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時を告げる影(1)

 白く素っ気無いプラスチックのテーブルに、コップの影が落ちている。中に入った水と氷も、透明っぽい、奇妙な影を落としている。窓際の席だった。キャンプ場に付属された安っぽいレストランである。朝と呼ぶには既に遅すぎ、昼と呼ぶには早すぎる、そんな時間帯。しかし四人にとってはこれが朝食だった。ブレクファストとランチを足してブランチ、などという概念は無い。正午になればもう一度食べる予定である。


「ペットだと思ったよ」正はテーブルから目を離して顔を上げ、突然得意げに喋り出した。「()()()()、って言ったもの。おかしいだろ? 目も鼻も、とか鼻も口も、とかなら分かるけど、頭も耳もって何? 頭と耳が同列に並ぶって事は、耳が頭から飛び出してるんじゃないの。兎かよって思ったね」


 実際は兎ではなかった。ジャロは猫だった。


()()()()()()()()()()()、と言ったぞ」全一ぜんいちは疲れ切ったような、拗ねたような、投げやりな顔だった。「()()()()、だぞ」

「だけど大体にして、可愛がってたって言うのがおかしいじゃないか」正はくすくす笑った。「人間の子供だったら可愛がるのが普通だろ。可愛がっていたってわざわざ言うと、まるで、そうでなかった子供も居たみたいだよ」

「猫、ねえ」千二せんじは頬杖を突いて窓の外を見ていた。「猫じゃあ誰も気付かないわけだ。警察に言っていいですよも無いもんだ」


 もちろん猫だから殺していいという事にはならない。しかし、彼女が大した罪には問われない事は確かだった。こうなってくると妹の自殺の件も、それが原因だったのかどうか怪しいところだ。それどころか、本当に自殺だったのかどうかも不明である。死亡当時の妹の年齢は十歳だそうだ。遺書が残されていたわけでもないらしい。事故の可能性が高かった。


「しかし、人間の顔っていうのは、あそこまで変わるものかな」千二は不思議そうに言った。「蕎麦屋で見た時と全然違って見えたよ。暗かったからって事もあるだろうけど」

「それは俺だって、客前に出る時は顔を変えてる」大介が言った。「だけど、ゼンが塔の話を振った時、もう顔色が変わってたぞ。だからまずいと思ったんだ。鰻重を出せって言って追っ払ったのに、すかさずセンが死体の話を繰り返すから。あそこで黙ってれば、尾行されずに済んだのに」


 シャベルを持った幽霊の正体は、蕎麦屋の枯れ木のような女性店員だった。鰻重が遅れた事を謝りに来た時点で、大介は勘付いたらしい。大介が死体という言葉を出した為に、ぎょっとした彼女はお茶も持たずに突然話し掛けてきたのだった。


()()()()」全一は恨めしそうに繰り返した。「妹の可愛がっていた猫の子供、の略か? 日本語がおかしいよ。日本語が乱れてるよ」

「日本語は乱れないよ」正が水を差した。「乱れているのは、使う人の教養と常識」

「よっぽど思い詰めてたんだな、可哀相に」千二は犯人に同情的だった。「そんな事で警察に捕まると思ってたのかな。悩んでいるうちにそう思い込んで、抜けられなくなったんだろうな」

「妹がなくなったのがショックだったのかもな」同じく妹をなくした人の前で、大介は不用意な事を言った。


 しかし正は気付きもしないで、「ショックっていうか、皿が割れただけで悲鳴を上げそうな人だよね。だってさ、猫がアイロンで火傷したからって首を絞めるなんて、ぶっ飛んでるよ」

「安楽死させたんだろ」と千二。

「首絞められたほうがよっぽど苦しいよ。こう、絶対に、怪我とかした事ない人だよね。これがダンなんかだと、自分がさんざん大怪我した経験あるからさ、僕が例え飛び下り自殺に失敗して全身複雑骨折で入院しても、見舞いに来て開口一番『これは全治十ヶ月だ。まあ最初の数ヶ月は死ぬほど痛いだろうがその次の数ヶ月は死んだほうがマシなくらい痛いから気にするな』とか言って平気でいられるわけ」

「今度そう言ってやる」大介は不吉きわまりない予言をした。

「ふっ」全一がとうとうテーブルに突っ伏して、泣き真似を始めた。「今回の事件で、一番の被害者は僕だよ。喉が痛い。僕の喉は、甚大なる損害を被った」

「見境なく怒鳴るからだ」千二がつれなく言った。

「見境もなくなるよ、あんな奴と、こんな奴が、」大介を指差す。「あんな所であんな話なんかしてたら。一体何だったんだよ、僕の魂の叫びは? ただの、喜劇じゃないか! 呪ってやる!」全一は大声で叫ぼうとしたが、やはり喉にこたえたようで咳き込んだ。千二の水を奪い取って飲んでいるところへ、四人の朝食が運ばれてきた。


「はい、サンドイッチと、ピザトーストと、ラーメンと、ホットケーキね」エプロンをしたおばさんがワゴンから一つずつ降ろし、替わりに食券を引き取って去って行く。


「二つ頼めば良かった」大介はラーメンを覗き込んで溜め息をつく。「三つ頼めば、もっと良かった」

「あまり文句ばかり言うなよ」と千二。「文句の多いスポンサーには、予算の残りを返却しないぞ」

「いくら残った?」大介は期待しない顔で聞く。

「うん、まあ、帰りの電車賃を引くと、残り千円くらいかな」

「つまり、二割のスポンサーは二百円返却だね」一銭も出していない正が割り込んだ。「文句を言っといた方が得だよ、ダン。二百円で文句言い放題と考えれば、安いものじゃないか」

「いや、高い」


 それから少しの間、朝食の場は静かだった。四人とも、食べる事に専念していた。


「ああ」やがて全一が力なくもう一度呟いた。「最低だ。最低の夏休み」

「お前の文句料は四百円だぞ」千二が脅すと、

「最高の夏休み」全一はげっそりした口調で言い直した。

「そんなに落ち込む理由は無いじゃない?」八つ裂きにしたホットケーキをシロップの池に浸して楽しんでいた正が言った。「結局、君はすごくカッコ良かったよ。途中までは」

「結局、彼女はお前の助言を素直に聞いたじゃないか」千二も言った。「そりゃ、傍目には喜劇だったかも知れないけど、彼女にとっては今でも真剣な問題なんだからな。いい事をしたじゃないか。彼女の呪いを解いてやったんだ。素晴らしい慈善事業だ」

「慈善事業」全一はうめいた。「首都一帯をシメた伝説の暴走族の隊長が、慈善事業。結構だよ。どうせ僕なんか」

「だけど、あそこでゼンがああいう風に怒鳴ってやらなかったら、彼女は今夜もあの場所を掘り返してたわけだよ」正は微笑んだ。「不気味だね」

「そう、つまり、お前が彼女の人生を変えてやったんだよ」

「そして幽霊を退治した」

「キャンプ場の平和を取り戻した」


 千二と正はいろいろと下らない事を言って全一を慰めたが、全一は今日いっぱい拗ねている予定のようだった。一方の大介はラーメンをあっという間に腹に納めて、ひもじそうな顔で窓を見ていた。


「ほら、ダン。ダンからも何か言ってくれ」千二が横から大介の肩を掴んだ。大介はやっぱり払いのけたが、払いのけてから千二を見て笑った。


 千二もオレンジ色の瞳の奥で笑い返した。「何か言ってくれよ。この馬鹿に」

「え?」大介はすかさず正を見た。

「ちょっと!」正は高い声で抗議した。「なんで馬鹿って言われて僕を見るの? やっぱり僕を馬鹿にしてるんだ!」

「だって、ここでゼンを見ると怒るかも知れないから」大介は用心深く全一を見やる。「怒らせると、とても怖いと分かったからな」

「お世辞は結構」全一はぴしゃりと言った。

「何しろ、人の人生を変えるそうだ」

「はん」全一は冷たく言い捨てた。「僕ごとき一介の馬鹿が怒鳴って変わるなんて、その女の人生ってそんなに安いのかい。そりゃそうだよな、妹の子供が猫だもんな」

「まだ言ってる」正が可笑しそうに言った。

「とにかく、彼女の気持ちが変化した事は確かじゃないか」千二が繰り返した。「根本的に変わったかどうか知らないけど、つまり、少しは気分が変わったはずだろ」

「どうだか」

「少しは気分が変わった、俺は」全一の向かいにいた大介は、短く言った。

「へえ?」全一は急に顔を上げてまじまじと大介を見る。「僕、ダンにも怒鳴ったりしたっけ?」

「……俺は、そのつもりだったが」

「そうだったかなあ……」全一はわざとっぽく考え込んだ。「へえ……そんな恐ろしい事を、この僕がねえ」

「恐ろしかったのは俺なんだが……」

「ダンこそ、怒らせると怖いだろうな。本気で怒った所、まだ見た事ないよな」

 昨日だって本気だったのに、と思った大介は返事に困って黙り込んだ。全一はそれを見て、急に楽しげに笑い出した。


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