すすり泣く魂
先は袋小路、周囲に人家なし、小学校をぐるりと囲むその道に車を止めた。小学校のわきに見える階段を上るとゴルフ場の周縁を廻るジョギングコースになっていて、近くの大学が管理している。僕たちは、そのジョギングコースから藪と柵を超えてゴルフ場に潜入することにした。僕が瞬間移動を使えば、藪も柵も関係ない。
ジョギングコースは夏場ならスズメバチを警戒しなくちゃならないし、うじゃうじゃいるというマムシが怖くて、昼はともかく夜にはとてもじゃないが使えない。小学校のプールは、毎年マムシが泳ぎに来るから授業で使うときはよくよく点検するらしい。
例によって隼人は僕の腕にしがみ付き
「暗いね、怖いね」
と、ぶつぶつ言っていた。もちろん足元は奏さんが用意してくれた懐中電灯で照らしている。ジョギングコースに街灯なんか一本もない。
太陽神もマムシに嚙まれると死ぬのかな? ちょっとダメージがあるだけな気がする。そして僕はきっと、驚きはするけれどなんのダメージも受けないんじゃないか? そんな気がする。
朔と満は地場の神の末裔なのだから、土着の生き物が悪さをすることはない。でももし噛まれれば、隼人と違ってダメージがあるかもしれない。神とはいえ半分オオカミだ。奏さんにいたっては妖怪、たぶんマムシの毒はもろに効き目を表すだろう。まぁ、すでに冬眠期間に入っている。どこかに隠れてしまったマムシが出てくる心配はない。それでも念のため、ブーツを履いてきている。
「ここらへんかな」
ゴルフ場内に潜入すると決めたところに辿り着く。ジョギングコースの中では、トプトプちゃんをおびき出したい場所に一番近い地点だ。
しがみ付いてる隼人をそのままに、反対側の手を奏さんと繋いで、僕は瞬間移動した。すぐさま一人で取って返し、朔と満もつれてくる。
木立に囲まれたジョギングコースから、広々としたゴルフコースに移ると頭上の月の存在を改めて認識した。ジョギングコースではいくら枯れ枝が多いとは言え、枝が入り組んで月光を幾分遮っていたのだろう。少し膨らんだ半月は今宵も煌々と地上を照らす。時刻は二十三時。僕たちは誰一人声を出すこともなく、ただ静かにトプトプちゃんの出現を待っていた。
時おり吹く風は優しく、周囲の草木を揺らすが音を立てることはない。地に落ちた枯葉をどかかに運ぶには弱すぎる風だ。ミミズクやフクロウの声も聞こえない。夕刻の隼人とカラスのやり取りを聞いていて、遠慮しているのだろうか。
朔と満が揃って顔を上げた。瞬時遅れて僕も聞き耳を立てる。隼人にも聞こえたはずだ。だけど隼人は腕を組み、目を閉じた。奏さんにはまだ聞こえないらしい。朔と僕に目を向けて、どうした? と聞きたそうだ。その奏さんが、ハッと前方に視線を走らせる。
コースの向こうから、徐々に近づく気配、そして聞こえるすすり泣き。その気配は蕭々と雨を降らせ、枯れた芝を濡らし、ゆらゆらと揺れながら向かってくる。トプトプちゃんだ。
「!?」
隼人が顔を上げ、トプトプちゃんが通り過ぎたあとを注視した――ぼうっとした何かが蠢いている。霞のような何かがこちらに意識を向けている。
トプトプはところどころに霞を落とし、霞は落とされた場所からこちらを見詰めているだけだ。僕たちから五メートルくらいのところでトプトプちゃんは止まり、最後の霞が現れる。
霞たちは人の影、地上に立っている。きっと幽霊だ。男もいれば女もいる。幼い子どもも交じっていて、一様にすすり泣いている。すすり泣きはトプトプちゃんからじゃなく、この幽霊たちからのものだ。全部で五十はくだらない。
ぐっしょりと濡れた髪をそのままに、皆、様々な方向を見ているのに、視線は隼人に向けられている。視線ではなく意識か――泣き声は切なく、苦しい・悲しい・帰りたいと訴えているようだ。
「隼人!」
奏さんが小さな声で叫んだ。見ると隼人が幽霊に向かって歩き出している。慌てて追おうとする僕に気が付いた隼人が、
「誰も動くな、心配ない」
と、やはり小声で言った。
隼人が近寄っていくと、トプトプちゃんは後退した。だが幽霊は現れた場所で、すすり泣きを続けている。トプトプはどんどん後退し、見る間に出現した場所まで戻ってしまった。
隼人……隼人はもう、一番近くの幽霊に手が届きそうなところにいる。
「隼人っ!」
思わず満が叫び、朔が身構える。隼人が手をあげて、幽霊に掌を翳した。
幽霊が隼人の掌を見詰めている。隼人の掌がかすかに光を放つ。すすり泣きは途切れるのに、幽霊はさらに顔を顰めて涙を流す。そして――
消えた。元の霞に戻ったのかもしれない。一瞬にしてトプトプまで移動する気配を感じた。隼人は頷いて次の幽霊へと近づいていく。
「ふむ……」
僕の後ろでそっと奏さんが唸った。
隼人は次々と幽霊を消失させていく。最後の一体が消えると同時に、トプトプちゃんも一瞬にして消えた。
「チッ……今日も逃げられた」
悔し気な朔の声がした。隼人は最後の一体を消した場所でこっちを見ている。そして僕を呼んだ。
「バンちゃん!」
僕が迎えに来るのを待っている? 慌てて瞬間移動した。
「バンちゃん! なんでいつも気が利かないのっ!?」
文句は言っても僕の腕にしがみ付き、
「怖かったよぉ」
と涙ぐむ。
「怖かったんだ?」
「うん……だって、知らない人ばっかりなんだもん」
そうか、そりゃそーだよね。って、問題はそこなのか?
瞬間移動でみんなのところに戻り、来た道を逆に辿って車に戻る。
「奏ちゃん、ボクね、お腹すいたの。甘いのが食べたい」
仕方ねぇなぁ、と奏さんは帰りにコンビニに寄ってくれた。
やっぱり僕が買い物に行かされ、みんなは車に残る――奏さんと朔と僕はブラック、満は微糖と、いつも通りの缶コーヒー、隼人はコーヒー牛乳、そしてメロンパンのリクエストだったがあいにくの売り切れ、かわりに丸く焼いたデニッシュにアイシングでデコレーションしたのを買っていく。
「わぃ! 渦巻きちゃん、ボク、大好き!」
メロンパンを頼んだことを忘れる隼人、こんな時のニワトリ頭はありがたい。
みんなにコーヒーを配り、隼人のコーヒー牛乳にストローを挿していると、
「まだトプトプは出るかね?」
と、奏さんが隼人に訊いた。
「そんなのボクに判んないよ、お天気次第でしょ」
つまり、天気が良ければまた出るってことだね、隼人。
「今日も逃げられた」
朔が、誰に言うでもなく言った。
「逃げたんじゃないよ、帰っただけ」
とは隼人だ。
「でも、まぁ、トプトプちゃんが湖の近くにいるってのは判った」
僕からコーヒー牛乳を受け取りながら、隼人がこともなげに言う。渦巻きちゃんは完食済みだ。
「湖なのは間違いない?」
朔が念を押すように訊いた。
「うん、あの幽霊ちゃんたち、湖に落ちたかなんかで亡くなったの。で、それが悲しくて、どこにも行けなくなってた。哀れに感じたトプトプちゃんの本体が抱き締めていたんだと思うよ」
ストローからズズズズーーーっと音がして、なにが可笑しいのか隼人が笑った。




