2.開演
郵便受けに入ったメッセージカードを隠すように両手で持ち、腹に押し込むように抱えた。玄関の戸を閉め二階にある自室に戻ろうとしたときに母に声をかけられた。内心、飛び上がりそうなほど驚いた。
「理子、おばあちゃんにおはようした?」
「今、するよ!」
私はそういってそのまま2階に駆け上がった。いつもの家族の会話にしか感じないはずだ、と自分に言い聞かせて自室に入り、自分の机の椅子にすぐさま座った。深いため息をついた。焦っているときほど何かしらの問題が発生するものである。
落ち着きを取り戻した私はお腹に抱えたメッセージカードを机の上に置き改めてまじまじと見つめる。
厚紙にしつらえられた短いメッセージ。プリントアウトされたものではあったが間違いなく浅上修二からのものであろう。
イタズラも考えたがタイミングが良すぎる。SNSにダイレクトメッセージがきて二日しかたっていないことから私は確信した。ただメッセージ相手が浅上修二であるという保障はどこにもないが。
「今宵」ということから今日の夜に庭にあるソメイヨシノを預かりに来るのだろう。
しかしどうやってあの大樹を移動させるというのだろうか。そしていつ実行されるのだろうかと。
祖母の病状も気がかりであったが預かられた後も家族にどのように説明すればいいのだろうと考えていた。
「浅上修二に依頼した」と正直に打ち明けても誰にも相手にはされないだろう。
「理子!」
私は本日二度目の驚きが襲い掛かった。
「ごはん!」
「はい!今行きます!」
間髪入れずに私も大声で返事をする。母の声にここまで驚かされることもそうないだろう。
急いでメッセージカードを机の一番広い引き出しにしまう。
今度は落ち着いて1階へと歩みを進める。
リビングに行くと朝食の準備がほとんど済まされていた。父はいつもの椅子に鎮座しスマートフォンをいじっていた。
「水、入れてくれる?」
「うん」
私は年季の入った木製の食器棚の戸をあけてグラスを3つだす。台所に回り氷を冷蔵庫から取り出し、水差しにいれ蛇口のレバーをひねり水を注ぐ。
「春休みだからってあんまり夜更かししちゃだめよ」
母が的外れな小言を言い始めた。買い言葉に売り言葉。否定の姿勢を見せると無為な言い合いになるため素直に返事をする。
「うん」
私は食卓に戻り各々のグラスに水を注ぐ。コップをそれぞれにセッティングする。
「いただきます」
スマートフォンを置いた父も私の後に続くようにぼそりと言い箸を持った。母は温かいうちに料理を食べてもらいたいらしく父と私はいつものように母が席に着く前に食事をとり始める。
いつの間にかテレビがついていたらしくニュースが流れていた。もしかしたら今日届いたメッセージカードについてニュースになるかもしれないと思い横目でテレビを覗いていたが代り映えしない内容ばかりであった。
連日のように桜の開花予想が報道される。
今年は気温があまり高くなく例年よりも開花が遅い。庭の桜は蕾をつけてはいるがまだ花びらをのぞかせてはいない。
「理子」
「え?」
不意に母が声を掛けた。
「大学がはじまったら忙しくなるからよくおばあちゃんに顔を見せてあげて」
「……うん」
暗に祖母があまり長くないことを再確認させられているようで気が重くなる。
私はそそくさと食事をとり、リビングを離れた。
2階に上がろうと階段の手すりに手を掛けたが祖母の部屋の扉に目がいった。
私は肩を落とし、祖母の部屋まで行き扉をノックする。
返事はない。多分寝ているのだろう。そのまま入る。
祖母はベッドの上で静かに寝ているようだった。
「おはよう」
ゆっくりではあるが呼吸をしていることが上下する掛布団から見て取れた。
祖母の部屋からレースのカーテン越しにソメイヨシノが見える。
「今日、浅上修二が桜を預かりに来るって」
何を思ったか私は寝ている祖母にそう言葉を掛けた。
もちろん祖母からなにも反応はない。穏やかに寝ている。
正直、祖母と一緒にいるのが苦しくなっていた。何もできずただただ見守るだけ。
「ごめんね」
私は祖母の部屋を離れて自室へと戻った。
何をするでもなくその日は夜を迎えた。
午後5時。父は仕事、母は買い物に出かけていた。私は留守番をしていた。定期的に祖母の様子を
確認しに行く。祖母は眠ってはいたが状態は安定していた。
ピンポーン……
チャイムが鳴った。
様子を見に行くと薄暗くなった玄関の曇りガラスの引き戸の向こうに人が立っていた。
日がのびてきたといえどまだまだ寒く明かりがついていない玄関は不気味な雰囲気だ。
私は出るか出まいか迷っていたところ向こう側から声が聞こえた。
「すみませーん。電気工事のものでーす。どなたかいらっしゃいますかぁ」
ややかすれていたもののその野太い声はその言葉を言いなれているようだった。
各家庭に工事のあいさつにでも回っているのだろう。
「あ、はい。なんでしょうか?」
私はあわてて駆け寄り玄関の扉を開けた。
「すみません。工事の時間が遅れてしまって今の時間になってしまったのですがすぐそこの電線の定期点検と取り換え工事でして、少し大きな音が響くかもしれませんがご了承ください」
作業服を着た中年男性はそういい、玄関の後ろではいくつかの作業車が駐車しすでに他の作業員が手際よく物品を運んでいる様子が窺えた。
「それじゃ失礼します」
男性はそういうと扉を閉めて、作業に戻った。
「さすがにあれは浅上修二って感じじゃないわね……」
私は不安と高揚感が入り混じり複雑な感情が胸中に広がったことを感じた。
残念さを胸にしまい、自室へと戻る。
一時間程、自室にこもっていると母が帰宅した。両手には食品がいっぱいに入ったビニール袋を携えているようで、袋のこすれる音が亜紀の部屋まで聞こえてくる。
「理子ー。ご飯作るから手伝ってー」
浅上修二の予告でそれどころではないと内心で考えながらも、自然と台所へと向かった。
「なにすればいいのー……」
「今日はとんかつにでもしようと思って、キャベツいっぱい買ってきちゃった」
母はそういうと両手にキャベツを持ち上げ、まな板の上にドンと置いた。
「えー……」
「時間はあるんだから手を動かしなさい」
母は怒るでもなく、軽く彼女に千切りをこしらえることを依頼した。
(はいはい……)
私はそこから素直に台所に立ち、包丁で切り始めた。この手の手伝いはよくさせられているのでそそくさと調理をはじめる。
「そういえば、外に人がたくさん居たわね」
「電気工事だって」
「そう。それにしては人が多かったわよ」
「5、6人でしょう?」
「いえ。30人以上いたと思うわよ」
「え?なんでそんなにいるの?」
「わからないわよ。私服の人もいるから、何かこの辺であったのかしら?」
(浅上修二だ)
私は直観で浅上が何かをしようとしていることを感じた。だけど、何をしようとしているのかがわからない。人数が多くなったところで、住宅が密集したこの場所、そして衆人環視の中で桜の木を預かろうとするのか。
胸の高まりが動悸に似た、苦しさに変わる。
ピンポーン……
「あれ?誰かしらこんな時間に?」
「私がでる!」
母を遮るように台所から玄関に向かった。
「すみませーん」
私は何も応答なしに扉を開く。扉の向こうにいたのは先ほどの中年男性だった。
「すみません。作業がもうそろそろ終わりそうなんですけど、周りに人が集まってきてしまって……今日ここら辺で催し物でもあるんですか?」
そう言われ、彼の後方を見ると車が通るには難しいほどの人だかりが出来ていた。
(……ばれたんだ……)
私の心中は暗澹たるものとなった。
路上の人々はスマホやカメラを持ち、SNSやネットニュースを見ながら、時たま『浅上修二』の名前をつぶやいていたのが聞こえる。
どのように露見されたのか、どうやって私の家まで特定されたのか……
これでは私の依頼は実行されない。
すでに外は暗く、新月の今日は月光さえ差し込まない。まさに私の今の感情そのもののようだった。
「あのー……大丈夫ですか?」
私は彼の言葉に何も言い返せないでいた。
「どうしたのかしら……」
母が台所からでてきたようだった。
「それがですね……」
それを言い切る前に突如として、路上に男の声が轟いた。
「あぶない!」
爆音と閃光。
「きゃ!」
私はその衝撃に声を上げた。
『なんだ!』『何も見えないぞ!』『スマホもなにも使えないぞ。誰かライト!』『おい!押すな!あぶねーだろう!』
誰かの声が聞こえる。
目を見開くとそこは暗黒と言ってい良いほど、何も視認することができなかった。スマホはおろか街灯、近所の家から漏れ出る明かり、すぐそこにあるはずの室内の照明、固定電話機さえも光を発しない。
「理子?大丈夫?なに?どうしたの?」
母が混乱していた。私も何が起こっているのかまるでわからない。
ドーン。ドドド……
何か音が聞こえる。先ほどの爆発の誘爆なのか。この際、なんでもいい。光か何かを……
何秒何分たっただろうか。暗闇の中の地鳴りのような音と自分の動悸が思考をかき消す。
そしてその音は突如としてそれらはなくなり、沈黙が広がった。
「だ、大丈夫でしたか?」
「え、ええ。理子、大丈夫?」
「……うん……」
「私は外を確認してきます」
彼はそういって外に駆けていった。
「なんだったのいったい……」
恐怖で縮こまっていた私はハッとして玄関をでて外の状況を見渡した。
「え?」
先ほどまで真っ暗闇だった外は、すでに街灯の光を取り戻し、いつもの夜へと戻っていた。
違いと言えば、先ほどの野次馬のような男たちがいない。いたのは電気工事を行っていた作業員たちだけ。
「なに……なんなの……」
私があたりを見回していると違和感を感じた。それは自宅を見渡した時だった。
「桜が……ない……」