時を告げる影(3)
「一つ一つ謎解きをしてあげようか、それとも細かい指摘は省こうか?」駅前の広場のベンチの前で、正はポケットに片手を突っ込んで演説した。「僕が証明したいのは、ウルシが絡まってたあの木と塔との位置関係、この一点なんだけどね」
「変な勿体つけなくていいよ」全一は改札口で配られていた広告入りの団扇を持ってパタパタとやっていた。「省略しないでやってくれ」
「では、君もそこに座りたまえ」正は千二と大介が腰掛けているベンチの端に、全一の事も無理矢理座らせた。そして、自分は立ったまま、静かに話し出した。「バーベキューの後だったね。バーベキューの前にも僕らはあの広場を通った。その時は何でもなかった。バーベキューが終わった後で行ったら、塔が移動していた。大体、二時間くらい経ってたかな? そうだと思うね」
「そうだと思う」と千二。
「もう一つの条件は……君たちはよく覚えてないかも知れないけど、ウルシの絡んだあの木には、影があったという事だよ。つまり、昼の間はずっと晴れていたからね。その影が、僕が最初に見た時は、塔の壁面に張り付いていた。つまりこう、塔があって、太陽があって、その間に木が立っている状態。分かるかな。もしあの木が塔と同じ大きさくらいあったら、二つの影がぴったり重なって、一つの影になったはずだ。そういう位置関係だよ」
「くどい」全一が団扇の風を大介に向けた。大介は全一の手を掴んで遮った。
「とにかく……」正は自信に満ちた口調を崩さずに続けた。「もう一度来た時、事実はどうあれ、塔は移動したように見えた。もともと塔があった所には、塔を立てた跡だけが残っていた。それで、側には同じ木が立っていて、やっぱりその木には影があった。だけどその影は、円の中心に向かっていたんだよ。つまり、塔を立てた跡である円があって、太陽があって、丁度その間に、木が立ってた」
「さっきと同じじゃないか」全一は何も気付かずに言い返した。「塔が無くなっただけで」
「だから、ゼンは分かってないんだよ。同じだという事が、歴然とした証拠じゃないか。同じだという事こそが、その木が違う木だという証拠なんだよ」正の口調は熱っぽく、早口になった。「いいかい、時間が経ってるんだよ。バーベキューをしている間に、二時間経ったんだ。二時間前と同じ方向に影があってはおかしいんだよ」
大介は無言で、真剣な顔で正の話を聞いている。
「だから、あの木は別な木なんだ。塔の跡は、別な塔の跡なんだ。木も塔も、似たようなのが二つあったと考えるべきなんだ。二つは同じように寄り添って立っていたけど、太陽に対する位置関係が違っていた。そう考えるのが自然だと分かる。そして、そういう考えに立てば、その他の小さな矛盾は全て、切って捨てる事ができるんだよ」
「切って捨ててみろよ」千二が笑いながら言った。
「まず、二時間前に草むらのすぐ手前に立っていた塔が、広場の中に一歩入ってきたというのは、目の錯覚だ。動いたのは草むらの方だね。草を刈られて、広場が広くなったんだ。そうして、今まで草むらに隠れていた別な塔の跡が現われた。まるでさっきまで塔が立っていたかのように、そこだけ円形に土が見えていたんだけど、それはある人が定期的に掘り返していた所為で、草が生えなかっただけだ。塔の側にあった木が無くなってしまったのも、塔が木を置き去りにして移動したからではない。その木はただ無くなってしまっただけさ。草刈りのついでに根元から切られてしまったんだ。だって触ると痒くなる蔓が絡みついていて、広場にあるには相応しくなかったからね」
「もう一本の方も切ったら良かったよな」全一が言った。「紛らわしい、半端な事をしたもんだ」
「本当は切っちゃいけなかったんじゃない? 木は、その土地の持ち主の所有物だからね。所有者の許可なしに切ってはいけないんだ。でも、広場の隅っこなら仕方ないにしても、草を刈った所為で広場の中に入ってしまった塔の側には、害木を残すわけに行かなかったんだよ。これは、僕の想像だけど」
「でも、でも」千二がベンチから身を乗り出した。「移動した塔の下に立って遊具を見たら、見える方向が違っただろ? それはリンがそう言ったんだぞ」
「そんな事、当たり前だ」大介が突然言った。
「分かった、実は遊具が移動したんだ」全一が嬉しそうに言った。「奇跡は起きたのだ」
「そうじゃない、全くそうじゃない」正は首を振った。「塔が絶対に動いてないという事は、事実なんだよ。証明されたんだから、これは覆せない。だから、覆るのは遊具の位置が違うという僕の観測の方だよ。観測が間違っていた。それだけさ」
「何それ、そんなの反則だ。無責任だ」全一は憤慨して立ち上がった。「リンが自分で言ったんだぞ」
「その時、君たちだって僕を見てたじゃないか。だから、君たちだって僕の観測が間違っている事に気付いても良かったんだ。実際、ダンはそれに気付いたから、当たり前だって言ってるんだよ」
「何が間違ってたんだろう」千二が考え込む。「塔の下に立って、遊具を見るだけだろ? そんな事に間違いも正しいもあるか?」
「大間違いだよ、立つ位置が違ったんだ」正は面白そうに目を輝かせて言った。「移動したのは塔でも遊具でもない。僕だよ! 僕が移動したから、遊具の見える方向が変わったんだ。大体バーベキューの前は、それほどよく遊具を見たわけじゃなかったしね。同じ塔の下でも、具体的にどの位置に立ったのか、細かく記憶しているわけじゃないだろう? 塔が移動したっていう先入観があったから、その理屈に合うような位置で足が止まったんだ。もし、塔が移動してないって思っていたら、ちゃんとさっきと同じ景色が見えるような位置で足を止めただろうね。そういう事」
「酷いよ」全一は団扇の風を無茶苦茶に正に浴びせた。「まったく酷い、こんなお粗末なマジックは聞いた事が無い」
「ゼンが一番喜んでたじゃないか。痛い痛い、ゼン、団扇はそういう道具じゃないよ」
「勿体つけて喋ってる割に、ろくなこと言ってないし。もっと、聞いて驚くような斬新な謎解きができないのかね!」
「だって、実際の謎が大したこと無いんだから、謎解きも華麗には行かないよ」
「あの塔の上、本当に何も無かったかな」大介が低く呟いた。「死体があるかもって言ったの、リンだったはずだが……」
「君も、真顔でジョーク言うの、好きだよね」
正が呆れたように言った時、千二がぱっと立ち上がった。人の波の向こうに、迎えに来た父親を見付けたのだった。
「岸さん、ありがとう。仕事中じゃなかった?」
「全然。今日はお休み」二人の息子よりずっと薄い金髪の、ずっと薄い黄色の瞳の、ずっと色の白い男が近付いて来た。人込みの中でひと目で分かるほど長身で、銀色の眼鏡をかけた顔は真面目そうだった。
「毎日休みじゃん」全一が団扇を父親に向ける。
「そんな事ない!」岸は心外そうに言い返した。「毎日描いてるよ。ここんとこ、ずうっと毎日」ふざけ半分の口調で言いながら、ちらりと彼は大介を見る。
大介は少し目を上げて、黙って目を逸らしたが、思い直してまた目を上げた。「似合ってるぞ」
「ええ、そう? ありがとう」岸は快活に答えた。「みんな車に乗ってね。順番に送るから」
大介は嫌そうにベンチから立ち上がる。正も立ち上がろうとした。その前へ、千二が立ち塞がった。真剣な目で正を見下ろしていた。何となく、やっぱり来たなと正は思った。
「リン……これが最後の謎解きだ」千二は緊張した声で言った。「いつまでも夏休みという訳にも行かないからな」
「僕は学校がある方が好きだよ」正は相手の橙色の瞳を見返した。「言えよ。君と僕の仲だろう」
「お前は十四歳だ」千二は静かに、はっきりと言った。「一年経ったよ、リン。ダンは戻った、おれの父も戻った、お前の叔父さんも戻った。おれとゼンはちゃんと高校に入ったし、ダンはちゃんと就職できた。風波は無くなった、リバウンドは終わった、それから……」
「知ってたさ」正は遮った。「もう、知ってるんだからさ、それ以上当たり前の事を並べて言わないでね。本当に僕が馬鹿みたいじゃないか」
「分かったら宜しい」千二は笑って正の背中を叩いて、立ち上がらせた。「キャンプも後半になってから、突然ダンが無事で良かったとか言い出すから、皆でびっくりだ」
「何日泊まったっけ?」
「二泊三日」
「ああ、そうだっけ……最初の一泊は何してたんだろう。記憶に無いなあ」
「ただぼうっとしてたよ」全一が言った。「一日中、ぼおおおおおっとしてたよ。大丈夫なのかなあと思ってたら、案の定いつものあれが始まったからな」
「目を覚ませって言ってその場で殴ってくれれば良かったのに」
「前そうやったら暴れて部屋一つ壊滅させたじゃないか」
「そんな事するもんか。そんな野蛮人、僕の知り合いにはいないね」
少年たちは岸の後を駐車場に向かって歩き出す。大介は一番後ろを、杖を突きながら行く。彼はちらりと空を見上げ、突然「ああ」と声を上げた。
珍しい事なので、正と全一と千二は振り返った。
「……やっと分かった」大介が言った。
「何が?」と正が聞いた。
「思い出した」大介はいつもの無表情だったが、何処かとても嬉しそうだった。
「何か分かったのか?」千二が聞く。
「うん、塔の謎が」と大介は答えた。
「君、ちょっと遅いよ」正が吹き出す。
「そうだな、ここに青さんがいてくれると、通訳してくれるんだな……」と全一。
「なるほど。やっぱり今度は彼女を呼ばないとな」
「無駄だよきっと。たぶん逆効果だね」
先に行ってしまった岸を追って、少年たちは足を速める。車に乗り込む直前、一瞬吹き抜けた風はふわりと涼しい。そこにはっきりとした秋の匂いを感じ取った正は、しかし過ぎ去っていく夏を名残惜しいとは思わなかった。彼は微笑んだ。新しい季節が来るのが、わけもなく嬉しかった。




