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第6章第8節

お待たせしました。

第6章第8、更新しました。

いや、時間かかりました。

 怪我をした女子生徒の手当を一通り終えたアイリスディーナ達は、警戒線を張りに行ったノゾム達を待ちながら一時の休息を取っていた。

 折れた肋骨の治療も終わり、彼女も今はどうにか身を起こすことも出来ている。


「怪我は大丈夫かの? こんな愛らしいお嬢さん方に傷が残っては大変じゃ。もしまだ傷が痛むようならワシが……」


 相変わらず女性に目がないゾンネが1学年の女子生徒に声をかけている。

 片手を自分の胸に添え、深々と腰を折って紳士的にふるまっているが、その目尻は垂れ下がり、鼻の下が伸びていた。はっきり言っていつものエロ爺の顔である。


「え、えっと……その」


「こ、この人、誰なんですか?」


 声を掛けられた女子生徒もゾンネの妙な雰囲気に当てられ、すっかり怯えてしまっている。彼女達はゾンネから離れるように、傍にいたアイリスディーナの腕に縋りついた。


「ご老体、傷は塞がったとはいえ彼女達は怪我人です。オイタも程々にしておかないといつか罰があたりますよ」 


「大丈夫じゃ! 体に悪い事などせんよ。むしろ気持ち良くて癖になりそうな……」


 フンフン! と鼻息を荒くしていた老人が両手で何かを揉むようなそぶりをしている。おまけに視線を宙に漂わせながら顔を紅くしてニヤついているものだから堪らない。

 背筋に走る悪寒を感じて、女子生徒がヒッ! という悲鳴を上げている。


「ご老人、いい加減にしないと……」


 アイリスディーナが後輩達を安心させるように背中をさすりながら、目の前の老人に微笑みかける。ただし、背筋が凍る程の威圧感をゾンネに叩きつけていたが。


「あ、ハイ、大人しくします……」


 アイリスディーナの剣呑な視線に当てられたゾンネは、意気消沈してすごすごと引き下がる。

 そんな茶番を傍から見ていたエルドルが、戸惑いながらアイリスディーナに声をかけてきた。


「あ、あの、アイリスディーナ先輩。この人は?」


「ああ、商業区で占いをしているご老人なんだけど。探し物があるらしくて、この森に入ったらしい。一応知り合い……なのかな?」


 よくよく考えてみると、アイリスディーナもこの老人とはそれほど顔を合わせてきたわけではなかった。

 ノゾムとの初デートの時にセクハラされ、道端であったらナンパされ、大事な妹の手を無許可で握り……。


「むう……」


 アイリスディーナが珍しくしかめっ面を浮かべる。

 今までの出来事を振り返ると、本当に碌な事がない。正直憲兵に突き出した方がいいような内容が大半だ。

 とはいっても貴族の社交界等ではもっとドロドロとした悪意や劣情を浴びてきたアイリスディーナ。

 彼女は、自分の持つ地位や美貌に対する嫉妬や獣欲を偽りの笑顔や見栄えのいい言葉で塗り固めて近づいてくる人間達を目の当たりにしている。

 あの場所にいた人を人とも思わないような人間達に比べれば、この老人はまだマシに見えた。

 それは自分の本音を偽ったりしていないせいだろう。この老人の自分に対して正直な面は、人によっては好感を覚えるかもしれない。

 アイリスディーナとしてはノゾムがゾンネの様になるのは絶対に嫌だが、少なくとも悪い人間ではないと感じていた。しかし……。

 

「ふふん、何を隠そうワシはこのお嬢さんの将来の伴侶……」


「すまない、勘違いだ。こんな失礼な人の事など全く知らない」


 アイリスディーナは、ゾンネの“悪い人物ではないだろう”という自分の評価をすぐさま撤回し、ゾンネの失礼極まりない発言を一刀両断した。

 ついでに人の忠告を全く聞く様子の無い老人を睨みつけるアイリスディーナ。“凍り付く”を通り越した絶対零度の視線がゾンネを貫く

 

「占い屋をしているしがない爺でございます。このお嬢様には森で迷っていたところを助けて頂き、誠に感謝しております」


 鼻を鳴らして胸を張っていたゾンネはアイリスディーナの威圧を受けてすぐさま地面に額を擦り付けて許しを乞い始めた。情けないことこの上ない風体である。


「は、はあ……。随分変わったご老人ですね……」


 こんな命の危険を伴う森の中で繰り広げられたそんな漫才のような光景を、エルドル達は茫然と眺めていた。

 死の危険を間近で感じたせいで未だ表情が芳しくなかったエルドル達だが、ゾンネとアイリスディーナのやり取りを見ている内に、その口元には笑みが戻ってきている。


「あ、あの……。ありがとうございました。アイリスディーナ先輩」


「おかげで助かりました」


 改めて後輩達がアイリスディーナに頭を下げてくる。彼女は気にするなと言うように首を振って答えた。


「私に礼はいい。それよりノゾム達が帰ってきたら礼を言ってあげて欲しい。彼が一番に異変に気付いて駆け出したから、助けが間に合ったんだ」


「は、はい……」


 ノゾムの名前を聞いた途端、恐縮したような表情を見せる彼らに、アイリスディーナは苦笑を漏らす。

 だがそんな時、アイリスディーナの前に座っていたエルドルが、彼女の顔を窺うように声を掛けてきた。


「あ、あの……アイリスディーナ先輩」


「ん? なんだ?」


「ノゾム先輩達は……?」


「ああ、2人は周囲を警戒しているよ。フェオ君はたぶん結界を張っているだろうし、ノゾムは魔法以外の警戒線を作ったり、他の魔獣が近くにいないか確認していると思うよ。彼の気配察知能力は獣人並みに鋭いから」


「そ、そうですか……」


 獣人並みの気配察知能力と聞いて、エルドルの額に一筋の汗が流れた。彼の口から漏れる声も何やら呆けたようなものになっている。

 立て続けに学園で聞いていたノゾム・バウンティス像を破壊されたせいで、まだ戸惑っているのかもしれない。


「あの……。ノゾム先輩って、いったい何者なんですか? 噂とは全然違ったんですけど……」


 エルドルの隣にいた男子生徒が、ノゾムについてアイリスディーナに問いかけてきた。

 確かに、実際に彼と触れ合ってアイリスディーナが感じた彼自身の姿は、学園で広まっている噂の中でのノゾムの姿とはまるで違う。


「何者である……か」


 ソミアの恩人であり、どんな事をしても返せないほどの恩がある人?

 初めてデートした男の子?


「ええっと、そうだな……」


 改めて彼自身がどんな人間であるかと言われ、アイリスディーナは一瞬返答に詰まってしまった。なんと答えればいいのだろう。彼については簡単に口に出せない事も多いのだ。

 だが、彼女が返答するより先に噂の内容を知らないゾンネが首を傾げて尋ねてきた。


「噂? 噂とは何じゃ?」


「ええっと……何か剣も魔法も全然駄目で、応援してくれた幼馴染を浮気して裏切った最低な男って……」


「…………」


 ゾンネの問い掛けに後輩がついつい噂の内容を口にしてしまうが、その話を聞いていたアイリスディーナの目尻が自然と吊り上がった。


「す、すみません」


「……いや、すまない、今の君達に怒っても仕方ない話だった」


 申し訳なさそうに肩を落とした後輩にアイリスディーナも大人げなかったと反省し、自分の非礼を詫びた。


「ただ、その話は全部嘘っぱちだ。それは先程君達を助けた彼の姿を見れば分かったと思う」


 アイリスディーナの言葉に、エルドル達はゆっくりと頷いた。

 もし噂のように自分を支えてくれていた恋人を裏切るような人間なら、先程のような場面で彼は後輩達を助けようなどしないだろう。


「ふ~ん。確かにあの坊主はヘタレで、礼儀知らずのバカたれじゃが、確かにそんな事をする人間には見えんかったのう……」


 アイリスディーナの言葉を聞いていたゾンネが、考え込むように自分の白い顎鬚を撫でる。声色はいつもと変わらないが、僅かに寄った眉間が、普段の自由気ままかつ本能最優先な老人とは違った雰囲気を醸し出していた。


「ご老人?」


 アイリスディーナが様子の変わったゾンネに怪訝な顔を向けていると、彼女の視界に戸惑いの表情を浮かべたエルドルの姿が映った。彼はまだ何か聞きたそうに、チラチラとアイリスディーナに視線を向けている。


「彼について、聞きたいことがあるのかい?」


 アイリスディーナの問い掛けに大きく目を見開いたエルドル。

 一度やや逡巡したように視線を宙に漂わせた彼だが、すぐに意を決したようにアイリスディーナに向き合って口を開いた。


「え、えっと、その……。ノゾム先輩はなんで助けてくれたのかなって。俺、散々ひどいこと言ったのに……」


 自分がノゾムに対して取った態度に後ろめたさを感じているのだろう。

 エルドルは目線を落として小さな声で呟く様に尋ねてきた。


「確かにあの時の君の態度は褒められたものじゃない。私自身不快に思ったし、表情に出さないかもしれないが、彼も君に良い感情は抱かないだろう」


「そう、ですよね……」


 アイリスディーナの厳しい指摘にエルドルは暗い表情を浮かべて俯いてしまった。彼の脳裏に街での自分の行いが過る。

 会った事もない人間の噂だけで本人に対して失礼極まりない態度を取った。

 あの時、エルドルがノゾムを判断する材料はあの噂だけだった。

 確かに人間は自分が持っているだけの情報だけで他人を理解したような気になることもあるが、それだけで他人を理解できるはずもない。

 その事に気付いたエルドルは、街での自分の行いを思い出しながら、悔いるように唇を噛みしめていた。


「でもまあ、ノゾム自身、言われた事はさほど気にしていない様だ。私も後輩達のあんな状況を見過ごすことは出来ないし、彼が君達を助けたのも深い理由なんて無かったのだと思う。後の事は君次第じゃないのかな?」


「俺自身、ですか?」


「ノゾムの姿を見て、君はどう思った?」


「……正直、言葉が見つかりませんでした。能力抑圧なんてハンデがあるのに、どうしてあんな動きが出来るんだろうって。それに……」


 エルドルは先程まで行われていたノゾムとオーク達との戦いを思い出す。

 自分達を助けようとあえてオーク達の群れの中に突っ込んでいったノゾム。

 動き自体は決して速くはないが、その手に持った刀が閃けば、気がつけばオーク達が切り倒されている。

 そのあまりに流麗な太刀筋は、瞼を閉じればその細部に至るまではっきりと思い浮かべる事が出来る。

 エルドルの脳裏に鮮烈に刻み込まれたノゾムの姿。何よりノゾムの言葉がエルドルの耳にこびりついていた。


“アイリスディーナ達の方もすぐに終わる。それまで頑張れ。いいな”


 散々酷い事を言った自分を、彼は気遣ってくれていた。そんな彼に自分はなんて言葉を言い放ってしまっていたのだろう。

 罪悪感がエルドルの中でさらに湧き上がってくる。

 そんな彼の姿を前に、アイリスディーナはしょうがないとでも言うように口元に笑みを浮かべていた。


「こう言っては何だが、少なくとも君は今自分の行いを後悔しているのだろう? 後はその気持ちに対して自分がどう向き合うかを決められるのは君だけだ」


 アイリスディーナの言うとおり、大切なのはこれからだろう。

 過去を変えられない。エルドルがノゾムに対いて言い放ってしまった事をどうにかしたいなら、大切なことはこれからだ。

 

「でも、どうしたら……」


 だが、今更ながら心の奥から不安が湧き上がってくる。

 彼が悩むのも無理はない。認めるしかない自分の間違いに気付いた時、人は罪悪感や支離滅裂な怒り等、どうしようもない負の感情に晒されてしまう。

 そして、それを他人にぶつけるという形を取れない、取ることが出来ない事に気付くがゆえに、一層苦しむのだ。


「……のう坊主。今お主の心を蝕んでいる理由は色々あるじゃろう。自分に対する情けなさや羞恥心、あの小僧に対する罪悪感。それらがごちゃ混ぜになっているはずじゃ」


 悩むエルドルを見てアイリスディーナが声を掛けようとした時、口を開いたのはゾンネだった。


「じゃが、何事も初めの一歩が肝心じゃ。そしてこのような人間関係の場合、下手に延ばせばそのまま何もできずに抉れたままである事が多い」


 ゾンネの言うとおり、謝罪の機会を逸してしまい、気不味い関係のまま離れていく人間は多い。ほんの少し、勇気を持って踏み込めば未来は全く変わってくるのかもしれないが、その一歩を踏み出す勇気を出すことは簡単ではないのだ。


「もちろん、今お主が感じている事を心の奥できちんと整えることは必要じゃ。今までの自分自身を省みて、これからの自分がどうしたいのかをな。でなければ、どんな行動をしたところで結果的に後悔することになるじゃろう」


「…………」


 だが、一歩を生み出す勇気もそうだが、心の整理もまた必要だと言い放つゾンネ。その言葉にエルドル達は耳を傾ける。

 表情こそいつもと変わらないものの、いつもの色欲にまみれた姿とは違うゾンネの様子に、アイリスディーナも内心驚いていた。

 同時に、今辺りを見回りに行ったノゾムの姿が頭にチラついてくる。


「自分を整理する時間か……」


 独白の様に漏れたその言葉が薄暗い森の中に消えていく。

 今のノゾムもそうなのだろう。

 アイリスディーナの脳裏にあの噂の真相について全てを語った後のノゾムの姿が過った。

 自分を嵌めた親友に対する怒りや、怒りに我を忘れたことに対する後悔。そして、約束を交わした幼馴染達と本当の意味で一緒に歩めなかった事に対する悲しみ。そのすべてがゴチャ混ぜになったかのような、複雑な笑みをノゾムは浮かべていた。

 だが、彼はその気持ちに整理がついた後、どうするのだろうか?

 きっぱりと幼馴染達との関係を切るのだろうか? それとも……。


「でも、私は……」


 今答えを出そうとしているノゾムに彼女が答えを与える訳にはいかない。自分達が手を出してしまえばそれは彼の答えではなくなってしまう。

 でも必要なときは微力を尽くすと約束もしたのだ。

 言いようのない胸の疼きを感じながら、その約束を胸にアイリスディーナはノゾムが消えて行った先を見つめていた。














 

 怪我をしている後輩たちの手当てが終わり、ノゾム達が合流してわずかな休息を取った後、アイリスディーナとフェオはエルドル達1学年生とゾンネを連れて森の中を歩いていた。 

 向かう先はオークの巣になっていたという場所。

 後輩達の手当てを終えて、僅かな休憩を取った後にエルドルやゾンネ達をどうするかを話し合った結果、一旦街に引き返そうという話になったのだが、ここでゾンネが駄々を捏ねたのだ。

 彼の話では、彼の探し物はとても大切なもので、場所まで分かりながら引き返すことなどできないそうだ。

 アイリスディーナ達はしばらく彼を説得しようと試みたが、ゾンネは頑として帰ろうとしなかった。そんな老人の姿を見て、結果的にノゾム達が折れることになる。

 アイリスディーナはあまりいい顔はしなかったのだが、ノゾム曰く「この手の老人に何を言っても無駄で、たとえ家に帰しても無理矢理ついてくる」だそうだ。シノというこちらの話を全く聞かない人物を知っているゆえの決断なのだろう。

 アイリスディーナとフェオも、ノゾムの言葉と一人でも先に進みかねない老人の様子を見て折れることになり、その結果、エルドル達も一緒に連れて行くことになった。

 彼らがオーク達との戦いで負った傷は塞がっているものの、まだ頼りない後輩たちを連れていくことに不安はあった。

 しかし、同時に彼らだけで帰らせることにも不安があった。帰る途中で他の魔獣に出くわす可能性が無いわけではないからだ。

 その結果、ゾンネとエルドル達に自分達から離れないように固く言い聞かせ、彼らをアイリスディーナとフェオが守りながら少しずつ進み、ノゾムが先行して巣の様子を探るという話になった。

 ノゾムが先行した理由は彼がこの森での単独行動に慣れている事であり、アイリスディーナやフェオなら魔法が使えるため、結界などでエルドルやゾンネ達を守ることが出来るからだ。

 周囲に気を配りながら進んでいたアイリスディーナ達。だが先行したノゾムの話を聞いて、結果的にその心配は杞憂に終わった。

 ノゾムがオークの巣に到着した時、すでにその巣はもぬけの殻だったのだ。


「オーク達の姿は無いな」


「せやな。慌てて逃げた痕跡や他の魔獣に襲われた後もあらへん。さっき倒した奴らで全部だったみたいやな」


 どうやら彼らは、いつの間にか依頼を終わらせていたらしい。辺りにはオーク達が食い散らかしたと思われる動物の骨が散乱しているが、所々にゴブリン達の小さなテントが崩れかけた状態でまだ残っている。物陰には腐敗してほとんど骨だけになったゴブリンの死骸も見えた。


「ゴブリン達の死骸もまだ残っているし、テントの残骸もそのままだ。オーク達がここに住みついたのは本当にごく最近だったんだろうな」


「なんや、ノゾムはここに住んでいたゴブリンについて知っていたんか?」


 どこか見知った物を言うような口ぶりのノゾムに、フェオがこの場所について問い掛けてきた。


「まあ、ね。以前は晩飯にされかけたこともあるし……」


 エルドル達がいるので黒い魔獣に関しては口に出さなかったノゾム。代わりにそれ以前にこの場を訪れた時の話をしたが。同時に要らない記憶まで掘り起こしてしまった。

 師に命令されて晩飯のおかずを取りに来たはずが、自分がおかずにされかけた時の光景がノゾムの脳裏に甦る。

 追いかけてくる無数の小人達。

 ギャッギャと可愛らしい唸り声を上げながら、お菓子の代わりに棍棒を振り回して迫ってくる小人の様なクソ餓鬼共。

 相手の数があまりに多くて仕掛けていた罠も足りず、1時間近くの逃走劇の果てに何とか振り切った。

 そして命からがら小屋に帰れば、待っていたのは般若顔が素敵なお婆様……。

 虚ろな目を宙に漂わせながら乾いた声で笑うノゾムに言いようのない不気味さを感じ、エルドル達は思いっきり引いていた。


「ノゾム、ノゾム! しっかりしろ!」


 アイリスディーナがノゾムの肩を掴んで必死に揺すっているが、彼が現実に帰ってくる様子はない。

 とりあえずノゾムの事はアイリスディーナに任せ、フェオは改めて周囲を見渡してみる。

 周囲にはオーク達の物と思われる道具が散乱している。中にはゴブリンが強奪した物がまだあるかもしれない。


「多分この中に爺さんの探し物もあるやろな。爺さん! 探している物って一体何……」


「分かる、分かるぞ! こっちじゃ!」


 とりあえず、フェオがゾンネに探している者について尋ねようとした時、突然老人が一目散に走り始めた。


「ちょっ……!」


 慌てて後を追うフェオ。アイリスディーナ達や心ここにあらずだったノゾムも、突然走り始めたゾンネの後を追い始めた。


「ここじゃ!」


 突然駆けだしたゾンネが辿り着いた先には、人の身の丈よりも高い瓦礫の山が積み上がっていた。一見ゴミにしか見えない瓦礫の中には、繊細な筆使いで描かれた絵画や貴族向けの高価な化粧品もある。

 だがこれらの美術品も、ゴブリンやオーク達にとっては価値がなかったのだろう。

 数多の職人が丹精を籠め、貴族や商人たちが貴重な貴金属や金貨を惜しげもなく吐き出して手に入れる様な代物が、こんな場所で土塊になって打ち捨てられていた。

 絵画は無残に切り裂かれ、白磁の壺は粉々に割れてしまっている。他の高価な品も、今の価値は側で一緒くたになっているゴミと大差ないだろう。

 そんな光景にちょっと妙な感覚を覚えていたノゾム達の耳に、瓦礫の山に飛びついている老人の叫び声が響いてきた。


「どこじゃ どこにいるんじゃ!」


 ゾンネは瓦礫の山に飛び掛かり、目を血走らせながら一心不乱に掘り返している。湿気を帯びた土に半ば埋まっている瓦礫の山を掘り返すことは容易ではなく、老人の手も身に付けた服も、すぐに腐葉土にまみれて真っ黒くなってしまう。

 それでもゾンネは必死に瓦礫をどかそうとし続ける。

 元高価な美術品や宝飾品が、ゾンネの手で次々と掘り返されては宙を舞っていく。

 普段のヘラヘラした好色爺とはかけ離れたその姿。そしてもう価値はないのかもしれないが、以前は高価な美術品だった数々が投げ捨てられていく光景を、ノゾムやアイリスディーナ達は呆然とした表情で眺めていた。


「ふぅおんどりゃあああ!」


 一際大きな木箱を持ち上げたゾンネが老人とは思えない気合を放って、その箱を投げ飛ばす。中には相当重いものが入っていたのだろうか。地面に落ちた木箱は深々と地面を抉り、土くれを周囲にまき散らす。

 自分達に降りかかってくる土くれを慌てて避けたノゾム達が見たのは、目を見開いたまま固まっているゾンネだった。


「お、おお、おおおお……」


 老人の口から絞り出すような呻き声が漏れている。恐らく目的の物を見つけたのだろう。

 この老人が捜していたのは一体何なのだろうかと思い、ノゾムがゾンネに近づいて彼の視線の先を追ってみる。


「これは……。えっ?」


 ノゾムの口から漏れだしたのは呆れた様な声だった。彼の視線の先には土と泥でグシャグシャになった紙切れが百枚近くあった。

 だが、彼が驚いたのは紙に書かれていたもの。それは……。


「爺さんが捜していた物って春画かよ!」


 百枚近くある紙全てに、あられもない恰好になっている女性の姿が描かれていた。

 普通の人族から獣人族、背中に蝙蝠の様な羽を持つサキュバスなどの悪魔族に至るまで、妙齢な女性が官能的に描かれている。

 描かれた女性たちは艶っぽい視線を見る者に送っている……が、哀れなことにその全てが泥と土に汚れてしまい、色褪せてしまっていた。


「おお……。リグリーナリア! サギニ! ヤオヤン! どうしてこんな姿に……」


 何やら描かれている女性の名前らしきものを叫びながら地面に手をついて項垂れるゾンネ。

 そんなエロ爺の姿を前に、ノゾムは額に手を当てて天を仰いだ。そんなことの為に自分達はこんな苦労をしてきたのだろうか? オークと逃走した先に突然ゾンネが現れた時など、下手をしたらこの老人は死に掛けていたかもしれなかったというのに……。

 ノゾムの後ろで事の様子を見守っていたアイリスディーナやエルドル達も、いったい何事かと覗き込んできた。


「ッ……!」


「えっ、うわっ! こんな所まで……」


 手にした紙に描かれていた女性の裸体を見てしまったエルドル達の顔が真っ赤に染まる。彼らはこの手の類の話には年相応に初心だった。エルドルなど一見すれば女遊びが派手そうな外見なのだが。

 一方、ノゾムも何だかんだで恥ずかしさからほんのり顔を紅くしているが、どちらかというと気疲れの方が勝ってしまっていた。美しい肢体を惜しげもなく晒している絵を見ても、肝心の気力が萎えてしまっている。


「これからワシと何時までも一緒にいられたはずなのに……。なんでこんなことになってしまったんじゃー!」


 一緒で何するつもりだったんだよ、この爺さん……。

 森の奥にまで響くような絶叫を上げるゾンネを、疲れた眼で眺めながらノゾムはそう独りごちる。


「アイリス。とりあえず、帰ろうか?」


「そ、そうだね。オークの姿も見えないし……依頼はとりあえず達成かな?」


 疲れたようなノゾムの声にアイリスディーナがやや詰まった様に答えた。

 ノゾムがアイリスディーナの方を見ると、彼女もまたゾンネに呆れているのか、そっぽを向いて口元に手を当てている。ノゾムには見えなかったが、彼女の頬は心なしか頬が紅くなっている様に見える。


「結局は爺さんに振り回されたな……」


「ま、まあな。でもいいんじゃないか? 目的だったオークの巣の一掃は出来たし」


 確かに色々と振りまわされたり、頭の痛い事も多かったが、彼女の言うとおりこれで猟師達も安心だろう。


「確かに、そうだね。ところでアイリス、なんでさっきからそっぽ向いているんだ?」


「い、いや、なんでもない。気にするな……」


 何やら要領を得ないアイリスディーナの返答にノゾムは首を傾げていた。


「あ、あの。ノゾム先輩、アイリスディーナ先輩……あの人は?」


 エルドルの声を聞いてノゾムが再びゾンネの方に視線を向けると、彼は再び眉を顰めた。


「ううう、グシグシ……」


 ノゾムの見つめる先には、老人が頬を真っ赤に腫らせて穴を掘っている。ゾンネは膝ほどまでの深さの穴を掘り終えると、そこに泥まみれになってしまった自分のコレクションを入れて土を被せた。ご丁寧に墓標らしき板まで立て、その板にはリグリーナリアやらサギニやら、先ほど連呼していた女性の名前がびっしりと書かれている。


「一体いつ作ったんだ? あの墓標……」


 ノゾムが驚き3割、呆れ7割で見つめる中、ゾンネは辺りに咲いていた花を摘んできてコレクションの墓に供えている。

 よほど自分のコレクションがダメになったのが悲しいのだろう。涙と鼻水とその他いろんな汁で目も当てられないような顔になりながら、この世の終わりを目の当たりにした悲劇のヒロインのように天を仰いでいた。

 その光景は木々の隙間から差し込む日の光と相まって、まるで一枚の絵画のようだ。ただしモデルはエロ爺と彼のコレクション。神々しいやら馬鹿馬鹿しいやら。


「ど、どうしましょう……」


 エルドル達の戸惑いと不安を織り交ぜたような視線を浴びながらも、ノゾムとアイリスディーナの答えは一つ。


「「とりあえず放置で」」


 徹底的な無視であった。

 ちなみに余談だが、エルドル達がギルドで受けた依頼が、以前このエロ爺さんが依頼したものであると分かり、彼らの気力にも多大なダメージを負わせたことは甚だ余談である。



いかがだったでしょうか。本当はもう少し話を進める予定だったんですけど、字数のと話の切る場所の都合でこうなりました。本来ならエルドル達のお話を終わらせたかったんですけど、この話も色々繋がるので……。

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