竜神 第一話 01
その島は、竜神島と言う神秘的な名前を持つ島だった。八丈島から、東南150キロ沖にある島で、周囲50キロほどの小さな火山島だったようだ。
その島に興味を持ったのは、江戸時代の地図を見る機会があって、伊豆諸島とは別に、まったくその存在を知らなかった竜神島と言う島が記されていたからだ。しかし明治11年に伊豆諸島が東京府の管轄になり、東京府が改めて明治15年に作成した地図には、竜神島は記されていない。他の文献を調べてみると、火山の噴火による大爆発で、島全体が吹き飛んでしまったとあった。
江戸時代、幕府の直轄地だった伊豆諸島の物産の売買は、江戸に置いた島会所を通じて行われていたと記されているが、竜神島の物産は、江戸には入ってこなかったようだ。なぜだろう。竜神島が、伊豆諸島と同じ幕府の直轄地だとすれば、何かしらの流通があってしかるべきだし、年貢などの記載が他の島々と同じようにあるはずだ。なぜ、年貢がなかったのか。そして、竜神島に何が起こったと言うのか。
調べてみても、あまり興味を惹かれるような話は出てこなかった。記録として残っていることがほとんどなかったのだ。ただ、取材先として足を運んだ島々の漁師たちが、重い口を開いて話す、「あまりに奇妙な言い伝え」に、驚いた。
竜神島には、竜がいたというのだ。
私の、物書きとしての虫がずくりと動き出した。
時は、西暦1865年。日の本の年号を借りれば、慶応2年、
閏5月30日、竜神島にある9つの村の村長たちが集まっていた。毎月晦日の寄り合いだ。遥かいにしえより、この島だけで自治権をもってやってきた。この寄り合いが、島の重要な運営を担ってきたのだ。
今日は、西泊沖合に現れる黒船の問題を話し合うことになっていた。西泊とは、この島に二つある港のうちの島の西側にある港で、大きな漁船は、この港に集中していた。それが、この4,5年の間に、今まで見たことのないような大きな船が西泊の程近くを何度も通っている。船のてっぺんからは、黒い煙を出しながら風がなくても走っている。女たちは恐ろしがっていた。男たちも、黒船がやってくれば、漁にも出られないでいた。
「あの黒い船は、日の本のかね?」
「違うだろう、日の本の船なら、旗が白と赤だけだ。」
「そうだな。白と赤も入っているけど青もあって、複雑な文様だものな。」
「勇魚漁の時期だから痛いが、様子を見たほうが良いな。」
クジラ漁のことを、この島では勇魚漁と呼び、島全体で行われている。小型船に10人ほどを乗せ、10艘で一組とし、手に手に銛をもってクジラと戦う。その勇壮な漁を古来から勇魚漁(いさな漁)と呼び、漁に出る男たちを勇魚組と呼んだ。勇魚組の長を出した家は、島の村長の家となって行くのだ。
クジラは、島人の胃袋を大いに満たすたんぱく源である。また、ある貴重な部位はクスリとなり、油は、灯火となった。その他残ったところは、やせた島の土地の大切な肥料となる。この余すところなく利用されるクジラがどれほど島を潤すか判るだろう。それが、黒船の往来により漁に出られないことは、大きな痛手だった。それでも、千年を超える長きにわたりこの島だけで、独立してやって来た島人たちは、外界との交流には用心深くなっていた。
「まあ、わしらが出来ることをやり切った後は、竜神様が、お考え下さる。それに従うだけだ。」
「そうだ。竜神様にお任せすれば良い。」
「そしたら、来年は竜神祭じゃ。全島民で竜神様の隆盛をお祝いすることにして、良き娘を誰か選んでおかねばなるまい。」
そう、この竜神島には、竜がいるのだ。竜神と仰い(あおい)で、崇めてきた。実際、千年以上昔から、時の政権から租税を免れ、気候風土の厳しい火山の島でも島民たちは、質素ではありながら、安寧な生活が守られてきた。ただし、太陰暦の19年に7度やってくる閏月が終わったあくる年の1月1日には、生贄として島の娘を差し出すことになっていた。その娘がどうなるかは、村人たちは知らない。それでも、島全体の安寧の為だ。指名された娘の家は、後々まで名誉とされるため、喜んで差し出すのだった。