第39話:瘴気の森と「癒し」の証明
「――『交渉』の、テーブルに着いてやろう」
聖域『エルフの森』の入り口。
私たち四人と外交官レジナルド卿に向けられていた、エルフの守り人たちの、殺意に満ちた魔力の弓が、ゆっくりと下ろされた。
リーダー格のエルフ――その名を「フィン」と呼ぶらしい――は、木の枝の上から、私を、冷たい、しかし、もはや敵意ではない、「鑑定」するような目で見下ろしていた。
私が、とっさに杖を捨て、丸腰で「交渉」を願い出たこと。
そして、私たちが『世界樹の魔核』を求める理由が、「力」の暴走を「制御」するためだと、正直に告白したこと。
その二つが、彼らの「動かない」間合いの中で、唯一の「正解」だったようだった。
「……アリア嬢」
私の隣で、外交官のレジナルDナルド卿が、そっと汗を拭った。彼は、王国最高の交渉役でありながら、今、このSランク任務の主導権が、完全に私に移ったことを、理解していた。
「……シルヴィア様は、正しかった。エルフ族との交渉は、『力』の駆け引きではない。『心』の、ありようを問われるものだ」
「小娘」
エルフのリーダー、フィンが、枝から音もなく私たちの前に降り立った。彼は、私たちが『大森林』で見た『エメラルド・ジャガー』よりも速く、静かだった。
「汝の『言葉』は、受け取った。だが、『交渉』のテーブルに着く条件は、汝が、我らの『問題』を、解決できるかどうかだ」
フィンは、森の、さらに奥深く……王都とは反対側、北の『大障壁』の方角を指さした。
「来い。汝の『力』が、シルヴィア(Sランク)が信じるに足るものか。その目で、見極めてやる」
私たちは、フィンを先頭に、レジナルド卿を中央に、そしてガレンさん、エララさん、レオが、武器に手をかけながらも、決して抜かないという、異様な緊張感の陣形で、聖域の奥深くへと足を踏み入れた。
森は、入り口付近とは、まるで違っていた。
空気は、神聖なほどに澄み渡り、木々の間からは、黄金色の光が差し込んでいる。
「……すごい」
レオが、小声で呟いた。
「王都の魔術師団本部より、魔力が、濃い……」
「これが、聖域……」
だが、一時間ほど歩いた頃。
その神聖な空気は、一変した。
「……!」
「アリア?」
私は、思わず足を止め、口元を押さえた。
空気が、淀んでいる。
『古代ドワーフ鉱山跡』の、あの鉄臭さとも違う。
『アンデッドロード』が放っていた、あの「死」の匂いとも違う。
もっと、根源的な……「拒絶」の匂い。
「……ここから先が、『汚染領域』だ」
フィンが、足を止めた。
目の前の光景に、私たちは、息を呑んだ。
黄金色に輝いていた森が、まるで「病気」のように、黒く、変色していた。
木々は、枯れこそしないものの、その幹は、黒い「痣」のようなものに覆われ、地面に生い茂る下草は、毒々しい紫色に変色している。
森が、泣いている。
「……これが、『魔王の瘴気』……」
ガレンさんが、苦々しく呟いた。
「そうだ」
フィンが、黒い痣に覆われた木に触れた。
「『大障壁』の亀裂から、漏れ出している、呪いの力。……シルヴィア(Sランク)が、今、あちら側で、命がけで、その亀裂を塞ごうとしている」
「……」
「だが、漏れ出した『毒』が、我らの森を、こうして、蝕んでいる」
フィンは、私たちに向き直った。
「我らエルフの魔術は、『浄化』の力だ。だが、この『瘴気』は、我らの『浄化』を、嘲笑う」
フィンが、杖を構え、聖なる光を放つ。
『浄化』!
瘴気に覆われた下草に光が当たる。だが、瘴気は、霧散するだけで、消えない。そして、数秒後には、再び、元の毒々しい紫色に戻ってしまう。
「……我らの『浄化』は、『死』を『無』に還す力。だが、この瘴気は、『死』ですらない。『生』を『歪める』力だ。……我らには、これを『癒す』術がない」
フィンは、私を見た。
その目は、私たちを試す「監査官」の目ではなく、助けを求める「依頼人」の目、だった。
「アリア。シルヴィアは、言った」
「『あの子の力は、Sランクの私とも違う、全く異質なものだ』と」
「『あの子は、力を『奪い』、『変換』する』と」
フィンは、私に、道を開けた。
「見せろ、人の子。汝の『変換』の力が、この『魔王の呪い』に、通用するのかを」
「……」
私は、ゴクリと唾を飲んだ。
Sランク魔術師シルヴィアさんが『大障壁』で戦っている、国家級の危機。
その「欠片」が、今、私の目の前にあった。
ボルカン師の『試練』より、Sランクの『監査』より、重い。
もし、私が、ここで失敗すれば……。
「……アリア」
レオが、私の肩を叩いた。
「お前なら、できる。あの『アンデッドロード』の『闇』を、『聖なる光』に変えたみたいに」
「……うん」
私は、一歩、前に出た。
瘴気が、まるで生き物のように、私を「拒絶」して、揺らめいた。
(怖い……)
(あの『アンデッドロード』の魔力より、ずっと、冷たい……)
私は、杖を構えた。
(『力の天秤』は、使えない。使わない)
(これは、私が『制御』する、『進化魔法』の試練……!)
私は、まず、『アンデッドロード』を浄化した、あの魔法を試した。
「『浄化』!」
だが、ダメだ。エルフのフィンがやったのと同じ。瘴気は、一瞬だけ、霧散するが、すぐに元に戻ってしまう。
(……レオくんの言う通りだ。あの時、私は、アンデッドロードの『闇』の魔力を、『吸収』して、『聖』の力に『変換』した)
(『瘴気』は、魔力じゃない。『呪い』そのもの)
(でも……『吸収』できる……?)
私は、あの『タンク・ブレイカー』との戦いを思い出した。
ゴーレムの『構造』を解析し、『弱体化』させた、『脆弱化・改』。
ガレンさんの『生命力』を吸い取った、『黒曜の心臓』。
(『瘴気』の『構造』を、解析して……)
(その『呪い』の『核』を、私の『力』で……)
「……やってみます」
私は、覚悟を決めた。
私は、右手を、黒く変色した『痣』のある、巨木に、そっと、触れた。
「「「アリア!?」」」
ガレンさんや、エルフたちまでもが、驚きの声を上げた。
瘴気に、素手で触れるなど、自殺行為だ。
「ぐ……!」
触れた瞬間、指先から、凄まじい『冷気』と『倦怠感』が、私の魔力回路を逆流してきた。
(これが、『魔王の瘴気』……!)
(私の『魔力』を、喰らおうとしてる……!)
(いいえ!)
(喰われる(・・)んじゃなく、喰らう(・・・)の!)
「『脆弱化・極』――『吸収』!!」
私が、全魔力を込めて『進化魔法』を発動させると、巨木を覆っていた、あの禍々しい黒い『痣』が、まるで、私の右腕に吸い込まれるかのように、私に向かって、流れ込んできた。
「アリアアアアア!」
レオが、私を助けようと、駆け寄る。
「動くな、小僧!」
エルフのフィンが、レオの前に立ちはだかった。
「……見ろ! あの光を!」
「ぐ……あああああああああっ!!」
私の全身が、瘴気を吸い込んだことで、黒いオーラに包まれる。
(痛い……! 寒い……! 『呪い』が、私を、内側から……!)
(でも、私は、知っている!)
(この『闇』を、『光』に『変換』する、術を!)
私は、左手を、地面に叩きつけた。
「『変換』――『聖域転換』!!!!」
私の右腕から吸い込んだ、莫大な『魔王の瘴気(呪い)』が、私の体を通り抜け、左手から、『聖なる生命力』へと『変換』され、地面に、解き放たれた。
パアアアアアアアアアアアッ!!!!
私を中心として、黄金色の光の波紋が、一気に広がった。
光が通り過ぎた場所から、毒々しい紫色だった下草が、瞬く間に、元の、鮮やかな緑色へと『再生』していく。
黒い『痣』に覆われていた木々の幹が、その呪いを『浄化』され、生命力を取り戻していく。
森が、『癒されて』いく。
「……」
私は、魔力のほとんどを使い果たし、その場に、倒れ込んだ。
「……はぁ……はぁ……」
「……アリア!」
ガレンさんたちが、私に駆け寄る。
だが、それよりも早く、エルフのリーダー、フィンが、私の前に、ひざまずいていた。
彼は、瘴気が消え、新芽さえも生え始めた、その地面を、震える手で、すくい上げた。
「……消えた」
「瘴気が……『無』に還った、どころではない……」
「……『癒された』……?」
フィンは、ゆっくりと、顔を上げた。
彼を、数百年も悩ませてきた「呪い」を、目の前で「祝福」に変えた、小さな人間の魔法使い(わたし)を。
その、冷たかったエルフの瞳には、もはや「鑑定」も「驚愕」もなく。
ただ、静かな「畏敬」と「感謝」が、浮かんでいた。
「……人の子、アリア。……いや、『森の癒し手』よ」
フィンは、私に、エルフ族の、最大級の敬意を表す、深い礼をした。
「……『交渉』の、テーブルに着こう。……我らが『友』よ」




