第16話 ガランド-前編
北の荒野──元、ニーズベルグ領。
ここは数百年前、王国貴族が治める領地だった。しかし、当時は誰にも知られていなかったとある一匹の魔族により、不毛で荒れ果てた野と化してしまった。
その魔族が、『極技』ガランドだという。逃げ延びた冒険者によると、ガランドは誰に訊かれたわけでもなく、己の半生をベラベラと語りながら、暴虐の限りを尽くしたのだそうだ。
曰く。
俺様は昔、見るからに死に損ないの、老いぼれジジイに殺されかけた。ジジイは妙な技を使いやがった。百年の時をかけて魔法を極めた俺様を、まるで赤子の手でもひねるみてぇに地に転がした。一匹の魔物から一人の魔人に至って以降、生涯で唯一の敗北だった。
妙な技は『妙な技』ではなく、数千年の時を超えて受け継がれ続けてきた、“武術”という人間の牙だと後に知った。俺様は目に焼き付いて離れないジジイの幻影を睨み付けて、そのすべてを吸収しきった。
感動の一言に尽きた。これほどまでに合理的で、一分の無駄もない殺人の技術を、俺様はかつて知らなかった。そして俺様は、魔法を捨てた。魔族の誇りである、魔法を捨てた。
まだ先があったからだ。とうに極めてしまった魔法とは違い、腕を二本しか持たない人間とは違い、俺様には生まれながらにして四本の腕があった。
故に、人間どもに極め尽くされた武術のその先が、俺様には、俺様にだけは見えたのだ。
幸い、無限にも等しい時間があった。すべてを忘れて没頭した。
人間の武術を極めるのに百年。俺様だけの武術を極めるのに二百余年。
合計三百年余り。
遂に完成した。究極の武術が。誰も見たことのない、武の頂が。
その犠牲になれることを、光栄に思って死ね。
そう叫びながら拳を振るうガランドの技は、あまりにも荒々しく身勝手な語気とは裏腹に、その冒険者に一種の「美しさ」すら感じさせたそうだ。
そして三日というあまりにも短い時間で、長い時間をかけて発展したニーズベルグ領は名も無き荒野と化した。
「だだっ広い荒野だと思っていたんだけどな」
オレたち三人は、まず荒野のど真ん中を目指した。
そこを中心としてらせん状に動き回り、ガランドを見つけ出すためだった。
ニーズベルグ領が滅んで以来、北の荒野には誰も住んでいない。つまりそれは、ガランドと遭遇するための目撃情報が一切無いことを意味する。だから、その方法が最も効率的な手法だと考えたのだ。
なのに──
「よぉ。待ちくたびれたぜ」
ガランドは“そこ”にいた。そここそが奴の居場所だと言わんばかりの態度で、佇んでいた。血のように真っ赤な肌に、山脈の如く隆々とした筋骨。射殺すような目つきに、側頭部から生えた二本の真っ黒な角。
間違いなく、国王から聞いていた『極技』のガランドの風貌だった。
「……っ」
乾いた大地に、ぽたりと冷や汗が染みを作る。
奴の気配を感じ取れる距離に入ってからずっと、緊張が解けなかった。オレだけじゃない。ニコも、シュルトも、明らかに口数が減っていた。
決して勝てない相手ではないとは思う。でも、一瞬でも油断をすれば、オレたち全員が死ぬ。
そう思わされるだけの濃密な殺意が、離れた場所から向けられ続けていたのだ。
「いいねぇ。久々に、骨のありそうな奴らが来た」
ピクリと、殺気に当てられたシュルトの肩が動く。
「右端のガキ、良い反応だ。俺様の殺気にいの一番に反応して全員を守ろうとした。魔力の流れからして、生粋の魔術師だな。次に左端のガキ、即座に魔力を練ったな。膨大な魔力量と有り得ねぇ反応速度、多分僧侶だろ。違うか?」
「ボクはガキじゃない。バーデングルク家の嫡男、シュルト・バーデングルクだ」
「ワタシもガキじゃない。ニコって名前があるの」
「クハハ! 最高だ! 度胸もあるときた……悪くねぇ。シュルトにニコだな? 憶えておいてやろう。だが──」
そこで奴の視線がオレに向く。
「三人の中で一番強いのは、テメェだな? ちっこいの」
「オレはちっこいのじゃない。リリナとロイドの一人息子、ロロだ」
「ククク。わかったわかった。ロロだな。ロロ、テメェだけが俺様の殺気が本気じゃないことを見破っていた。まだガキなのに信じ難いレベルで肝が据わってやがる」
「あっそ」
魔物に褒められても別に嬉しくなんかない。
「そんでテメェ、剣士だろ? それも、修行を初めて数年ってところか? ぶっ飛んでやがるな」
「…………」
何故、わかった?
魔力の流れを見て魔術師やら剣士やらを見分けることは可能だろう。ただ、どうして修行の年数までバレた?
「ククッ、殊勝な心掛けだな。ちっとも表情を変えやしねぇ。だがそんなの無駄だ。なぁ、なんでかわかるか?」
「さあね」
「可愛げがねぇな……それはな、泥臭さがまるで匂ってこねぇからだよ。狂気にも似た執念で“極み”に辿り着いた人間どもから必ず匂ってくる、あの泥臭さ。それがまるでねぇんだ」
「……そうかよ」
理屈はさっぱりだけど、バレてるなら隠す必要も無い。動揺するな。ベラベラ喋るなら喋らせておけ。その間に一秒でも長くこいつを観察して、一通りでも多く戦い方を想像するんだ。
シュルトもそうしている。ニコだってそうしている。顔を見なくたってわかる。
「ククク。あー、笑いが止まらねぇ。おい、何でだと思う?」
「だから知るかよ」
「っとに釣れねぇな。まあいいさ。教えてやるよ──お前ら全員、未完成だからだ」
「未完成?」
「お? 初めて興味が湧いたな? そうだ。未完成なんだよ、テメェら全員。俺様にはわかる。何故なら俺様は、武術を完成させたからだ。極め切ったからだ。だから、そんな俺様と手合わせをするために、かつて色んな所から、色んな奴が俺様の元を訪れた」
懐かしむように、ガランドは目を細めた。
「そいつらは全員漏れなく、何かしらを極限まで研ぎ澄ませていた。各々が何かを極めていた。今でも一人残らず顔と名前を思い出せる。どいつもこいつも最高だった」
旧友について語るように、ガランドは続けた。
「だが、それが逆に悲しかった。どいつもこいつも限界まで鍛え上げられていたという事実が、俺様には悲しくて仕方がなかった。その理由が、テメェに理解できるか?」
「できるわけないだろ」
「……だろうな。才能の塊みてぇな奴にはわかるわけねぇんだ……いいか? 俺様の元を訪れるのは、勝ち負けとか善悪とか、そういうもんを超越して“完成”しちまった、あるいは“完結”しちまった奴らばっかりだ。極め切ったと言えば聞こえはすこぶる良いが、裏を返せば、もうそいつ自身の天井に届いちまった、とも言える」
溜息を吐くガランドの表情は、本気で悲しんでいるように見えた。
「まあ、だからこそ死に場所を求めて俺様に挑みに来るんだろうがな」
「そんなの、あなたの勝手な想像でしょ!」
「ククク。おいニコ、テメェはてんでわかってねぇな。俺様はあいつらと拳で死ぬまで語り合ったんだぜ? 最早親友みてぇなもんだ。親友が何を考えて、何を思うかなんて想像できて当然だろうが」
自分の手で殺めた人たちを親友だと言い切ったガランドの異常ともとれる発言を、オレたちは否定できなかった。それだけの重みが、奴の言葉には確かにあった。
「その点、テメェらは輪をかけて最高だ。なんでって、未完成だからな。まだ己を極め切ってねぇんだ。つまり、語り合いの中で成長する可能性がある。それでいて、俺様と語り合えるくらいに強いんだぜ? これ以上はねぇだろ」
「……あなたとは分かり合えなさそうだってことは、わかった」
「だろうな。俺様も、昔から僧侶とは気が合わなかった」
場の空気が少しピリつき、肌がチリチリと焼けるような感覚を覚える。
「フン。これ以上は時間の無駄なようだな」
一歩前に出たシュルトが言う。どうやらシュルトは終わったらしい。オレも丁度終わったところだ。
「寂しいこと言うなよ……と言いてぇところだが、確かにそろそろ十分か。おしゃべりは」
グッと、周囲の温度が下がったような気がした。体の芯から凍えるような、そんな空気に塗り替わった。
「俺様がどうしてダラダラとくっちゃべってたと思う? 簡単だ。テメェらがあまりにもあっけなく死ぬからだ。達人同士の試合ってのは大体が悲しくなるくらいに短ぇ。お互いが最善手を選び続けるからな。判断をミスった方が先に死ぬ。そんで、ミスるのはいつもテメェらだ」
オレたちを指さすガランドの口が止まることはない。オレはとうに剣を抜く準備を終えているが、奴の構えにはまるで隙が無かった。
「だから、俺様は戦う前にたっぷり時間を取って話すんだ。そうすれば俺様は少しでも長くテメェらと過ごせるし、テメェらは俺様を一秒でも長く観察できる──そうだろ?」
「……あぁ、そうだな」
どうやらこれもバレていたらしい。まあ、初対面の敵を観察するのなんて当然だ。バレていても特に何の問題も無い。
それに、オレもシュルトもとっくに観察を終えている。こいつが四本の腕でどうやって攻撃を仕掛けてきて、どうやってオレたちの攻撃を防ぐのか、大まかには想像ができた。
──いつでも、戦れる。
「どうやら、準備は万端みてぇだな。じゃあ、行くぜ?」
そう呟いた直後、ガランドの姿が消えた。
「っ!?」
油断なんて欠片も無かった。
それでも、剣を抜いて奴の拳を受け止められたのは、奇跡に近かった。
周囲の景色が急加速し、自分が後方に吹き飛ばされていたことを知る。
「──散開っ!」
瞬時に叫び、辛うじてニコとシュルトに意図を伝える。
「おいおい最高すぎるだろ! 俺様の一撃を正面から受けてまだ肉の形を保ってンのか!?」
荒野にガランドの奇声が響き渡り、五大魔族との戦いの火蓋が切って落とされた。
次回の投稿は7/3(水)の予定です。




