第66話:虚無の塔と、歪んだ『再会』
大陸の西の果て。
そこは、物理法則が崩壊した場所だった。
足元の岩盤は唐突に途切れ、その先は、上も下もなく、ただ真っ白な霧――『虚無』が渦巻いている。
その虚無の中心に、重力を無視して浮いている一本の巨大な黒い塔。
陸地と塔を繋ぐのは、幅数メートルほどの、頼りない光の橋だけだ。
「……落ちたら、死ぬな」
レオが、光の橋の下、底のない霧を覗き込み、ごくりと喉を鳴らした。
「死ぬだけならマシね」
エララさんが呟く。
「あの霧に触れた瞬間、存在ごと消滅しそう」
「行きましょう」
私は、迷わず光の橋に足を乗せた。
私の『杖』が、この塔から発せられる微弱な信号を受信し、安全なルートをナビゲートしてくれている。
「カイトが待っています」
長い橋を渡りきり、塔の巨大な黒い扉の前に立つと、扉は音もなくスライドして開いた。
歓迎されている。あるいは、誘い込まれている。
塔の内部は、外観の古めかしさとは裏腹に、異様な空間だった。
壁も床も、継ぎ目のない白い素材でできており、空中に幾何学的な光のパネルが浮かんでいる。
松明も魔道具もないのに、影ができないほど明るい。
「……なんだここは」
ガレンさんが、周囲を見回す。
「古代遺跡……とも違う。まるで、別の文明の世界に迷い込んだみたいだ」
「上へ」
私は、直感に従って進んだ。
階段はない。中央にある円形の台座に乗ると、体がふわりと浮き上がり、高速で上昇を始めた。
10階、50階、100階……。
景色が光の帯となって流れていく。
そして、最上層に辿り着いた時、浮遊感は唐突に消えた。
そこは、ドーム状の広大な空間だった。
壁一面がガラス張り(に見える透明な壁)になっており、眼下には『虚無』の雲海と、遠くに小さく見える大陸の端が一望できた。
そして、部屋の中央。
無数の光るモニターに囲まれた、玉座のような椅子に、その男は座っていた。
足を組み、退屈そうに頬杖をつき、私たちを見下ろす男。
黒い髪。少し吊り上がった目。
かつてのようなボロボロの装備ではなく、この塔の雰囲気に似た、奇妙な白いスーツを身にまとっている。
「……遅かったな、アリア」
男が、口を開いた。
その声は、私の記憶にあるものと同じだった。
傲慢で、自信家で、そしてどこか人を小馬鹿にしたような響き。
「……カイト」
私は、その名を呼んだ。
怒りも、悲しみもなかった。ただ、目の前の「現実」を確認するように。
「本物……なのか?」
レオが、剣に手をかけながら問う。
「またメビウスが作ったコピーじゃないだろうな?」
「ハッ。一緒にすんなよ」
カイトは鼻で笑った。
「あんな出来損ないの人形と、『覚醒』した俺を」
カイトが、指を鳴らした。
瞬間、部屋中のモニターに、様々な映像が映し出された。
王都の様子、北の大障壁、東の遺跡跡地、そして私たちが今まで戦ってきた場所……。
彼は、ここから世界の全てを覗き見ていたのだ。
「アリア。お前がSランクになったと聞いた時は笑ったぜ」
カイトが、玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてくる。
「『無能』だと思って捨てた荷物が、まさか世界を救う英雄になるとはな。……俺の『目』も、当時は節穴だったってわけだ」
「……謝罪の言葉は、期待していません」
私は、カイトを真っ直ぐに見据えた。
「あなたを捕まえに来たわけでもありません。……ただ、聞きたいことがあります」
「世界の真実、だろ?」
カイトは、私の目の前数メートルで立ち止まった。
Sランクになった私の魔圧を受けても、彼は顔色一つ変えない。
それどころか、彼の体からは、魔力とは異なる、異質な波動が立ち昇っている。
「いいぜ、教えてやる」
カイトは、両手を広げた。
「この世界はな、アリア。……『ゲーム』なんだよ」
「……は?」
ガレンさんが、眉をひそめる。
「何言ってやがる。頭がおかしくなったか?」
「比喩じゃない。文字通りの意味だ」
カイトは、憐れむような目でガレンさんを見た。
「俺たちは、日本という別の世界から『召喚』された。……なぜだと思う? なぜ、この世界には『ステータス』や『スキル』なんていう、都合のいい概念がある?」
カイトは、空中のパネルを操作した。
そこには、私たちにも見覚えのある『ステータス画面』が表示された。
「それは、この世界自体が、誰かによって作られた『管理された箱庭』だからだ」
「俺たち勇者は、その箱庭を調整するために呼ばれた『デバッガー(修正者)』だ」
カイトの瞳が、狂気的な光を帯びる。
「だが、俺は気づいた。……デバッガーとして使い潰されるのは御免だ、とな」
「だから俺は、この塔(管理端末)に辿り着き、手に入れたんだよ」
カイトの背後に、巨大な光の翼――ラザロのものとは違う、デジタルな光の粒子で構成された翼が出現した。
「俺はもう『勇者』じゃない」
「俺はこの世界のルールを書き換える権利を持つ……『管理者』になったんだ」
ドオオオオオッ!!
カイトから放たれた波動が、私たちの体を吹き飛ばそうとする。
それは、魔法ではない。
この空間の「設定」そのものを操作する、絶対的な強制力。
「くっ……! 体が……重い!?」
レオが膝をつく。
「重力が……強くなってやがる……!?」
「アリア、お前の『進化魔法』も、元を正せばこの世界のバグ利用だ」
カイトが、ニヤリと笑った。
「だが、管理者の前で、バグ技がいつまでも通用すると思うなよ?」
元勇者カイト。
彼は、Sランクを超える脅威。
世界の理そのものを掌握した『管理者』として、私たちの前に立ちはだかった。
「さあ、遊ぼうぜ、アリア。……『無能』と『管理者』。どちらがこの世界に相応しいか、決着といこうか」




