変な双子現る。
「変な、双子?」
私は思わずちょっと笑って、加藤さんを見上げた。
「おれと腹違いの兄弟。いいや。ついて来て」
腹違い……。結構複雑な家庭環境みたい。
裸足のまま廊下にでると、リノリウムが冷たかった。入るときは置いてあったスリッパを反射的に履いたのに、すっかり忘れていたのだ。
「清ちゃんっ。超逢いたかったぁっ」
息をのむほど美しい少女がすかさず加藤さんに抱きついた。
妹の特権乱用が、腹立たしくも羨ましい。
「どけ」
加藤さんは無慈悲に美少女をひっぺがす。(ちょっと嬉しい)
「イヂワル」
髪の量は多め。肩胛骨辺りまで伸ばしていて、重ための前髪は、目の上で綺麗に切りそろえられている。
ちょっと目尻の垂れたアーモンド型の黒目がちな瞳。羽のような扇状睫。小さめだがスマートな鼻。形のいい厚ぼったい唇を尖らせた。
華奢な肢体。ふんだんにフリルが使われた、若干スカート丈の短い、フランス人形のような黒いミニドレス。髪の毛も含めて全身黒ずくめだが、透き通る陶器のような肌がよくはえる。
「あのな……ヒカル」
心なしか加藤さんの声が暗い。
「清ちゃんの声で溶けちゃいそう」
「そのまま蒸発して雲になるか?」
「やぁん」
ふと、美少女と目が合う。一瞬にして、花の綻んだ笑みは消え失せて、般若如き形相で
「清ちゃん、誰? このオバサン!」
と私を睨んだ。
オバサン?! 二十代後半になるとリアルに刺さる。というか、なんなのこの娘。
「ヒカル、藤波さんに謝りなさい」
加藤さんの低い声がさらに低く硬くなる。
「嫌っ! やだやだやだ!!」
ボロッと大きな瞳から涙がこぼれる。あまりのダイナミックさに驚愕した。これなら、かんしゃく玉を投げつけられるより敵は怯む。
声を上げ、美少女は幼女のように泣きじゃくる。
これは参るわ。私にはなすすべがない。
「あんまり興奮して発作起きたらどうするんだよ」
加藤さんが、片手で美少女の頭を自分に引き寄せ、あいた手で背中を撫でる。絵になるなぁ、加藤さん。美少女が自分の両腕をしっかり加藤さんの腰に回している。ちゃっかりしてるわね。
「ごめん。藤波さん。良かったら温泉入りにいって。向かって右側が熱めで左がぬるめだから」 まあ、お邪魔ですよね。それに身内の奇行なんて他人の目には晒したくないもの。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
私は、相づちで使っていた営業微笑できびすを返した。
ぐずぐずと甘えた声で加藤さんに何かを訴えている美少女……ヒカルちゃんだったかしら。
あれだけ直球で女の武器をぶつけられるのは、若さかしら。
純粋って何だっけ。
恋愛って何だっけ。
あんなこと、私はもうできない。
だって面倒くさいじゃない。相手にそう思われるのが嫌なのよね。身も心も冷え性だし、プライドも無駄に高くなった。
捨て身で恋してたのは、せいぜい二十歳まで。
そんなふうに逃げていたら、彼氏いない歴を順調に更新してしまった。
二十五歳の時の彼氏を最後にかれこれ二年。仕事が忙しいを理由に辛く当たってたからなぁ。
最後にセックスしたのは、去年の忘年会の二次会でバーに行った時か。
バーで気取ってる男なんかに引っかかっちゃって、バカだ私。
まぁ、酔ってたとはいえ合意だし、悪くなかったから今更どうとか言えない。することしてすっきりしたんだし。
即物的でロマンスの欠片もない私。
ヒカルちゃんが羨ましい。
着替えとバスタオルを持って、脱衣所で服を脱いでいたら扉をノックされた。
「お姉さん開けて」 ヒカルちゃんの不本意そうな声がした。
バスタオルで身体を隠して扉を開けると、案の定ふくれっ面のヒカルちゃんが立っていた。
「入るわね」
有無を言わせない物腰で、私を押し退けて中に入ってきた。
「オバサンだなんて言ってごめんなさい」
こちらを振り向かず小さな声で言った。
「気にしてないわ。ヒカルちゃんから見たら私オバサンだもの。ヒカルちゃん幾つ?」
余裕という仮面を強がりに被せる。
「十六」
そりゃ若いわ。にしても最近の子は背も高いし、発育いいわね。
……こんな発言、自らオバサンを肯定してる。ざっと見て、胸は85ウエストは58……。お尻はスカートの膨らみでわからないけど。スタイルもかなり良さそう。
「あたし、ちゃんと謝ったからね」
強気な口調でヒカルちゃんがこちらを振り向いた。
「聞こえた」
扉の向こう、少し離れたところから、加藤さんの声がした。
「えぇっ?! 加藤さんいらしたんですか!」
「ごめん。ヒカルがついて来いって聞かないもんだから」
「ついでにお姉さん。約束して」
「はい?」
「清ちゃんに変な気起こさないって。清ちゃんを誘惑したりしないでよね!」
「はぁぁ?!」
「お前馬鹿か!」
「馬鹿じゃないもん! あたしちゃんと謝ったんだから、お姉さん約束して!」
その交換条件おかしくない? けれど、そんなこと言って、彼女を刺激するのもよくないし、私だって加藤さんを誘惑するような自信も魅力も度胸もない。
ちょっと落ち着こう。
「……ヒカルちゃん、あのね。私はお仕事でここにいるの。加藤さんは私の先輩だし、上司なのよ。誘惑なんてできるわけないじゃない」
ヒカルちゃんの目を見ながら、私は言った。
おかしなこと言ってないわよね?
つい自信喪失してしまうのは、ヒカルちゃんの真っ直ぐな目力のせいだろうか? 或いは、加藤さんの魅力的な外見? いやいや。
「それに、ヒカルちゃん。加藤さんにも選ぶ権利があるのよ。もう恋人いるかもしれないじゃない」
「清ちゃんカノジョいないって言ったもん!」
「ヒカルうるさいよ」
えっ? いないの!? いけない、思わず頬が緩んだ。
「あっ! 今ちょっと嬉しそうな顔した!」
「してません!」
恋する乙女はお目当てに近づく邪魔者に目ざとい。
「だいたい私は、仕事しながら人生のゆとりを持つ為にここに来たの。のんびり働きたくて来てるの。それに、まだ働いてもいないのに誘惑とか恋愛とか考えてる余裕はないのよ」
確かに加藤さんには、ちょっと惹かれたけど。これはもちろん黙っておく。
「ふうん。そこまで言うなら約束してくれるわよね」
「ヒカル。いい加減にしろ。藤波さんを困らせるな」
怒気を含んだ静かな声がした。
「なによ。清ちゃんはこの人の味方するの?!」
それは、嬉しい。
「当たり前だ。藤波さんは今ここに来たばかりだぞ。お前の戯言につき合えるか。世の中の基準はお前じゃないんだぞ。あんまり迷惑かけるなよ」
「んもぅっ! わかったわよ!」
と、ヒステリックに怒鳴り返した後、ヒカルちゃんの様子が急変した。
ひゅうっとか細い喉から音がして、苦悶の表情に変わった。
「ヒカルちゃん!?」
床に膝をつき、うずくまって首を両手で押さえた。
「ヒカル!!」
凄まじい音と一緒に加藤さんが浴室に飛び込んできた。扉が半壊してる……。
「藤波さん! ビニル袋か紙袋持ってきて!」
「は、はいっ!」
っていうか、私バスタオル一枚なのにっ。そうは言ってられないけど!
「相変わらず、過保護と依存症。はい、袋」
突然現れたヒカルちゃんに似た少年が、私に紙袋を手渡してくれた。
「ありがとう」
バケツリレーみたいに、加藤さんに紙袋を渡す。
「淳一」
加藤さんは、ヒカルちゃんを抱きかかえ、開いた紙袋を口に当てながらこちらを振り向いた。
「騒々しくてはた迷惑なんだよね。うんざりしちゃう」
ジュンイチくんは、肩をすくめて私に笑いかけた。
「お姉さん素敵なカッコウしてるね」
「なっ!」
私はとりあえず、半壊した扉の陰に隠れた。
「光といると紙袋は必需品だよ」
口元に微笑を浮かべたまま猫目は笑ってない。
加藤さんが、だいぶ呼吸の静まったヒカルちゃんを支えながら脱衣所から出てきた。
「本当に迷惑ばかりかけてしまって申し訳ない」
加藤さんが頭を下げた。
「もう少し落ち着いたら、ヒカルにもきちんと謝らせるから。温泉、隣の浴場に行って。本当にごめん」
加藤さんは心底申し訳なさそうに言って、ヒカルちゃんを抱きかかえた。
「いくぞ、淳一」
「はいはい」
二人は何か言い合いながら、上の階へあがっていった。
複雑というか、加藤さんって大変そう。
しかしあのジュンイチくんとやら。
髪の毛はオレンジ色のアシンメトリーウルフで、襟元に白いパイピングが施されたジャケットに、黒いタータンチェックのボンテージ風パンツ。ヴィジュアル系ってヤツかしら。
見た目もさることながら、性格もキツそうね。あの笑顔、綺麗だけど可愛くない。わざとそう作ってる。
二人ともSDみたいに綺麗だけど、クセが強い。
私は身体を流して、一番のお楽しみに(気持ち)飛びこんだ。
「ひゃぁぁあ〜!! 極楽ぅ〜〜」
ちょっと熱めのお湯が気持ちいいっ。柔らかめだけど、指を舐めると、鉄分と塩分の味。フランス産の硬水に似てる。
三分も経たないうちに身体が熱くなる。
こんなに即効性を実感できる温泉初めてかも。きっとここの水は私に合ってる。
いくら身内だろうが、あの二人もお客で来てるんだから、すぐ帰るだろう。
温泉と目の保養に男前。
至極極楽。悠々自適。たまりませんなぁ。この後ビールでも飲めたら言うことなし! なんだけどなぁ……。
初日から、インパクト大きかったけど、嵐は毎日続かない。
私は、意気揚々と温泉を後にした。