劇には突っ込まない事にしたらしい。よくできた娘である。

 もっとも、いつもの事だと流している可能性もあるが。


「でもソミアちゃん、エクロスの生徒たちはあっちの観客席の方だけど……?」


「あっ大丈夫です。場所はきちんと覚えていますから! 今回、姉様が出るのは分かっていたんですけど、ノゾムさん達の姿も見えたので一度ご挨拶しておこうと思ったんです」


 エクロスから来た生徒達には、当然引率の先生たちがついている。その先生の姿がない所を見ると、どうやらソミアは担任の目を盗んで抜け出してきたようだ


「やれやれ、とんだお転婆お嬢様だな……」


「えへへへ……」


 溜息を吐くノゾムにペロッと舌を出して悪戯っぽい笑みを浮かべるソミア。アイリスディーナも額に手を当てて天を仰いでいる。

 自分の妹の行動に呆れていたアイリスディーナだが、すぐに気を取り直してソミアに戻るよう注意する。


「全くこの娘は……。心配しているだろうから、すぐにクラスメート達の所に戻りなさい」


「は~い! あ、それからノゾムさん。こちらの人達とはお知り合いですか? ここに来る途中で会ったんですけど、ノゾムさんを探しているらしくて……」


「え?」


 ソミアの言葉に続く様に、チラリと姿を見せたのはノゾムと同じ制服に身を包んだ4人の少年少女だった。


「君たちは……」


 ノゾムやアイリスディーナは彼らの姿に見覚えがあった。昨日、森でオーク達に襲われていた1学年の生徒達。

 彼らの中の1人の少年が一歩前に出てくる。

 ノゾムは目の前に立つ彼の顔を覚えていた。整った顔立ちと茶色の頭髪。彼らのパーティーリーダーであるエルドルであろう。

 

「エルドル君達……か?」


 なぜか確かめるように呟くノゾム。エルドルはその言葉に答えるように小さく頷いた。


「は、はい! そうです」


 ノゾムが目の前の下級生をエルドルとは断言できなかった理由。それは彼の見た目が昨日とはあまりにかけ離れていたからだった。


「その髪、どうしたの?」


 無造作に流していた髪はバッサリと切られ、短くなった茶髪が頭部に残っている。いわゆる坊主頭と言う奴だ。

 さらに、ジャラジャラと身に付けていたアクセサリーも全て外してあり、制服も着崩したりせず、襟元もしっかりと止めて着こなしている。


「い、いや、まあ。昨日のことで自分自身を変えたいなと思いまして……。とりあえず、形からでもと……」


 あまりに変わってしまったエルドルの雰囲気に、ノゾムの声にも戸惑いの色が残る。

 一方、エルドルの方は緊張しているのか言葉に詰まってしまっていた。


「ノゾム、こいつらは……?」


「昨日の依頼中に出会ってね。色々あったんだ」


 エルドル達の事を知らないマルス達がノゾムに声を掛けてくる。とりあえず時間もないので、ノゾムは簡潔に昨日の出来事を話した。


「昨日は本当にご迷惑をお掛けしました……」


 昨日の自分の言動を思い出したのか、エルドルは恥ずかしそうに髪の短くなった自分の頭を掻いている。


「あ、あの、ノゾム先輩もこの授業に参加するんですか?」


「あ、ああ。何故か今日いきなり合流するよう言われたんだ」


「やっぱりそうですか! でも当然かもしれませんね。先程聞きましたが、特総演習で10位以内と言えば、間違いなく上位クラスの成績ですし!」


 やや興奮気味な様子でノゾムに詰め寄ってくるエルドル。その勢いにノゾムは思わず後ずさっていた


「そ、そうか……?」


「そうですよ! あんな他階級が大勢入り乱れる中で勝ち残って来たんですから、注目されて当然です。それに……あっ!?」


 エルドルが捲し立てている最中、始業の鐘が鳴った。

 授業に参加する他の生徒達がフィールドの中央に集まっていく。


「時間みたいだな。エルドル君、悪いけどそろそろ……」


「分かりました、俺達は観客席に戻ります。それではノゾムさん、皆さん。失礼します」


 ぺこりと頭を下げて観客席に戻っていくエルドル達。

 彼らを見送ると、ノゾム達も急いで集合場所に向かった。

 現れたノゾム達に1、2階級の生徒たちの視線が集中する。


“なぜこいつらがここに?”


 明らかに彼らが場違いと考える人物の登場に、その場にいた誰もが首をかしげていた。


「なんで最底辺がここにいるんだ? おまけにその他の底辺連中まで。迷子か?」


 集合場所にやってきたノゾムを最初に歓迎したのは銀狼族の青年、ケヴィン・アーディナルたちのパーティーだった。もっとも、かけられた言葉は歓迎しているとは程遠いものであったが。

 ノゾムを嘲り、弱い者を蔑視するケヴィンは、相変わらず棘のある言葉をノゾムやマルス達に投げつけてくる。

 彼の言葉に同調するように周囲にいた生徒達からの視線に侮蔑の色が混じり始めた。

 マルスの顔色が一気に気色ばむ。だが、当のノゾムはケヴィンの言葉などどこ吹く風で、まったく気にした様子がない。

 彼は腕を組んでニヤついた笑みを浮かべているケヴィンを一瞥すると、気にしていないとでも言うように視線を前に戻す。

 ノゾムにとってはこんな扱いなど慣れている。それよりも彼には心を砕かねばならないことがあるのだ。

 周囲から集まる疑問や侮蔑の目や囁き。ノゾムはぐるりと周囲を見渡す。

 そしてその中から、紅髪の彼女たちの姿を見つけた。

 交差するノゾムとリサ達の視線。次の瞬間、彼女の瞳が大きく揺れる。

 

「ノゾム……」


 そんな彼らの姿を後ろから見ていたアイリスディーナが小さく声を漏らした。

 胸元に添えられた彼女の手は、いつの間にかキュッと握り締められている。


「ちっ……! おい、聴いているのか!? ここはお前がいるような場所じゃないだろ。身の程をわきまえてさっさと……」


 そんなアイリスディーナの様子を偶然その目に捉えたケヴィンが、イラついた様子でノゾムに詰め寄ってくる。

 ノゾムの襟首を掴み、力ずくで追い出そうとするケヴィン。

 だがその時、熱を持った場に冷水をぶちまけるような声が響いた。


「そこまでです、ケヴィン・アーディナル。貴方達、もうそろそろ授業が始まります。全員整列しなさい」


 叱責するような口調で声をかけてきたのは、2階級担任のインダ先生だった。

 彼女の登場で我に返った生徒たちは、弾かれたようにその場に整列する。

 だが納得いかないケヴィンは、相手が教師でもお構いなしにインダ先生に詰め寄っていた。


「ちょっと待ってくれよ。変じゃないか。何でこんな最底辺のやつが俺たちと一緒に……」


「私が許可した」


 武技園に響く重厚な響き。年月を経た大木のような風格を持ったその声は、立った一言でアリーナにいたすべての人々を釘付けにする。

 声の主であるジハード・ラウンデルはゆっくり周りを見渡す。

 

「彼らはこの前の特総演習において優秀な成績をたたき出している。報告ではお前やフランシルト、ハウンズを含めた乱戦でも持ち堪えてみせたそうじゃないか。彼らがこの場にいることに不足はない」


「ちっ……!」


 気性の荒いケヴィン。だが、強さを尊ぶ彼は自らよりも強者として高みにいるジハードの言うことは素直に聞く。

 それにジハードの言う事ももっともだった。ノゾム達が特総演習で叩き出した総合6位という成績は打ち消しようがない。

 そしてここは実力こそが評価される学園でもある。

 不満そうに舌打ちするケヴィンだが、それ以上ノゾムに突っかかってくることはなかった。

 周囲の視線から開放されたノゾムは安堵するように大きく息を吐いた。周囲からの蔑みの目には慣れているし、今はそこまで気にしている余裕がないのは確かだった。

 その時、ノゾムは目の前にいるインダがじっと自分を見つめてきていることに気付いた。

 ノゾム自身はこの教師との面識はほとんどないが、好かれていないということだけは十分理解していた。いつも自分たちを見守ってくれているアンリとは正反対の目をしていたからだ。

 だが、なぜか今はその目に宿る嫌悪感が薄らいでいるように見える。以前アビスグリーフを報告した際に向けられた視線とは違う瞳の色に、ノゾムは首を傾げた。


「あの……なにか?」


「いえ、何でもありません。貴方達も早く並びなさい。もう始業の鐘が鳴っています」


 クルリと踵を返してジハードの隣に戻っていくインダ。

 彼女の背中を眺めながらも、ノゾムは足早にみんなの列に並んだ。









 開始前にややトラブルがあったものの、授業自体は滞りなく行われていた。

 複数のパーティーが階級の枠を超えて作られ、その技を競い合う。

 特にアイリスディーナをはじめとしたAランクの生徒達の活躍はすさまじいものがあった。

 遠近の魔法をそつなく使いこなし、向かい来る複数の相手を闇夜の蛍のように翻弄するアイリスディーナ。

 一撃の魔法で相手の魔法も気術もすべて叩き潰すティマ。

 卓越した格闘術と獣人特有の俊敏性を十二分に発揮し、刹那で相手パーティーを蹂躙するケヴィン。

 得意とする水属性の魔法を変幻自在に操り、臨機応変に相手に対処するケンと一瞬の爆発力で相手の防御を叩き崩すリサ。

 他の生徒達と一線を画したその実力に観客席にいる後輩たちからは感嘆の声が上がっていた。

 もちろん、他の生徒達も負けたわけではなく、3学年上位階級に恥じないだけの実力を見せ付けている。

 そんな中、異彩を放っているのがノゾムを始めとした10階級のメンバー達だった。

 元々地力のあるマルスは意外にも魔法を多用していた。出来る限り気を温存するように障壁や牽制に魔法を使い、得意の気術で一気に仕留める。

 併用術こそ使っておらず、魔法と気術の切り替えも隙が多いが、それでもマルスは多少使えるまでには、自らの技を磨きあげていた。

 ジン達もまた周囲の予想を裏切るような奮戦を見せていた。

 強力な魔法や気術こそ使えないものの、抜群のチームワークで何とか上位階級生たちの動きに齧りついていく。

 出の早い初級魔法で相手の動きを牽制し、強力な一撃を叩き込もうとするジン達。

 相手との実力差から単発では効果はほとんどないが、互いの動きを停滞なく連動させることで相手を押さえ込むことはできるようになっていた。

 地力が違うために勝つ事こそ出来ずにいるが、まるでヒルの様のようなしつこさに相手も辟易している。

 いままで、10階級の生徒が1、2階級にここまで粘る戦いを見せたことはない。

 アリーナから上級生達の姿を見ていた下級生。特に下階級の生徒たちは、ジン達の活躍に驚きの声を上げていた。

 10階級の生徒達が目覚しい活躍を見せている。そんな中、ノゾムは何故かフィールドの外でアンリ先生に捕まっていた。


「あの、アンリ先生。何で俺こんなところで待機していないといけないんです? マルスやジンたちは模擬戦に参加しているのに……」


「いいから、いいから、先生に任せなさ~い!」


 アリーナの片隅に座らせられているノゾム。満面の笑みを浮かべて胸を張るアンリに、彼は怪訝な顔を向けた。

 いったい何を考えているのだろうか? この授業が想定しているのは異なる力量の者達が入り乱れた実戦だ。そもそも試合に参加しなかったら、授業の意味がないのだが……。

 ノゾムはため息を吐いてうな垂れる。


「ノゾム、授業に参加しないなら帰ったらどうだ?」


 突然かけられた声にノゾムが顔を上げると、彼の幼馴染の一人が見下ろしていた。


「ケンか……」


「…………」


 忌々しい者を見るような目でノゾムを睨み付けるケン。口元は醜く歪み、不快感がありありと見て取れる。

 互いに一言も発せぬまま、両者の視線が交差する。

 やがてケンが何かを言おうと口を開く。だが、何を言われたとしてもノゾムはもう退く気はなかった。

 今のこの歪んだ関係を、未来につながる形で終わらせる。

そう決めたのだから。

 だが次の瞬間、剣呑なこの場の雰囲気とは似つかわしくない間の抜けた声があたりに響いた。


「はい、そこまで~。ノゾム君、そろそろ準備して~」


 聞く者を脱力させずにはいられない気の抜けた声に、ノゾムは大きく肩を落とす。

 緊張感に満ちていただけに一度抜けた気合は簡単に戻ってくれない。

 せめてこの位はいいだろうとノゾムはジト目でアンリを睨みつける。


「ん~? なぁに~~?」


「……いえ、何でもありません」


 だが、アンリ相手では全く意味はなかった。

 しかも、彼女の惚けた表情が気力の減退に拍車をかける。


“せめて場の空気を呼んでください”


 とは言い切れないまま、仕方なくノゾムは無理やり話題を変えた。


「それで、アンリ先生。準備って……」


「模擬戦はそこまで! 全員、フィールドから一旦出なさい」


 ノゾムが気を取り直してアンリに問いかけようとした時、インダの声がアリーナに響き渡った。

 彼女の声に従って、中央のフィールドから離れる生徒達。

 全員が外に出たことを確認し、インダ先生はゆっくりと口を開いた。


「さて。これがこの授業最後の課目です。内容は、この学園が誇るSランク剣士、ジハード・ラウンデル氏との模擬戦です」


 インダの言葉に答えるように、ジハードがゆっくりとフィールドの中央に向かって歩き出した。

 背中に背負った巨剣“顎落とし”とミスリス銀製の白亜の鎧を纏ったその佇まいは、まさしく英雄と呼べるものだ。

 だが、同時に目を引いたのは、その両手に携えられた、顎落しとは違う大剣と巨大なタワーシールド。

 彼はフィールドの中央まで足を進めると、背中に背負った顎落しを地面に突き立てる。

武技園中にざわめきが広がった。

 10年前の英雄であり、大陸でもその名を知らぬ者はいないとされ、このアルカザムでも重要人物の一人に数えられる人物。

 そんな人と手合わせできる機会などめったにない。

 彼はその立場ゆえに多忙を極めており、この学園で教鞭をとる機会も多くはない。直接その指導を受ける機会となればなおさらだ。

 これは自分の実力を試すという意味でも、周囲にその力を示すという意味でも好機だ。


「へへ……。いいじゃねえか」


 ケヴィンが不敵な笑みを浮かべながら拳を握りしめている。

 間違いなくこれから戦う相手に高揚しているのだろう。今にもジハードに飛び掛かりそうなほど好戦的な目でジハードを睨みつけている。

 だが、熱気に当てられているのはケヴィンだけではなかった。

 この授業に参加した3学年の生徒たちは滅多にないこの機会を活かそうと意気込み、観客席にいる下級生たちはこれから見れる英雄の勇姿とその剣技に歓声を上げている。


「初めの相手は……えっと、その……」


 最初の対戦相手を読み上げようとするインダ。だが、戸惑いを浮かべたその表情と、詰まった言葉に興奮していた生徒達の顔が怪訝なものに変わった。

 言いよどむインダに代わったのは、アリーナの中央に佇むジハード。だが、次に彼が言い放った言葉に、アリーナ中の誰もが度肝を抜かれた。


「ノゾム・バウンティス。君だ」


「えっ?」


「なっ!?」


 絶句する3学年生達。ノゾムの評判を知っているものなら、この選択はありえない。当の本人であるノゾムもまた言葉を失っていた。


「はいノゾム君。出番ですよ~~」


 だが、ノゾムのそばにいたアンリが思いっきり彼の背中を押してアリーナの中央に押しやっていく。

 

「ちょっ、アンリ先生!?」


「ノゾム君、模擬戦に参加してないから、気量は十分でしょう~~。相手がジハード先生だから、いつもと違うことできるし~~」


「それって……」


 もしかして初めから……。

 そう続けようとしたノゾムの言葉は彼の口から放たれることはなかった

 気がつけばノゾムはアリーナの中央まで押しだされていた。目の前には巨大な盾と大剣を構えるジハードの姿がある。


「がんばってね~~!」


 クスリと口元に笑みを浮かべたアンリが踵を返して元の場所に戻っていく。

 次の瞬間、ノゾムとジハードを囲むように光の壁が出現した。


「これは……」


「このアリーナに設置されている魔法障壁だ。周囲への被害や観客席にいる人間のことを考慮し、この武技園に設置されている。生半可な魔法で突破することは不可能だろう」


 普通の訓練場にも、戦いの余波が周囲に広がらないような技術は使われている

 だが、この武技園に使われている技術は、他の訓練場のものとは一線を画していた。

 フィールドを覆う魔法障壁は1層のみではなく、観客席は武技園の端に至るまで、複数の障壁を展開できるよう設計されている。

 施設を造る際にも様々な建築技術が導入され、強化を施した石材と鉄の心棒を幾重にも重ねることで施設全体の強度を増している。

 なんでも、この闘技場一つで城が建つほどの資金が導入されているらしい。

 言い返せば、それほどの強化が必要な訓練を、ここではしているという事でもある。

 最上位生たちの一部しか使えないこの武技園。まさしく今この大陸に存在する最新技術の結晶とも呼べる施設だった。


「さて、それでは始めるか」


 対峙する少年と壮年の剣士。

 まるで鷹のように鋭いジハードの眼差しは、彼が積み上げてきた年輪の様な年月と経験を物語っている。そんな瞳を向けられているノゾムは、まるで自分の心の奥まで見抜かれているような気持ちだった。

 高まる緊張感。ドクンドクンと耳に響く心音が、張り詰めていく空気と共に高鳴り始める。戦いの始まりを告げる。

 だが同時に、戦いの緊張感とは違う、妙な感覚を覚えていた。まるで今まで見つからなかった思い出の品を、偶然見つけた時の様な懐かしさ。

 だが、その既視感に答えを見いだせないまま、インダが始鐘を鳴らしてしまう。

 そして、アルカザム最強の剣士とソルミナティ学園始まって以来の落ちこぼれとの闘いの火蓋が切って落とされた。


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― 新着の感想 ―
[一言] これはワックワクだよね
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