第49話:黒い津波と「紅蓮」の防壁
「……状況を、説明するわ」
『北方大要塞』の司令室。
分厚い石壁に囲まれたその部屋は、外の腐臭こそ遮断されていたものの、張り詰めた緊張感と、絶え間なく響く地響き――遠くで何かが爆発し続けている音――に支配されていた。
『紅蓮の獅子』リーダー、シルヴィア様が、卓上の地図に赤い駒を置いた。
「現在、大障壁の亀裂から溢れ出しているのは、単なる『瘴気』だけじゃない。……瘴気が実体化した、『影の魔獣』たちよ」
「影の、魔獣……?」
レオが、眉をひそめる。
「『大森林』で戦った、シャドウ・パンサーみたいなもんか?」
「いいえ。あれは生物だった。こっちは、『呪い』そのものよ」
シルヴィア様は、冷たく言い放った。
「斬っても血は出ない。痛みも感じない。そして、周囲の瘴気を吸収して、何度でも『再生』する。……聖騎士ライオスの『聖剣』や、バルガスの『浄化』で、核を完全に消滅させない限り、無限に湧き出してくるわ」
(無限に、再生する……)
私は、戦慄した。
Sランクパーティーが、なぜここまで追い詰められているのか、理由が分かった。彼らは、倒しても倒しても蘇る「黒い津波」を、不眠不休で堰き止め続けているのだ。
「現在、ライオスとバルガス、そしてシェイドが、最前線で『壁』になっている。……だが、彼らも人間よ。休息が必要だわ」
シルヴィア様は、私とガレンさんを見た。
「『アルテミス』。あなたたちの任務は、彼らの『交代要員』ではない」
「え?」
「この戦況を、ひっくり返すことよ」
その時。
ウウウウウウウウウウッ!!!!
要塞全体に、不快な警報音が鳴り響いた。
「――敵襲!! 第3防壁、および第4防壁に、『影』の群れが接近!!」
「数は!?」
「測定不能! ……視界を埋め尽くすほどです!!」
「来たわね」
シルヴィア様が、紅蓮のローブを翻した。
「行くわよ、『アルテミス』。……あなたたちの『Sランク』としての初陣。見せてもらうわ」
要塞の城壁の上に立つと、そこには、この世の終わりのような光景が広がっていた。
空は紫色の雲に覆われ、荒野を埋め尽くす「黒い影」の大群が、要塞に向かって押し寄せてきていた。
形は、狼、熊、ワイバーン……様々だが、その全てが、タールのようなドロドロとした黒い液体で構成され、赤い眼だけが不気味に光っている。
「……うげぇ。マジで『津波』じゃねえか」
レオが、その圧倒的な物量に、顔を引きつらせる。
「……あれに触れれば、通常の装備なら、瞬時に腐食するわね」
エララさんが、冷静に分析する。
「ガレン、あなたの『盾』……いける?」
ガレンさんは、左腕の『アルテミス・ハート・イグニス』を、強く握りしめた。
「……ああ。この盾が、震えている」
ガレンさんの盾が、敵の殺気に呼応するように、ヴォン……と、赤黒い熱波を放ち始めた。
「『食わせろ』と、言っている。……俺の生命力を燃料に、あの汚い影を焼き尽くしたい、とな」
「アリア」
シルヴィア様が、私に指示を出す。
「私が『広域殲滅魔法』で、敵の先頭集団を吹き飛ばす。……その後の『残党』と『再生』を、あなたたちが抑えなさい」
「はい!」
シルヴィア様が、杖を掲げた。
「『紅蓮の劫火』!!」
Sランク魔術師の、本気の戦略級魔法。
上空から、隕石のような巨大な火球が降り注ぎ、黒い津波の最前列を、爆炎と共に蒸発させた。
「ギャアアアアアアッ!!」
影たちが、断末魔もなく消滅していく。
だが――。
爆心地の周囲から、再び瘴気が集まり、消し飛んだはずの影たちが、ムクムクと起き上がり始めた。
「……チッ。やはり、私の『炎』だけじゃ、再生を止めきれないか」
シルヴィア様が、舌打ちをする。
「次! 来るわよ!」
再生した影たちと、後続の群れが、爆炎を乗り越えて、城壁に取り付こうとする。
その中には、体長10メートルを超える、巨人のような影『シャドウ・ギガント』も混じっていた。
「ガレンさん!」
「任せろ!」
ガレンさんが、城壁から飛び降りた。
「オオオオオオオッ!!」
彼は、空中で『アルテミス・ハート・イグニス』を構え、真正面から、『シャドウ・ギガント』の振り下ろす拳に、激突した。
ドゴオオオオオン!!!
以前の『黒曜の心臓』なら、Aランクの攻撃を受けて、ガレンさんの生命力を根こそぎ奪っていた場面だ。
だが、今の盾は違った。
ジュワアアアアアッ!!
「グ、オ……!?」
巨人の拳が、ガレンさんの盾に触れた瞬間、激しい蒸気音と共に『溶解』したのだ。
「……効かねえな」
ガレンさんは、無傷だった。
彼の盾の『地竜の逆鱗』が、接触した『影』を、物理的に弾くだけでなく、その超高熱で『浄化(焼却)』したのだ。
「これが、Sランクの『盾』か……! 生命力の消費も、以前の十分の一以下だ!」
「レオ! エララさん!」
「おう!」
「ええ!」
レオとエララさんも、ガレンさんの背後から飛び出した。
二人は、シェイド様の特訓の成果――『二重奏』の動きで、巨人の左右に展開する。
「『真空刃』!」
「『旋風刃』!」
二人の斬撃が、巨人の両足を切断する。再生しようとする影の断面を、ガレンさんの盾の熱波が焼き焦がし、再生を阻害する。
「アリア! 今よ!」
エララさんが叫ぶ。
私は、城壁の上から、新しい杖『アルテミス・ロッド・アイギス』を、戦場に向けた。
(……見える)
この杖を通して見ると、戦場に満ちる『瘴気』の流れも、味方の『生命力』の残量も、全てが手に取るように分かる。
以前の私は、魔力を「放出」することしかできなかった。
でも、今は違う。
「『聖域展開』――『接続』!」
私が杖を振るうと、戦場全体に、薄緑色の魔法陣が展開された。
それは、エルフの森で見せたような、派手な「浄化」の光ではない。
もっと静かで、もっと実戦的な……
『環境制御』。
「な……!?」
シルヴィア様が、目を見開いた。
「瘴気の濃度が……下がった? いや、味方の周囲だけ、空気が『清浄化』されている……?」
私の魔法は、敵の『再生』の源である瘴気を遮断し、同時に、ガレンさんたちの消耗した体力と魔力を、その場の空気から『還元』して回復させ続けていた。
いわば、敵にとっては『酸素のない水中』、味方にとっては『癒しの泉』の中にいるような環境を、強制的に作り出したのだ。
「……体が、軽い!」
レオが、笑った。
「アリアの支援が、今までとは段違いだ! 魔力が、勝手に湧いてきやがる!」
「これなら、いける!」
ガレンさんが、盾を構えて突進する。
「『シールド・バッシュ・イグニス』!!」
紅蓮の熱波をまとった盾の一撃が、再生能力を封じられた巨人の核を、粉々に砕いた。
「……凄まじいな」
その戦いぶりを、別の城壁から見ていた人物がいた。
Sランク聖騎士、ライオス様だ。彼は、前線から一時帰還し、休息を取っていたはずだが、騒ぎを聞きつけて出てきたのだ。
「あのガレンが……。俺の『聖光撃』を防いだ時以上の硬さと、攻撃力を手に入れている」
「ええ」
隣に立ったシルヴィア様が、満足そうに頷いた。
「そして、あのアリアの『杖』……。彼女は、戦場そのものを『支配』しているわ。……あれこそが、私が求めていた、『魔王の瘴気』への対抗策」
私たち『アルテミス』は、Sランクの戦場という「地獄」を、自分たちの「庭」へと変えようとしていた。
だが、その時。
『影』の群れの奥深くから、今までとは質の違う、冷たく、鋭い殺気が放たれた。
「……!」
私の『索敵』が、それを捉えた。
雑魚じゃない。
指揮官クラス(ネームド)の反応。
「ガレンさん! 下がって!」
私が叫ぶのと、黒い稲妻が、ガレンさんを襲ったのは同時だった。
ガギィィィィン!!
ガレンさんが、咄嗟に盾で受け止める。
だが、その衝撃で、ガレンさんの巨体が、数メートルも後退させられた。
「……ほう」
黒い霧の中から、一人の『人型』の影が現れた。
それは、漆黒の鎧をまとい、手には、禍々しい魔剣を持った、『黒騎士』のような姿をしていた。
「……我が一撃を防ぐか。人間にしては、硬い盾だ」
黒騎士は、赤い双眸で、私たちを見回した。
「我は、魔王軍『七つの大罪』が一人……『憤怒』のヴォルグ」
「魔王軍……幹部……!?」
シルヴィア様の顔色が、一変した。
「まさか、『大障壁』の向こう側から、幹部クラスが抜けてきたというの!?」
ただの『影』ではない。
知性を持ち、Sランクの実力を持つ、本物の『魔族』が、ついに姿を現した。




