ありがとう
やっと会えました。
見知らぬ女性の声に顔を上げると、20代くらいの女性が微笑んでいた。僕が並べた自作の絵、全てを中腰で食い入るように見つめている。
「あなたの描くこの絵、大好きでした」
どうやら以前、彼女は僕の描いた絵を見て人生が変わったと言う。当時、彼女は中学生。当然僕は彼女のことなど知らない。
「あなたにお会いできて、本当によかった」
正面、彼女は目を輝かせている。その目の奥が星のようにきらきらと輝く。
「冗談、にしてはオチがないですけど」
「はい、噓です」
彼女はいっそう微笑んだ。
「人生が変わった、だけじゃ言い表せませんから」
あまりにできすぎた言葉に僕は吹き出した。何日も洗っていない頭を掻くと、フケが肩に雪のように舞った。
「どこで見たんです?僕の絵、展示会とかに出せるようなもんじゃないですけど」
「ゴミ箱に捨てられていました」
え。
僕は呆然と彼女を見る。
「病院のゴミ箱に」
まさか。
黙り込む僕の前、彼女はにっこりと口の両端を吊り上げた。
12年前、僕は重病で入院していた。当時、描いた絵をゴミ箱に捨てた記憶がある。あの時、彼女も同じ病院に入院していたということだろうか。
「つらくて毎日が地獄でも、あなたのあの絵を見て頑張ろうと思いました」
「もしかして君は……」
僕はそれ以上、言葉が出てこなかった。
死ぬかもしれない、僕より重病、そう聞いていた隣の病室の彼女。とても美人なのに目に光はなく、ぼんやりと日々をベッドで過ごしていた。僕は密かに彼女に思いを寄せ、彼女の絵を描いた。元気に笑う、大人になった彼女の絵。
絵と同じ肩までの黒髪に、黒目がちの瞳。間違いなく隣の病室の彼女だった。
あの時、僕は奇跡的回復を遂げ退院することになったが、恥ずかしさから渡せなかった。そして、彼女のその後を知らないまま12年も経った。
「君が見てくれて、喜んでくれたならよかった」
僕は俯いた。もうすっかり歳を取ったのに、無性に恥ずかしさが込み上げる。
「あなたに会うために、私、頑張ったの」
彼女は言った。その笑顔に僕もつられて笑った。胸の中にきらきらと光るものを感じる。
ありがとう。
そう言ったのは二人同時だった。