月夜に雨が降り始め
鳥類は敏感だ――ちょっとした異変にいち早く気が付いて、即座に警戒態勢を取る。どうやら僕の隼人も例外ではないらしい。ピヨピヨと機嫌よくラーメンを食べていたのにいきなりキッとドアのほうを向き、緊張した。
「隼人、おまえも感じたか?」
そう言ったのは八咫烏の奥羽さんだ。もちろん人形だ。
「うん……なんだろう、あれ?」
「さぁなぁ……」
隼人と違って奥羽さんはラーメンを食べ続けている。
「関わらないほうがいいのは確かだ」
奥羽さんが言い終わるのとほぼ同時に、外からザーーーーッと雨の降る音がし始めた。ここに来た時、空には月が煌々と輝いていたはずなのに……僕は外を見ようとドアに近づく。
「バン!」
「開けるな!」
「座ってろ!」
奥羽さん、隼人、奏さんが一斉に僕を止めた。
ここ美都麵は店主の奏さんが一人で切り盛りしているラーメン屋だ。八王子駅の近く、繁華な通りから一本入った場所にある。三つ目入道の奏さんは常に鉢金で額にある三つめの目を隠し、人に変化して暮らしている。
今、店は暖簾をおろし、客は僕と隼人、そして奥羽さんの三人だけだ。つまり奏さんを入れて四人しかいない。僕たちのために奏さんは、早めに店を閉めた。
美都麵の摺りガラスを張った格子戸は最上段だけ透明ガラス、三人から止められて、戸を開けるわけにもいかない僕はそこから外を覗き込んだ。店の外に雨の気配はない。見あげる空には、やはり月が輝いている。それだけ確認すると、僕はすごすごと自分の席に戻った。
「月、出てたよ」
今も雨音は聞こえてくる。
「月時雨だな……」
奏さんが静かに言った。
「いや……少なくとも、この店の前は降ってない」
すると奏さんがギョロリと僕を睨みつけた。
「なぁに、すぐに降り出すさ。やむまで外に出るな」
「何が起きているの?」
僕の問いに奏さんの返事はない。
隼人を見ると、ラーメンの続きを食べるのに夢中のようだ。ピヨピヨとご機嫌モードに戻っている。奥羽さんは食べ終わり、爪楊枝を咥えて遊んでいる。
「ねぇ、奥羽さん、外で何が起きてるの?」
「フン! 吸血鬼風情が馴れ馴れしく話しかけるな!」
「奥羽ちゃん! バンちゃんを虐めていいのはボクだけだって何度言ったら判るんだよっ!」
ピヨピヨをやめて隼人が横から口を挟む。
そこへ奏さんがさらに横入りする。放っておくと隼人と奥羽さんが罵り合いを始めるからだ。
「隼人、さっさと食べろ。食べ終わったらアイスクリームがあるぞ――バンも食っちゃえ、伸びたら旨くなくなるぞ」
アイスクリームと聞いて俄然隼人のペースが上がった。
「月時雨……月夜に降る通り雨。キツネの嫁入りと同じっちゃあ同じだな」
奥羽さんと僕にコーヒーを出しながら奏さんが言う。
「キツネの嫁入りってお天気雨。昼間なんじゃないの?」
「そうだな。どっちにしろ、晴れているのに雨が降る」
「ふむ……奏の淹れるコーヒーは毎度旨いな」
傍らで奥羽さんが舌鼓を打つ。
「だけど、今、降っているのはただの雨じゃない。何かが潜んでいる」
「なにか、って?」
「それが判らないから『関わるな』って言ったんだよ。隼人でさえ動かないんだから、なおさらだ」
僕と奏さんの話に奥羽さんがチャチャを入れる。
「フン! 隼人はハヤブサの割には臆病だ。俺のことを食うぞと脅すくせに、未だに食ったためしがない」
「だって、カラス、不味そうなんだもん。絶対不味いに決まってる」
アイスクリームは終わったようだ、隼人が話に加わってくる。
「なにをぉ! 食ってみなくちゃ判らんだろうが!」
「奏ちゃん、ボクにもコーヒー」
珍しく隼人が奥羽さんを無視した。奥羽さんは気にする様子もなく、爪楊枝遊びを再開した。インコがよく爪楊枝で遊ぶ、あれと同じ。なにが楽しんだろう?
「なんか、いっぱいいるよね……人も混ざってるのが気になるな」
「人? 人だったもの、ではなくて?」
隼人の言葉に奏さんが顔色を変える。
「うん。人だったものもいっぱい――幽霊とか亡霊とか、妖になったものとか。もともと妖怪だってのもいる……その中に一人だけ、まだ生きている人が巻き込まれてる」
「それって?」
尋ねる僕、
「隼人、関わるなよ、間違っても俺を引っ張り込むなよ」
あからさまにイヤがる奥羽さん、
「関わるなって言っても無理そうだぞ、奥羽」
奏さんが面白そうに笑った。
「訊かれたってまだ判らない。で、奥羽ちゃんはいつも通り情報収集お願いね――今回の拠点は『ハヤブサの目』じゃなくて朔ちゃんたちのお屋敷にしようかな」
「拠点? つまり、長期戦になるってこと?」
「今度は一筋縄ではいかないよ。バンちゃん、頑張ってね、頼んだよ!」
おぃ、隼人! おまえ、自分じゃ何もしない気だな? 何もかも、僕にやらせる気でいるな? いっつもそうだ、面倒なことは、いつも僕。いい加減にしてよと言いたが、結局僕は言えない。いつも言えない。いつも……
隼人こと掘巣隼人と僕、地搗渢は探偵事務所『ハヤブサの目』を経営している。名義上、所長は隼人となっているが共同経営だ。なんでも兼任の所員の僕と二人所帯だ。ついでに言うと探偵とは名ばかり、まともな依頼が来たことがない。
妖怪退治の看板を掛けた覚えはないのだけれど、なぜかヘンなのが絡む事件に巻き込まれる。お陰で仕事は妖怪退治ばかり、しかも報酬ナシのボランティア。それでも僕たちに食いっぱぐれはない。食わなきゃ生きていけないわけじゃないし、そもそも生きてるかも怪しいもんだ。
お判りとは思うが、僕たち自身が人間じゃない。
隼人の右目は薄いレモンイエローで全てを焼き尽くす『ラーの目』だ。左目は薄い灰銀色で全てを見通す『ウジャトの目』――オッドアイの隼人は人形の時、他人目のある場所に行く時はイエローカラーのサングラスを欠かさない。隼人の正体は古代エジプトの太陽神ホルス、ハヤブサに化身する。
そして僕、地搗渢は吸血鬼。元は源平合戦で首を取られた若武者らしい。僕を殺した張本人は、自分の息子と同じ年頃だった僕を殺したことに気が引けたらしく、僕を蘇らせようとした。でも失敗して、なぜか僕は吸血鬼になった。僕には吸血鬼として目覚める前の記憶がない。
奏さんが隼人の前にコーヒーを置く。
「お砂糖、いくつ入れてくれたの?」
不安げな眼差しで、隼人が奏さんを覗き込んだ時だった。
「来るっ!」
いきなり立ち上がって叫ぶ隼人、奥羽さんは椅子から転がり落ち、奏さんは鉢金に手を伸ばす――




