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ジャロの呪い(3)

 幸いにも雨が降っている。浮かれて身勝手なキャンプ場の客たちも、今夜は出歩かないはずだ。広場は日中に作業員が入ったようで、周辺の草が随分刈り取られていた。


 新しい電池を入れた懐中電灯は、しばらく明るいはずだった。以前使っていたものは雨を浴び過ぎて駄目になったので、防水仕様のものを買い直した。九千八百円もしたのだ。虚しかったが、他にどうしようもない。


 例の場所はいつも通りだった。あの男が言ったように、塔は移動していなかった。膝から力が抜けそうになる。安堵と落胆が胸の奥で入り交じった。やはり、少年たちの冗談だったのだ。状況は何も変わっていない。物理的な状況は、何も。だが、あの男は真実を知ってしまった。どうやって知ったのだろう。恐ろしい、気持ちの悪い男。もし、死体がこちら側にあって、あの男に先を越されてしまったら。そんな事があってはならない。今夜こそはっきりと確かめなくては。死体があちらにあるか、こちらにあるか。あちらにあれば、永久にそれはそのままだ。こちらにあるとしたら、掘り出すのはこの私でなければならない。


 鍬は先月のあの夜に放り出した時のまま、同じ位置に転がっていた。持ち帰らなかったのは気が動転していた所為だが、結果としてこの方が良かったのかも知れない。家からここまで鍬を持ち運ぶ手間が省けたのだ。道端で人に出会った時、鍬を持ち歩いている事を何と言い訳しようか、そんな事を想像して冷や汗をかく必要が無くなったのだ。もっと早くこうすれば良かったのかも知れない。


 濡れた土に刻まれた、いくつもの鍬の跡。もう充分掘ったはずだと思う。ここに来るたび毎回、必ずそう思う。もう充分掘ったのだ。だけど死体は見付からない。こちらには無いのだ、あれはあちらに埋めたのだ。そう思いたい。だけど、だけど、もしこちらだったら? そして、あの気持ち悪い男。先を越される。見付けるのは私でなければならない。



「不安ですか」


 地面に大きな懐中電灯を横たえ、のろのろと鍬を取ろうとしていた女が、ばねで弾かれたように振り返った。か細い悲鳴のような、奇妙な声をあげた。明かりの照らす範囲のぎりぎり外側に、大きな黒い影が立っていた。半ば闇に溶け入り、半ば浮かび、その目はちらちらと輝き、女を射貫くように見据えている。


 雨が強まっていた。


「見付かりませんよ。そんな掘り方では」大介は視界が暗くならないように、明かりから目を逸らしながら低く言った。「五十センチも掘れていない。大体、まともに掘れば、一メートルほどでコンクリートの塊にぶつかるはずなんだ。そこは以前、塔が立っていた場所だから。土台が残されていれば、そういう事になる。貴方の埋めたものは、塔の土台に塗り込められたか――あるいは、それより更に下だ。シャベルや鍬で掘り返せる場所じゃない。見付かるはずがない。なのに、不安ですか」大介の声は奇妙に虚ろだった。「そうやって何度もここに来て掘り返すのは、気休めですか」


「ちが……」女は甲高い声で叫びかけた。


「違う? ならば、何だ。懺悔か」大介の声は更に低くなった。「俺は貴方の趣味になんか興味は無い、だがテントの場所を知られたからには別だ。何故、俺たちを尾行した? 貴方のような訳の分からない気ちがいが、こちらの寝床の場所を確かめに来たら、俺にだって対処というものがある。俺は不愉快だ。貴方のしている事が不愉快だ。気休めでやっている事なら、今すぐ止めて貰おうか」


「どうして……」女はがたがたと、震え出した。「どうして、分かったの。どうして、死体が埋まっていると分かったの。どうしてなの。貴方……貴方、ここを掘ったの? もう見付けてしまったの?」


「執念深く、無計画だ」大介は冷たく言った。「掘った跡を見れば分かる。ただそれだけだ。それほど執念を持って掘るのなら、宝箱か、死体だろうと、……俺は友達を喜ばせる為に言ったんだ。本人が側で聞いていたなんて、予定外だ」


 大介は言葉を切った。だが女は凍りついたように立っているばかりで、何も言わない。


「俺は玄人だ」大介は再び口を開いた。「貴方のような素人のやり方が、俺には分からない。後ろめたい現場を何人もの人間に見られて、貴方は平気なんですか? 貴方は殺しも後処理も誰にも見られずに上手くやったはずだ、だから今でも死体は見付からない。そのまま黙っていればいい。何故、今になって掘り返そうとするのか、そのせいで何度も目撃されて、貴方の立場は危うくなっているのに」

「わ、私が?」

「シャベルを持った幽霊。それから火の玉。幽霊が塔の周りを掘り返す、雨の夜だけ。……呆れるくらい、現実に忠実な怪談だ。幽霊は貴方だ。火の玉はその懐中電灯。雨の夜に決まっている、晴れていればキャンプ場の客がここまで足を伸ばしてくるから、貴方は行動できないんだ」

「私が幽霊?」

「……自覚が無かったのか」大介は酷く疲れた声で言った。「自分のやっている事が、人の目にどう映るか考えた事も無いのか?」

「私、私は、妹の幽霊だと……妹があの子を探しているのかと、それで私、」

「貴方の話なんか聞きたくない」大介はきっぱりと遮った。「ここを鍬で掘っても、死体は出て来ない。何度も姿を見られて怪しまれるだけだ。分かったら家に帰って貰おうか。俺は貴方のような気違いのうろつくキャンプ場で呑気に眠る気にはなれないんだ。不愉快で迷惑だ。出て行ってくれ」


「冗談じゃない」と、大介の後ろの闇から、別な影が飛び出した。金髪に薄い色の瞳。華奢だがばねの効く体つき。彼は歩みながら、哀しげに、しかしよく通るはっきりした声で言った。「冗談じゃないよ。ここで帰ってもらったりしたら、後味が悪すぎる」


「ゼン、何故追って来た」大介は厳しく叱り付けた。「お前は引っ込んでろ」

「黙れよ」全一ぜんいちはぴたりと立ち止まって大介を睨み付けた。「今このまま追い返したら、この人は、もう立ち直れないぞ」

「お前に関係ない事だ」

「それがどうした」

「首を突っ込むな、こいつは一人殺してるんだぞ」

「だったらどうして警察に突き出してやらないんだ? あんただってこの人が気の毒だと思ってるからじゃないか」全一は興奮してまくし立てた。「首を突っ込んでるのはダンの方だ、中途半端に情けをかけて逃してやるくらいなら、責任を取れよ。何が、引っ込めだ、あんたはいつも偉そうだよな」

「そうじゃない」大介は昼間の諍いを思い出して思わずまた熱くなった。「違う」

「違わない、あんたは自分が偉いと思ってるんだ。玄人の殺し屋で、辛酸舐めて生きてきて、経験豊富で、そこらの甘ったれの一般人とは違うんだって。プライドがあるんだろ? 人より不幸だって事に。それはいいよ、あんたは偉いよ、凄いと思うさ、だけど偉そうなこと言うんだったら責任取れよ。こんな無力な女の子がひとりで、苦しんでる現場にのこのこ出て来て、勝手なこと言って邪魔して、帰ってくれって話があるかよ。無責任だよ」


 突然、女が掠れた声で泣き出した。「死体なんか無いの」


 全一は黙った。


「死体なんか無いのよ。ここじゃないの」女は濡れそぼった土の上に座り込んで、顔に両手を当てた。泥水が、スカートの裾に染み込んでいった。女は色の薄いワンピースを着ていた。「こっちじゃないの、きっとあっちの塔の下なの」


 まるで、あっちにあるから自分の替わりに掘って探してくれと言うような口調だった。


「妹の、可愛がっていた……子供を、私、塔の下に埋めたのよ。だけど、どっちの塔だったか思い出せないの。きっとあっちなんです、だってこっちをいくら掘っても見付からないもの」

「こっちだとしても、見付かるはずは無い」大介は先ほど言った事を繰り返した。「黙っていればいい。……骨は無くとも供養はできる」

「あたし、わざとじゃなかった」女は急に大声を上げた。「アイロンを使っていて……目を離した隙に、あの子が勝手に近付いてったの。あの子は右目が悪かったの、アイロンが見えなかったのよ。頭も、耳も、グチャグチャになって血が出て……妹に見せられなかった。妹が帰ってくる前に、隠そうと思って、タオルに包んだの。あの子、痛がってずっと泣き続けてた、気味の悪い声で……だから、可哀相になって、上から紐を掛けて首を絞めたの。それからここに来たら、穴が開いていた、工事中で、コンクリートが流し込んであった。そこに放り込んで、次の日行ってみたら、塔が立ってた。二つ立ってて、どっちだったか思い出せなかった。あの子は塔に踏み潰されてしまった。もう出て来ない。妹にはあの子が何処かへいなくなったって言ったの、妹は何日も泣いていた。そして、それから妹が死んだの。塔から飛び下りて自殺したのは私の妹よ。妹はここで死んだの。……」


「その姪だか、甥の骨を探しているの?」全一はゆっくりと口を開いた。


「だって、もし私より先に誰かが見付けたらと思うと。自分でも馬鹿みたいって思うけど、時々どうしても掘りに行かなきゃいけないと思うのよ。そう思いだすと止まらない。お天気なんか気にしたことないの、その人が言っているのは間違いよ。私、思い付いたら、天気なんか関係ない、ここに来ないと気が済まないの。あの子の呪いよ。私、呪われてる。あの子が私を呪ってるの。土の下から、ここから出してくれって私を呼ぶの、私にはその声が聞こえる。それが私に課された罰なのよ、一生この場所から離れられない……一生幸せになんかなれない、一生、」


 女は話しているうちに自分の言った事に興奮し始め、錯乱したように喚き出した。


「私、一生、一生、こうして呪われるんだ! 一生ここを掘らなきゃいけない、毎晩毎晩、あの子に呼び出されて。そして、いくら探したって、見付からないんだ! だって死体なんかここに無いもの!」女はよろよろと立ち上がり、向こうの闇にそびえる黒い塔を睨み付けた。「あっちだったんだ、あっちの塔の下なんだ、あの塔が移動してくれたらって何度願った事か! あの塔さえ無くなれば、あの下を探せるのに! 貴方よね、あの塔が移動したって私をからかったのは」


 女は塔を睨んでいた目を全一に向けた。冷たい涙が、雨よりも激しく頬に流れていた。


「貴方にとって冗談でも、私にとっては冗談じゃなかった、私、心臓が止まるかと思った」

「僕は本気でした」全一は静かに応えた。「あの時は、本当にあれが移動したと思っていた」

「だけど結局何も変わってないじゃない」女は再びどさりと膝を折って座り込んだ。「馬鹿みたい。馬鹿みたいよ。どうして私をほっといてくれないの。私、充分罰を受けてる、あの子から呪われて、一生呪われて、夜も寝ないで土を掘り返すのよ。見付からない限り、それが終わらないのよ。どうして私をほっといてくれないの、何故そんな馬鹿みたいな目で私をじろじろ見るの?」

「貴方は俺たちを尾行した」大介がためらいがちに、半ば嫌そうにそう言った。「テントの場所を確かめた」

「そんな事、私、できるわけないじゃない。テレビや本の中では、秘密を知られた犯人は知った人を殺していくじゃない、だけど、私にできるわけないじゃない。ただ怖くなって追い掛けただけよ。何も考えてなんかなかったの。貴方は玄人か何か知らないけど、そういう無駄な事はしないんでしょうね、そう、貴方に分かるわけないわ。分かるわけない、だって私、そんな事できないんだもの」


 風が一段と冷えていた。雨の下に立ち尽くす者たちの手足は冷たかった。全一の手足も冷えていた。だが、彼は胸や顔が焼かれたように熱するのを感じた。


 女は涙と鼻水と雨粒に濡れた顔をワンピースの袖で何度か拭いた。それから鍬と懐中電灯を掴み、体が重そうな動作で立ち上がった。ちらりと全一、そして大介を見やり、背を向ける。


「警察に、言ってもらってもいいですよ」彼女は震えた声で言った。「別に、私、そんな事で変わらない。警察が何をしたって、呪いは消えないもの……」歩き出す。


「ふざけるな」いきなり全一が怒鳴った。「ふざけるな。止まれ。誰がもう帰っていいって言った。その姪だか甥だかの霊が、もう帰っていいって言ったのか?」


 女は怯えたように立ち止まる。


「お前、ふざけるなよ」全一は息を切らし、辺りの空気がびりびりと震えるような声で怒鳴った。「べらべら喋り出したかと思えば、最初から最後までごたくじゃないか。わたしわたしって、自分の事ばっかりだ。そりゃ、自分の事ばかり喋るのは楽しいだろうさ! 何年抱えこんでたのか知らないけど、そんな大層な秘密を持ってりゃ人に喋りたくもなるだろう! だけどなんだ、それだけかよ! お前結局、申し訳ないと思ってるのかよ、思ってるんならどうしてご免なさいの一言も出て来ないんだ? その首絞めて殺したその子と、妹さんに、一回でも謝った事あるのかよ? 呪われてる? 一生幸せになれない? そんな事お前の自分の責任だろ、死んだ奴の所為にするな!」

 全一は息を吸った。

「謝れよ! 妹さんと殺したその子に謝れ! 今ここで謝れ、謝って、やり直せよ! 呪われてるとか罰だとか、生きるってそんな事じゃない! 償うってそんな事じゃない! グチャグチャごたくを並べるな! ちゃんと謝って、やり直せ!」

「ゼン」大介は、全一の肩を掴もうとした。「分かるが、ゼン……殺すってそんな事じゃない」

「うるさい!」全一は大介の手を払う。「謝れ! お前も謝れ! 許されたいと思ってるんなら、態度で示せよ! 人を殺した事があるくらいで、偉そうな顔するな! そんなこと、そんなこと、全然珍しくも凄くもない! 自慢するなよ!」


「ごめんなさい!」女が突然振り返った。鍬と懐中電灯が土の上に落ちる。スイッチが地面に当たったらしい、明かりはぱちりと消えた。闇。「ごめんね……ごめんね……本当にごめんなさい」


 全一は肩であえいでいる。


 大介は全一の腕を掴んで押さえている。


「ごめんなさい」女はその言葉を確かめるように繰り返した。「ごめんね、何処にいるか、もう分からないけど……、ごめんね、本当にごめんね、……()()()()()()


 雨は降り続いている。闇、そして沈黙だった。


「ごめんなさい、わざとじゃなかったの、でも殺さなくたって良かったのに。ごめんなさい、許してね、ジャロちゃん、……ジャロちゃん」


「……ひくっ」全一は変なしゃっくりをした。「……ジャロ?」


 大介はまだ全一を押さえたまま。しかし少しだけ目を細める。


 塔の影で千二と共に息を潜めていた正は、溜め息とともに呟いた。

「ああ……、()()()()


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