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第6章第12節

お待たせしました。

第6章第12節です。

また、11節の修正、加筆を行っていますので、見ていない方はそちらを見てからの方がよろしいかと……。


 男子寮のとある一室。この部屋の主であるノゾムは、テキパキと登校の準備を整えていた。

外はまだ陽が昇りきっておらず、街は薄暗い闇に包まれている。

 制服に身を包み、腰に刀を差す。

 明らかに早すぎる準備であるが、ノゾムの動きに寝起き特有の緩慢さはない。どうやら彼自身、寝ぼけているわけではなさそうだ。


「よし……」


 身だしなみを確認し、なにやら気合いを入れると、ノゾムは予め用意していた朝食と学習道具を入れた鞄を手に、寮を後にする。

 男子寮を出た彼はいつもとソルミナティ学園に向かう道とは違う通りへと入っていく。

 普段は通らない道を通り、彼はある建物へと向かっていく。そこはこの2年間、無意識の内に彼が避けていた場所だった。

 



 






 ノゾムが寮を出てしばらく経ち、朝日が街を照らし始めた頃、リサはいつも通り、カミラと一緒に学園に登校しようと、女子寮を出るところだった。


「リサ、大丈夫?」


「う、うん……大丈夫」


 カミラが隣を歩くリサに声を掛ける。大丈夫だと返答してくるリサだが、その顔はどう見ても平気という様子ではなかった。

 昨日の夜は一睡も出来なかったのだろう。リサの目の下にクマはでき、顔色も悪い。

 カミラに連れられ、自分の部屋に戻ったリサはすさまじい頭痛に襲われた。

 まるで耳元で鍋を金槌で叩くような、痛みを伴う音。

 リサの脳裏に自分の手を握ってきた時のノゾムの顔が蘇る。

 ガンガンと頭に鳴り響く衝撃は容赦なくリサの精神を打ち据えていった。

 呻き声を上げながら、リサは身を縮こませた彼女の耳には“裏切っていない”というノゾムの言葉が繰り返し木霊していた。

 必死に頭に浮かぶノゾムの姿と声をかき消そうとするがまるで消える様子がない。

 助けを呼ぶように、リサは闇の奥に手を伸ばす。それはまるで明かりを求める迷い人のようだった。

 しかし、手を伸ばした先に映るのは、2年間支えてくれたケンの姿ではなく、相変わらずあの森で屍竜と向かい合うノゾムの姿だった。


「リサ、どう見ても大丈夫じゃないって。今日くらい休んだら?」


「本当に大丈夫よ。ちょっと眠れなかっただけだし、本当に具合が悪くなったら休むわ……」


 大丈夫だと言いつつ、寮の入り口へ向かおうとするリサに、カミラは辛そうに顔を歪めた。

 リサは青い顔のまま、何でもないように振る舞おうとしているが、明らかに憔悴している。

 そんなリサの姿を見て、カミラは胸の奥を掻きむしられるような、イヤな感覚に襲われた。

 昨日の夜の出来事がカミラの脳裏に蘇る。

 

“俺を恨むならいくらだって恨んでいい。どんなひどい言葉で罵ったってかまわない。だけど今リサのことを知らないと何も出来ないんだ!”


 真っ直ぐに言いはなったときのノゾムの瞳は、2年前と同じ……いや、あの時よりもずっと大人びて、力強い光を放っていた。

 さらにその後に告げられた言葉。リサ達をここまで追い込んだ元凶の話。

 今までなら馬鹿げた話として斬り捨てただろうが、今では喉に刺さった小骨のような違和感を訴え続けている。

 ノゾムの目とその話がカミラの胸の奥をさらに掻き乱す。

 当たり前だった事実、それが今では、まるで他愛もない安メッキの様に剥がれ落ちていくようだった。

 ふとカミラが隣を歩くリサに目を向けると、そこで驚いたように目を見開いている彼女の姿があった。


「リサ? どうし……え!?」


 一体どうしたのだろうかと首を傾げるカミラ。リサの視線の先を追っていくと、そこにいたのは、胸の奥のモヤモヤを生み出した張本人。ノゾム・バウンティスだった。


「おはよう。2人とも」


 片手を挙げて挨拶をしてくるノゾム。その姿に昨日の事など気にしている様子はない。


「え、ええ。おはよう……」


「…………」


 頭を金槌で殴られたような衝撃。カミラは驚愕に何とか挨拶を返すことしかできない。リサに至っては言葉すら返せず、完全に黙りこくってしまっている。

 まるで2年前に戻ったかのような感覚。カミラの視界の端に、ぎゅっと唇をかみ締めているリサの姿が映った。

 俯いている彼女の瞳が揺れている。その瞳の奥の真意は彼女にはわからなかった。

 その時、寮の門の前で立たずむノゾムの向こうから、彼女達がよく知る金髪の青年が歩いてくる。


「リサ、カミラ。おはよ……なっ!?」


「ケンか……」


 カミラに挨拶をしようとしたケンだが、ノゾムの存在に気づいて顔を歪める。目尻を吊り上げ、射殺すような視線をノゾムに叩き付けていた。


「お前が何でここに……」


 低い、重苦しい声がノゾムに向けられる。

 だがノゾムは、そんなケンの敵意を向けられても表情をまったく変えなかった。


「別に俺がどんな通学路を使おうが自由だろ。その途中でこんなこともあるさ」


 男子寮から学園に行くには女子寮による必要性はない。明らかに遠回りであり、リサに会いに来たことは明白なのだが、ノゾムはそんな台詞を飄々とのたまっている。


「ふざけるなよ。リサにふさわしくないお前が……」


「俺が相応しくないのは確かかもしれない。2年間、逃げて背を向けた事実は変わらないからな。だけど、お前はどうなんだ?」


「何……」


「リサを守ると誓った約束だ。少なくともあの時の誓いはリサをこんな顔にするものだったか?」


 俯いたリサの表情は昨日この場所で見せていたものとまったく同じ、病人のような顔だった。

 辺りを見ると、寮にいる女子生徒達が何事かとこちらを見ている。窓や玄関の中。そして通りのあちこちから向けられる視線。

 そんな無遠慮な視線を受けて、リサの顔色がさらに悪くなった。


「2人とも、こんな朝っぱらからやめなさい」


 ノゾムとケンの雰囲気は最悪だ。いつ爆発してもおかしくない剣呑な気配があたりに満ち始めている。このままでは良くないと察したカミラが2人を止めに入った。

 カミラの仲裁に、ノゾムはすぐさま引いた。彼女達に道を開け、通りの端まで下がる。


「だがな……」


「いいから、行くわよ」


 納得していない様子のケンが何かを言おうとするが、正直、こんな状態のリサの前で大声の喧嘩などもってのほかだ。

 不服そうなケンの言葉を遮り、カミラはリサを連れ立って歩き始める。

 

「ふん……。リサ、大丈夫か?」


 ノゾムを一瞥してリサの隣に並ぶケン。俯いたままのリサを心配したのか、案じるような優しい声で彼女に声をかける。

 表情の芳しくない彼女を励まそうと、ケンはリサの手に触れようとした。ノゾムに裏切られた時からいままで、彼女を励ましてきたように。


「っ!!」


「えっ?」


 だが、彼の手が彼女の指に触れそうになった瞬間、リサは怯えるように身をすくませてケンから距離をとっていた。

 ケンの顔が信じられないというような表情に変わる。


「あっ、ご、ごめんなさい」


「い、いいよ。気にしないで、驚かせちゃったね。そろそろ学園に行こう」


「え、ええ……」


 慌ててケンに謝るリサ。ケンも気にしないでというように手を振るケンだが、カミラにはその声が妙に引きつっているように聞こえた。

 そのまま並んで学園に向かうカミラ達。ノゾムは通りの反対側を、彼女たちに並ぶように歩いていた。カミラの目に、ちらりと隣に目を向けたリサの姿が映った。

 まるで、昨日よりも遠くなっているその距離を気にするように。


「…………」


 ノゾムは何も言わない。ただまっすぐと前を向いて歩いている。その足取りに迷いはなく、まるで地面に深く根を張った大木を思わせる。

 今までの下を向いていたノゾムとは違うその姿を見ていると、妙な焦燥感が湧き上がってくるのをカミラは感じていた。

 そのまま4人は学園に向かって歩き続けた。登校する生徒達の視線を釘付けにしながら。

 






「なに、どういうこと! あれ!」


「…………」


 当然というべきか、ノゾム達の様子は学園に向かおうと女子寮から出てきたシーナ達にも見えていた。

 いったい何が起こっているのかと、混乱のままうろたえている親友を横目に、シーナはじっと歩き去るノゾムの姿を見つめていた。

 浮かび上がるのは昨日、彼との魔力路を繋いだ時に見えた光景。

 昨日の夜、ノゾムとリサとの間に起こった一部始終を、彼女は見てしまっていた。

 その時から、胸の奥に締め付けるような痛みと妙なしこりを感じる。自然と彼女の手が握りしめられていた。

 それは内緒で魔力路を繋いでいたことへの後ろめたさだろうか? それとも他の理由があるのだろうか?


「ふう……」


 大きく息を吐き出し、気持ちを入れ替えるシーナ。

 彼女自身は前に進もうとするノゾムを応援することに否はない。いや、喜んで力を貸すだろう。それが彼女にとって最大の恩返しになるのだから。

 

「あれ? ノゾム君は昨日アイリスディーナさんと……え、え?」


「ミムル、行くわよ……」


 よく分からない感情は未だにシーナの胸の奥底にある。だが、契約魔法でノゾムと繋がっていた彼女には彼の気持ちも鮮明に見えていた。彼の内に巣食うティアマットが彼を乗っ取ろうとしたことも。

 今、彼はかつての自分と同じように過去の傷と向き合っている。そして、かの龍の衝動もまた激しさを増し始めていた。

 だから、ノゾムが前を向いて走っている今、シーナは一歩後ろから彼を見守り、支えようと、改めて心に誓う。


「まあ、とりあえずはこの山猫を抑えていましょうか。流石にちょっと五月蝿すぎるわ……」


 苦笑を浮かべながら、とりあえずシーナはミムルの手を掴んで、騒動の種となりそうな山猫族の少女をあらかじめ確保しておく。

 紅髪の少女と並んで歩くノゾムの姿を見ると、やっぱり胸の奥がズキンと痛む。でも、シーナの口元には自然と笑みが零れていた。

 あの時、月光虫の光に包まれながら彼と話した時に感じていたはずの高揚。それは今でも鮮明に思い出せるのだから。


「あれ? シーナ、なんでそんなに淡々として……って、ちょっとまって! 何で私を抑え、モガッ……!」


 ミムルの言葉を無視して彼女の口を封じると、シーナはミムルを引き摺るように足を進めた。その眼に彼の後姿を映したまま。







 ちょうどその頃、アルカザムの街中を、4人の少年少女が歩いていた。黒髪の少女と幼子、そして金髪の男子生徒と茶髪を肩で切りそろえた女子生徒だ。

 彼女達が向かうのはソルミナティ学園のそびえ立つ美しい白亜の正門。

 朝日の光に流れる少女の黒髪が輝き、幼子が元気いっぱいの笑みを浮かべている。

 金髪の男子生徒が何やら難しそうな顔をして茶髪の少女に何かを尋ねている。彼女は、はにかみながらもゆっくりとその問いかけに答えていた。

 アイリスディーナ、ソミア、ティマ、マルスの一行は、周囲の生徒達の視線を一身に集めながら学園へと歩いていく。

 この季節、照りつける日差しは徐々に強くなっているが、まだ早朝はかなり涼しく、すごしやすい。

 だが、黒髪の少女。アイリスディーナ・フランシルトの表情はどこか浮かないものだった。

 風になびく自分の髪を抑えながら、彼女はじっと正門前の通りを見つめている。

 今、彼女の心を占めているのは昨日の夜、ノゾムとリサ達との間に起こった一騒動だ。

 悩み、苦しみ、自分の内にいるかの龍にまで攻め立てられながらもあの紅髪の少女の為に動いたノゾム。その姿がずっと彼女の脳裏にこびり付いていた。

 そんな彼女の様子が気になったのか、ティマはソミアに声をかける。


「ねえソミアちゃん。アイ、どうかしたの?」


「ううん、分からない。姉様、何だが朝からずっとこんな感じで上の空なの」


 ソミアとティマ、マルスの3人がしきりに首を傾げているが、肝心のアイリスディーナがその事に気付く様子はない。どうやら完全にノゾムの事に気を取られているようだ。

 怪訝な顔で見つめてくる3人に気付かぬまま、アイリスディーナは何やらボソボソと独り言のように呟いている。


「もしかして、今でもそうなのか? まだ彼女の事が……。でなかったらあそこまで……。いやいや、でもまだ……」


 口元に手を当てたり、落ち着かなさそうに髪を直したりするアイリスディーナ。一見すると愛しい相手を待つ乙女のように映るかもしれない。

 だが、周囲にも聞き取れるほどの声量で独り言を呟いているせいで、ソミア達にはまるで見えない透明人間にでも語りかけているように見えた。


「どうかしたかな? アイがここまで落ち着きが無いのも珍しいけど……」


「そうですよね。朝食の時もパンにずっとジャムを塗ってるし、屋敷を出る時は靴を左右ではき違えていたし……」


「そりゃ重傷だな……」


 何事にも即決即断で、隙のない彼女。頭脳明晰、才色兼備な彼女が、このような公衆の面前では凛とした姿勢を崩したことはほとんどない。

 まあ、最近はある特定の人物に対して色々と少女らしい仕草を垣間見せるようになってはきたが。


「確かにノゾムがこの学園に来た理由は彼女だが……」


 ぼそりとアイリスディーナの口から出た彼の名前を、ソミアの耳はしっかりと聞き取っていた。やはり彼がかかわっているのかと納得する幼い少女。


「姉様が気になっているのはやっぱりノゾムさんの事みたいですけど……」


「でも、この前の事でノゾム君とのわだかまりも解消したし、最近の2人にそんな兆候はなかったけど……」


 だが、確かにティマの言うとおり、最近のノゾムとアイリスディーナの仲はなかなか良好だった。アイリスディーナも彼とパーティーを組もうとしたし、了承した時のノゾムの様子も決して悪いものではなかった。


「確かにな。何かあったとするなら、昨日の放課後だろうが……」


 う~ん、と顎に手を当てて考え込んだソミア達3人だが、事の次第を知らない彼女達に原因が分かるはずもない。

 今一度アイリスディーナに目を向けた3人。アイリスディーナは未だに奇妙な言動を繰り返しながら、所なさげに腕を組んだり、視線を宙に漂わせたりしている。


「で、でも、私だって負けていないはず……。と、とりあえず、エルドル君達とはうまくいったんだから、上手くいけば学園に蔓延した彼の噂くらいはなんとか……」


「とりあえず聞いてみましょう。姉様。大丈夫ですか?」


「え、ソ、ソミアか? 何か気になることがあるのか?」


 1人考えに耽っていたアイリスディーナが、ソミアの呼びかけで現実に戻ってくる。

 いきなり声を掛けられたことに驚いてはいるものの、その表情に今まで自分が周囲から見てどんな風に映っていたかと言う自覚はなさそうだ。

 先程の様子とのミスマッチさに、ソミアは言葉に詰まってしまう。


「まあ、気になるっていえば気になるんですけど……」


 姉様の奇妙な言動と様子が気になりますとは、真正面からはとても言えないソミア。なんとなく言葉を濁しながら姉の様子を窺う。

 

「ええっと、姉様。今朝から何やら具合が悪いみたいですけど……ってあれ? ノゾムさん?」


 まずは牽制くらいからと、今朝の姉の様子から話を切り出そうとしたソミア。だが、ソミアは姉の後ろ、自分達の歩く先に、良く知る恩人の姿を認めた。


「えっ……!?」


 バッと弾かれたように振り向くアイリスディーナ。だが次の瞬間、目に飛び込んできた光景にアイリスディーナの目が大きく見開かれた。

 一体何事かと彼女の視線を追うティマも、自分の目に映ったものを見て絶句してしまう。

 彼女達の視線の先には、先程話をしていたノゾムの姿がある。

 だが、彼女達を驚愕させたのは、彼から数歩離れてはいるものの、彼と並んで歩いているリサ、ケン、カミラの姿だった。


「ええっと……。一体どういう事なんでしょうか?」


「わ、分からないけど……」


「マジで何かあったみたいだな……」


 驚きに顔を引きつらせているソミアとティマ、そしてマルス。アイリスディーナにいたってはまるで石像のように固まってしまっている。

 辺りにいた登校している生徒達もポカ~ンと口を開けたまま目の前の出来事が信じられないような表情をしていた。

 その時、ソミアの目が登校している生徒達の中に良く知る人の姿が目に留まる。


「あ、ミムルさ~ん! シーナさ~ん!」


「おお、ソミアっち!」


 手を振り、大声を上げながら2人の元に駆け寄るソミアにミムルが答える。


「あの、これって一体どういう事なんですか?」


「私にも分からない! だけど……ああ、アイリスディーナさん。よかったら説明……」


 ソミアの後ろにいたアイリスディーナの姿を捉えたミムルは話を聞き出そうとアイリスディーナに声を掛ける。


「…………」


 だが、アイリスディーナの視線はミムルに向けられることはなく、先を歩くノゾム達に釘付けになったままだった。


「ええっと、ミムちん説明してほしいな~」


 両手を胸元で組んで覗き込むように見上げ、可愛らしく、媚びるような声を上げるミムル。ついでに尻尾もフリフリしてアイリスディーナの気を惹こうとしている。

 しかし、やはりと言うか、アイリスディーナの耳にはミムルの言葉が全く入っていない。

 数秒の沈黙。白けた空気に包まれながら、ミムルは気まずそうに姿勢を正した。


「シ、シーナ~、何か言ってよ~」


 まるで幼子のようにシーナに縋り付くミムル。

 彼女の声に反応したようで、シーナが目線をミムルに向けた。


「…………」


 ようやく顔を向けたシーナにミムルが話を聞こうと口を開くが、しかし、彼女の視線はすぐに隣にいたアイリスディーナに向けられてしまう。

 そしてシーナは、肩をすくめると、再びノゾムに目を向けていた。

 親友にすら無視されたミムル。妙にいたたまれない空気が辺りに満ちた。


「ええっと……一体どうなってんのよ~~!!」


 ミムルの叫びが朝日に照らされた街中に木霊した。

 結局、ミムル達は話を全く聞き出せないまま、悶々とした気分を抱えたまま登校することになってしまうのだった。










 案の定と言うべきか、ノゾム達の話はその日の昼頃には学園中の噂になっていた。

 もっとも、ノゾム自身の評判は他のクラスではあまり変わっていないので、その噂の内容はノゾムが再びリサ・ハウンズに言い寄っているのでは? というものだった。

 当然のことながら、ノゾムに向けられる視線がいつにも増して厳しくなる。

 中にはこれ見よがしに本人に聞こえるような声で呟く生徒もおり、その度にノゾムのクラスメート、特にマルスやジン達の額に青筋が立った。

 中でもマルスの怒気は半端なく、不用意な一言を放った生徒に対して射殺すような視線を浴びせていた。

 ところが、噂の中心人物であるノゾム本人は全く気にした様子もなく、いつも通りの日常を過ごしているので、クラスメート達は首を傾げてしまう。

 それはミムル達も同様だった。特にミムルは朝一番にとんでもない光景を目の当たりにしたが全く事態が把握できず、休み時間に10階級の教室に突撃しようとしたら親友に邪魔されて時間切れ。

 口の軽そうなフェオは「まあ、いろいろあったんよ~」とニヤニヤしながらもったいぶって話そうとしない。

 実際、フェオは事態が把握できずにやきもきしているミムルをからかっていたのだが、元々好奇心が強く、ジッとしていられない性格の彼女がこんな生殺しの状況に耐えられるはずもない。

 結果的に、ミムルは午前中の授業が終わると同時に窓から飛び出し、シーナを撒くとそのままノゾムを襲撃。

 昼休みにいつもと同じように食事を取るという名目で捕獲(誤字にあらず)されたノゾムは、仲間達一同に囲まれながら尋問を受ける羽目になった。


「で!? ノゾム君、今学園に広まっている噂は一体どういう事なの!?」


 今、ノゾムは保健室の椅子に座らされていた。

 周りの仲間達は早々に昼食を済ませていたのだが、ノゾムは弁当を食べることすらできないままミムルに詰め寄られている。

 ミムルの後ろには今朝の事態を全く知らなかったトムもいる。

 シーナが何故か頭を抱えていたが、ミムルは暴走した好奇心を物怖じしない度胸で熱く猛らせながらグイッとノゾムに詰め寄ってきた。


「おまけに朝のアレ! 一体どういうこと? 衝撃的な光景が寮から丸見えだったんですけど!?」


 周りにはソルミナティの仲間達だけでなく、エクロスにいるソミアの姿もある。どうやら今日は一緒に食事を取ることが出来たようだ。


「ええっと、ちょっと色々ありまして……」


 ノゾムは頭を掻きながら、ミムルの質問に言葉を濁している。

 

「昨日? 昨日ってアイリスディーナさんと一緒に依頼をこなしていたんでしょ? それなのに何であんな事になってんの!?」


「ミムル、声が大きいよ……」


 トムが何とかミムルをなだめようとしているが、大した効果は上げることが出来ていない。


「なあ、ワイもいたんやけど?」


「やかましい、この気まぐれ狐! アンタの言葉は9割捏造だから証拠としては不適切!」


「あれ? もしかしてワイってものすごく軽い人間に見られてる?」


 何気にパーティーから外されているフェオが抗議の声を上げるが、にべもなく一刀両断されてしまう。

 まあ、ミムルをからかったのはフェオなので、信用されないのは当たり前といえば当たり前なのだが。

 ガクッと肩を落としたフェオを放置したまま、ミムルの目線がアイリスディーナを捉えた。


「何かアイリスディーナさんの様子も変だし……」


「え? そ、そうか?」


 突然話を振られたアイリスディーナが詰まったような声を上げた。ミムルの怪訝な視線がアイリスディーナに突き刺さる。


「いや、そんな状態で何もないって言われても……」


 ミムルの目線がアイリスディーナの手元に移る。他のみんなはほとんど食事を食べ終わったにもかかわらず、彼女の手には食べかけのサンドイッチが握られたままになっていた。


「シーナも心ここに在らずだし……」


「えっ?」


 ミムルの目が今度はシーナに向けられた。


「私は食べ終わっているわよ?」


 まるで念を押すように昼食が入っていた包みを掲げるシーナ。だが、ミムルの目が怪しいとでも言うようにつり上がる。


「口元……」


「え……あっ!?」


 半眼でシーナを睨みながら、ミムルが自分の口元をつんつんと突く。

 一体どういう事かと首を傾げるシーナ。彼女がおもむろに手を当てると、頬に赤いケチャップがついていた。

 ミムルは気付いていた。食事の最中、シーナがチラチラとノゾムに視線を送っていたことに。

 シーナが慌ててハンカチで頬に付いたケチャップをぬぐう姿を眺めながら、ソミアが不思議そうな顔で姉に尋ねてくる。


「姉様。皆さん気になっているようですけど、やっぱり昨日何かあったんですか?」


「え、ええっと……。そうだな。どう話したらいいだろうか……」


 迷うように口元に手を当て、視線を漂わせているアイリスディーナ。

 宙をさまよっていた彼女の視線が、最後はノゾムを捉える。


「……ええっと……」


 アイリスディーナに見つめられ、ノゾムはどうしたらいいかと頭を掻く。気がつけばシーナも真っ直ぐにノゾムを見つめている。

 何かを訴えかけるような視線に、ノゾムは喉の奥が詰まるような錯覚を覚えた。

 その様子を見ていたミムルは、やはりノゾムに聞くのが手っ取り早いかと踏んで、再び彼に詰め寄ってくる。


「さあノゾム君、キリキリ白状しなさい!」


 ミムルの荒い鼻息がノゾムの顔に吹きかかる。

 気がつくと彼女の毛も逆立ち、尻尾がピンと立っていた。風もないのにザワザワと髪が揺れているところをみると興奮しすぎて体から気が漏れているようだ。

 このまま放っておいたら獣化しそうだな、なんて失礼な考えがノゾムの頭によぎる。

 ノゾムが周りの仲間たちを見渡すと、皆一様に“気になります”という無言の視線を彼に向けていた。


「いやまあ、良いよ。別に隠しておく必要ないし……」


 確かに色々あったが、ノゾム自身は彼女たちに隠す気などなかった。彼は大きく息を吐くと、ゆっくりと昨日の出来事をミムル達に語っていく。

 依頼後にリサ達と遭遇したこと、話をしようと詰め寄ったら拒絶されて逃げられたこと、取り残されたカミラと一緒にリサを追い掛け、追いついた彼女に2年前の真実を少しだが話したこと。

 だが、その話を聞いたミムルは腕を組みながら、首を傾げていた。


「ふ~ん。でも、ノゾム君はカミラには全部言っちゃったんでしょ? 何でリサさんには全部言っちゃわなかったの?」


「俺もそう思う。なあノゾム、少なくとも俺達の時のように全部言っちまった方がよかったんじゃないか?」


 ノゾムは自分を陥れた人間がいて、それがケンだとは言わなかった。その事がマルスやミムル達の頭に引っ掛かっていた。

 いっそ、その場で全部話せば良かったのではと苦言をしてくるマルス達。


「まあ、考えなかったわけじゃないよ。実際、昨日リサを追いかけた時は全部言うつもりだったんだ」


 ノゾムはがりがりと頭をかきながら、昨日の出来事を思い出していた。

 確かに逃げ出したリサを追いかけていた時、カミラにあの時起こった事すべてを告白している。


「でも、俺はあの時、無理にリサに詰め寄っても解決できなかったと思ったんだ。マルスやアイリスの時と昨日のリサとの時じゃ状況が違うと思うし」


「どういう事だ?」


 首を傾げるマルス。彼はぶつかることで分かりあえた自分達のように、リサとノゾムもまた本音を全てぶつけると思ったからだ。

 ノゾムは真っ直ぐに自分を見つめてくるマルスを眺めながら、ゆっくりと口を開く。


「確かに俺はあの時、後悔からきちんと俺自身のことを全て話さないといけないと思った。お前もそうなんだろ?」


「ああ」


「それは多分、分かり合いたいって意志があって初めて成り立つんだと思う」


 ノゾムの問いかけに頷いたマルス。

 ノゾムとマルスが分かり合えたのは、2人がもう一度向き合いたいと思い、行動に移したからに他ならない。その思いがあったからこそ、本音をぶちまけ、理解し合うことが出来た。


「今のリサ達は違う。目を背けて聞くことをしない。昨日分かったけど、ぶつかろうにも向こうが逃げてしまうんだ」


 大切なのは相手に対する想いであり、分かり合いたいという意思の元に行動すること。

 だが、今のリサはその相手を知りたいという想いから完全に目を背けてしまっている。これではいくらノゾムが力押しで迫っても、逆に相手を萎縮させ、頑なにさせるだけだ。

 だが、それだけならまだいい。昨日のリサの怯え様。そしていきなり今までにないほどの圧力をかけてきたティアマット。

 ノゾムの胸の奥には、下手をするともっと酷い事になるのではないかという懸念が湧き起っていた。


「じゃあ、どうするんだ?」


「一歩ずつ、ちょっとずつ近づいて、今の俺を知って貰うよ。誤解は少しずつ解きほぐしていく。そうすればリサも少しずつ俺の話も聞いてくれるようになるかもしれないし」


 だから、ノゾムは少しずつリサに近づくことに決めた。この2年間で開いた2人の距離は遠い。

 ノゾムがリサの現状を全く知らなかったように、リサもまたケンに見せられた偽りのノゾムしか分からなくなっているのだ。

 それも無理はない。幼い頃のノゾムの姿を、すべて塗りつぶされてしまっているのだから。


「それで今日の朝、あんな事をしたのか……」


 マルスの言葉にノゾムは小さく頷いた。


「まずは少しでも話を聞いてくれるようにならないと……。昨日の感触だと、多分カミラは話を聞いてくれると思う。今日寮に行ったときも、俺のことを拒否しなかったし……。後は広まった噂の対処とか?」


 学園内に広待ってしまった噂を払拭できれば、周囲を味方につけることが出来るかもしれない。

 それでリサに声が届くという保証はないが、何もしないよりはマシだろうとノゾムは考えていた。


「……具体的には?」


「ええっと……」


 マルスの質問にノゾムは詰まったように明後日の方に視線を向ける。


「まだ思いついていない訳か」


「正直……」


 どうやらノゾムは目標を決めていても具体的な手段は考えついていないようだ。

 マルスがハア……。とため息をつきながら大きく肩を落とす。

 確かにノゾムの噂が定着してからかなりの時間が経過しており、ノゾムには当日のアリバイもない。

明確な証拠を見つけることは極めて困難であり、この噂を覆すことは簡単ではないのだが……。


「なあマルス、何か良い手はないかな?」


「えっ、お、俺!? ええっと……」


 いきなり話を振られて、マルスは困惑してしまう。

 何か手はないかと頭をひねるが、問題解決の道筋は全く見えてこない。まさしく五里霧中。

 ノゾムもう~ん、と考えに耽るが、彼もまたいい手は思い付きそうにない

 元々周囲の目線など気にせず暴れまわっていたガキ大将と、周囲から目を背けていた自閉気味だった少年。

 方向性は真逆とはいえ、周囲から距離を置いていた2人がいきなり自分の周りに目を向けたとしても、いい考えが簡単に思いつくはずもない。まさしく、下手な考え休むに似たり。


「ノ、ノゾム、ちょっといいか?」


「ん? 何、アイリス」


 ウンウン悩み続ける2人を見かねたのか、今まで黙っていたアイリスディーナが口を開いた。


「噂の払拭に関してだが、私に提案がある。昨日みたいに私と組んで、しばらくギルドの依頼を一緒に受けないか?」


「依頼を受けるのは別にいいけど……。ええっと……どういうこと?」


「つ、つまり……」


 彼女と一緒に依頼を受けることに否はないノゾムだが、正直それが噂の払拭にどう効果が分からないノゾム。

 とりあえず彼女がそう考えている理由を聞いてみようとした瞬間、保健室に一人の女性が飛び込んできた。


「見つけた~。ノゾム君、マルス君、ちょっといいかな~?」


「アンリ先生? 何か用ですか?」


「はい~。とってもいいお知らせですよ~!」


 保健室に飛び込んできたのはノゾムの担任であるアンリ先生だった。

 いつもニコニコと笑みを絶やさない彼女ではあるが、ノゾムには今日のアンリ先生がいつもよりも嬉しそうに見えた。


「マルス君、ノゾム君。それから、特総演習でノゾム君達と組んだ人達は、午後は訓練場に集合で~す」


「先生、どうして訓練場なんですか? 俺達、今日は座学で終わりのはずじゃ……」


 ノゾムの言うとおり、10階級の今日の授業は座学のみだった。実技訓練か、魔法の実験でもない限り、訓練場のような広いスペースを使う授業はないのだ。

 なぜ訓練場なのだろうか? しかも10階級の全員ではなく、特定の個人を指名している点が腑に落ちない。

 しきりに首をかしげるノゾム達。だが次にアンリが口にした言葉が耳を貫いた瞬間、ノゾム達は驚愕の渦に叩き込まれた。


「午後の授業にノゾム君達は、1階級と2階級の合同授業に参加して貰いま~す。あ、それから、他学年の子達も来るので、気合いを入れておくよ~に!」


「は、はあ!?」

 



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