薬の効果
家にたどり着くと囲炉裏部屋に入って、敷き詰めている草の上にエルフを寝かせる。
本当は空き部屋がいいのだろうが、長時間水に浸っていて体温が下がっていたようなのでここにした。
囲炉裏に残しておいた火種を掘り起こし、空気をおくり込んで火を再燃させる。
木くずや枝をくべるとパチパチと音が鳴り、火が大きくなった。
さて、問題のエルフだ。
シャツの左腹部が血で染まって赤黒くなっている。
女性の服の下を覗くことに抵抗はあるが、怪我をしているのだから仕方がない。
傷を確かめるために服をまくると、綺麗な腹部に三つの線が走っていた。
恐らく魔物の爪による裂傷だろう。傷口が深くじんわりと血が溢れている。
その他にも細かな擦り傷や切り傷がある模様だが、早急に対処する必要があるのはここだろう。
まずは傷口を水で洗浄してやる。
これだけ深い傷だとしっかりと縫合してやらないといけないかもしれない。
だが、ここには針や糸がないので縫ってやることはできない。
かなり痛いかもしれないが俺の能力で極限まで細くした木で塗ってやるか?
しかし、縫合なんて経験もないし、考えるだけで痛そうだ。余計に悪化したら目も当てられない。
どうするべきか悩んでいると、自分の作った薬を飲ませればいいと知識が訴えかけてきた。
……薬を? 傷口に塗り込み、飲ませはするがいきなり飲ませて意味があるのか?
寝転がっているエルフは傷口が痛むのか、苦しそうな表情を浮かべている。
この世界にやってきて初めての人間。できることなら死なせたくない。
不安と疑問が頭をよぎるが、俺の中の知識はできるといっていた。
この世界にやってきてエルフィーラの加護による知識は何一つとして間違いがなかった。
だとしたら、今回もそれを信じるべきだろう。
俺は急いで薬部屋に戻って、事前に作っておいた傷薬を手に取ってくる。
「頼む。薬を飲んでくれ」
僅かながらも意識があったのか薬壺から流す薬をエルフはなんとか飲んでくれた。
痛みとはまた違った苦渋の表情を浮かべるエルフ。多分苦かったのだろう。
薬の効果重視で味の方は考慮していないから。
なんて思っていると次の瞬間、エルフの身体に淡い緑色の光が宿り、左腹部にあった裂傷があっという間に塞がってしまった。
まるで傷口の逆再生を見ているようだった。
エルフの腹部にはまるで傷なんてなかったかのように綺麗な肌になっていた。
苦しげに歪んでいた表情は和らぎ、呼吸も安定している。
薬を飲ませただけだというのにここまでの効果が出るとは思わなかった。
恐らく、これもエルフィーラの加護によるものだろう。それ以外に説明がつかない。この現象は明らかに薬の範疇を越えている。
道理でいきなり薬を飲ませれば大丈夫だと知識が訴えかけてくるわけだ。
薬の材料は俺が畑で育てたものを使っているのだが、それも関係があるのだろうか。
それとも樹海にある薬草でも、俺が調合さえすればこのような効果になるのだろうか。
色々と気になることはあるが、今はとにかくエルフの傷が治ったことを喜ぼう。
怪我人の世話をしたからだろうか一気に緊張感から解放された思いだった。
本当にいざという時のために、しっかりと薬を作っておいてよかった。
速めに着手していた自分を褒めてあげたいくらいだ。
「にしても、どうしよう。このままだと風邪をひいてしまうよな?」
エルフの怪我が治ってくれたのはいいが、衣服は全身ずぶ濡れ。
いくら囲炉裏の傍とはいえ、そのままの状態で寝かせておいたら間違いなく風邪をひいてしまうだろう。
眠っている女性の衣服を脱がせるのは非常に申し訳ないが、仕方なく濡れた服を脱がせることにする。
とはいえ、俺も紳士。脱がせるのは身に着けている皮鎧やベルトなどだけで、後の大事な部分などはレントに任せることにした。これが俺にできる限界だ。
濡れてしまったエルフの衣服は部屋に干して乾かすことにする。
そして、裸になったエルフには布団代わりに緑鹿の毛皮をかけておいた。
「とりあえず見守っておくか」
薬で怪我が治ったとはいえ、どのような異変が起こるかわからないからな。
とはいえ、ジッとしているのも時間の無駄だ。
今日切り出した石材を神具のナイフで加工して、コップでも作ることにしよう。
◆
「んん……」
エルフの傍で石材の加工をし、いくつものコップを量産することしばらく。どうやら彼女が目を覚ましたようだ。
「気が付いたかい?」
「――っ!!」
近付いて声をかけると、エルフが飛び起きてこちらに覆い被さってきた。
反応する間もないあっという間の出来事で、俺は見事に押し倒されてしまった。
異世界で初めての他種族との接触がいきなり濃厚そうな予感だ。
裸の美女に押し倒されるのは悪い気はしないが、彼女の表情を見るとそのような意図は皆無だ。純粋な敵意に満ちている。
他種族との出会いにワクワクしていたのだが、一瞬で気分が盛り下がった。
エルフは俺が落とした神具のナイフを手に取ろうとするが、掴むことはできず腕が弾かれた。
「なっ!?」
俺の許可なしに、あるいは害意がある者は神具を手に取ることができない仕組みなのかもしれない。
エルフが仰け反った隙に逃げ出そうとしたが、レントが腕を大きく伸ばしてエルフを壁に貼り付けた。
「がはっ!」
ええ? 明らかに腕が二メートルくらい伸びているし、巨大化しているじゃないか。
レント、お前そんなことまでできたのか。
「助かったよ、レント」
エルフは身動きをとろうとするが、レントの巨大な腕で抑えつけられているのでどうすることもできない。
「ひとまず、落ち着いてくれないか?」
「武器を持って近付いてきたのはそっちでしょう! 私を裸にしてよからぬことをするつもりで!」
「ええ? 武器って……」
鋭い視線を向けてくるエルフに言われて俺は床に落ちている神具を見る。
その形状は紛れもなく武器だ。
目を覚ましたら知らない場所で、知らない人間が武器を持って近寄ってくる。
うん、エルフが誤解するのも無理もない状況だ。相手のことを考えずに行動しすぎだ。
仕事中だったとはいえ、ナイフを置いて声をかけるべきだった。
「ごめん。これは石材を加工するのに使っていただけで君に危害を加えるつもりじゃなかったんだ」
「石材を木製のナイフで斬れるわけがないじゃない。嘘をつかないで」
常識的に考えればエルフの言う事ももっともだ。
「いや、そう言われてもこんな風に斬れるから」
「ええ? ……一体どうなってるの?」
試しに神具を拾い上げて、石材を斬ってみるとエルフはあんぐりと口を開いていた。
その気持ちはわかる。俺も木や石材をスパッと斬った時はドン引きだったから。
「……か、仮にそれが仕事道具だとして、どうして私の服は剥いだの?」
動揺していたエルフが、若干落ち着きを取り戻した声で尋ねた。
少しだけ警戒心を緩めてくれたのかもしれない。
だが、今は服を剥いだ罪に問われている。あれは完全なる治療行為だ。決して襲おうなどと思って脱がしたわけじゃない。
「覚えてないのか? 怪我をしていたから川から引き上げて治療したんだが」
「そ、そうだ。私は死の樹海に入って魔物に襲われて怪我を――」
ようやく思い出してくれたのかエルフはサッと顔を青くして、自分の腹部に視線をやった。
しかし、そこにはレントの巨大な手があるので見えていない。
「薬で治療したから傷は今のところ綺麗に塞がってる」
「薬だけでそんなすぐに治らないでしょ」
俺もそう思うけどエルフィーラの加護による補正で治ってしまったのだ。そう言い張る他はない。
「でも、動いた時も抑えつけられている今も痛くないだろ? 拘束を緩めるから自分の身体を見てみなよ」
レントに拘束を緩めるように言うと、少しだけ手が開いた。
指の間からほんの少し肌色の部分が見えてしまうが仕方がない。
「アーマードベアーにやられた傷がなくなっている! それに他の傷も!」
傷のなくなった身体を見て、エルフは驚愕の声を上げた。
その瞳にはまだ少しの警戒心こそあれど、先程のような敵意は霧散しているようだった。