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さまよえる塔(3)

 遊具と塔のある広場から更に歩いて八分、ようやくの事で四人はテントに戻って来た。それほど大きいキャンプ場ではないが、海から近い事もあってこの季節は割と混んでいる。条件の良い場所は熟練のキャンプマニア達が占領するのが常で、後から来た素人の連中は取りあえず空いている場所にテントを張る。正たちの縄張りも、風よけにもならない小さな薮の側で、黙っていると際限なく蚊に刺される場所だった。


 向かいの大型テントを構えた四人家族は、良い場所を取っている。風の当たりにくい場所に立てた大型テントは寝室で、涼しい木陰に設置した小型のドームテントは昼寝用。パラソルの下にテーブルと椅子を置き、鉄板の風よけの付いたガスコンロと、オーブンと、冷蔵庫代わりのクーラーボックス。蛇口の付いた水タンクまで置いてある。コップ付き。二人の娘も、自分たち一家が素人でない事を自負しているのだろう。事あるごとに、貧相な道具立てでつましく暮らしている四人の方へ憐れむような蔑むような目を向けてきた。若干八歳と五歳の少女がする事であるから、寛大に受け止めてもいいようなものだが、正と全一ぜんいちは気に食わなかった。


「またこっち見てる」膝に置いたまな板の上で玉葱を切りながら、全一は呟くのだった。

「姉? 妹?」正も人参の皮を熱心に剥きながら、囁く。

「姉だ。生意気だぜ、挨拶したって返事もしない」

「それは恥ずかしがってるだけだろうけどね」

「教育がなってない。親の責任だ」

「そう、親の責任だ」

「こら、陰口は止めろ」炭火を熾していた千二せんじが顔を上げた。

「あっちは陰口より陰険じゃないか」全一は言い返した。「こっちに聞こえてるのを承知で『うちの虫よけは効くよねー』とか『うちの冷蔵庫つめたーい』とか『うちのテントは涼しいよねー』とか。何様のつもりだよ」


 何しろキャンプというものは、食事から何から全ての活動が野外である。テントに入った所で、隔てる物は布一枚。向こうの一語一句から些細な仕草までが筒抜けだった。当然、全一や正の反発も向こうに筒抜けな訳で、ともすれば果てしない意地の張り合いになりそうだった。場所取り、道具立て、テントの張り方とその手際、食事の作り方食べ方、そのメニュー、雨風や日差しの防ぎ方、虫対策、そして余暇の遊び方。生活の一コマ一コマが、張り合う材料になり得た。睨み合いも悪口も必要無い。ただ暮らしているだけで、それが隣のテントへのプレッシャーとなるのだ。自分達が如何に優雅に暮らしているか、それを見せ付け合う事が、キャンプ場での喧嘩の作法だった。


「止めろったら、もう……」千二はねちねちと陰口を続ける二人を、呆れたように眺めた。「無視してりゃいいじゃないか。家族で楽しくキャンプしてるのが嬉しいだけだよ、あの姉妹は。悪気なんか無いんだ。ねえ、ダンからも何か言ってやってくれ」

「そうだな」大介はパックを開けて肉を取り出し、金網の上に並べながら、「後でアイスクリームとコーンフレークとチョコレートソースを買って来て、特大パフェでも作るんだな。そして、これ見よがしに四人で食べれば、向こうも黙るだろう」

「だから、違うって」千二は膝にとまった蚊をぴしゃりと叩く。しかし、逃げられたようだった。


 全一と正は切り終えた野菜を肉の隣に並べる。千二は買ってきたご飯をプラスチックの椀によそって、皆に配った。それぞれが割り箸を取る。タレと取り皿を取る。


「肉は沢山あるからな」千二は皆に釘を刺した。「取り合うなよ」

「この肉、僕ね」正はまだ火の通らない肉に予約を入れた。

「このキノコは、僕ね」と全一。

「こっちは豚肉なんだ、生焼けで食べるなよ」千二は口うるさく言った。

「メロンを切ってもいいか?」と大介。


 四人で食べきれるかどうか確信が持てないくらいの肉を買ったのだが、結局最後の一切れがなくなるまで手を緩める者は無かった。お約束のパターンで野菜が残る。焦げたキャベツやピーマンの山を、千二は菜箸で四等分した。

「一人一区画、食べ切る事」

「僕、さっきからキャベツ四分の一個は食べたよ」すかさず全一が反発した。「僕が一番野菜を食べてると思う」

「黙れ。連帯責任だ。民主主義だ」

「むしろ、資本主義?」と正。

「味付けして炒め直せば、いいんじゃないか」大介はぼそぼそ主張した。「ここにフライパンがある」

「よし任せたぞ、ダン」千二は張り切ってフライパンを手渡した。


 それで大介は、千二が家から持って来たキャンプ用バーナーの火を付けて、黙々と料理を始めた。火力はあまりない。大切なのは、気合いである。キャンプ用のフライパンが軽い所為でもあるが、大介は腕力を効かせてフライパンを振るった。実は何をさせても、器用なのである。味付けは醤油と塩と、少しの砂糖。途中から蓋をして、キャベツの水分で蒸し焼きに仕上げた。すっかり火が通ると、野菜の嵩は減った。大皿にガバリと開けた。四人で食べる。これが案外旨い。なんとなく、向かいのテントのいけ好かない姉妹に勝った気分である。それくらい大介の料理する姿は様になっている。少年たちは機嫌が良くなった。


 食後のデザートという事で、大介が愛用の果物ナイフとメロンを取った所へ、向こうのテントから二人の姉妹がやって来る。実のところ少年たちは既に向こうのテントなど眼中に無くなっていた。自分たちの昼食に満足していたのである。姉妹がやって来た時には、四人とも不思議そうな、意外そうな目で振り返った。


「これ、オスソワケなので、食べてください」姉が両親に言い含められた台詞を棒読みした。手には大きな皿を抱えている。切り分けられた西瓜が乗っていた。妹は姉に付いて来ただけのようで、所在なげにそっぽを向いている。


「え、いいの?」千二は、女の子が皿を落としそうなので、慌てて受け取った。

「うん」と姉は言った。

「お裾分け?」

「うん」

「どうもありがとう。お父さんとお母さんに、ありがとうってね」

「うん」

「怖いお兄ちゃんばっかりで、ごめんね」と全一。

「うん」

 姉妹はお使いが終わったので、ほっとした様子で帰って行った。


「怖いお兄ちゃんで悪かったよね」と正が言った。

「お返しにメロンはやらんぞ」大介が言った。

「まあ、勝手にくれたんだから、もらっときゃいいよな」千二も案外ケチな事を言った。


 食べ切れない、といいながら四人は全部食べた。千二は皿を返しに行った。いけ好かない(と言っても生意気なのは娘二人だけなのだが)一家に丁寧に頭を下げて、西瓜のお礼を言う。西瓜ごときが何だと大介は思っている。妹の方が美人だと正は評価を下す。キャンプの醍醐味は隣の家族と張り合う事にあるのだろうか、と全一は真剣に考える。


 千二が戻って来た。


「若い人はいいですよねえ、なんて言われた」千二は無邪気に言った。「どういう意味だか知らないけど」

「こっちの素性を探ってるんだよ」全一が煙草をくわえながら言った。「三人、未成年だろ。最年長のダンは、纏め役って感じじゃないし」

「最年少は美形だし」と正。

「なるほど。それでこっちをじろじろ見るのか」

「もう少し最年長らしくします」大介が心にも無い事を宣言した。


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