竜神 第三話 01
勇魚組(いざ菜組)の長をしている兄は、その大きな体いっぱいで、ミネを抱きしめた。16年ぶりの再会だ。生きているはずがないと覚悟していたミネが、今、自分の目の前にいることに驚きながらも、その喜びは大きかった。本当なら、たくさん話したいこともあった。
でも、ミネとソラは、竜神からの言葉を村長たちに伝えなければならない。もう時が無いのだ。
「兄さま、ソラが竜神様の御言葉を村長達に伝えねばなりません。どうか皆を集めてください。そして、ソラを、竜神様の息子のソラを皆の前に、連れて行ってください。」
慌ただしく、兄は勇魚組の若者を集め、村々の長の所へ走らせた。そして、ミネとソラを、母の元へ連れて行った。父は、もう黄泉の国へ旅立っていたが、母は、元気にしていたから、母とミネは、二度と会えないと思っていたお互いの無事を確かめることが出来たことを嬉しそうにしていたが、悲しいことに、また、すぐに別れることになる。うれしいのやら悲しいのやら、ただただ、泣くのみだった。
ここ何日かの異常な事態を心配していた村長たちは、すぐさま集まってきた。そして、その会合には、ソラが立ち会った。その堂々とした物言いは、村長たちに、竜神の話を重々しく受けとめざるを得ないことを悟らせた。それからは、島を去り行く者、島に残る者とそれぞれの覚悟を決め、この竜神島の人間としての誇りを胸に、別れの盃をかわし、粛々とそれぞれが今なすべきことを終えて行った。
若き勇魚組の男たちを乗せて出航していく船を、島に残ることを決めた老人たちが見送った。
「これで良いのじゃ。」
「残るも地獄。行くも地獄じゃ。」
「なら、まだ、希望の持てる地獄へと若き者たちは、突き進んでいくべきじゃ。」
「さあ、わしらは、竜神様のもとへ行こう。」
老いているとは言え、長年、板子一枚下は地獄と、海でクジラと戦ってきた勇魚組の男たちだ。攻めるも引くも、生死の覚悟と、共に決めてクジラと戦ってきた。今この時、竜神島の男として、日の本の政権と戦うことを決め、残っているのだ。黙ってこの島を渡すわけには行かない。勇魚漁で使った愛用の銛を手に手に取って、黙々と山深く入っていった。
ミネとソラは、出航していった島人たちを見送り、島に残ると言う母の覚悟に涙を流しながら別れを告げ、竜神のもとへ戻った。
ここからは、竜神とともに戦うつもりでいたのだ。だが、竜神が言った。
「お前たちは命を惜しめ。人間など、私から比べれば、短い命だ。だからこそ、命を惜しめ。良いな。」
そう言うと、初めて見せる竜の姿となって、二人を背中に乗せ、島の上を大きく旋回して南へ向かった。
「ソラ、お前は人間だ。どんなことをしても、竜にはなれない。そして、お前は、まだ、人間としての幸せを知らない。本来なら、もっと早く人間界へ戻してやらねばならなかったのに、私のわがままでここまで来てしまった。すまなかった。母と共に、人として幸せに暮らせ。それが、父の願いだ。」
ソラは、ただ父神の話を黙って聞いていた。何度も何度も、溢れる涙を拳でぬぐい、最後に、父神の大きな背中に頬ずりをした。
「ミネ、お前のおかげで、楽しき時を送ることができた。これからは、ソラを頼む。」
ミネは、竜神が島を、島人たちを、守って来てくれたことを知っている。自分だけの竜神ではないことを知っている。唇をかみ、ぎゅっと握り締めていた手をひろげ、いとしそうに竜神のうろこを撫でた。逆鱗を呼ばれるうろこを、ミネは優しくなでる。
「竜神様、ありがとうございました。私は、本当に幸せでした。
竜神様、一度だけ言わせてください。
愛しています。
そして、これからも、ずっと愛して生きていきます。」
ミネの言葉を聞いたはずだが、竜神はただ黙って南の島へと飛び続けた。
目的の島が近づいたその時、竜神が言った。
「以前より、お前たちをまかせる島を決めていた。あの島ぞ。大丈夫だ。良き島だ。強き国が欲しがるような物はない。だから、きっとおまえたちが生きてる間は、平和であろう。ただし、それでも、強き国と争いがおこるようなことがあったら、ソラよ、その時は、お前が戦え。竜神の子として、誇りをもって戦うのだ。そして、母を、妻を、子を守れよ。」
そう言って、竜神は、高く高く咆哮を上げた。その咆哮は、悲しげに長く響き渡り、竜神は、竜神島へ戻って行った。