妖精の言葉が聞こえる伯爵令嬢は、妖精の存在を証明したい
『セリーヌ、セリーヌ』
「どうしたの、ソフィ」
肩口をふわふわと飛んでいるのはセリーヌの友達である妖精のソフィだ。
肩にちょこんと座ったソフィは心配そうにセリーヌの頬を撫でた。
『またたたかれたの? だいじょうぶ?』
「大丈夫よ。こんなの、痛くもなんともないわ」
痛々しく腫れあがった頬をソフィがなでると、少しだけ痛みが和らぐ。
セリーヌは自室のベッドに腰を下ろして、ため息を吐きだした。
ぎしりときしんだベッドは年季の入ったもので、屋根裏部屋にあることを含めてセリーヌの立場を現している。
「どうして誰も、妖精の存在を信じてくれないんだろう……」
セリーヌには昔から妖精の姿が見えていた。
小さくて羽が生えてて、自由気ままに飛び回る妖精たち。
だが、それを口にするたびに「頭がおかしい」「妖精などいるはずがない」「気が狂っている」と怒鳴られ、拒絶され、迫害され続けた。
妖精はセリーヌ以外に見ることはできず、いないもの、として扱われているのだと認識したときには全てが手遅れだった。
セリーヌは伯爵令嬢だが、妹が産まれたのをきっかけに屋根裏部屋に追いやられた。
家族団らんの席にセリーヌの居場所はない。
それでもセリーヌは寂しくなかった。
傍には妖精たちがいてくれたし、一番仲良しの妖精のソフィがずっとセリーヌを気遣ってくれていたから。
『セリーヌ、セリーヌ。おたんじょうび、おめでとう』
「ああ、日付が変わったのね」
今日はセリーヌの十五歳の誕生日だ。
誰にも祝われることはないと思っていたが、ソフィが一番に祝ってくれたのは、少しだけ嬉しい。
真っ暗な部屋には星の明かりだけが差し込んでいる。
暗闇に慣れた目で妖精が飛行するたびにあたりに散らばる光の欠片を追いかけてセリーヌは微笑んだ。
『セリーヌ、ねがいはないの?』
「願い?」
『そう! セリーヌのねがい!!』
思わぬ問いかけにセリーヌは考えこむ。ねがい、と口にしてセリーヌはへにゃりと眉を寄せた。
「おともだちが、ほしいなぁ」
『わたしたちがおともだちよ、セリーヌ』
「ふふ、そうね」
妖精たちがいるから大丈夫、そう見栄を張っていても、やっぱり寂しい気持ちはある。
家族に期待するのはもう止めたから、だったら友達が欲しいな、と思ってしまうのだ。
『ほかにはないの、ねがいごと』
「うーん……それなら、妖精の存在を証明したい、かなぁ」
『わたしたちのしょうめい? それはどうやったらできるの?』
「ううーん……魔法学院に通う、とか……?」
魔法が習えるという魔法学院ならば、あるいは妖精の存在の証明ができるのではないかと思ったのだ。
考えながら答えたセリーヌに、きゃらきゃらとソフィが笑う。
『わかったわ! まほうがくいんにかよえればいいのね!』
「……え?」
ぱっと目の前が光ったかと思ったら、セリーヌは埃っぽい屋根裏部屋ではなく清潔感のある部屋にいた。
ベッドの上のシーツは黒ずんでいなくて、まっすぐに立つのが辛い部屋の高さでもなくて、大きな窓からは星明りが綺麗に差し込んでいる。
「え? え?」
驚いて周囲を見回すセリーヌは見たことのない制服に袖を通している。
新品のような制服は今まで身に着けていたぼろぼろのお下がりのドレスではない。
意味が分からなくて瞬きを繰り返すセリーヌの耳元で聞きなれた声が笑っている。
『セリーヌのねがいごと! かなえたわ!』
「え、えー」
どうやらソフィによって『魔法学院に通いたい』という願いが叶えられたらしい。
妖精は気ままな生き物だ。
セリーヌは意思疎通ができるから忘れがちだが、今までにも斜め上の方向で願い事が叶ったことは何度かある。完全に失念していた。
いったいどういう理由で魔法学院の生徒になっているのだろう。
首を傾げつつ、セリーヌはいったん考えることをやめて、制服を脱いで信じられないほどふかふかのベッドにもぐりこむのだった。
翌日、目を覚ましたセリーヌは欠伸をかみ殺してベッドから起き上がった。
久々に体が痛くない。ふかふかのベッドで寝ることができたからだろう。
「ここが本当に魔法学院なら……授業とかあるのかな……」
寝起き特有のぼんやりとした頭で考える。
昨日脱ぎ捨てた制服を拾って袖を通したセリーヌは、恐る恐る顔を洗った。冷たい水で顔を洗うのは久々な気がする。
置いてあったブラシで髪を梳く。
「あ、お風呂」
もう一週間はまともにお風呂に入っていない。
さすがにその状態で外に出るのはどうだろう。
迷った末にセリーヌはブラシを置いてお風呂に入ることにした。
なかなか泡立たない髪や肌を丁寧に洗って、ソフィの力を借りて風魔法で髪を乾かしたセリーヌは再び制服に袖を通して、そっと部屋から出た。
見知らぬ建物の中をきょろきょろと周囲を見ながら進んでいく。
お腹が空腹を訴えているが、どこで食事がとれるのかもわからない。
浅く息を吐き出したセリーヌに、背後から声がかけられた。
「君、どうしたんだ?」
「え?」
柔らかくて落ち着いた声音だ。自分に掛けられたものだと一瞬認識できないほどに。
くるりと振り返ったセリーヌの目の前では、穏やかな表情で一人の男子生徒が微笑んでいる。
「見ない顔だな、転校生かい?」
「えっと、あの」
なんと答えていいのかわからない。どういう立ち位置でここにいるのかもわかっていないのだ。
答えに窮したセリーヌの手を、男子生徒がとる。
「私はジェラーズだ。よろしく頼む」
「はい!」
温かい手に握られて、心底お風呂に入ってよかった……! と安堵するセリーヌなのだった。
ジェラーズに案内されて、無事食堂にたどり着いたセリーヌは、そこで初めて温かな食事を口にした。
食べながらぽろぽろと涙をこぼしたセリーヌにジェラーズはずいぶん驚いていたけれど、事情を深く尋ねることもなく寄り添ってくれた。
そのあとジェラーズと一緒に職員室を訪れたセリーヌは、転校生として扱われていることを知った。
肩書はそのままモロー伯爵家長女、であるらしい。
どういう原理で魔法学院の生徒になったのかは不明だが、妖精の行使する魔法は不可思議なものが多い。
深く考えることなくセリーヌは降ってわいた幸福を享受することにした。
だが、魔法学院での生活は楽なものではなかった。
それまでまともな教育を受けてこなかったセリーヌにとって、文字の読み書きだけでも精いっぱい。
そこに専門的な知識が加わると、あっという間にセリーヌは授業から取り残されて一人ぼっちになった。
妖精を除いて唯一気にかけてくれるのは、ジェラーズだけだった。
彼はセリーヌが図書館で遅くまで自習をしていると、隣で本を読みながら、あれこれとセリーヌが躓いている箇所の解説をしてくれる。
ありがたい、と思うのと同時に申し訳なかった。
その頃にはジェラーズが隣国から遊学で学院に来ている王太子だと知っていたからだ。
「ジェラーズ様は、どうして私にかまってくださるのですか?」
「うん? そうだね、一生懸命だから、かな」
そんなやり取りを交わしつつ、セリーヌはジェラーズに導かれるように真綿が水を吸い込む勢いで様々なことを吸収していった。
「ジェラーズ様は、妖精はいると思いますか?」
「妖精? この国ではいないものとして扱われているのは知っているけれど」
学院でも妖精がいると口にすれば排斥されるかもしれない。やっと手に入れた居場所を手放すのが怖くて、セリーヌは当初の願いだった「妖精の存在の証明」ができずにいた。
だが、妖精との約束は守らなければならない。
ずっとずっと幼いころ、彼らと約束したのだ。
『妖精の存在を証明するね』
と。そして、この学院にくるきっかけもまた『妖精の存在の証明』だった。
約束を守らなければ、やっと手に入れた現状を失くすかもしれない。
妖精たちはなにも言わないけれど、約束を守らない存在に妖精は容赦しないとセリーヌはよく知っていた。
穏やかな日々に反して、焦燥が心を焦がしていく。
だから、セリーヌは。少しだけ強引な手段に出た。
妖精たちの力を借りて、騒ぎを起こした。
とはいっても、大したものではない。
食べかけの食事が無くなるとか、教科書が見当たらなくなるとか、天気は晴れなのに雨が降る、とかだ。
一つ一つは些細なものだ。だが、重なれば不信を生む。その時、セリーヌはそっと口を開いた。
「妖精の仕業ではないかしら」
そう噂を流した。
妖精の存在を、遠回しでいいから証明したかった。
彼らはここにいるのだと、認めてほしかった。
同じくらい、約束を守らなければと焦っていた。
だが、今まで隔離された空間で暮らしていたセリーヌの流した噂は、すぐに暴かれる。
そもそも、妖精が存在しないとされている国で妖精の仕業でことを済ませようというのが無理筋であったのだ。
「セリーヌ様がおかしなことを口にしている」
「妖精の仕業だというけれど、セリーヌ様が犯人なのでは?」
「モロー伯爵家の長女は頭がおかしいと聞いたことがあるわ。事実だったのかしら」
そんな風にひそひそと噂をされだすのに、時間はかからなかった。
ますます孤立したセリーヌは唇を噛みしめて日々を過ごすしかなく。
そして、セリーヌの感情に触れる妖精たちは彼女の気持ちに呼応して、ますます悪戯を過激なものへとしていった。
「ドレスがないわ! 今日はパーティーに呼ばれているのに!!」
「アクセサリーがみあたらないの。婚約者の方からいただいたのに」
「空から雷が落ちてきたぞ! 一歩間違えれば死ぬところだった!!」
生徒たちは看過できない悪戯の数々にとうとう業を煮やして。
セリーヌは原因不明の諸々の悪戯の原因としてやり玉に挙げられることになった。
「セリーヌ嬢! 貴女が原因なのだろう!!」
昼食を食べようと食堂に足を運んだセリーヌを取り囲むのは、魔法学院の生徒会のメンバーだ。
生徒会長の男子生徒から向けられた鋭い糾弾の言葉に、セリーヌは大きく目を見開く。
「わたくしのドレスを返していただける?」
「私のアクセサリーも!」
生徒会長の両隣に並ぶ女子生徒から向けられる悪意に、セリーヌの体が震える。
久しく浴びていなかった害意に呼吸が早くなる。
「ど、う、して……」
「貴女以外に怪しい奴がいないからだ!」
「妖精がいるなどと頭がおかしいことをいいふらして! 皆が認めないからと、実力行使に出るなんて貴族の風上にも置けませんわ!!」
逃げるように視線を滑らせる。
だが、周囲で様子をうかがっている生徒は誰一人セリーヌを助けようとはしない。
どころか、彼ら彼女らの視線はセリーヌこそが犯人だと責め立てる色をしている。
呼吸ができない。息が苦しい。誰も私を認めてくれない。
『セリーヌ! いいかえしちゃえ!』
耳元で騒ぐ妖精の声が、セリーヌ以外には聞こえていない。
ぼろり、涙が溢れて。零れ落ちようとした、その瞬間。
「待て、話が性急すぎる」
止めに入ってくれたのはジェラーズだった。
セリーヌを守るように、彼女の前に立ちふさがったジェラーズの後ろ姿に、ぱちりと瞬きをする。涙が頬を伝う。
「彼女の言い分を聞かず、一方的に責め立てるのはフェアではない」
隣国とはいえ、王太子の言葉に場が静まり返る。生徒会長が震える指でセリーヌを指さす。
「だが、彼女の言動は普段からおかしい」
「それはセリーヌ嬢を断罪する理由にならない」
庇ってもらっている。
それが、この上なく嬉しくて――セリーヌが今まで持てずにいた勇気を与えてくれた。
セリーヌはジェラーズの肩に手を置く。
ちらりと振り返ったジェラーズに浅く頷くと、彼はセリーヌの前から隣へと下がってくれた。
「申し訳ありません」
深々とセリーヌは頭を下げる。
妖精の存在を証明したかった、けれど、やり方を間違えたのだと、ようやく理解できたから。
「私は妖精の姿が見えるし、声が聞こえます。その存在を、証明したかったのです」
頭を下げたままセリーヌが口にした言葉に、場がざわめく。
「妖精?」
「空想の産物ですわ」
「やはり頭が」
心無い言葉はとても痛い。けれど、それ以上に庇ってくれたジェラーズに誠実な自分でいたかった。
「……セリーヌ」
「はい」
「頭を上げてくれ」
肩に手が置かれる。頭を上げるように促されて、視線を上げたセリーヌは自分を見つめる様々な猜疑の瞳に心が痛かった。
しかしそれは、ジェラーズが真摯に問いかけてくれた言葉で霧散する。
「今ここで、妖精の存在を証明することは可能か?」
「……何をしたら、存在の証明になるでしょうか?」
それがセリーヌにはわからない。だから間違ったことをしてしまった。
セリーヌの問いかけにジェラーズは、では、と口を開く。
「彼女にドレスを返してあげられるか?」
ジェラーズが示したのは、先ほどドレスが無くなったと口にしていた女子生徒だ。
セリーヌは自分の左肩のあたりをふわふわと浮かんでいるソフィに問いかける。
「できる? ソフィ」
『できるわ!』
にこりとソフィが笑った瞬間、女子生徒の手元にぽん! とドレスが現れた。
人間の魔法では説明できない、無から有が出現する。
「え? え?」
「それは貴女のドレスで間違いないだろうか?」
「は、はい」
狼狽える女子生徒が、それでもジェラーズの言葉に頷く。
「次はアクセサリーだ、セリーヌ」
「お願い、ソフィ」
『ええ!』
そうして、セリーヌは次々とソフィに指示を出して『悪戯』で奪ったものを返していった。
生徒たちはぽかんとしていて、信じられないものを目の当たりにしている顔をしている。
すべてを返し終えるころには、皆恐る恐る周囲を見回しては手元に失くしたものが返ってきた生徒たちを見て、目を丸くしている。
「これは妖精の証明になるだろうか? 私は国が違うから、この国の感覚で教えてほしい」
ジェラーズが問いかけたのは生徒会長だ。彼もまた、失せ物が戻ってきて目を白黒させている。
「……妖精は、いるのかもしれない、な」
生徒会長がぽつりと零した言葉が、その場にいた全員の気持ちを代弁していた。
▽▲▽▲▽
騒ぎを起こしはしたものの、奪ったものを全て返し、さらにはジェラーズの口添えもあって無事に学院を卒業できたセリーヌは、彼に誘われるまま隣国へと渡った。
家に戻ることができない、と以前零してしまったのを覚えていてくれたのだろう。
隣国でセリーヌに与えられた仕事は『妖精の存在の証明』だった。
元々隣国では『妖精がいると仮定した』研究がされていたという。
そこにセリーヌという妖精と触れ合える人材がきて、研究は加速度的に進んだ。
セリーヌは毎日生き生きと過ごしている。
学院での妖精事件からずっと、ジェラーズに淡い思いを抱いていたが、立場の差からなにも口にはできなかった。
けれど。ある日セリーヌに宛がわれた研究室を訪れたジェラーズからこんな風に切り出された。
「セリーヌ、研究がひと段落したら王宮に上がらないか?」
研究所に勤めだしてからも頻繁に顔を出してくれていたジェラーズの思わぬ言葉に、ぱち、とセリーヌは瞬きをした。
ぱちぱち、何度瞬きをしてもセリーヌの前でいささか緊張した面持ちをしているジェラーズの表情は変わらない。
「え、っと」
「セリーヌが嫌でなければ、だが。私の妃となってほしい」
「っ」
それは紛れもない愛の告白で。
大きく目を見開いたセリーヌの前で、ジェラーズは静かん返事を待っている。
ぽろ、と涙が零れ落ちた。ぽろぽろと涙が溢れて止まらない。
「セリーヌ」
「う、嬉しくて……! わ、わたし、誰かに必要とされたこと、なかったから……!」
喜びに泣きじゃくるセリーヌの肩に優しい手が触れる。
もう片方の手が頬に添えられて、顔を上げるように促された。
そっと視線をあげたセリーヌの唇に柔らかくて温かいものが触れる。
「セリーヌ、君を愛している。初めて会ったあの時から。一目ぼれだったんだ」
照れたように笑うジェラーズの言葉に、胸が痛い。でも、それは心地よい痛みだ。
セリーヌはただ、何度も頷いた。そして。
「私も、お慕いしています……!」
思いを交わして、もう一度口づけを贈る。
とても甘い口づけに、傍にいたソフィが『きゃあ!』と歓声を上げた。
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