第7話 ロロ ニコ視点
今回はニコ視点です。
ロロくんの第一印象は、「途方もなく眩しい人」だった。
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ワタシの生まれた村は王都から馬車で二日ほど南に行ったところにある、とても小さな農村だ。
パウェル村と呼ばれる村には、畑で採れた農作物を王都に運び出すために大勢の人が出入りするものの、実際に暮らしているのは五十人に満たない。だから村のみんなはお互いに顔見知りで、どころかほとんど家族に近い間柄だ。
そんな村のごく普通な農家の娘として生まれたワタシは、小さい頃から大切に大切に育てられた。
「ニコは優しいなぁ」
「ニコは頑張り屋さんね」
お父さんとお母さんは、いつもそう言って褒めてくれた。何をしても、しなくても、褒めてくれた。幼いワタシはそれが嬉しくてたまらなかった。お父さんとお母さんの期待に応えるためにどんなお願いでも素直に聞いたし、自ら進んでお手伝いもした。
けれど、いつからだろう。
多分、大きくなってお外で村の子たちと遊ぶようになってからかな。ワタシは、「自分には何もない」という事実に苛まれるようになった。
三歳年上のモルロくんは大人顔負けに力持ちだし、同い年のエリマちゃんはワタシよりもずっと賢い。二歳年下のイェーナくんだって、カッコいい騎士になるんだって毎日木剣を振っている。ワタシに剣術のことはさっぱりわからないけれど、村の大人たちが言うには、中々筋が良いらしい。
でも、ワタシには何もなかった。
誇れるものも、目指したいものも、一つもなかった。
直視できない現実に息苦しさを覚え始めてすぐに、もう一つ、気付きたくない事実に気付いてしまった。
ワタシに向けられる誉め言葉と、村の他の子たちに向けられる誉め言葉の違いだ。
「ニコは優しいなぁ」
「モルロは村一番の働き者になるんじゃないか?」
「ニコは頑張り屋さんね」
「エリマちゃんは有名な商人さんになりそうだねぇ」
「ニコちゃんは偉いわねぇ」
「イェーナは王国騎士団に入れるかもな!」
何をやっても、いくら頑張っても、みんな口を揃えて曖昧に褒めてくれる。
それに対して、他の子たちの誉め言葉からは未来が垣間見えた。
そんな気がした。考えすぎかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。
だって、ワタシには才能も、目標もない。
受け入れ難い現実に追い討ちをかけるように、お母さんが弟を妊娠し、出産した。
「おいやったな!」
「これでウチも安泰ね。ほらニコ、弟のライアンよ」
「ニコ、これからは立派なお姉ちゃんとして頑張るんだぞ?」
「……うん。ワタシ、頑張るよ」
怖かった。空っぽなワタシは、一生このままなのだろうかと。
不安で、惨めで、怖くて仕方なかった。
ところが、ワタシにもたった一つだけ、途轍もない才能があった。
十三歳の誕生日。絶望的な気分で迎えた鑑定式で、村の小さな教会を埋め尽くすほどの眩しい光を見た。しかもその翡翠色の光は、他の誰でもない、ワタシが出した光だった。
目と口をこれでもかってくらいに開けて驚いていた神父のテニアスおじさんの顔は、今でもハッキリ思い出せる。
「そ、僧侶の適性アリ。等級は……『国宝』?」
自信のなさそうな、信じ難いと言わんばかりの顔を、鮮明に思い出せる。
鑑定式が行われた日の夜、村は飲めや歌えやの大騒ぎだった。
「まさかニコにこんな才能が隠れていたなんてなぁ!」
「王国内にニコちゃんを含めて八人しかいないんだってよ!」
「ひゃー、信じらんねぇな」
酔っぱらった大人たちの言いぐさを聞いて、ワタシは心の中で「やっぱりな」と呟いたけれど、そんなのは些細なことだった。
確信した。ワタシがこの世に生を受けたのは、僧侶になるためだったんだって。
空っぽだと思っていた自分がただ一つ持っていたこの才能が、ワタシの生きる意味なんだって。
翌日、村を出て王都に向かうことをお父さんとお母さんに告げた。少しも迷わなかったし、二人とも応援してくれた。
三日後に迎えに来てくれた魔術師団長さんの手をしっかりと握って、自分の意志で馬車に乗り込んだ。
馬車が見えなくなるまで手を振ってくれたみんなの姿がどんどん小さくなっていくのを、窓から差し込む眩しい陽の光に目を細めながら眺めていた。
そして、ロロくんに出会った。
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アレーニスさんに連れられて、騎士団の宿舎近くで初めてロロくんを見た時、あまりの存在感に息を呑んだのを覚えている。
空気中を漂う魔力の源──魔素が、ロロくんの体に吸い込まれるように流れていたのだ。十三年間生きてきて、一度も目にしたことのない光景だった。
この人は魔素に愛されている。
体の中心に向かって渦を巻く彼の魔力を見て、ワタシはそう思った。
あれ以上の衝撃はきっとないだろう。
なんて考えていた数十分後、世界がひっくり返るような衝撃を受けた。
『立派な料理人になって、王都食堂を継ぐこと!』
『実は騎士ってあんまり好きじゃないんだ』
千年を超える王国の歴史の中で僅か十人しかいなかった『天賦』の才を生まれ持ったロロくんは、当たり前みたいに、自分の才能に執着なんて無いと言い放った。
それだけじゃない。
『そうなんだ! じゃあ僧侶の才があって良かったね!』
初めはピンと来なかったその言葉の意味が、彼と話している内に理解できるようになって、愕然とした。
彼にとって、自分の夢に才能なんてまったく関係がないのだと。向いていようといまいと、叶えられるまでひたすら頑張るだけなのだと。
だから、僧侶になることが夢だと言ったワタシに対して、「叶えたい夢と適性が一致していて丁度良かったね」と言ったのだ。そんなことはないのに。
こんなワタシにも誰かに誇れる才能が有ったから、それを活かせる道に縋っただけなのに。
眩しかった。
小さな教会を埋め尽くした光なんて目じゃないくらいに、眩しかった。
ワタシは彼の眩しさに耐え切れず、目を逸らしてしまった。
目を逸らしてしまった事実から目を逸らすために、魔術の訓練にのめり込んだ。
初めに、魔力の知覚の訓練が始まった。
でも、これは教えられるまでもなかった。というのも、ワタシは魔力の知覚というのは、みんな当然のようにやっていることだと思っていたからだ。赤子が歩けるようになるのと同じで、成長すれば誰にでもできるようになるものだと思っていたのだ。
そう言うと、魔術師団長のグウェントさんは切れ長の目でワタシを見下ろしたままニヤリと口角を上げ、
「素晴らしい。中々期待が持てそうだ」
と言った。
嬉しかった。生まれて初めて曖昧でない、空虚でない誉め言葉を貰った気がした。
とは言え、魔力の知覚というのは想像以上に奥が深かった。
知覚範囲の拡大と精度の向上。この二つはどれだけやっても損をしないらしい。
言われた通り、ワタシは息を吸うようにこの二つを鍛え上げ始めた。
並行して、魔力の制御の訓練が始まった。
治癒魔法というのは特に精密な魔力のコントロールが必要とされるそうで、生涯をかけて極めるつもりで励めと言われた。
確かに難しくて、コツを掴むのに三日近くかかった。
けれど、グウェントさん曰く、
「普通は治癒魔法を行使できるレベルに達するまで半年はかかる」
のだそうだ。どんどん自信がついていくのを感じた。
魔力の制御ができるようになって、ようやく魔法の習得が始まった。
護身用に最低限の攻撃魔法を教えてもらい、その後に治癒魔法の習得に取り組んだ。
魔法は起こしたい現象を具体的にイメージする力が重要で、治癒魔法はそのイメージがとにかく難しかった。
魔術師団の中で最も治癒魔法に精通しているアレーニスさんにこのことを相談すると、
「グウェントの奴め。相変わらず気が利かないものだ」
とぶつくさ言いながら、ワタシに人体の構造に関する本を手渡した。
「ウム。目覚ましい成長だ。ニコくんの魔力から、日々頑張っているのが伺える。素晴らしいことだ。だが、無理はしないように」
と言葉を添えて。
最後にアレーニスさんは目線を合わせ、頭を撫でてくれた。
「そうだ。最近は忙しくて様子を見られていないが、ロロくんとは仲良くやっているかい?」
心がズキリと痛む。
「は、はい。一応」
「……そうか。これからも仲良くするように。特に、彼には支えとなる仲間が必要だからな」
「わ、わかりました」
すべて見透かされているようだったけれど、アレーニスさんが深く追求してくることはなかった。
多分、アレーニスさんは知っていたのだと思う。
ワタシがロロくんを避けていることを。魔力の知覚まで使って、極力顔を合わせないようにしていることを。
後ろ暗い気持ちを無視したまま、王都に来て一ヶ月が経った。そんなある日。
魔術師団の宿舎に戻る途中だったワタシの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
最近よくしてくれるターグさん、ヴォードさん、ザンキさんの声だった。
「にしても、あの“剣士様”は相変わらずバケモンだな」
すぐにロロくんのことだとわかった。
「上級騎士四人がかりでも倒せないんだって? 意味がわかんねぇよ」
その凄さがどれほどのものかは理解できなかったけれど、彼の言いぐさから、にわかには信じ難いことが起きているのだろうなと察せられた。
ワタシが三人の元へ歩み寄ろうとしたその直後、
「でもよ、ちょっと可哀想だよな。あの“剣士様”」
ザンキさんの声を潜めた一言を聞いて、咄嗟に足が止まる。
どういう意味だろう?
そう思いながらも、早鐘を打ち出した心臓は、答えを既に知っていた。
「あー。才能の無駄遣いっつーか、下手の横好きっつーか」
「なんだっけ、ヘイルが言ってたやつ」
「ん-っと、そーだそーだ! 思い出した。『凡夫』の才の持ち主だ」
「大人げねー」
「ボコボコにされた恨みだろ?」
「それだけならまだしも、礼の一つもないからなぁ、あの剣士様は」
「ホント、何様なんだろうねぇ」
「いや、剣士様だろ?」
「くっだらね。あ、そういやさ──」
三人の背中が見えなくなった後も、心臓のバクバクはしばらく治まらなかった。
あれだけ優しくしてくれていた三人が、ワタシと同い年の子どもに悪意を向けていることが、信じられなかった。
「そんなことはない」
「ロロくんは頑張っている」
「彼はワタシなんかよりもずっと偉い」
頭に次々と浮かんだ言葉が、かつて嫌になるほど耳にしたあの空虚な誉め言葉だったことに、心底失望した。
とうとう罪悪感に押し潰されそうになったタイミングで、彼が現れた。
ワタシとロロくんを救った、一人の男の子が。