竜神 第二話 02
竜神は、断崖のこの洞穴に立って、茫々と風の音だけが体をすり抜けて行く日々をどれだけ過ごしてきたのか。白き泡肌のミネを抱き、その温かさをむさぼり、溺れていった。
やがて、ミネは竜神の子を孕んだ。おそれていた時がやって来た。ミネがうれしそうにしている姿を見て、竜神は、遠き目をした。
―もし、人間の子供だったら。その時、私はどうするのだろう。もし、竜の子だったら、私はどうするのだろー。
その時、父神のことを思い出した。
―もしかしたら、父神は、母をそして、私を生かしておきたかったのではないだろうか―
竜神は、それが、父神の愛情だったのではと思うようになっていった。
ミネは、1年後、人間の子を産み落とした。掟ならば、ミネもその赤子も、竜神は、食べてしまわなければならない。だが、竜神にはできなかった。何も知らぬミネは、喜び、竜神がソラと名付けた赤子にお乳をやっている。日に日にかわいさを増すソラに、竜神は、神ではなく、ただの父親としての喜びをかみしめていた。長い長い孤独の時の後に、初めて訪れた幸福の日々。ミネとソラとの生活に深く深く、のめり込んでいった。
竜神は、平穏な島で、ミネと、ソラとの日々の営みが何ものにも代えられない幸福だと言うことを知ってしまった。このまま、どこまでも続くと良いと願っている竜神は、神としての掟を忘れていたのかもしれない。いや、捨ててしまいたかったのだろう。
だが、平穏な時はそれほど長くは続かなかった。時代は、慶応から明治に移り、日の本の国は、江戸幕府から明治政府へと政権を変えていた。ただし、日の本の国は、江戸幕府から明治政府へと大変革を遂げても、明治10年西暦1877年、西南戦争終結までは、竜神島への仕置きを考えるゆとりなどなかったのだろうが、やがて1882年5月、満を持して、日の本の国は、竜神島へやって来た。明治政府は、租税の多寡ではなく政府の威信にかけて、日の本の領土として掌握しようとやって来たのだ。
以前の竜神島であれば、竜神が雲を起こし嵐を呼び、そうやすやすとは近づけなかったことだろう。断崖の洞穴から、はるか遠くに、その軍艦を見ることができた。ミネも、成長した我が子ソラも、そして島人たちのためにも、竜神として、この島を守らなければならない。断崖から飛び立ち、黒き雲を呼んだ竜神は、はげしい嵐を起こし、強風と大雨とで、軍艦を退散させようとした。一晩中続く嵐は、島人には頼もしき竜神の咆哮のように聞こえたことだろう。
だが、嵐もまったく効かなかった。千年以上竜神が守ってきたこの島だったが、その軍艦には効かなかった。そして、悲しいことに竜神は、守ることはできても、戦うすべを持っていない。
「あの軍艦では守ってやれまい。」
そう、判断した竜神は、ミネと大きく成長していた15歳の息子のソラに告げた。
「いいか、よく聞け、二人は山を下りて、村長たちに伝えろ。この島はもうすぐ滅ぶ。竜神の私がそう、決めたと。」
「命の惜しいものは、船に乗り新しい天地へと旅立て。その手助けだけはできるだろう。」
「私は、あの軍艦と最後の戦いをする。戦うすべを持たない私は、最後の時を迎えるだろう。その時が、この島の最後の時となる。」
「村長たちに、私の言葉を伝えたなら、ここへ必ず戻ってこい。分かったか。少しの時は、なんとか稼げるだろう。」
そう言って、断崖から飛び立っていった。
島全体が、竜神の起こした深い霧で覆われた。さすがにこの状態では、日の本の軍艦もおいそれとは、島に近づけない。島に上陸するためには、小さなはしけに乗り換えないと上陸できないからだ。深い霧の中、島の難所も把握している島人たちによって、日の本の軍艦が近くまできている島の西泊の港から、反対側の東泊の港に島すべての船を回していた。若き勇魚組の男たちが、島人を誘導している。そして、新天地へ行くと希望した島民たちを乗せ、静かに出向していった。
その少し前、ミネが村長たちとのつなぎの為に、早矢にある家へ向かった。騒然としている村々をソラと共に走り、今、実家の戸をたたいている。
「もうし、兄さま、ミネです。この戸を開けてください!」
勢い(いきおい)よく、戸が開けられて、ミネの兄が顔を出した。
「ミネ! 生きていたのか!」
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第48回 竜神 第二話 と検索してください。
声優 岡部涼音君(おかべすずね♂ )が朗読しています。
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