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さまよえる塔(2)

 肉や野菜が詰め込まれてパンパンに張った買い物袋を抱え、大介は黙々と歩いて行く。正はそれに半歩遅れて歩いていた。四人が辿っているのは車の轍だった。何度も車のタイヤに踏まれた為に、そこだけ草の生えていない跡が二本、何処までも続いていた。両脇は深い草むらで、大小さまざまの虫が飛び立っては止まるのを繰り返している。強い日差しの為に草の香りがむっと立ち昇って、辺りの空気は息苦しい。車のタイヤが土をえぐり過ぎるからだろう、轍には砂利が敷かれていて、しかしその砂利も半ば泥にうずもれていた。四人が踏むたびに、靴の下からザクッという音と、土埃が上がる。うっかりすると眠くなりそうな、だるい風景でもあった。


 暑苦しい恰好の大介は、汗だくである。しかしちっとも暑そうな顔ではない。彼は、冬でも寒そうにする事はないし、怪我をしても痛そうでないし、おそらく溺れても苦しそうな顔一つ見せないだろう。そういう、タフで不遜な男だった。それは彼の信念でもあった。実際そうでなければ彼はとっくの昔に死んでいただろう、そういう人生を送ってきた男なのだ。


「ジープが欲しいよ。ここは人が歩く場所じゃない」と、こちらは全くこらえ性の無い全一ぜんいちである。

「これはジープの轍じゃないよ」正が口を挟んだ。「タイヤとタイヤの間が狭い。軽トラだね」

「何の為の道路なんだろう」と千二せんじ

「キャンプ場の管理の為だろ」大介がぼそぼそと言った。「できた時はここまでずっと荒れ地だったんだと思う。だんだん草が生えて、車の跡だけ残ったんだ」

「そんな、聞いてみれば当たり前すぎる理屈を聞きたいんじゃないんだよ僕は」全一は空に向かって喚いた。「僕はね、これ以上歩きたくないと言いたいだけだよ。軽トラでも軽自動車でも結構だし、ここが道路だろうが線路だろうが関係ない!」

「ちょっと休むか?」落ち着いている割に一番体力の無い千二が、提案した。

「別にいいけど」と大介。

「休むと余計暑くない?」正は、正論を言った。

「休んでもキャンプ場は近付いて来ないし」全一の主張も正論である。

「早く肉が食べたいしな……」千二は即物的な理由で自分を元気づけた。「歩くぞ。うん、歩こう」

「荷物……」大介が、杖を持った手で千二の持つ買い物袋を取り上げた。

「え、いいの?」

「あ、ずるいぞ」

「ずるいぞセン」

「全部持てるけど」大介は平然とした顔で、他の三人の荷物を全て受け取った。「これで少し早く歩けるだろう」

「なんかダン、イジメられてるみたい……」正が言った。それでも誰も荷物を取り返そうとしない。正にしても、「似合ってるよダン」なんて付け加えたくらいにして、四人は再び歩き出した。確かに荷が軽くなった分、道ははかどった。緩やかな丘を登りきると、草むらが終わって広場が現われた。


 古びた金属製の遊具が、広場の中央に立っていた。滑り台、ジャングルジム、ブランコなどが一体化した古典的な遊具で、数人の子供達が遊んでいた。辺りは草が刈り取られて平らに均され、小まめに手入れされているようだ。今も広場の隅の草むらに分け入って、電動の草刈り機を抱えた作業員達が働いている。辺りには草刈り機のジリジリと引っ掻くような音がこだましていた。


 広場の逆の隅には、これまた年季の入った塔のような物が立っていた。高さは十五メートル程だろうか、周囲十歩ほどの石の円柱で、上にピラミッド型の屋根が被さっている。時計塔に似ているが、時計は見当たらない。こういう塔によく見られるように、天井に鐘がぶら下がっている訳でもない。遊具ではしゃいでいる子供達からも、見向きもされていないようだった。


「なんだろうね、あれ」最初に興味を示したのは全一だった。「なんであんなもの立ってるんだろう」

「モニュメントってやつじゃないかな」千二が言った。

「それにしちゃ、冴えないね」と正。

「ほら、あの屋根の下に人が立てるようになってない? どこから入るんだろう」全一はすでにそちらに向かって歩き出していた。彼に引きずられるように、他の三人も付いて行った。


 塔はおそらくコンクリート製だった。表面に赤やオレンジのタイルが貼られて、煉瓦風の模様をなしている。しかし年月の為だろう、その色は随分と褪せて埃っぽくなっていた。裏側に回ると、金属製の扉が見付かった。やはり、中に入れる構造のようだ。しかし、扉は鍵が掛かっているらしく、押しても引いても動かない。


「外から登れるかな」全一は諦めきれない様子である。

「何の為に登るんだ?」千二は呆れて双子の相棒を見た。

「上に何があるか見たいよ」

「何もあるわけないだろ」

「死体があるかも知れないね」と正は微笑した。

「それに触らないほうがいい」大介が突然言った。強い口調だったので、他の三人は思わずぎょっとして彼を見た。大介が睨んでいるのは、扉のすぐ脇に生えている木だった。彼らの背丈ほどしかない、ほっそりとした若木で、小さめの葉にもあまり艶が無い。むしろ、その木に絡んでいる蔦のような植物の方が生命力旺盛に見えた。


「ウルシだな」大介は一瞬だけ目を細めて言った。

「ウルシ? かぶれるやつ?」全一はすぐに飛びすさった。彼は肌が弱い。普通の人なら何ともないような、単なる雑草にもかぶれる事があった。千二も同様だ。

「ウルシなんてこんな所に生えるんだ」正もじっとその木を見た。

「その、木じゃなくて、絡まっている蔓の方。ツタウルシ」大介は低く言った。「それほど大した毒じゃない。でも、結構厄介なんだ」

「厄介だよ。痒くなるっていうのは、一番厄介だよ」全一は哀調帯びた口調で言った。「痛いよりも、痒い方が酷いね。僕は背中に毛虫の針を浴びた事があるんだけど、それはもう、拷問のような一夜を過ごしたものだ」

「なんか、聞くだけで堪え難い悲劇だな」と千二は言った。「何だって毛虫を怒らせたりするんだ?」

「怒らせてないよ! 怒らせてないよ! 僕はただ、杉の木の下に鉄棒があったから、そこに行儀良く腰掛けて運動会を楽しんでいただけだよ! なのに、帰ってから、背中や腕や顔がパンパンに腫れて、父親に見せたらだね、『ああ、これは毛虫だねえェ』ときたもんだ!」

「それは気の毒だった」

「しかも、腫れている所が血の流れに沿って移動していくんだよ! 顔の左側から始まって、左腕、背中、左足、右足、右腕、ぐるりと一周だよ、信じられないだろう! もう、言葉にできない悲壮な事件だったんだよ!」

「まったく気の毒だ」


 正は双子の問答をよそに、黙って塔の壁面を見つめていた。若木とそれに絡むツタウルシの影がそこに揺れている。その影は妙に歪んでいて、何か妖怪のようにざわざわと蠢いていた。振り返ると、すぐ後ろからススキの生い茂る深い草むらが始まっている。邪魔をする者もなく巨大化したススキの大群は、少年達の背丈ほどもあった。草むらというよりまるで森のようだった。この緑色の逞しい草の一本一本が全て生き物なのだと思うと、正はなんだかそら恐ろしくなって隣に立つ大介の腕を掴んだ。


「え?」と大介は言った。両手に一杯の荷物を持たされた彼は、ススキにも塔にも興味が無いらしく、空を見ていた。ところどころに白い雲の浮かぶ、青い空。天気予報ではこれから雨が降ると言っているらしいが、今の所その気配は見えない。正が黙っていると大介は再び空を見上げた。


「ダン」正は掴む手に力を込めた。

「何?」大介はまた目を戻す。

「ダン、……何を見てたの?」

「別に、何も……」大介は戸惑ったように答えた。

「何を考えてるの? ダンは不思議だね」

「別に……」と大介は繰り返した。それから少しだけ彼は微笑んだ。


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