第40話:世界樹の「声」と『調整弁』の代償
「……『交渉』の、テーブルに着こう。……我らが『友』よ」
聖域『エルフの森』。その『汚染領域』の中心で、エルフのリーダー、フィンが、私に最大級の敬意を表して、ひざまずいていた。
数分前まで、私たちを「敵意」と「欺瞞」に満ちた侵入者として、殺意の矢を向けていた彼らが、今は、私を「森の癒し手」と呼び、その冷たい瞳には、畏敬の色が浮かんでいる。
「アリア!」
「アリア!」
ガレンさんとレオが、魔力を使い果たして倒れ込んだ私に、慌てて駆け寄ろうとする。
だが、フィンは、それを手で制した。
「……触れるな、人の子らよ」
フィンは、厳かに言った。
「彼女は今、森の『呪い』を、その身に受け止め、そして『祝福』へと『変換』された。……人の身には、あまりにも、過ぎた御業だ」
フィンは、懐から、緑色に輝く小さな『水晶の小瓶』を取り出すと、私の口元に、そっと、その中身を垂らした。
(……つめたい……)
『エルフの霊薬』。
それは、最高級のマナポーションなどとは比べ物にならない、清らかで、膨大な「生命力」の奔流だった。
魔力切れで焼け付くようだった私の回路が、瞬く間に、その聖なる力で満たされていく。
「……!」
私は、数秒で、魔力が全快するのを感じ、驚いて飛び起きた。
「あ、ありがとうございます……フィン様……」
「礼を言うのは、我らの方だ」
フィンは、立ち上がると、私たちが来た方角(森の入り口)ではなく、さらに奥深く、森の『中心』へと、私たちを促した。
「外交官レジナルド卿。そして『アルテミス』の諸君。……交渉の席は、整った」
フィンが言う『交渉の席』とは、会議室のことではなかった。
「我らが母、『世界樹』の、御前である」
私たちは、エルフの守り人たちに「護衛」されながら、森の最深部へと、歩を進めた。
先ほどの『瘴気』の領域が嘘のように、そこは、黄金色の光に満ちた、神々の庭園のような場所だった。
「……すげえ」
レオが、空を飛ぶ、光る蝶の群れを見て、息を呑んでいる。
「これが、聖域……。王都の王城より、よっぽど、格が上だ」
「レオ。武器から手を」
エララさんが、レオの、無意識に双剣の柄に伸びた手を、厳しく制した。
「ここは、もう『戦場』じゃないわ」
やがて、私たちは、森が拓けた、巨大な円形の「湖」のほとりに、たどり着いた。
その湖の中心、水面から、天を突き破るかのように、一本の、巨大な『樹』が生えていた。
それは、私たちが『大森林』で見た、どんな巨木よりも、大きく、古く、そして……神々しかった。
樹の幹は、白く輝き、その枝葉からは、常に、黄金色の魔力が、霧のように、こぼれ落ちている。
あれが、『世界樹』……。
「母なる樹よ」
フィンが、湖のほとりで、深く、ひざまずいた。
「北の『瘴気』は、この者、『アリア』の『変換』の力により、『癒され』ました」
「……」
「この者たちは、『交渉』を、求めております。ボルカン師の『試練』のため、あなたの『魔核』の一部を、求めております」
森が、静まり返る。
私たちは、息を詰めて、その『樹』の、答えを待った。
(……小さき、人の子らよ)
声が、聞こえた。
それは、耳から聞こえる「音」ではなく、頭の中に、直接、響いてくる、優しく、そして、厳かな「声」だった。
レオも、ガレンさんも、驚いて、周囲を見回している。
『世界樹』が、私たちに、直接、語りかけていた。
(アリア。……『変換』の力を持つ、娘よ)
(あなたが、我らの森を、癒してくれたこと。……感謝します)
(北の『瘴気』は、我らの『浄化』の力では、祓えなかった。……それは、我らの『生命』の理とは、対極の『呪い』だったから)
「……!」
「しかし」
レジナルド卿が、外交官として、一歩前に進み出た。
「大いなる『世界樹』よ。我らは、その『癒し』の代償として、あなたの『魔核』を、求めております。……我らの無礼を、承知の上で、どうか、お聞き届けを」
(……知っています)
世界樹の声は、穏やかだった。
(あなたがたが、その『魔核』を、なぜ、必要としているのか)
(鍛冶師ボルカンは、『調整弁』と、言いましたね)
(……アリア。あなたの『力』は、あまりにも『純粋』すぎる)
「……!」
(あなたは、『瘴気』を、『生命力』に『変換』した)
(あなたは、『力』の『均衡』を、破壊し、新たなる『秩序』を、生み出す)
(その『力』は、Sランクの『呪物(黒曜の心臓)』ですら、内側から、破壊する)
世界樹の言葉は、ボルカン師の指摘と、全く同じだった。
(あなたの仲間は、あなたの『力』を受け止める『器』が、必要)
(そして、あなた(アリア)は、あなたの『力』を、『器』に注ぎ込むための、『制御』が、必要)
(良いでしょう)
世界樹は、そう、宣言した。
(ボルカン師の『試練』。そして、シルヴィア(Sランク)の『期待』。……何より、森を救った、あなたの『功績』に免じ、私の『魔核』の一部を、授けます)
その瞬間。
世界樹の、天を覆うほどの枝葉から、一本の、細い枝が、ゆっくりと、私たちの前まで、降りてきた。
その枝の先には、湖の水面のように、淡い翠色に輝く、『魔石』が、結実していた。
あれが……『世界樹の魔核』……!
「……ありがとうございます……!」
私が、震える手で、それを受け取ろうとした、その時。
(……ただし、アリア)
世界樹の「声」が、初めて、厳しい『警告』の響きを、帯びた。
(その『魔核』は、『調整弁』です。あなたの『力』を、抑え込むものでは、ありません)
(それは、あなたの『力』を、より『効率的』に、『指向性』を持って、解き放つための、『増幅器』です)
「え……?」
(『力』の『制御』とは、『弱める』ことでは、ありません)
(『力』を、『正しい方向』に、一滴も、無駄にすることなく、『集中』させることです)
(あなたは、この『魔核』を手に入れることで、さらに『強く』なる)
(……アリア。『変換』の力を持つ、娘よ)
世界樹の、最後の言葉が、私の心に、深く、突き刺さった。
(『魔王の瘴気』は、『大障壁』の、ほんの『兆候』にすぎません)
(『紅蓮の獅子』のシルヴィアが、今、戦っているのは、『本物の危機』です)
(あなたの、その『Sランク級の支援』が……いいえ、『世界の理を『変換』する力』が、必ず、必要になる)
(その時まで、仲間と共に、『力』を、磨きなさい)
世界樹の『声』が、消えた。
私の手の中には、膨大な、しかし、驚くほど『静か』で『安定』した魔力を秘めた、『世界樹の魔核』が、握られていた。
ボルカン師の『試練』、二つ目。
そして、シルヴィアさんの『Sランク任務』。
私たちは、その両方を、『戦闘』ではなく、『交渉』と、私の『力』の『証明』によって、クリアした。
「……帰ろう」
エララさんが、私の肩を支えた。
「王都に。……ボルカン師の、工房に」
「……ああ」
ガレンさんが、深く頷く。
「残るは、一つ」
「……『地竜の逆鱗』」
私たちは、エルフの森の、『友』として、手厚く見送られ、聖域を後にした。
王都での、最後の『試練』へと、挑むために。




