表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

《第一封の手紙》

『この世界にはお前たちが必要ない。だから、俺のものを返してもらうぞ』


【申し訳ございません。この手紙の受取人は該当者がおりません】


 ***


 《第一封の手紙》


 アルファが部屋に足を踏み入れる。


 男は、指先がわずかに何かに触れるたび、それがたとえドアノブであっても、苛立ちを隠すように手袋の皺を整えた。


 仕立ての良いスーツは、この埃の堆積した廃墟において、場違いなほどの光沢を放っている。彼は汚れを避けるように、黒のスラックスの裾を気にしながら、床の軋む音を刻んで机へと歩み寄った。


 机の上には、古い血痕のような暗紅色のインクが点在している。


 彼はその汚れを、まるで不治の病を見るような冷ややかな目で見つめた。割れた窓から吹き込む容赦ない風が、黄ばんだカーテンを激しくはためかせ、机の上の一冊の本を乱暴にめくり上げる。


 パラパラと音を立てるページを、アルファは包帯の巻かれた指で、羽虫を圧し殺すように静かに押さえた。


 指の下に止まったのは、一通の手紙だった。


『こんにちは。この手紙はあなたへ宛てたものです。どうか最後まで読んでほしい。


 一緒に暮らしていた頃のことを覚えている? お母さんはいつも本を読んでくれたよね。修道女シスターと呼ぶべきなのは分かっているけれど、僕にとっては想像していた母親のように優しい人だった』


 アルファは「お母さん」という単語をなぞるように指を滑らせたが、その指先はわずかに震えていた。それは慈しみではなく、拒絶に近い震えだ。


『厳しく指導されることもあったけれど、それは全部僕たちのため。だから、お母さんを嫌わないで』


「嫌う? ……そんな生温い感情ではないだろう」


 アルファが低く呟く。眼鏡の奥の瞳が、手紙を書いた人の甘さを嘲笑うように細められた。


『お母さんが突然いなくなったのは悲しいけれど、きっと急な用事で離れなきゃいけなかったんだと思う。お母さんは今でも僕たちを愛している。だからお願い、お母さんを嫌わないで』


 手紙の中盤、再会を願う切実な言葉が続く。アルファはそれを読み飛ばすように視線を走らせた。彼にとって、この無垢な祈りは、耳障りなノイズに過ぎない。


『ねえ、僕たちがどうして存在するのか覚えている? ……君もチャーリーを守るためだよね? まだ子供である彼を……』


「ふん、相変わらずだな」


 アルファは鼻で笑い、乱暴に次の一ページを捲った。紙の端が、彼の鋭い爪で僅かに裂ける。


「ベルがこれを最後まで読めるとでも思っているのか? ダニー、お前の独りよがりには反吐が出る」


 彼は口角を吊り上げ、最後の一節に目を落とした。


『最後に、これは僕のわがままだ。君が強いことは知っているけれど、それでも僕は、君たちを守りたいんだ……』


「守るだと? ……優しさを貫くことしかできないお前に、一体何が救えるというんだ」


 吐き捨てると、男はベッドの脇へと向かった。


 ベッドの下から引きずり出したのは、段ボールで作られたおもちゃ箱だ。クレヨンで描き殴られた絵が、薄暗い部屋の光に浮かび上がる。


 子供たちと一人の修道女が楽しそうに笑っている。 だが、その絵は狂っていた。


 手だけの子供、足だけの子供、そして修道女の生首を、宝物のように抱えて満面の笑みを浮かべる子供。


 アルファはその惨状を、愛おしそうに、細長い指で撫でた。


 彼は箱の中に手を入れ、泥をかき混ぜるように中身を弄り、ゆっくりと引き抜いた。 指先には暗紅色の粘着質な跡が付着し、小さな虫が這い上がってくる。


 眉ひとつ動かさず、もう片方の手で、その虫を慈しむように一匹ずつ丁寧に、そして確実に潰していった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ