第70話:女神の選択と、はじまりの朝
「YGGDRASIL。……私と、混ざりなさい」
私が杖を石碑に突き刺した瞬間、視界が真っ白な光に包まれた。
私の体から、そして杖の『世界樹の魔核』から、翠色の奔流が溢れ出し、古代のシステムコードを飲み込んでいく。
『警告……。システム定義外の干渉……。エラー……いいえ、これは……』
ホログラムの女性の声が、驚きに震えている。
『再構築……? 貴女は、システムを壊すのではなく……「育てよう」としているのですか?』
「はい」
私は、光の中で答えた。
「管理されるだけの『籠』も、無秩序な『野生』もいりません。……人は、もっと強くなれます」
私のイメージが、世界中に伝播していく。
ステータスやスキルという「便利な道具」は残す。でも、それは誰かに与えられたり、数値だけで決まる絶対的なものじゃない。
努力し、願い、行動した分だけ伸びていく、植物のような『可能性の種』へと書き換える。
そして、最も重要なこと。
「もう、異世界からの『生贄(メンテナンス要員)』なんて必要ありません」
「この世界は、この世界に生きる命たちの力だけで……循環させます!」
『……素晴らしい』
ナビゲーターの女性が、穏やかに微笑んだ。彼女の輪郭が光に溶け始める。
『私の役目も、これで終わりですね。……ありがとう、新しい女神様』
パリンッ……。
石碑が砕け散り、そこから生まれた無数の光の粒子が、天井を突き抜けて天へと昇っていった。
虚無の塔の外。
世界を覆っていた淀んだ霧が晴れ渡り、見たこともないほど澄み切った青空が広がっていた。
「……おい、見ろよ」
ガレンさんが、自分の手のひらを見つめた。
「ステータス画面が出ねえ。……いや、違うな」
彼の体の奥から、温かい力が湧き上がっていた。
数値で表示される『防御力』ではない。彼が今まで鍛え上げ、戦ってきた経験そのものが、肉体に刻まれた確かな『強さ』として定着している感覚。
「……体が軽い」
レオが、剣を振るう。
「スキル名なんて叫ばなくても、体が勝手に動く。……これが、俺自身の技か」
「魔法も……」
エララさんが、指先に風を纏わせる。
「システムに『申請』して発動するんじゃなくて、私の意思にダイレクトに呼応してくれる。……難しいけど、自由だわ」
私たちは、自分たちの足で立っていた。
誰かの掌の上ではなく、本当の意味での大地の上に。
「……う、うぅ……」
床に倒れていたカイトが、身じろぎした。
彼は、ぼんやりと空を見上げ、そして自分の手を見た。
管理者の権限も、勇者のチート能力も、すべて消えていた。残っているのは、ただのひ弱な一人の少年の肉体だけ。
「……何もない」
カイトが、力なく笑った。
「全部消えた。……俺は、また『無能』に戻ったのか」
「戻ったんじゃないわ」
私は、カイトに手を差し伸べた。
「これから『始める』のよ。……カイト」
カイトは、私の手を呆然と見つめ、そして、震える手でそれを握り返した。
その手は、赤ん坊のように柔らかく、頼りなかったけれど。
温かかった。
「……ああ」
カイトの目から、涙が溢れ出した。
「……ごめん。アリア……。本当に……ごめん……」
虚無の塔が、光の粒子となって崩壊を始める。
役目を終えた古代の遺物は、新しい世界の養分となって消えていく。
「脱出するぞ!」
ガレンさんが叫ぶ。
私たちは、崩れゆく塔から、光の橋を渡って地上へと走った。
大陸の西の果て。
私たちは、息を切らして断崖の上に辿り着いた。
振り返ると、あの巨大な黒い塔は跡形もなく消え去り、そこにはただ、美しい海原が広がっていた。
「……終わったな」
ガレンさんが、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
「いや、始まりか」
「ええ」
私は、杖『アルテミス・ロッド・アイギス』を空に掲げた。
杖の先端で、世界樹の魔核が、満足げに瞬いている。
世界が変わった。
もう、「Sランク」という格付けも、「勇者」という称号も、過去の遺物になるかもしれない。
でも、私たちは知っている。
大切なのは、肩書きや数値じゃない。
誰と出会い、何を信じ、どう生きるか。
「さあ、帰りましょう」
シルヴィア様やレジナルド卿、そして王都の人たちが待っている。
私たちが見た「真実」と、これからの「未来」を伝えに。
「腹減ったな!」
レオが、いつもの調子で笑った。
「王都に戻ったら、一番高い肉を食おうぜ!」
「賛成」
エララさんも微笑む。
「もちろん、支払いは王家持ちでね」
「……俺は」
カイトが、ぽつりと呟いた。
「俺は……どうすればいい」
「好きにすればいいさ」
ガレンさんが、カイトの背中をバンと叩いた。
「罪を償うもよし、また一から冒険者になるもよし。……今の世界は、お前の『設定』なんて決めてくれねえ。自分で決めるんだよ」
カイトは、痛そうに背中をさすり、そして涙を拭って、小さく頷いた。
「……ああ」
私たちは歩き出した。
朝日が、私たちの背中を押し、長い影を大地に伸ばしている。
Aランクパーティー『アルテミス』の物語――「追放編」は終わりを告げた。
そしてここからは、誰も知らない、名もなき冒険者たちの、新しい旅が始まる。




