ブラックブドウの収穫
気温のまだ低い早朝に家を出ると、庭にドルバノとゾールが立っていた。
「おはよう、二人とも早いな」
「今日はワインの源になるブドウの収穫日じゃからな!」
「楽しみ過ぎて昨日は寝られんかったわい!」
どうやらブドウの収穫が楽しみ過ぎて、早く来てしまったようだ。
それだけお酒を呑むのを楽しみにしているということか。
おっさん二人が楽しみ過ぎてワクワクしている様子は微笑ましい。
「アルテを連れてきたわ」
ドルバノとゾールと会話をしていると、先にエルフを呼びに出ていたリーディアが戻ってきた。しかし、連れてきたエルフはアルテ一人だけだった。
「すみません。今日はトマトとキュウリの収穫があるので、私一人だけになりますがよろしくお願いします」
「いや、こっちこそ忙しい中すまないな。よろしく頼む」
「はい! よろしくお願いします!」
この季節は夏野菜がかなり早いスパンで収穫される。他のエルフたちがそちらの収穫作業に忙殺されるのも無理もない話だ。
たった一人とはいえ、手伝ってくれるだけで十分に有難かった。
「それじゃあ、人数も揃ったところだしブドウ畑に行くか」
「ブドウを収穫するのだー!」
威勢のいいカーミラの声を合図に、俺たちはブドウ畑に移動した。
ブドウ畑にやってくると、ブドウ棚には枝、蔓、葉っぱが生い茂っており、天井からは黒く輝く果実がぶら下がっていた。
棚の隙間から日光が差し込んで、地面に木漏れ日のような光が落ちている。
とても綺麗だ。
「おお! ここにあるのは全部ブドウなのか!?」
たくさん実っているブドウを目にしてカーミラが目を輝かせる。
「そうだ。ブドウだな」
「思っているよりもたくさん生るのだな! どれも美味そうだ!」
興奮するカーミラをよそにドルバノとゾールは胸いっぱいに深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出していた。
「……いい香りじゃ」
「ああ、これはきっといいワインになるわい」
二人には既に美味しいワインまでの道のりが見えているらしい。
「ブドウにも色々な品種があるけど、このブドウで作るワインは美味しいの?」
「ワイン作りに適したブラックブドウですから、美味しさは間違いないでしょう」
簡単に説明すると、ワインに相応しいブドウとはタンニンが含まれる種や皮が多く、酸味の強いものだ。
生食用のものは種が無く、皮が薄く、実が大きくて酸味の薄いものが向いていると言われている。
「そう。お酒はそれほど飲むわけじゃないけど、そこまで言われると楽しみね」
「もちろん、ワインだけでなく普通に食べても美味しい万能の品種です」
クレアの言う通り、ワイン用のブドウが美味しくないのかと言われるとそういうわけではない。生食に特化したものより食べやすさや味は少し劣るものの、十分に美味しいと言えるレベルだ。ブドウを育ててきて、きちんと味見をしていたので保障できる。
ブドウの品種の選定はクレアに任せていたが、どうやら上手い塩梅に自らの欲望も織り交ぜていたようだ。これならワインに加工しても、そのまま味わっても楽しめるな。
ワインにしても美味しいし、そのまま食べても美味しい。とても結構なことだ。
「で、これは全部収穫していいのか?」
「いや、まだ収穫できない奴もある。房全体がしっかりと色づき、香りが出ているものを収穫してくれ。わからない時は房の下の方にある粒を取って甘いか確認してくれ」
ブドウは房の上から下へと熟していく。
一番下の粒までしっかりと熟しているものは完熟している証だ。
逆に一番下の粒の色づきが薄かったり、食べてみて酸っぱさの強いものは未熟なものの証。
「ということは味見をしてもいいのだな!?」
「収穫しながら食べてもいいが、食べ過ぎないようにな」
「わかっているぞ」
念を押すように言うと、カーミラがニコニコとしながら頷いた。
これほど安心できない「わかっている」という言葉は聞いたことがないものだ。
「それじゃあ、各自で収穫してくれ」
それぞれにカゴやハサミを持たせると、ブドウを収穫するために散っていく。
ブドウの収穫は特に難しくない。房の上にある蔓をハサミで切り落とすだけだ。
神具の杖をハサミへと変形させると、収穫用のカゴを持って手身近な列に移動。
黒紫になっている大きなブドウを左手でそっと押さえ、右手で房の上の蔓をパチンと切る。
すると、ずっしりとした重みのあるブドウが手の平に収まった。
セシリアと丁寧に摘粒したお陰か非常に房としての形が綺麗だ。
ブドウと言われれば、皆が思い浮かべるような理想のシルエットをしている。
実は大きく、しっかりと粒同士が密着している。見事なブドウだ。
収穫したブドウをカゴに入れると、また次のブドウへ。
しっかりと全体の色づき具合を見て、粒の異常がないかを確認する。
こちらのブドウはちょいちょいと粒の形にバラつきがあったため、小さな粒はハサミで落としてしまう。
別にこれらの小さなブドウは傷んでいるわけでもないので、捨てるのは勿体ない。
「こーら、水を出してあげるから食べる時は洗いなさい」
そのまま食べようとしたらリーディアに注意されてしまった。
彼女は土魔法で小さな器を作り出すと、水魔法で水を入れてくれた。
見渡せば俺以外の面子も同じ器を渡されている。
皆して同じような注意を受けていたようだ。
「助かる」
器を受け取り、ブドウの粒を水で洗うと今度こそ口に入れる。
ブドウの果肉が潰れ、口内に濃厚なブドウの甘みと酸味が広がった。
皮はやや分厚いが、とても果汁が豊富で皮離れがいい。
「これでワイン用のブドウとは恐れ入る」
これでワイン用のブドウなら、生食用のブドウはどれだけ美味しいのか想像がつかないな。
などと述べると、クレアが神妙な顔で口を開いた。
「……いえ、ブラックブドウとはいえ、普通のものはここまでの味や香りではありません。間違いなくハシラ殿が育てた補正が入っていると思われます」
「魔国でもブドウは食べたことはあるが、こんなに美味しいブドウは初めて食べたのだ!」
「そうなのか」
クレアだけじゃなく、カーミラも同意するように言った。
俺は普通のブラックブドウとやらを食べたことがないのでよくわからないが、どうも他の作物と一緒でこのブラックブドウも遥かに美味しくなっているようだ。
「つまり、普通のブラックブドウで作るワインより、さらに美味いワインができるというわけじゃな!」
「ワインの完成が益々楽しみになったわい!」
ブドウの美味しさにドルバノとゾールも満足げな様子。
俺も二人が作るワインが楽しみだ。
「それにしてもこのブドウはとても房の形が綺麗ですね。丁寧に手入れされていたのがわかります」
「ああ、セシリアと一緒に毎日摘粒していたから――あっ」
アルテの何気ない褒め言葉を受けて、俺はあることに気付いた。
「どうされました、ハシラ殿?」
「セシリアを収穫に誘うのを忘れていた」
ブドウの植え付けから一緒にいてデータを取りつつ手伝ってくれていた、一番の功労者に声をかけるのを忘れていた。
「別にいいですよ。セシリアなど、それくらいの扱いで良いのです」
「よくありませんわ!」
クレアの厳しい言葉に強く反論する声が上がった。
振り返ると、セシリアが不満そうな顔をして立っていた。
彼女はこちらを見据えると、優雅さを崩さないギリギリの速さでこちらにやってくる。
「ハシラさん、わたくしと一緒にブドウを育ててきたというのに収穫日に誘ってくれないなんて酷いじゃありませんこと?」
それに関しては言い訳のしようもない。俺もついさっき思い出して酷いことをしてしまったと思っていたところだ。
「すまない。すっかり忘れていた」
「忘れていた……」
素直に謝ると、セシリアは愕然とした顔になって崩れ落ちた。
忘れられていたというのがショックだったらしい。
「人間誰しもミスはあるものですよ。ハシラさんもギリギリ思い出してくれたことですし、ここは許してあげましょう?」
「そ、そうですわね。誰しもちょっとしたミスや勘違いは起こしてしまうものです」
「まあ、私は気付いていましたが、敢えて触れずにスルーしました」
アルテのフォローで立ち直ったセシリアだが、クレアが見事に打ち砕いた。
セシリアはわなわなと身体を震わせると、クスクスと笑うクレアに掴みかかった。
「クレアー!」
「ちょっ、翼を掴むのはやめなさい!」
クレアが翼を広げて逃れると、セシリアも翼を広げてそれを追いかける。
飛べる者同士の絡み合いになると、空中戦になるんだな。
いつものじゃれ合いが始まったことを察した俺たちは、騒がしい二人の声をBGMにブドウの収穫を再開した。