第65話:黒い封筒と、虚無の塔
王城の『円卓の間』。
窓の外には平和な王都の風景が広がっているが、室内の空気は、真冬の湖底のように冷え切っていた。
テーブルの上には、一通の黒い手紙。
そこに書かれた『カイト』という署名が、私たち『アルテミス』の全員を黙らせていた。
「……筆跡鑑定の結果が出たわ」
シルヴィア様が、報告書をテーブルに投げ出した。
「間違いなく、元勇者カイト本人のものよ。……少なくとも、筆跡と魔力残滓は、彼と完全に一致している」
「バカな」
ガレンさんが、腕を組み、唸るように言った。
「カイトは逮捕され、牢獄に送られたはずだ。その後、教会の『人造勇者計画』の実験体として連れ去られた……そこまでは分かっている。だが」
「あの研究所で、奴のオリジナルは見つからなかった」
レオが、唇を噛む。
「培養槽にいたのは、全部コピーだった。……俺たちは、オリジナルはもう死んで処分されたと……」
「死んでいなかった、ということか」
エララさんが、冷徹に結論を口にする。
「あるいは……最初から『逮捕されたカイト』すら、精巧な偽物だった可能性もあるわね」
私は、手紙の文面をもう一度読み返した。
『――おめでとう、アリア。これで、ようやく「同じ盤面」で遊べるね』
『世界の真実を知りたければ、極西の果て、「虚無の塔」へ来い。そこで待っている』
「……虚無の塔」
私が呟くと、レジナルド卿が顔色を変えた。
「極西の……伝説上の場所です。大陸の西の果て、海さえも途切れる『世界の終わり』に立つと言われる、不可侵の領域。……古代魔法文明の時代から存在し、入った者が戻ってきた記録はない」
「そんな場所に、カイトがいると?」
「罠に決まってんだろ」
レオが吐き捨てる。
「今さらノコノコ出てきて、何を企んでやがる。……アリア、無視しろ。こんなもん」
「……いいえ」
私は、首を振った。
「行かなきゃいけません」
全員の視線が私に集まる。
「カイト個人の問題なら、無視したかもしれません。でも……彼は『真実』と言いました。大障壁、黒い杭、人造勇者……。これら全ての裏にある、この世界の『システム』そのものに関わっている気がするんです」
私の杖『アルテミス・ロッド・アイギス』の『世界樹の魔核』が、微かに明滅した。
(……アリア。行きなさい)
心の中に、声が響いた気がした。
(そこで、全ての始まりと、終わりを見るでしょう)
「それに」
私は、手紙を強く握りしめた。
「私が前に進むためには……彼との過去に、本当の意味で決着をつけなきゃいけない」
かつて私を「無能」と切り捨て、追放した男。
私の人生を狂わせ、そして強くしてくれた元凶。
彼が今、何を考え、何になろうとしているのか。Sランクになった今の私なら、対等に向き合えるはずだ。
「……分かった」
ガレンさんが、大きくため息をつき、そしてニカッと笑った。
「お前が行くと決めたなら、俺たちはついていくだけだ。……地獄の底だろうが、世界の果てだろうがな」
「Sランクパーティーの遠征ね」
シルヴィア様も微笑む。
「王国の特別顧問としての許可は出してあげるわ。……ただし、必ず生きて帰ってきなさい。この国には、まだあなたたちが必要なんだから」
準備は迅速に行われた。
極西への旅は、王都から転移門を乗り継いでも数日かかる長旅だ。
私たちは、最新鋭の装備と、大量の物資をマジックバッグに詰め込んだ。
出発の朝。
王都の正門には、私たちを見送る人だかりはなかった。今回は極秘任務だからだ。
「行くぞ」
ガレンさんが、西の空を見据えた。
そこには、不気味なほど赤い夕焼けのような色が、朝から広がっていた。
「虚無の塔……か」
レオが剣の柄を撫でる。
「ラスボスのお出ましか?」
「油断しないで」
エララさんが手綱を握る。
「相手は、あのカイトよ。……性格の悪さは、Sランク級なんだから」
私たちは、地竜騎に跨り、荒野へと駆け出した。
目指すは世界の果て。
かつての勇者と、今の英雄。
交わるはずのなかった二つの道が、虚無の塔で再び交錯する。
道中、私たちが目にしたのは、世界が静かに「壊れ始めている」兆候だった。
季節外れの雪。枯れない花。空に浮かぶ巨大な蜃気楼。
『黒い杭』は抜いたはずなのに、世界の「バグ」は収まっていない。
(……カイト。あなたは一体、何を知っているの?)
旅の始まりは、静かだった。
だが、それが嵐の前の静けさであることを、私たちは肌で感じていた。
数日後。
私たちは、大陸の西の果てにある『断崖』に辿り着いた。
そこから先には、海はなかった。
あるのは、底の見えない真っ白な霧と……その霧の中に、天を突くようにそびえ立つ、一本の『黒い塔』だけだった。
『虚無の塔』。
そこに、全ての答えがある。




