序章Ⅱ まずは腕立て伏せから
■ 銀河標準歴1460年 4月9日 午前8時30分
■ 惑星オストラコン 中央大陸管区メリンダ市 私立ユージェント高校
ホームルームの時間だ。みんなの噂話が響くなか、寝坊した俺はギリギリの時間、先生が入ると同時に教室へ足を踏み入れる。
……机に座ると、ざわめく教室の視線がその頼りなげな初老の先生に集中する。
「静粛に。……えーと、生徒諸君もニュース等で知っているとは思うが、昨日深夜、属州総督が『αケンタウリ同盟』の結成と帝国からの星系の独立を宣言された」
一晩で状況が一気に変わったようだ。……マッセナ総督の拉致自体も、総督自身と独立派の間で申し合わせがあったに違いない。
「この独立措置は生徒諸君の学業の自由を維持する為でもある。どうか諸君は落ち着いて、今後の学生生活を送っていただきたい」
こうして、俺達の新たな学生生活が始まった。と言っても、そこまで極端に教育カリキュラムが変わった訳では無い。……但し、新たに発足する同盟軍は兵士を必要としており、俺達は徴兵適齢期の年齢を迎えていた。
……毎朝のホームルームでは同盟によるプロパガンダが流され、帝国軍がいかに暴虐か、独立宣言が無ければ俺達がどうなっていたかが教えられた。大方、俺が以前に見聞きした内容通りの形で。
「あんな噂通りの話を信じる連中ばっかりかよ……」
みんなが熱狂するなかで俺は一人、冷めていた。いくら帝国が暴虐だろうと、彼等もあくまで人間の組織だ。そこまで無茶苦茶な連中ではあるまい。逆に独立を宣言したことで、敗北後のαケンタウリがそういう目にあわされる可能性があることを考えると、俺は同盟に同情的ではありえなかった。
「へっ、ヒラの兵隊として戦場に行けるかよ、俺はあくまで士官を目指すぜ」
そしてこの事件を境に一番人が変わったのはカルロスだ。……いや、人格が変わったのではない。使い捨ての兵士として前線に立つのが嫌だった彼はまるでそれまでの俺のように猛勉強を始めた。
こうして2週間の月日が過ぎ、プロパガンダに促された同級生たちの半数は、男女問わず新たに発足する同盟軍へと志願していった。
学校に残った生徒たちも、決してそれまで通りの学生生活を送れたわけではない。シェルターへの避難訓練、軍務に耐える基礎的な体力をつけるための運動プログラムが学業のカリキュラムに加えられ、俺達に課せられた。いずれ志願した兵士が戦死して足りなくなれば、予備兵力を確保するために徴兵制が敷かれるのだろう。
■ 銀河標準歴1460年 4月23日 午前9時
■ 惑星オストラコン 中央大陸管区メリンダ市 私立ユージェント高校 グラウンド
「はぁ、はぁ……」
鉄棒が、遠い……
「オサリバン、貴様懸垂も出来んのか!」
運動プログラムの最中、訓練教官の檄が飛ぶ。……俺は、このプログラムをまともにこなせなかった。何せ受験に全てをかけてきた身だ。体力なんぞついている訳がない。
「この愚図が。こいつが懸垂出来るまで、他の連中は腕立てを続けろ。休めと俺が言うまで休むな」
「はあ、軍隊生活入る前からコレかよ……」
というカルロスの愚痴を、地獄耳の教官殿は聞き漏らさなかった。
「なんだ貴様。ドーンとか言ったか?貴様の減らず口はもう聞きあきたぞ。次聞こえたらただでは済まんからな!」
……とにかく、改めてにっくき鉄棒へと向き合う。逆手に握った掌が、皮が捲れヒリヒリと傷んだ。
「んッ」
自分では満身と思える力を込め、体を持ち上げ……あげ……駄目だ、この、俺の背丈より20㎝は高い鉄棒からは、頭ひとつ分持ち上げるので精一杯だ。
結局、うちのクラスの皆は時限一杯腕立て伏せをやる羽目になった。クラスメイト達の冷たい目線が突き刺さる。
■ 銀河標準歴1460年 4月23日 午後4時
■ 惑星オストラコン 中央大陸管区メリンダ市 私立ユージェント高校 グラウンド
痛みが、右頬を覆う。
「手前のせいで女子までずっと腕立て伏せやらされる羽目になったんだぞ、責任とれ!」
俺を殴りつけて来たのは同じクラスのダン=バトラーだ。ガキ大将がそのまま高校生になったような奴で、今日も取り巻きが2人ついていた。……恐らく、カルロスが来ないか見張っているのだろう。
「お前の家って金持ちだったよなぁ、俺達は金で手を打ってやろうじゃねーか」
取り巻きの一人、ロッド=ドーマンが無茶苦茶なことを言い放つ。
「はぁ、はぁ……ふ、ふざけた事を言ってんじゃない……!」
俺は、グラウンドの砂を掴みつつゆっくりと立ち上がった。
「じゃあこれでも喰らえよッ」
立った所に、ロッドの右フックが俺の腹へと直撃する。
たまらず突っ伏した俺に3人はまたがり、頭と胸と足を押さえつけて殴りかかる。
痛い、痛い……
「や、やめ……」
ただ、彼等の気持ちも分からないでも無かった。……みんな、本音では気が立っていられないのだ。大人の都合でヘタすれば軍務を押し付けられようとしている事に。不満を吐き出すためのサンドバッグが欲しかったんだ。
「この位で止めにしようぜ」
ダンの号令で、三人は俺の上から離れる。
「おいオサリバン。次何かやらかしたらもう一回だからな、見とけよ!」
……どうやら、そのまま連中は去っていったようだ。
「……畜生」
俺は、唯砂を掴む事しか出来なかった。
近くに、足音。
「全く、あいつら……ほら大丈夫?立ってアルタ」
ミラの声に、俺は地面に肘を突き立ち上がる。
「……見てたのか」
彼女の顔を見て安心すると共に、見ていて止めなかったのかという黒い感情が持ち上がってくる。
「悪いけど見てたわ。ただ、あれ以上続いたら先生を呼ぶつもりだったわよ。……あんな連中なんかにやられっぱなしじゃ駄目、アルタがアルタ自身で乗り越えなきゃ」
……それは、
「それはそうだけど……俺には……俺には……」
「何より、あいつらはあたしが言いたいことも言ってくれたしね。あたしは良いけど、女子の中にはあの後腕が上がらなくなって保健室に駆け込む子が何人も出たのよ」
「……それは、悪かったな。俺はどうやって償えばいい?」
俺は、自分の事しか気にしてなかった。あいつらも、ミラも、ちゃんとみんなの事を見ている。
「これから失敗しないように、毎日トレーニングしなさい。何ならあたしも付き合ってあげるから」
「……分かった」
「じゃあまずは腕力を付けるところからよ。腕立て伏せ100回、3セット!」
「えー」
「えーじゃないわ!あたしら何回やらされたって思ってんの!」
結局……ミラのいう通りにするしかなかった。はぁ、気が重い……