壺は臭うもの
ちなみに隼人、ハヤブサに化身しても狼は運べない。ハヤブサのオスはカラスよりも小さな鳥だ。メスのほうが大きくて、やっとカラスサイズだ。オオカミの成獣を持ち上げるのには少しばかり荷が重すぎて荷が重い――これ、通常時ならダジャレ大好き隼人が喜びそうなフレーズだ。
そして僕、人形ならば使える神通力も、ハツカネズミの姿じゃ使えない。かと言って天井裏で人形に戻れば、踏み破って落下するのがオチだ。あ、これも隼人が喜びそう。
なんて言ってる場合じゃない。いきなり隼人が戦線を離脱し、僕を慌てさせる。隼人のヤツ、小柄なほうのオオカミ、つまり満に抱き着いて丸まってしまった。朔が唸り声をあげ、周囲を威嚇し始める。モアモアたちはドーナツ状、なんとか壁を乗り越えて中に入り込もうとしている。きっと壁は天井に届いていない。
「バンちゃん! 見てないでなんとかして!」
隼人の声が聞こえた。
えぃ、チクショウ! 仕方なく屋根の上に戻り、イヤだったけどコウモリに変化した。コウモリは鳥じゃないんだよ、って必ず隼人が言うからイヤなんだ。そんなの判ってるって言っても、疑いの眼で見られるのがイヤなんだ。でも仕方ない。これで隼人と合流できる。ふらふらと宙を舞うように飛んで、モアモアたちの上を抜けて隼人の壁の中に入った。思った通り、壁は天井まで届いていない。庭に出て、人形に戻って瞬間移動することも考えなくはなかったが、神の作った壁まで抜けられるか確信がないのでやめておいた。
「バンちゃん! なんでボクを一人にしたんだよっ!?」
今、それを言うか? だいたい、僕を屋根に置き去りにしたのは誰だよ?
で、人形に戻った僕も、隼人が丸まったわけを知る。寒い、寒すぎる、ここは冷凍庫の中か?
「バンちゃん! 寒くて死にそう。今度こそ死ぬかな?」
「ええぃ、ウザい! 死ねないから安心しろ!」
って言うか、隼人の相手をしている暇はない。とりあえず、神通力でモアモアをフッ飛ばそう! 二・三メートルは飛ばせるはずだ。
って! モアモアちゃん、なんにも感じていなさそうだぞ? 僕の神通力がこいつらには効かない?
「バン、こいつら実体がないんだ」
朔が唸った。
実体がない……だから朔でさえ太刀打ちできなかった。なす術がなかった。そういうことか。でも変だ、実体がないのに積み重なって壁を越えようとしている?
「実体はあるよ。固形じゃないだけ」
ガタガタ震えながら隼人が言った。
「ちょっと待って。もう少し身体が暖まったら、ソイツら入れる容器を出すよ」
「そんなこと、できるの?」
「カノプス壺なら出せる、巨大化すればいけると思う」
カノプス壺……古代エジプトでミイラ作りの際、死者の臓器を収めた壺だ。
なんだ、せっかくここに来たけど、僕はやることがない。いや、違う、隼人が僕になんとかしろって言ったのは、温めてくれってことだ。キツネに姿を変えた僕を隼人が嬉しそうに抱き寄せた。そして立ち上がり、僕には判らない言葉で何か言った。
ゴロンと音がして、縁側に何かが落ちた。高さ五十センチくらいと結構大きく、濃い装飾がほどこされた石壺だ。これがカノプス壺なのだろう。それが現れるとゆっくり横倒しになった。
すると膨張を始めた壺、横倒しのまま大きくなっていく。どこまで大きくなるんだろうと眺めていたら、五十センチくらいが二メートルくらいになったところでブルンと震えて成長(?)が止まり、パカッと蓋が外れた。
「クゥン……」
二頭のオオカミが頭を下げて縮こまる。なんだ、この悪臭!
「内臓が入ってたんだから、臭いよね、うん」
「防腐処理は?」
「さぁ……ボク、ミイラになったことも作ったこともない」
そーですかっ! そりゃそーだよねっ!
こんな臭い壺にモアモアちゃんたちは入ってくれるのか? 僕の予測に反して、壺の出現とともに動きが止まっていたモアモアたちが、ぞろぞろと壺の入り口に向かっていく。どうやったって入りきらないだろうと思っていたのに、ひとつ残らず壺に収まった。
「うはぁ、ぎゅうぎゅう詰めだ」
嬉しそうに隼人が言い、壺の蓋が閉まる。そして元の大きさに戻った壺は立ち上がると消えた。
「えっ? どこにやったの?」
「とりあえず、墓地に返した」
「誰の?」
「なんとかって言うファラオ――って、バンちゃん、なんでボクに抱っこされてんだよっ!?」
いきなり僕を放り出す隼人、僕は瞬時に人形に戻り、蹴飛ばされないように隼人から距離を取る。臭いが消えて朔と満も元気を取り戻して人形に戻った。
ちなみに……僕も隼人も朔も満も、服までは化身できない。自分の姿を変えられても、自分以外のものの姿は変えられない。隼人でさえも、大きさを変えたり壊したりするのがやっとだ。人形から化身するとき脱ぎ捨てて、人形に戻ればまた着なくちゃならない。つまり今、部屋には素っポンポンの男が四人。誰かが見たら、なんだと思うだろう? 高い塀に囲まれたお屋敷でよかった――
「いきなり庭に湧いて出たんだ」
コーヒーカップを口元に運びながら朔が言う。もちろん服を着て、庭に放り出されたソファーなんかを部屋に戻してからの話だ。僕と隼人はこんな時のために、この屋敷に用意しておいた服を着た。冷凍庫のようだった寒さはモアモアとともに解消されている。
「ね、びっくりした――『なんか変な雨だ』って朔が言うから、一緒に庭を見てたんだ」
臆病な満は恐怖からまだ立ち直れずに目を潤ませている。
朔と満は人狼兄弟、母オオカミと逸れ、兄弟五匹だったものが、最後には朔と満だけになった。身体が一番小さかった満を、一番大きかった朔が守ったからだ。
そんな二人は隼人と出会い、生きる術を隼人から教わり、生きる知恵を隼人から学んだ。いわば二人は隼人の可愛い子どもたちだ。
「固体じゃないとしたら何だったんだ?」
朔が隼人に尋ねる。
「うん、とね……煙?」
「煙? 気体か」
「何も期待してないよ――てーか、お腹すいた。ラーメン食べたい」
はいっ? ラーメン? 美都麵はどうなった?
「隼人! 奏さんところに戻らなきゃ!」
「奏ちゃんの店はもう終わってる。バンちゃん、馬鹿なの? こんな時間に美都麵、やってない」
「隼人ぉ! 雨が降ったじゃん、思い出してよっ!」
「天気が悪けりゃ、雨も降るよ」
このニワトリ頭っ! 小突いてやろうかっ?
「月が出てるのに雨が降って、で、追い返そうとしたけど、朔に呼ばれて……」
「ん?」
隼人、やっと真剣に思い出す気になったらしい。
「なんで奏ちゃんを放っておくんだよっ! バンちゃん、コーヒー飲んでる場合じゃないっ!」
まったく……僕の太陽神は世話が焼ける――




