竜神 第三話 02
そのころ、島は霧も晴れて、軍艦が3艘停泊している。はしけを下ろし、何艘も何艘も西泊の港へ向かっていた。やがて、上陸した日の本の兵隊たちや調査隊の一行は、人気のない家々に土足で入っていった。誰もいない家々をくまなく捜索して、島人がいなくなっていることを確認して、軍艦に残っている司令長に伝令を走らせた。
海軍と共に入った調査隊は、江戸幕府が、どうしても掌握できなかった竜神島を呆気なく占領したことに、キツネにつままれたようだった。くまなく見て回った家々は、粗末で、田畑も少なく、どのような暮らしをしていたのかと首をひねった。このような貧しく武器を持たない島が、千年を超える間、時の政権から独立した生業をしてきたのだ。
その時、雷鳴がとどろき激しい雨と風が調査隊と兵隊に襲い掛かった。吹き飛ばされるもの、家の陰に身を潜め、なんとか突風をしのいだ者。ただ、西泊の港に停泊していたはしけは、粉々と砕け散ってしまい、軍艦へは戻れなくなってしまった。
すると、森の中から鬨の声が上がった。島に残った勇魚組の老人たちだ。老人と侮った兵隊たちは次々にやられていった。地形を把握した勇魚組の老人たちの勝利だ。ただ、深追いすることなく、森の中へと消えていった。ゲリラ戦だ。はしけを無くした軍艦は、手のつけようのないまま、日の本へと戻ることにした。
食べるものもない。水もないまま、昼夜ゲリラ戦が続くのだ。残った兵隊たちはたまったものではない。ひと月もしないうちに死んでいった。その後、日の本の軍艦が続々とやってきて、兵隊を送り込んだ。島は、日の本の兵隊で黒黒と覆われた。
それでも、勇魚組の老人たちの抵抗が続いた。やがて、援軍のない老人たちは疲弊していった。
それを助けるために、竜神が姿を現した。雷鳴と共に、竜神が姿を現し、その姿に驚いて逃げ惑う兵隊たちでごった返す中、竜神は、老人たちに、戦場を退くようにと鼓舞している。人々の前に出ることは、有史以来、父神との戦いの時だけだったから、村人も当然、初めてその姿を目にすることになった。そして、竜神の姿を日の本の兵隊たちに見られてしまったことを、勇魚組の老人たちは恥じた。
「いいか。次の戦いが、われら最後の戦いぞ。命を惜しむなかれ!」
「竜神島の誇りにかけて、いざあ!」
最後の戦いが始まった。クジラ漁の銛をかかげ、勇魚組の老人たちは、一糸乱れぬ戦いを挑んだ。その時、一斉に鉄砲の音が響き渡った。バタバタと倒れる勇魚組の老人たち。
「これで良いのじゃ。残るも地獄。行くも地獄。これで、良いのじゃ」
その時、火山が噴火した。噴火による砕石が、雨のように降り注いできた。兵隊たちは、大きな石の下敷きになって死んでしまう者もいたが、残った兵隊たちは、港へと逃げだした。次々とはしけに乗り、軍艦へと逃げた。まだ、半分ほどの兵隊が残ったまま、はしけを待っていた時、竜神が、黒い噴煙の闇の中を裂くように降りてきた。兵隊たちは、恐怖のあまり、荒れ狂う海へと飛び降りて溺れ死んでいった。竜神は、しずかにその姿を見守っている。そして、大きな眼をぎょろりと、沖に浮かぶ軍艦へ向けた。
「ここで、あの軍艦を日の本へ帰しても、またやってくるのだろう。これが潮時か。」
そう言って、勇魚組の老人たちの死骸を背中に乗せ飛び立った。日の本の兵隊たちに、踏みつけにさせることのないように、山深く、竜神神社の奥へと運んだのだ。
「とうとう、本当の一人になってしまった。」
断崖の中腹にある洞穴から、沖に浮かぶ軍艦を見て、竜神が言った。
「私は、神としての掟を守ってこなかった。
私は、生贄の女たちに生半可な情をかけて、この島のすべての民を犠牲にしてしまったのか。
私が掟を守り、新しき竜神をこの世に送り出していれば、この島は生き残れていたのか。
だが、悔やみはせぬ。ミネに会うことができた。ソラの父となれた。」
快晴の空、真っ青な海。
竜神は、じっと、天を仰ぎ、
「すまぬ。」
と、一言だけ言って、飛び立った。その言葉は誰に向けた言葉だったのだろうか。
竜の姿となって空を舞い、大きく島の上空を旋回して、軍艦の真上にやって来た。軍艦の大砲が、竜神に照準を合わせている。5艘の軍艦の大砲が一斉に竜神に、砲撃を開始した。
残酷なほどの砲撃が繰り返されても、竜神はとどまっている。戦うすべを持たない竜神は、ただ千年を超える時の流れを思い、一瞬のようなミネとソラとの時を思い、ボロボロになっても、空に浮かんでいるのだ。
やがて、砲撃がやんだ。日の本の軍艦の司令長が手を上げ、攻撃を止めさせた。竜神が襲ってくることがないことを悟ったようだ。波と風の音だけがただよう、静かな時が流れた。ボロボロになりながら、じっと空に浮かんでいる竜を見て、日の本の兵たちさえも、この戦いは何のためのものかと、むなしさを感じ始めた時、竜神が、苦し気に咆哮を上げ、島の火口へと向かった。
竜神は、最後の仕事を遂げるため、火口から、マグマの中へと飛び込んでいく。竜神の体は、赤く赤く熔けていった。朦朧とする意識の中で、長い時をたった一人で生きてきた竜神が、最後に手に入れた幸せ、わが血を受け継いだソラと、愛しいミネを思い浮かべた。
「ソラ!」
「ミネ。」
激しい噴火が起きた。激しい噴火は一昼夜つづき、3日目、火山灰がおさまり夜が明けると、竜神島は跡形もなく姿を消していた。海面が、穏やかに揺らいでいるだけだ。
そして、空は一点の曇りもない快晴の空だった。
ふうっと大きく息を吐いて、私はパソコンの電源を落とした。そして、慌ただしく外出の準備をして、家を飛び出した。
―竜神島の有った場所に、行ってみたい―
「なにも無いよ」と、呆れられたが、取材で仲良くなった八丈島の漁師は、私のわがままを聞いてくれた。漁船に乗り込み、船酔いと格闘しながら、約3時間。私は、漁師に促されて、デッキに出た。
ただ、ただ、青く澄んだ波間に、カモメが鳴いている。海中深く、竜神島の痕跡があるかもしれない。私はじっと、海中をみつめた。風の音と波の音の中、思わず言葉が口をついて出た。
「竜神よ、私は、書いてしまっても良かったのか?」
当然、答えが返ってくることは無かった。そして、今度は、空に向かって、呼びかけた。
「竜神よ、お前は、まだ、ここにいるのだろう?」
すると、どこからか、竜神の声がした。
「いいか、よく聞け、俺は、ただの竜さ。神なんてものじゃねえよ。」
「いや、俺は、ただの人間になりたかったのかもな。」
その言葉の意味を、私はどう、とらえれば良いのだろうか。戸惑う私に、二度と竜神の声は聞こえてこなかった。風の音と波の音だけが、聞こえてくるだけだ。それでも、ツキンと、胸が熱くなった。時代に翻弄された、悲しさなのか、切なさなのか。気づけば、私は泣いていた。
―竜神よ、笑うなら笑え。私は、お前の代わりに泣いているんだ―
私は、竜神のことを、竜神島のことを、記憶の奥深くへしまい込むことにした。
しばらくして、私は、もう一度じっと、海中をみつめ、用意していた、たむけの花束を海へ投げ入れ、そして、漁師に礼を言って、港に戻ってもらうように告げた。
荒れやすいはずの太平洋だが、今日は、穏やかな表情を見せる大海原に、竜神の加護を感じた。
「竜神よ、ありがとう。また、いつか、会いに来るよ。」
竜神は、以前投稿したものを、修正し再投稿しています。
あの幕末、時代に翻弄され、ものの善悪ではないエネルギーで、運命を変えられてしまった人々が居ました。
竜神も、竜神島の人たちも、大きなうねりに翻弄されたのかもしれません。
最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第49回 竜神 第三話 と検索してください。
声優 岡部涼音君(おかべすずね♂ )が朗読しています。
よろしくお願いします