36話:バークティ妃の記憶
謁見の間に入る前に、衛兵によって身体検査や持ち物検査がなされる。
剣などの武器を持ち込むことは許されていない。腰に剣を帯びているのは王だけである。
しかし華奢なアイシュワリヤー妃が王の剣を取り上げ、突き刺すなど不可能だろう。体格差もあるし、素振りを見せれば阻止される。
(あれ…扇の端が…)
アイシュワリヤー妃の手元をよく見て、カエは気付いた。
あれは、象牙細工の美しい扇だ。
(そっか、仕込み武器っていうんだっけ…)
扇に仕込まれた刃で、王を刺したのだ。
(でも、あのマッスルボディに致命傷はきっと無理そう)
カエの見立て通り、大した傷を負わせることは出来ていないようだ。
王は片肘で椅子にもたれ、微動だにしていない。目の前の必死の形相のアイシュワリヤー妃を、涼しい表情で眺めるように見ていた。
「わたくしの国を蹂躙し、わたくしの身体を弄んだ……絶対許さない……許すものですか…」
低く、そして恨みを募らせる昏い声で、アイシュワリヤー妃は呪いを吐きだす。
「ずっと、こうしてやりたかった!!」
「…そうか」
激情を露わにし、怒りに震える王妃とは対照的に、泰然としている王の光景は異様に見えた。
(ん?)
相変わらずバークティ妃に強く握られている手を見て、カエは眉を顰めた。
バークティ妃の手が、ふるふると震えているのだ。
「バークティさん…?」
玉座を見上げているその横顔は、普段から見せていた余裕ある笑みではない。
憎悪と困惑を混ぜたような、なんともカオスな色を浮かべている。
こちらに気付くかと、カエは手を軽く揺らしてみたが、バークティ妃は振り向かなかった。
過去の記憶の断片が、バークティ妃の中で渦を巻いていたからだ。
《*バークティ妃視点*》
ルディヤーナ王国とミラージェス王国は隣り合う国。そしてアイシュワリヤー王女とバークティ王女は同い年で、共に国の後継者でもあった。
「相変わらずツンケンしたお顔をなさっているのね」
バークティ王女がこう言えば、
「あまりニコニコしすぎると、頭の悪さが露見しましてよ」
アイシュワリヤー王女がこう返す。
2人は顔を合わせれば嫌味の応酬。しかし、喧嘩するほど仲がいい、という絶妙な関係だった。
しかしそんな平和な日々は、突如終わりを告げる。
「ルディヤーナ王国が侵略された…?」
派遣されていた特使が急遽戻ってきて、述べた報告で王宮に緊張が走った。
イリスアスール王国が、アドラシオン大陸の覇権を掌握するために、他国へ次々と侵略を行っていると。
それから3年ほどの月日が経ち、あまりにも突然イリスアスール王国軍がミラージェス王国に進行してきた。
ミラージェス国王は悩み抜いた末、攻め入ってきたボーディ・カマルに降参した。無用に民草に血を流させたくはない、その一心で。
「つまらん選択だ。どこの国も無駄な抵抗をしてきたというのに」
エメラルドグリーンの瞳で見据えた先には、毅然と顔を上げるバークティ王女が居た。
「ふむ、余の側室にしよう」
そう言って、ボーディ・カマルは皆の見ている前で、バークティ王女を辱めた。
惨い行為が終わるまで、バークティ王女は泣き叫ばなかった。抵抗はしたが、屈しなかった。
歯を食いしばり、ボーディ・カマルを睨み続けた。
「かのルディヤーナ王国の王女と同じだな、面白い」
(アイシュワリヤー…あなたまで…)
それを聞いた瞬間、バークティ王女の心に激しい憎悪が植え付けられた。
連れてこられたウシャス宮殿で、バークティ王女とアイシュワリヤー王女は再会を果たす。
お互い、嫌味の一つも出なかった。ただ、無言で抱き合った。頬を伝う涙だけが、言葉に出来ない思いを如実に表していた。
「わたくしは、もうすぐここを去るの。王の子を、孕んだから…」
「えっ、子が出来たのに、何故?」
「すでにヴァルヨ・ハリータの力を継いだ王女が生まれているわ。だから…」
カマル王家で重要視されることは、子がヴァルヨ・ハリータの力を受け継いでるかそうでないかだ。
そして一番最初にヴァルヨ・ハリータの力を継いだ子供が立太子される。その子を産んだ母親は后になり、以降、妃たちは子を孕むまでは、王の慰み者としてウシャス宮殿に留め置かれる。しかし子を孕めば、地方の領主に封じられて、宮殿を追い出されるのだ。
「たとえ辛くても、子を授かるのよ。そうでないと、モクシャ宮へ堕とされてしまうから…」
「モクシャ宮?」
「王の娼婦たちが住むところよ」
ある一定時期まで子を授からなかった妃も、領主に封じられて宮殿を追い出される。稀に王に気に入られた妃は、娼婦に堕とされることがあった。
後宮というものは存在せず、王の為の女たちは、全てモクシャ宮に集められるのだ。
モクシャ宮に入れば、二度と外には出られない。
子が出来ぬように外科的措置が施され、娼婦としての役割を終えるころには、モクシャ宮の下働きに落されて、死ぬまで働かされる。
王族として、人間として、尊厳も何もない。奴隷以下の扱いだ。
「あなたは負けん気が強いから、少し心配だわ」
「まあ! あなたほどじゃなくってよ!」
アイシュワリヤー妃から皮肉を言われて、バークティ妃は思わずムキになって言い返す。
「ふふっ。――元気でね、バークティ。何時の日か、また…」
「ええ、身体を厭うてね、アイシュワリヤー」
ウシャス宮殿に連れてこられてからの初めての夜、バークティ妃はとんでもない無謀な行動に出た。
夜も更けた頃に、隣で寝ていた王の腹に剣を突き立てたのだ。
「これは…」
王は低く喉を鳴らして笑った。そして己の腹を見る。
鍛え抜かれた腹部の筋肉は、か弱いバークティの力では深く剣を刺すことが出来なかった。それでも刃は刺さり血が流れている。痛みがない筈はないが、王は愉しそうに笑っていた。
「気丈よな。だが、許される範囲を超えている」
王は剣を引き抜くと、柄を握り直し、切っ先をバークティ妃に向けた。
「斬りなさい……かまわないわ!! お前に汚された身体だもの!!」
床にへたりこんでいたバークティ妃は、激情を迸らせて叫んだ。
「判った、潔い」
王が剣を振り上げたとき、一匹の小動物が駆けこんできた。
「待つのじゃ!!」




