第53話:奈落への『潜行』と、腐食する『光』
「……酷いな」
要塞を出て、荒野を北へ進むこと数キロ。
先頭を歩くガレンさんが、足元でボロボロと崩れる地面を見て、顔をしかめた。
かつては草原だったはずの大地は、完全に死に絶え、踏みしめるたびにガラスが砕けるような乾いた音を立てる。
そして、空気の色が違う。
要塞周辺では薄い紫色だった空は、ここ『大障壁』の直下では、ドロリとした墨汁をぶちまけたような、完全な『黒』に覆われていた。
「アリア、結界の出力は?」
隣を歩くシルヴィア様が、緊張した声で尋ねる。
「安定しています。……ですが、外圧が凄いです。私の『聖域』の外側は、おそらく、数秒で肺が焼け爛れる濃度の猛毒です」
私の杖『アルテミス・ロッド・アイギス』は、今、直径20メートルほどの翠色の球体状の結界を維持している。
その球体の中だけが、唯一、人間が息をできる空間だった。
Sランクのライオス様やバルガス様でさえ、この結界の外に出れば、戦闘どころか生存すら危うい。
「……アリア嬢がいなければ、我々は、ここまで辿り着くことすらできなかったな」
神官バルガス様が、結界の外で渦巻く黒い瘴気を見つめ、身震いした。「ワシの『浄化』では、この濃度の中を歩くなど、松明一本で海に潜るようなものじゃ」
やがて、私たちは、その『巨大な壁』の麓に到着した。
『大障壁』。
古代の魔法文明が築いたとされる、大陸を横断する光の壁。
普段なら、天まで届くオーロラのように輝いているはずのそれは、今は、病んだように明滅し、その輝きを失いかけていた。
そして、私たちの目の前には、その壁を引き裂くように穿たれた、巨大な『亀裂』が口を開けていた。
高さ50メートル、幅10メートルほどの裂け目。
そこは、まるで世界の『傷口』のように、ドクドクと黒い瘴気を吐き出し続けている。
「……行くぞ」
ライオス様が、聖剣を抜き放ち、その輝きで闇を照らした。
「この奥に、『発生源』があるはずだ」
私たちは、亀裂の中――『大障壁』の内部へと、侵入した。
内部は、外の荒野とは比較にならない異界だった。
壁の材質であるはずの『光の結晶』が、黒く変色し、まるで生物の内臓のように脈打っている。
足元には、瘴気が液状化して溜まり、くるぶしほどの深さの「黒い川」となって流れていた。
ジュウウゥゥ……。
ガレンさんが、その「川」に足を踏み入れると、ブーツの底が音を立てた。
「……俺の『イグニス』の熱で蒸発させているが……普通のブーツなら、足ごと溶けているな」
「レオ、エララ。絶対に、アリアのそばを離れるなよ」
シェイド様が、影から警告する。
「一歩でも踏み外せば、骨まで溶けるぞ」
私たちは、一列になって、慎重に、奥へ、奥へと進んだ。
私の杖の『魔核』が、危険を知らせるように、早く、強く、点滅し始める。
(……近い。この奥に、何か、とてつもなく『異質』なものが……)
「……止まれ」
先頭のシルヴィア様が、手を挙げた。
亀裂の最深部。
そこは、ドーム状に開けた空間になっていた。
そして、その中心に、それは在った。
「……なんだ、あれは」
レオが、息を呑む。
それは、巨大な『黒い杭』だった。
材質は不明。だが、表面には無数の赤い血管のような紋様が走り、それが『大障壁』の光の回路に、無理やり突き刺さっている。
『大障壁』の純白の魔力を、その『杭』が吸い上げ、黒い瘴気へと『変換』して、外部へ吐き出しているのだ。
「……『楔』か」
私は、直感した。
「誰かが、この『杭』を打ち込んで、大障壁の魔力循環を、逆流させている……!」
「つまり、こいつを抜けば、瘴気は止まるってことだな?」
ライオス様が、聖剣を構え、その『黒い杭』に近づこうとした。
その時。
ドクンッ!!
『黒い杭』が、まるで心臓のように、大きく脈打った。
「……!」
私の『索敵』が、最大の警報を鳴らした。
「ライオス様! 下がってください!」
ズズズズズズ……!
『杭』の周囲の地面――黒い液体の海から、何かが、這い出してきた。
それは、ヴォルグが引き連れていた『影』の兵隊ではない。
もっと、禍々しく、もっと、冒涜的な。
『杭』を守るように現れたのは、全身が腐った肉と機械が混ざり合ったような、五体の『異形』の騎士たち。
それぞれが、Sランクに届きそうな魔力を秘めている。
「……魔王軍親衛隊、か」
シルヴィア様が、苦々しげに言った。
「幹部は、ただの『露払い』。……本命は、この『杭』を守る、こいつらだったのね」
五体の騎士たちが、無言のまま、武器を構えた。
その背後で、『黒い杭』の明滅が早まる。
まるで、私たちの侵入を検知し、さらなる『破滅』を呼び込もうとするかのように。
「……やるしかないわね」
シルヴィア様が、杖を構え、私たちを見た。
「アリア。あなたは『杭』の解析と破壊に専念しなさい。……この『親衛隊』は、私たちが抑える」
「でも……!」
「あなたの『変換』能力なら、あの『逆流』を止められるはずよ。……雑魚の相手をしている暇はないわ」
シルヴィア様は、フッと笑った。
「背中は守ってあげる。……Sランクの先輩を、信じなさい」
「……はい!」
私は、前へ出た。
私の仕事は、敵を倒すことじゃない。
この世界を蝕む、元凶を、書き換えること。
「ガレンさん! 私の護衛を!」
「任せろ!」
ガレンさんが、『アルテミス・ハート・イグニス』を構え、私の前に立つ。
Sランクパーティー『紅蓮の獅子』と、Aランクパーティー『アルテミス』。
最深部での、最後の攻防戦が始まった。




