アヒージョ
「ただいま」
ブドウの摘粒を終えて家に戻ってくる。
玄関を上がってみたが誰も返事をしない。
リビングに入ってみると、珍しく誰もいなかった。
いつもは帰るとリーディアかクレアかカーミラの誰かしらがいるものだが、今日はまだ誰も帰ってきていないようだ。
ここ最近は外に探索に出たり、エルダの面倒を見たりで家に戻ってくるのが遅かった。
夕食もリーディアやクレアに任せっきりだったし、今日の夕食は俺が作ることにしよう。
台所で手洗いやうがいを済ませると、食料保管庫に移動。
食材を確認してみると、キノコが数種類保管されている。
リーディアが昨日樹海で採取してきてくれたものだ。あまり日持ちするものでもないので、できれば今日の夕食で使い切ってしまいたい。
とはいっても、キノコの塩焼きやソテーは昨日食べてしまったので、同じ焼き物は芸がない。
「……アヒージョにするか」
ちょうど傍には瓶詰めにされたオリゴオイルがある。良質なオリーブオイルがこれだけたくさんあるならやらない手はない。
食材保管庫からキノコ類を手に取り、他にもニンニク、鷹の爪、燻製肉、といった必要な食材を選別。
台所に移動すると、包丁の腹でニンニクを潰す。
潰したニンニクの皮を剥くと、そのままスキレットに入れてしまう。
次に樹海で採取されたたくさんのキノコの軸を輪切りにし、傘部分は半分にスライス。
「ただいまー」
食材をカットしていると、玄関から声が聞こえた。
どうやらリーディアが帰ってきたようだ。
「お帰り」
「あら、夕食を作ってくれていたのね」
台所にやってきたリーディアの腕は籠が抱えられており、そこにはいくつかの野菜が入っていた。恐らく、夕食を作るために畑から採ってきてくれたのだろう。
「すまん、夕食の献立を崩してしまったか?」
「野菜炒めでも作ろうと思っていたくらいよ。こっちはまだまだ保存が効くし、今日はハシラのメニューに合わせるわ」
スマホなどがあれば、こんな風に献立が重なり合うことはないんだが、それは無理な話だ。
まあ、食材が無駄になるわけじゃないし、こんな時もある。
「あっ、ブロッコリーとトマトは置いていってくれるか? 今作っている料理に加えたい」
「いいわよ」
リーディアはブロッコリーとトマトを置くと、残りの食材を保管庫へと置きに行った。
「何を作ってるの?」
保管庫から戻ってきたリーディアが隣にやってきて尋ねてくる。
「アヒージョを作っている」
「アヒージョ?」
「オリゴオイルとニンニクで食材を煮込む料理だ」
「へー、オイル煮のようなものね」
俺の知っているアヒージョと同じものかは知らないが、アヒージョに似たような料理がこちらの世界にもあるらしい。それなら特に忌避感を抱かれることなく食べてくれるだろう。
「なにか手伝えることはある?」
「付け合わせにモチモチの実と今朝の残りのパンを焼いてほしい」
「わかったわ」
指示をすると、リーディアは台所にあるモチモチの実を食べやすいサイズに切り分けて、今朝クレアが焼いてくれたバケットを網の上に載せ始めた。
主食を彼女に任せる中、俺はメインのおかずとなるアヒージョ作りを再開。
スキレットの上にオリゴオイルを垂らす。
前世ではオリーブオイルの値段の高さにケチり気味だったが、ここでは良質なものが無料で採り放題なので遠慮なくたっぷりとだ。
そこにスライスしたニンニクと鷹の爪を投入して、火をつける。
じっくりと加熱することによってニンニクと唐辛子の香りをオリゴオイルに移す。
あまり強い温度で煮込むと、ニンニクから苦みが出てしまうので軽く泡が出てくるくらいにしておくのがおすすめだ。
「ただいま戻りました」
「おお! なんかもう既にいい匂いがしているぞ!」
加熱していると、玄関の方から賑やかな声が聞こえてきた。
どうやらクレアとカーミラも帰ってきたらしい。
まだニンニクと鷹の爪しか入れていないのに反応しているカーミラに苦笑してしまう。
「ハシラ! なにを作っているのだ?」
「アヒージョだ。もうすぐできるからクレアと一緒にリビングで待っていていいぞ」
「そうか! 楽しみにするのだ!」
「食器だけ並べておきますね」
台所に顔を出した二人だが、すぐにリビングの方に戻っていった。
これだけニンニクと唐辛子の香りが効いていれば、期待は高まるよな。
カーミラの期待を裏切らない美味しいアヒージョにしよう。
ニンニクがほのかに色づいてきたところでカットしたキノコ、ブロッコリー、トマト、チーズ、燻製ベーコン、チーズを投入。
食材をひっくり返しながら全体にオイルを馴染ませる。
少しオイルが足りないようなので、オリゴオイルを追加投入。
スキレットの中はオリゴオイルでひったひただ。だけど、アヒージョはやっぱりこうじゃないとな。
アヒージョを煮込みながら塩を投入。味見をして納得のいく味になるように微調整。
仕上げにパセリをかけてやり、ふんわりと風味が漂うようになると完成だ。
「よし、具材たっぷりアヒージョの完成だ」
鍋敷きの上にスキレットを載せると、そのままリビングに持っていってやる。
テーブルの上には既に人数分の食器が並んでおり、リーディアの焼き上げたモチモチの実やバゲットが木皿に並んでいた。
それらの中心にぐつぐつと音を立てているアヒージョを置いてやった。
「おお! 美味しそうなのだ!」
「オイル煮と似ていますが、香りが段違いですね。とても美味しそうです」
「早く食べましょう!」
各々で仕事をこなしてきたのでお腹が空いているのだろう。
カーミラ、クレア、リーディアが素早く席に着く。
最後に俺が腰を下ろすと、各々が食器に手を伸ばした。
「ねえ、これってモチモチの実やバゲットを浸して食べればいいの?」
「そうだ。具材を載せて食べても美味しいからやってみるといい」
食べ方を説明すると、それぞれがモチモチの実やバゲットを手に取って、具材を載せて食べた。
「美味い! ベーコンにとろけたチーズとオイルが絡んで最強だ!」
パクリと頬張るなり叫ぶカーミラ。
外にいるマザープラントにまで届いたのではないだろうか。
「具材にオリゴオイルの馴染みが馴染んでいてとても美味しいです。特に芳醇な香りのするキノコとの相性が素晴らしいですね」
「いいえ、一番美味しいのはブロッコリーだわ! ブロッコリーこそがアヒージョの王者よ!」
「ベーコンとチーズなのだ!」
「キノコです」
どうやらいきなりエキサイトしてしまうくらい気に入ってくれたようだ。
賑やかに話し合う三人を横目に俺もアヒージョを食べる。
口の中でごろりとしたブロッコリーとキノコが転がり込む。
噛むと、ニンニクや塩の旨みを吸い込んだエキスを大量に吐き出した。
パセリの風味がふんわりと鼻孔をくすぐり、鷹の爪のピリッとした感触が突き抜ける。
「うん、美味いな」
味付けはオリゴオイル、ニンニク、鷹の爪、塩といった単純なものだ。
こんなに簡単なのにこんなに美味しくていいのだろうかと思ってしまうな。
焼き立てのバゲットをオイルに浸す。フレンチトーストかと思うくらいにひたひたにだ。
たっぷりとオイルを吸ったバゲットを食べると、外はカリカリで中はふんわり。
柔らかなパンがしっかりとオイルの旨みを吸っており、これまた美味しかった。
モチモチの実もバゲットに負けておらず、特有のモチモチとした食感と甘みとのコラボレーションを楽しめる。具材を合わせて食べると、これまた最高だ。
夢中になって食べ進めていると、スキレットの中にあった具材はなくなってしまう。
オイルとニンニクだけになってしまったスキレットを三人が寂しそうに見つめる。
「あっという間でしたね」
「美味しかったけど、少し食べたりないかも。まだオイルはあることだし、具材を追加して煮込めばもっと食べられるんじゃないかしら?」
「ハシラ、お代わりを作ってくれ!」
「一応、アヒージョを使った締めの一品があるから待っててくれないか? 後悔はさせないぞ」
「おお! ハシラが用意している一品なら美味しくないわけがない! 任せるのだ!」
カーミラの言葉にクレアとリーディアも賛成のようでこくりと頷いた。
そんなわけで俺は当初から予定していた締めの一品を作ることにする。
台所に移動すると鍋に水を入れて火にかける。
お湯ができるまでの間に、キャベツ、ベーコンをカットしていく。
ついでにニンニクと鷹の爪もカット。
オイルの中にニンニクと鷹の爪は残ってはいるのだが、香りが大分飛んでしまっているために少しだけ追加だ。
食材の下処理を終えた頃にはお湯が出来上がったので塩を加え、魔国から輸入してきたパスタを投入だ。
パスタを湯がいている間に、スキレットに残っているオイルをフライパンに移して加熱。
そこにニンニク、鷹の爪を入れて香りを移していく。
弱火でじっくりと火を通して香りが出て着たら、ベーコン、キャベツを投入。
キャベツに火が通ったら、塩胡椒で味つけを加える。
ベースになるオイルソースができたら、そこに湯がき終わったパスタと少量のゆで汁を投入。あとは混ぜ合わせれば完成だ。
「待たせたな。アヒージョの残りオイルで作ったペペロンチーノだ」
「なるほど。パスタを入れたのですね」
「おお! こっちも美味そうなのだ!」
「この細長いのがパスタっていうの?」
クレアとカーミラが反応を見せる中、リーディアだけが不思議そうに小首を傾げた。
「リーディアはパスタを食べたことがないのか?」
「ええ、初めてになるわね」
「パスタは魔国と交流のある国や近隣の街でしか食べられませんからおかしなことではないですよ」
クレアの口ぶりからして、パスタは魔国が開発した食材の模様。
となると、こんな辺境な地にパスタがあるのは、随分おかしなことなのかもしれないな。
「米といいパスタといい魔国には色々な食材があるんだな」
「平均的な寿命が長いだけあって食に情熱を注ぐ種族の割合が多いのです」
「なるほど。そんな豊かな国と交易を持てたのは、この集落にとって一番の幸運なのかもしれないな」
「そうおっしゃっていただけると嬉しいです」
魔国との取り引きがなければ、この短期間でここまで豊かな食生活を送ることができなかっただろうな。こんな小さな集落と対等に交易してくれる魔王には改めて感謝だ。
「なあ、堅苦しい話はもういいだろ?」
なんて話していると、カーミラがじれったそうに言う。
「そうだな。冷めない内に食べよう」
雑談を切り上げるとカーミラとクレアがパスタを頬張った。
「うおおおおおお! 美味過ぎるのだ!」
「アヒージョの残りオイルがパスタにとてもよく絡んでいますね」
くるくるとパスタをフォークに巻きつけながら次々と頬張っていくカーミラとクレア。
そんな光景を見てリーディアも真似をするようにパスタを巻き取る。
ちょっと手つきが不器用であるが、初めてパスタを食べるので仕方がない。
なんとかフォークに綺麗に巻き付けることができたリーディアは、ゆっくりと口に運んだ。
「んっ、美味しい! それにパスタがツルツルとしていて面白いわね! パンやお米ともまた違った感じだわ!」
初めてパスタを口にしたリーディアも気に入ってくれたようだ。
よかった。これなら我が家の食卓のレパートリーに、パスタ料理を加えても良さそうだ。
皆の反応を確認すると、俺もペペロンチーノを食べる。
ゆで汁に溶け出した小麦粉とオリゴオイルが一体化して、極限までソースがパスタに絡んでいる。
キャベツが食感にアクセントを加えてくれ、オイルを吸ったベーコンの塩気が絶妙だ。我ながらめちゃくちゃ美味しい料理を作ってしまったものだ。
「ごちそうさま」
締めに一品もあっという間に食べ終わり、約一名を除いて俺たちのお腹は膨れた。
「まだ食べられるのか?」
「うむ、このオイルが美味くてな!」
カーミラだけはまだ食べられるらしく、パスタの残ったオイルをモチモチの実につけて食べていた。
締めを食べた後にまだまだ食べられるとは……その小さな身体のどこに入っていくのか不思議だ。
残った皿を片付けてもいいが、カーミラだけはまだ食べているので下げてしまうのも寂しいだろうから洗い物はしないでおこう。
クレアとリーディアも気持ちは同じなのか、リビングでゆったりと談笑しているようだ。
「ハシラ殿、ブドウの成育状況はいかがですか?」
女性二人で話していたかと思ったが、突然クレアから話を振られた。
女性と過ごしていると、唐突に話題が変わることが多いので驚く。
「来週には収穫できそうだ」
驚きつつも冷静に答えると、クレアは嬉しそうに顔をほころばせた。
「それはとても楽しみです! これで甘味を作る際のレパートリーも増えます!」
甘味が大好きなクレアからすれば、ブドウが収穫できるのはかなり嬉しいらしい。
ワインだけでなく、そのまま食べても美味しいだろうし、タルトに使ったり、パンに混ぜたりもできる。クレアの言う通り、色々とお菓子の幅が増えそうだ。
「来週は皆で収穫だな!」
「手すきのエルフの子たちも連れていくわ」
「助かる」
当日はドルバノとゾールも手伝ってくれるが、人手は多いに越したことはない。
来週が楽しみだ。