17話:シャムという男・前編
カエは朝6時前に目を覚ました。
「今日も天気が良いな! ヨシ」
シルクのシーツを撥ねのけ、ベッドから飛び出した。
マドゥが起こしに来るのは7時、カエは寝間着のまま部屋を飛び出した。
すっかり慣れた館の中を駆けまわり、ちょっと狭いけど、芝生が青々繁る中庭に出た。
「うん、清々しい朝だ。こんな日は、ラジオ体操、よーい!」
「ふんふふふんふふふ♪」と鼻歌でラジオ体操のメロディを刻み、大きく腕を振り上げたときだった。
「なんでえ、王女サマが寝間着姿で鼻歌するな、みっともない」
いきなり話しかけられて、ギョッとする。
「シャ、シャム…」
「久しぶりじゃねえか。つか、こないだ大広間に居たか」
芝生に寝そべって、両手を頭の後ろで組んだままのシャムが見上げてきていた。
思わずカエは息を飲んで、シャムをまじまじと見つめた。
「なんだあ? バケモンでも見たような顔をしやがって」
あんなに会いたくて、でも会うのが怖かったシャムが、こうして目の前にいる。
偽とはいえ、王女様相手にも不躾な口調と太々しい態度が懐かしい。
(早起きは三文の徳っていうけど、まさかこれがそうなのかな)
「お、おいっ! なんで泣き出すんだっ」
慌ててシャムは身体を起こす。
「あれ?」
ぽたぽた、ぽたぽた…
(なんだろう、涙がいきなりあふれてきて、止まらないンダケド)
「おかしいな…」
へへっと笑いながら、でも一向に止まってくれない涙を、慌てて手で拭う。
ぽたぽたと、すごい激流状態だ。
「止まれ涙、もうなんでなのよ」
「落ち着け」
大きな掌でぽんぽんっと頭を優しく叩かれて、止まらなかった涙が、ぴたりと流れを止めた。
恥ずかしさ半分、上目遣いにシャムを見上げると、シャムは苦笑していた。
「止まったろ」
「うん」
カエはゴシゴシと、袖で目を拭った。
「おまえ、両手を上げて、なにしようとしてたんだよ?」
「ラジオ体操しようかと思って」
「なんじゃそりゃ」
不可解そうにシャムは首を傾げた。
「こっちの世界はラジオあっても、ラジオ体操ないの? 健康にイイんだよ」
カエは得意そうに、両手を腰に当てる。
「あっちの世界じゃ、子供から老人まで、みんな知ってる健康体操なんだから」
「へー、じゃあやってみせろよ」
「いいよ、しっかり見てなさいっ」
「シャムのくせに、身体硬いじゃん」
「妙なところに、キツく響く体操だなこりゃ…」
シャムは腰をトントン叩いて、地面に大の字になって寝転がった。
カエはその横に体育座りする。
「今日もイイ天気だ」
シャムはズボンのポケットをゴソゴソすると、吸いかけのタバコを取り出して口にくわえた。
2人は黙りこむ。静かな時間が、そっと流れていく。
時折館の方から、人の動く気配がして、召使いたちが動き出しているのが判った。
カエはチラッとシャムを見る。
(…どうしよう、聞いちゃおうかな…、でも、でも…)
「…俺が護身術を教えたから、本物のシャンティ王女は死んだんだ」
あの一言を聞いてから、もう3カ月近くになる。
真相を知りたいくせに、モジモジして時間だけが過ぎた。
(……よ、よし)
「あのさ、シャム」
「あん?」
カエは不自然に視線を泳がせる。
「前に、シャンティ王女に護身術教えたから死んだって言ったじゃん。あれって、どういうわけなのか、教えてよ」
(い、言えた!)
苦節3カ月…と、カエは心の中で拳を握った。
「ああ…」
安物のライターをカチカチさせながら、シャムは無言だった。
喋ってくれると信じて、カエは催促するようなことは言わないよう堪えた。
息を押し殺すようにして、じっと我慢する。
「……本当に、おとなしい子だったよ。目すらまともに合わせられないような」
青さを増していく空を見上げ、シャムは語りだした。
《*シャム視点(シャムの独白)*》
俺は、少々厄介な生まれだった。
父は闇の異形、母は人間。
何故厄介かと言うと、母はミラージェス王国の王妃様の親類の娘だったからだ。
王妃様の実家は、王国内でも権勢を誇る貴族の家柄。
父がどうであれ、俺は王妃様の親戚だ。しかし、俺を産んだ母は、周りからの風当たりが冷たく、身体を壊してこの世去った。そして父は姿を消した。
俺は王妃様のおはからいで、王宮で育てられながら働いた。細やかに気を配ってくださる王妃様のお陰で、俺は穏やかに過ごすことが出来たよ。
ところが、イリスアスール王国に攻め込まれ、バークティ様がイリスアスール王の側室として、人質同然で奪われてしまった。
王都で何かトラブルがあったようだが、2年くらいして、バークティ様はカリオフィラス領に追いやられた。そのとき俺も、ミラージェス王国の人間たちと一緒にここへきた。ちょっとでも助けになりたい、そう思ってな。
やがて、バークティ様はイリスアスール王の子供を産んだ。
シャンティ王女だ。
だがバークティ様にとって、王の子は忌まわしいものだ。乳を含ませることも、面倒を見ることも嫌がった。
どんなに宥めても、説得しても、バークティ様はきかなかった。
こうしてシャンティ王女は、母親の愛情も知らずに育つことになった。
イリスアスール王への復讐に燃える母親を、遠くから見て育った王女は、内向的でオドオドしたような性格になっていった。正直、哀れみと苛立たしささえ感じたくらいだ。
そんな王女が突然、俺に護身術を教えてくれとねだってきたんだ。
「あのねシャム、私に、護身術を教えてください」
「えっ?」
素直に驚いた。内向的な趣味しか興味がないと思っていたからな。
何のために教わりたいのか訊くと、
「ヴァルヨ・ハリータの力は、使いたくないの…。だって、奴隷たちを苦しめてしまうもの」
奴隷をソティラスにすることを嫌がった。自らの寿命を削って≪分身≫を生み出し、命懸けで尽くしてくれることが辛いと。
だから自分の身は、自分で守れるようにしたいから、護身術を教えてくれと。王女は必死な目で俺にせがんだ。
でもな、どんなに嫌がっても、いずれヴァルヨ・ハリータの力を使わされるときは来る。
だがあまりにも熱心に頼み込んでくるんで、俺もついに折れた。どっからあの粘り強さが出てくるのか不思議なくらいだよ。
どうせ教えるならと、体力作りから徹底的に教え込んだ。
音を上げるかと思いきや、自主練習もして、どんどん上達していった。思わず褒めちまったくらいだ。
が、それがマズかったんだ…。
俺の考えが甘かった。妙な自信と確信を植え付けちまった。
そのせいで、あの子はあんな…