第18話:「足枷」との同行と霧の谷の影
「私には、私が昔から使ってきた、優秀な『支援魔法』がありますから」
私が監査官ヴァレリウスに向かってそう宣言すると、彼は一瞬虚を突かれた顔をし、すぐに、侮蔑と嘲笑が入り混じった表情に戻った。
「……ほう。『支援魔法』、か。カイトやマルクス伯爵の報告通り、『力の天秤』以外の魔法は『無能』だと聞いていたが……。まあ、いいだろう」
ヴァレリウスは、カウンターのバフジンさんに向き直った。
「ギルドマスター。聞こえたかね? 彼らは自ら、Bランクの『調査』依頼――それもAランク級モンスターが関わる危険な任務――を、『スキル禁止』の状態で受けると言った。ギルドとして、これを『許可』するのだな?」
「……ああ」
バフジンさんは、苦々しい顔で頷いた。
「依頼の受注は、冒険者の自由意志だ。たとえ、それが無謀な自殺行為だとしてもな」
「結構」
ヴァレリウスは、満足そうに頷いた。彼は、私たちがワイバーンに手も足も出ず、無様に逃げ帰るか、最悪、死ぬことすら望んでいるのだ。
「では、私も『同行』させてもらう」
「「「!?」」」
「監査官殿、本気か」ガレンさんが、さすがに眉をひそめた。「『霧の谷』は、Aランクモンスターの巣窟だ。あなたが来て、安全の保証はできん」
「それこそが『監査』だ、ガレン」
ヴァレリウスは、冷酷に言い放った。
「私は、アリアが『力の天秤』という規約違反のスキルを使わないか、この目で『監視』する義務がある。……そして、王都監査局の私の身を守るのも、任務を受ける君たちの『義務』だ」
「なっ……!」
レオが、思わず剣の柄に手をかけた。
「てめえ、ふざけんのも大概にしろよ! 俺たちは、テメェの護衛をしに行くんじゃねえ!」
「言葉を慎め、双剣使い」
ヴァレリウスは、レオの殺気など意にも介さず、私を見た。
「それとも、何か? 『天秤』を使わなければ、Aランクモンスターから私一人守ることすらできない、と。『アルテミス』の実力はその程度だ、と。自ら認めるかね?」
「…………」
最悪の「こじつけ」であり、最悪の「足枷」だった。
Aランク級のワイバーンと対峙しながら、この監査官を守らなければならない。
そして、ワイバーンを倒すために『天秤』を使えば規約違反。使わなければ、この男(と私たち)が死ぬ。
彼は、私たちを「詰み」の状況に追い込んだのだ。
「……分かりました」
私が答えると、仲間たちが驚いて私を見た。
「監査官殿。あなたも『同行』してください。そして、その目で、しっかり見てください」
私は、自分の杖を強く握りしめた。
「私たちが、Aランクの『看板』がなくても、最強の『スキル』がなくても……。仲間と『支援魔法』さえあれば、どんな困難だって乗り越えられるってことを」
「……アリア」
「フン。面白い。その『支援魔法』とやらで、ワイバーンのクチバシから私の身を守れるか、見せてもらおう」
翌朝。
私たちは、ギルドマスターのバフジンさんだけに見送られ、街の門を出た。
メンバーは、私、ガレンさん、エララさん、レオ。
そして――私たちのすぐ後ろに、これみよがしに監査官用の馬車まで用意させ、ふんぞり返って座っているヴァレリウス監査官。
「……おい、アリア」
馬を並走させるレオが、小声で私に囁いた。
「マジで、どうすんだよ。あの馬車、目立ちすぎるだろ。ワイバーンに『ここを襲ってください』って言ってるようなモンだぞ」
「……うん。分かってる」
『霧の谷』は、その名の通り、一年中深い霧に覆われた渓谷だった。
馬車が谷の入り口に差し掛かった途端、空気が張り詰め、視界が一気に悪くなる。
「……ガレン、エララ、レオ。馬車を中央に。私たちが四方を固めます」
「応」
私たちは、監査官の馬車を守るように、緊密な陣形を組んで、ゆっくりと谷底へ進んだ。
霧のせいで、アリアの索敵も範囲が狭まっている。
「……静かすぎる」
エララさんが、長剣を抜き放った。
「来るわ」
その瞬間。
霧の奥から、甲高い、空気を切り裂くような叫び声が響いた。
「グギィィィィィアアア!!」
「上だ!」
ガレンさんが、馬車の屋根を守るように塔盾を掲げた。
直後、霧を突き破って、巨大な影が馬車に襲いかかった。
ガギィィィィン!!
ガレンさんの盾が、ワイバーンの鋭い爪を真正面から受け止めた。馬車が凄まじい衝撃で軋む。
「ひぃぃぃっ!」
馬車の中から、ヴァレリウスの短い悲鳴が聞こえた。
「グギャアアア!」
ワイバーンは、獲物(馬車)を邪魔されたことに怒り、上空へ舞い上がると、今度は口に炎を溜め始めた。
ブレスだ!
「ガレンさん! 馬車の防御を!」
「レオ、エララさん! 側面から牽制!」
「待て! アリア!」
レオが叫んだ。
「あんなデカブツ、俺たちの剣じゃ牽制にもならねえ! 『天秤』で力を奪うしか――!」
「ダメです!」
私は、馬車の窓から、ヴァレリウスが私たちを監視しているのを、確かに見た。
(今、『天秤』を使えば、規約違反……!)
(でも、使わなければ、あのブレスで馬車ごと焼かれる……!)
「アリア!」
ガレンさんの、悲痛な声が響く。
私は、覚悟を決めた。
(『天秤』じゃない……! 私が、カイトのパーティーで、ずっと研究してきた、『支援魔法』!)
私は杖をワイバーンに向けた。
「『天秤』なんて使いません! これが、私の『支援魔法』です!」
「『脆弱化・改』――『吸収』!!」
「『鈍足・改』――『重圧』!!」
私が二つの「進化魔法」を同時に放つと、ブレスを放とうとしていたワイバーンの動きが、ピタリ、と一瞬止まった。
「グ……ギ……?」
ワイバーンは、自分の体に、今まで感じたことのない「重さ」と「倦怠感」が走ったことに、戸惑っている。
「今です! エララさん、レオ!」
「「応!!」」
「『付与』!」
私は、二人の剣に、訓練場で編み出した『進化魔法』をかける。
二人の剣が、霧の中でも分かるほど強く輝き、レオとエララさんは、馬車の両脇から、動きが鈍ったワイバーンの翼の付け根に向かって、同時に駆け上がった。




