過去編4
これで過去編は終わりです。
一度に投稿しようかと思ったのですが、場面変更が多いので2話に分けました。
本編の方はすぐに投稿します。
その日、教室に入ってきたノゾムやリサ達4人が登校した時、1学年の教室は朝から妙に浮き足立っていた。朝礼が終わっても浮ついた雰囲気は消えない。その変な雰囲気に当てられて首を傾げるリサ達。
ノゾムと別れ、入った自分達の教室でもその雰囲気は満ちていた。
リサが手近にいるクラスメートに声を掛けた。
「ねえ、何かあったの? なんだかみんな様子がおかしいけど……」
「あ、リサさん。その、実は……」
動揺を隠せないクラスメートにリサがゆっくりでいいからと落ち着かせると、彼女は深呼吸してから、おもむろに口を開いた。
「実は……ナズウェル君達が森での依頼途中に死んだって……」
「えっ!?」
ケンとリサの顔が驚愕に染まる。
ナズウェルはこの1学年でも有数の実力者だ。このクラスの生徒ではないが、前日まで元気な姿をノゾム達に見せている。
そんな彼が死んだという話を、ケン達は本当だとは思えなかった。
「ほ、本当……なの?」
「う、うん。ナズウェル君と同じパーティーの人が帰ってこれたから。その人がギルドに助けを求めて駆け込んできたみたい。でも他の人達は……」
彼女の話を聞いたケン達は絶句してしまう。彼女の雰囲気から、彼女が嘘を言っているとは思えない。その理由もない。だから、この話は真実なのだ。
「く、詳しい話を聞かせて……」
詳しい話を聞こうとリサが身を乗り出した時、午前の授業を担当している教師が教室に入ってきた。
「はい、みなさん席についてください。授業を始めます」
慌てて席に着くリサ達。教卓の前に立った教師が授業を始めようと口を開いた時、先程話をしていた女子生徒が立ち上がった。
「あ、あの先生! ナズウェル君達が……」
「ああ、その話は皆さん知っているのですか……。確かに昨日、森で依頼を遂行していた1学年のパーティーが魔獣の襲撃に会い、1人を残して全員が亡くなりました」
噂を肯定する教師の話に、教室にいた全員が言葉を無くした。
「彼らが遭遇した魔獣はCランク。この学園では無理な森の探索や上位の魔獣との戦闘は避けるように教えていますが、どうやら彼らは相手が一体だけだったことで自分達なら勝てると思い戦闘に入ったようです。」
静まり返った教室の中に、教師の淡々とした声だけが響き渡る。
「亡くなった生徒達の事は残念ですが、街の外では常に死の危険があることは十分に理解すること。でなければ彼らのように命を落としてしまうことになるでしょう。それでは授業に入ります。教科書の40ページを開いてください……」
亡くなった級友達がいるにも拘らず、アルカザムの日常はいつもと変わらずに続いていく。
その日、教室はずっと暗い空気に包まれたままだった。
夜の闇が支配する男子寮。
その一室で、1人の少年が毛布を頭にかぶり、ひざを抱えていた。
まるで怯える幼子のようなその姿。事実、彼の体は寒さに震える老人のようにガクガクと振るえ、荒い息を吐いていた。
窓からさす月の光が彼の金髪、そして毛布の影から覗く横顔を照らし出す。
「死んだ、あのナズウェルが……」
まだ日はもうすでに沈んでしまっているが、そこまで気温が低いわけではない。しかし、ケンはまるで自分の血が全て凍り付きそうなほどの寒気を感じていた。
凍え尽きそうな自分の体を暖めようと必死に身を縮め、必死に抱えた腕を擦るが、級友の死と、そこから浮かぶ最悪の未来が瞬く間にその熱を奪い去っていく。
「彼の実力は僕やリサと同じくらい……。もし昨日森に入っていたのが僕たちだったら」
脳裏に浮かぶのは血に塗れて倒れ付す彼女の姿。
ケンの目には幼い頃から彼の心に影を落としていた光景が今までに無いほどハッキリと映っていた。
「駄目だ、それだけは駄目だ! でもこのままじゃ……」
自分と同じくらいの実力を持つナズウェル、そして同じ学年でも上位の生徒達のパーティーがほぼ全滅。その事実が焦りを助長し、彼の心をどうしようもないほどまでに追い詰めてしまっていた。
どうにかしないとリサが危険だ。
彼はその焦りに突き動かされるまま、必死に彼女を守るための方法を模索する。
「もしノゾムがリサの側に居続けたら……」
そして、ケンは今彼女の足を一番引っ張ってしまっているノゾムに目をつけてしまう。
能力抑圧が発現してしまっているノゾムはこれ以上強くなることはできない。それはこれから先、アルカザムの森以上に危険場場所にいくかもしれない彼女にとって、足枷にしかならないだろう。
「でもリサが選んだのはノゾム。でもノゾムがいたらリサが……」
彼女の側にノゾムを居続けるわけにはいかない。でも、今一番彼女の心の支えになっているのもノゾム。
そのことを考えるとき、ケンはどうしようもなく胸の奥をかきむしるような衝動に駆られる。
「っ! 何で、何でノゾムがリサの隣に……!」
リサを失うかもしれないという恐怖で凍えていた体が、まるで灼熱のマグマを浴びたように一気に熱を帯びる。
どうして自分ではないのだろうか。自分ならこれから先も、もっと強くなっていける。
どんどん才能を開花させていくリサの足を引っ張ったりなんて絶対にしない。あのナズウェルだって同じ事を言ってくれていたんだから。
それは今までケンが抑えていた嫉妬心の爆発。
自分よりも強くなれないノゾムが、自分が一番求めている女性を射止めている。幼い頃から彼の胸に巣食り、徐々に蓄積されていった暗い想いがあふれた瞬間だった。
一度爆発した負の衝動はノゾムとの友情と想いを容易く押し流していく。
「そうさ、ノゾムがいたらリサが危ない、何とかしてリサをノゾムから離さないと……」
まるで夢遊病者のようにぶつぶつとつぶやくケン。その目には以前の彼が抱いていた穏やかな光は無く、まるで汚水のように黒く濁っていた。
ケンがその計画を実行したのは、ノゾムがもう一度リサに内緒で鍛練に行こうとした日だった。
日々の無茶な鍛練を心配したリサがやはりノゾムに休むよう告げたが、ノゾムはどうしても鍛練をしなければならないと考えを改められていなかった。
能力抑圧が発現した自分が、リサ達の足を引っ張っている。その事実が突き付けられ続けていたのだから。
ケンは自分の内から湧き上がる黒い衝動に促されるままこの日までずっと、どうやったらノゾムをリサから引き離せるかを考え続けていた。
でも、あの2人が今まで一緒に過ごした時間は長い。それこそ幼子の時から付き合いがあるのだ。ノゾムはずっとリサ一筋だし、彼女もまたノゾムを一番の心の拠り所にしている。それを崩すことは簡単ではない。
必死に頭を巡らせるケン。その時、彼の頭に悪魔が囁いた。
「そうだ、リサがノゾムを恨むほどの出来事があれば……」
あの2人を引き離すのに十分なインパクト。それこそ相手に対する感情が逆転するほどの亀裂。それは、リサ自身がノゾムを恨むように仕向ければいいのではないか、と言うものだった。
その方法ならきっと、リサのノゾムに対する思いが強ければ強いほど、その反動でノゾムに対する憎しみも増すはずだ。
「そう、ノゾムが時々いなくなっている事はリサも気付いている。ならそれを上手く活かせば……」
ノゾムがリサに内緒で鍛練している事は彼女自身気付いていた。
だが、彼女はノゾムが何処で鍛練しているかまでは分からない。学園で鍛練している時もあれば、外縁部や寮の庭で剣を振っている時もある。
ケンはノゾムの鍛練に付き合っていたからある程度は把握しているが、リサはまだそこまで知らないのだ。
彼女は口では無茶な鍛練をしているノゾムに、よく休めと言っている。
確かに能力抑圧が発現してからのノゾムは過剰な訓練をする傾向にあり、それを彼女は心配していた。
だが、内心自分の為に頑張ってくるノゾムの想いを嬉しくも感じていたのだ。
ケンはそれを逆手に取ることを考えた。この学園に来てからほとんどの時間をノゾムと一緒に過ごしてきたケンは、彼の行動パターンは十分把握している。
後は仕込みをするだけだった。
ある休日、ノゾムが鍛練に向かう事を見送った後、彼を尋ねてリサがやって来た。
「ねえケン。ノゾムは?」
「ああ、ノゾムなら街に行ったよ。多分いつも通りじゃないかな?」
「そっか……」
自分の注意を蔑ろにされた怒りが半分。そして、4割の嬉しさと1割の寂しさを胸に抱きながら、ちょっと不機嫌そうに頬を膨らませているリサ。
その顔に見惚れながらも、ケンは湧き上がる嫉妬心を押し殺してどこか神妙な顔つきをする。
眉間にしわ寄せたその表情に、リサが首をかしげる。
「どうしたの?」
「そういえば、最近、ノゾムと知らない女の子が一緒に歩いている姿を見かけたって話を聞いたような……」
「……え?」
リサが呆けたような表情を浮かべる。まるで異国の言葉を聞いたような顔をして、呆然とするリサだが、すぐに首を振って否定した。
「何言ってるのよ。そんなことある訳がないじゃない。もしかしてケン、あの噂を真に受けているの!?」
噂とはノゾムが街で恋人であるリサ以外の女性と逢引きをしているという噂だ。
この噂を流したのはケン。ノゾムをリサから引き離すための下準備として流したものだ。
「そんな訳ないよ。ノゾムが先週、商業区で女の子と一緒に歩いているって話を聞いたけど、僕だって、ノゾムがそんな事しないって知ってる」
ノゾムを信じているというケンだが、あえて噂の内容をほのめかし、リサの不安をあおる。
今ノゾムは外縁部に行って鍛錬している。あそこなら人目は付かないし、ノゾムを嵌めた後に彼の潔白を証明する人間はいないだろう。
「……分かっているならいいわよ。じゃあ今日はもう帰るから、ノゾムにいい加減休むようきつ~く言っておいて」
「分かった。それじゃあね」
踵を返して走り去っていくリサ。一見何でも無い様に振舞っていたが、ケンは話をしている時、リサの瞳が揺れたことに気づいていた。
これなら絶対に、事の真相を確かめてようとするだろう。
彼女の姿が喧騒に消えていくのを見送ったのち、彼はすぐさま行動を起こした。
これが彼女の為だと、自分自身に言い聞かせるように心の奥で言い訳を繰り返しながら。
ケンが向かった先は商業区のある一角にある露店。
元々旅の行商人達が天幕を広げ、そこで一時的な店を構えている場所だ。
“水鏡の心仮面”で自分の顔にノゾムの顔を張り付けたケンは、数十の天幕の中の1つに向かって足を進める。彼が足を向けた天幕では、1人の少女が忙しそうに動き回っていた。
南方の出身なのだろうか、小麦色に焼けた肌を麻の服に包んだ10歳半ばくらいの少女だった。
近づいたケンに気付いた少女が驚きの声を上げる。
「あれ、どうしたの? 今日来るなんて聞いていなかったけど……」
「時間が出来たからね。邪魔……だったかな?」
「う、ううん! そんなことないよ!」
ノゾムの顔のまま、困ったような表情でケンは少女に語りかける。少女の方もいきなり尋ねてきたことにはまんざらではない様子だ。
彼女は元々、街から街へと旅をしながら商いをしている商人の下働きだった。アルカザムに来てからしばらく経ち、この街にも慣れ始めてきた時にケンと出会った。
その時ケンはノゾムに変装しながら街を歩いて、自分の計画の要になりそうな女性を捜していた。その時に出会ったのが彼女である。
元々アルカザムに長居せず、自分と歳の近い少女。ケンが探していた人材にピタリと一致する相手だった。
声を掛けてきたケンに少女は、初めは彼にあまり気を許していなかった。しかし、丁寧な物腰で話しかけてくる彼に徐々に心の壁を解いていく。
元々一つの街に長居することも稀であり、同じ顔ぶれと四六時中旅をしている少女。久しぶりに大きな街に来て、内心色々な出来事を期待していただけに、初めはともかく一度良い雰囲気になればその後の進展にさほど困難はなかった。
「ちょっと時間ある? 実はこの前食器とかを割っちゃって……。代わりの候補はいくつか見つけたんだけど、もし良かったら選ぶのを手伝ってくれないかな?」
あからさまなデートの誘い。やや恥ずかしそうに頬を掻いているケンを見た少女は期待を胸に彼の買い物に付き合うことを決める。
親方に一言入れ、一緒に歩き出す両者。ケンはこの関係を長く続けていく気はないし、少女もこの関係が長続きしないことは理解している。
それでも彼らは一時の逢瀬に浸る。
少女は日常の退屈を紛らわせるため、少年はある願いをかなえるために偽りの仮面をかぶる。
デートの途中、チラリと後ろを覗いたケンの目に紅髪の少女の姿が映る。その時、ケンは喉の奥に言いようの無い苦みを感じた。
キシリと僅かに軋むような感覚。それは彼女に対する罪悪感か、これから自分が行う事に対する躊躇か。
この日、最後のキスを交わし、2人は別れた。少女はまるで惜しむようにケンの側に寄り添っていたが、別れる最後の瞬間はまるでスッと自然に笑顔を浮かべていた。
その心の内は、ケンには全く分からなかった。それも当然だろう。元々2人の心は全く交わっていないのだから。
だが少女の最後の笑顔を見た瞬間、ケンは再び自分の心が僅かに軋むような感覚を覚えた。
だがその痛みはすぐさま黒い充足感に塗りつぶされる。
このデートの間中、こちらを凝視し続けていたリサ。そして最後のキスの瞬間、その光景を見て絶句していた幼馴染みの姿がケンの目にはハッキリと見えていたから。
そして彼はいつの間にか自然とこう考えていた。これでリサとノゾムを引き離せると……。
心の満ちてくる濁った満足感に酔いしれるケン。それは今までにないほど心満たされた瞬間だった。
だがまだ足りない。まだ最後の仕上げが残っているのだから。
「ねえリサ! どうしたの! 返事してよ!」
女子寮にあるリサの部屋の前で、カミラは声を荒げてドアと叩いている。ドンドンという音と彼女の大声が廊下に響いているが、辺りに人が集まる気配はない。
それも当然だ。今は授業中であり、昼休みの真っ最中。生徒達は学園におり、この寮には人がほとんどいない。
リサが自分の部屋に閉じこもってから3日が経過していた。初日、具合が悪いからと学園を休んでから、誰も彼女の顔を見ていない。
カミラが初日に訪れた時、リサは詰まりながらも返事を返してきていたが、2日目からはほとんど返事が返ってこなくなっていた。
ただ事ではないと感じた彼女はこうして彼女の部屋の前で声を荒げてリサの名前を呼ぶが、全く答えが返ってくる様子がない。
その時、突然ケンの声がカミラの耳に響いた。
「カミラ! どうかしたの!?」
「ケ、ケン? ここ女子寮だよ!?」
「いいから! 急ぐんだ!!」
カミラが女子寮に突然現れたケンに驚きの声を上げるが、ケンはカミラの言葉を聞き流し、そのままドアを蹴破る。
「ちょ! いきなり無茶苦茶……え?」
ケンの突然の行動に狼狽したカミラだが、次の瞬間目に飛び込んできた光景に言葉を失った。
カーテンが閉め切られ、昼間にも拘らず薄暗い部屋の中で、リサはベッドの上に腰かけていた。その瞳でただじっと床を見つめたまま、彼女は微動だにしない。
「リ、リサ? ど、どうしたの!?」
只事ではないリサの様子に慌ててカミラが駆け寄り、彼女の肩を揺らす。だが、リサの瞳は色を無くしたまま、カミラの声も届いていないようだった。
ケンは後ろ手で扉を閉めると、ゆっくりと彼女達に近づいていく。
カーテンから僅かに差し込んだ陽の光。それが僅かに歪んだ彼の口元を映していた。
リサとカミラ。2人の傍にしゃがみ込み、10年近く顔に張り付けてきた笑みを浮かべる。これが最後の仕上げだ。
「リサ、大丈夫?」
溺れている人に手を差し伸べるように、ケンは優しくリサに語りかけ始める。暗い衝動に突き動かされるまま。