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短編集・散文集

移り気

作者: Berthe

 昨日のことを振り返ろうとするそのたびになぜだか頭の端っこが痛くなるような気がして、なかなかその先へは進もうにも進めないように思っていたのはしかし目覚めてまもない頃のことで、けれどもそれはやはり気がしただけなのだろう、いつしかその物思いもただの物思いであったことが露呈してしまうにつけ何となく気恥ずかしいような心持ちになってしまったものの、だけど別に自分のほかにこのことを知れる奴などいないのだから馬鹿な思いにすぎないと、恥ずかしく感じたことが今度はまたさらに恥ずかしくなった折からはっきりと確信するのは、自分が彼女を裏切ったという事実に、悪いと思うよりはバレたらまずいというこういう場合当然そうなるべき彼にはすでに慣れっこになりつつある感情で、どう隠蔽しようかこのまま隠蔽しつづけられるだろうかと頭でつぶやくや否やLINEが鳴って、画面を視認するとそれがまだベッドに夢心地でいる彼女ではないほうの彼女であったのがどこまでも間が悪く、面倒くさくてそのまま未読スルーするうち、むしろ想いは昨日の情交へと飛んでいく。昨夜は仕事帰りに女の待つアパートへと直行し、用意してくれていた夕食をふたりで楽しんだ余韻もそこそこにシャワーを借りているうち女のほうでもどうやら身なりを夜のものへと替えてくれたのが、シャワーから上がった彼には髪を乾かす暇さえ惜しいような心持ち。そのまま手を取るままに事へと移っていった。平常通り情事が果てたそばから事切れたようにうつろな顔に変わった彼に反して、女のほうはかえってのぼせきった皮膚をこちらへ押しつけてくる様子に避けるともなく身をそらすと相手はさらに寄ってくる。これにはさすがの彼も閉口しながらしばらくは耐えていたものの、ついに苛立ちが抑えきれなくなったのをいいことにすっと立ってトイレへ向かい用を足しながらとりあえず一刻も早くここを立ち去ろうと改めて心に決めた。戻ってみるとしかし女の相変わらずな様子にこのまま服を着るのも薄情だと思うともなくベッドへ潜り込んでみると、今朝からの仕事にくわえて最前のお務めまで休みなくこなしてきた彼はにわかにまぶたを閉じるまま女の感触を覚えるまもなく激しい睡魔に襲われて、ハッと気づくと1時間半も経っているのに心で舌打ちしつつも身体が蘇っているのには何やら得した気分。すっかり寝入っているのかそれとも寝たふりをしているのか判然としない彼女を尻目に、台所に立ち冷蔵庫の下の段を勝手に開けるがまま取り出したミネラルウォーターをコップへ注ぐまもなく一気に飲み干すと、それとともにどうやら決意もついに固まった。部屋に戻ってハンガーに掛かっているスーツやら床に投げ出されていた衣類やらを拾いながらもそっとベッドへ視線を移すと相手はまだまだ夢の中なようなのに、彼はすっかり落ち着いて、むしろゆっくり服を整えたのちいざ出ていこうとしたもののやっぱり悪いような名残惜しいような思いにとらえられて、最後にせめて顔だけでも一瞥しておこうと、レースカーテン越しに窓から差し込むやわらかな月明かりのもと女のそばに寄って素顔を覗くと意外や意外、てっきり化粧でごまかしているとばかり思っていたのに汗ですっかり落ちきったあとに現れたのはむしろ童顔そのもの産まれたてのようなツヤ肌に、ちょっと触れてみたくなったのを寸前で抑えると、ベッド脇に落ちていたスマホを片手に、急いで女の部屋をあとにした。途中でコンビニが目についたものの寄り道することなく駅へと向かった彼は、電車のつり革に掴まりながらもすでに考えはアパートの女を離れてこれから自分の家を訪れるはずの本命の彼女へ移るまもなく、最前の女のにおいが染みついていないかとの危惧にとらわれて、スーツの袖を嗅いでみたところしかしどうやら問題ない様子に、とりあえず髪を洗って念のため今日着た服は隠しておけば平気だろうという答えに落ち着いた。家へ着くと先ほど練った作戦のおかげか、その日の晩からついには今朝目覚めるまで、何ひとつ勘づかれることなくもちろんバレることもなくかえって幸せいっぱいに過ごせたのは良かったものの、しかしどうやらそんな彼にも良心の痛みとでもいうべきものが、実際の痛みとして頭の片隅に、けれど簡単に忘れられるものとして訪れたらしかった。

読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この彼に、良心的な心持ちがあることに、これから、ばれてゆく過程での純文学がより、形成されてゆくように感じました。ば [一言] ばれないことはとても大切ですが、ばれてからの、リカバリーやそれ…
[良い点] 内容はごく平凡なプレイボーイの 日常で、眼目は 実験的な息の長い文体にあるのかな? と思いました。 明晰に行き届いていて 非常に達意、というのが、 すごいと思いました。(^^♪ [一言] …
2019/11/04 02:50 退会済み
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