08.落着
目が覚めた。ガバ!と起き上がる。
暗い。今何時だろう。
時間を確認しようと枕元を見たら、いい香りに気がついた。香水?と思ったら電気がつき、夫人がスイッチを入れてくれていた。
「今、何時です?」
「午前一時よ」
会ったときより口調がくだけているような気がする。
「ずっと付き添ってくれていたんですか?」
「着いたのは夜になってからよ」
「ありがとうございます。それからずっといてくれたんですか」
夫人は私の側に正座をした。
「あなたがこの町の人たちを馬鹿にしているとは思わないけれど、女将はあなたが毎日この時間に起きて広場に行くことを知っていたのよ。今日もこの時間に目が覚めるかも知れないと予想はつくわ」
そしてかなり冷たい目で私を見て
「あなた、昔話の収集家だと名乗るのはいいんだけど、ずいぶんこの町を走り回ったのですってね。今この町であなたのことを知らない人はいないというじゃない。本当に、ほんっとーに構わないのだけど、それでも目立ちすぎじゃないかしら」
「いやいや、それが作戦だったんですよ」わははと笑うが、
「あなたを助けてくれた老人、あなたが神様神様連呼して家という家を巡っていたのを知っていたから、広場で尋常じゃないあなたを見つけて神様に会ったのかと思ったそうよ。妙な臭いもしていたというし。それであれを持って来てくれって、本当に神様に会えたの?」
「ええ、会えました。私の役目は神様に会う方法を探ることだけだと思ってたんで、実際に会えたときに面食らいましたよ。今深夜一時ですか、どうしようかな」
夫人もいよいよ正念場と思い、自分で神様に頼もうと思って忙しい中わざわざ来たのだろう、なおも話を聞こうとしていたし、私も謎だったキーワードとか注意することを話そうと思ったら、いきなり襖が開いて女軍人が現れた。そして私が起きているのを見て、
「ほう、目が覚めたか、ならば指示を出せ」
と言い切り、となりにいる夫人を見て、優雅に会釈をした。
「出発は日の出のころです。まだ早いです」
夫人が心外な顔をして
「じゃ、あの人たちは時間を間違えていたということなの?」
「それは解りませんが、もし彼らが正しかったのなら、時間ではなく、場の状態を見ていたんだと思います。星の配置とか大気の状態だとか。それを上手く説明出来ないから時間だけを報告したんじゃないでしょうか」
「あなたにもそれが解るの?」
「いえ、昨日が日の出ごろだったから、今日もそうじゃないかなーと。ははは」
「確実ではないのですね。では時間も考慮しましょう」
というわけで出発することになった。
夫人は大型高級車で来ており、頼んだ品も持って来ている。少女が入るほどの白木の箱で、夫人は中を確認するか聞いてきたが断った。夫人が持ってくるほどの物だ、間違いのあるわけがないし、
「私が欲しくなったら困ります」。
そもそも箱が立派なのだ。中も推して知るべし。
執事も二人付いてきている。運転手と運び手か。
女軍人の方もボディガードを二人連れてきている。あのとき見た黒服黒眼鏡と服装が違うが、深夜制服だろうか?もちろんこんな夜に黒眼鏡はかけていない。
夫人はこの同行者たちのことを何も聞かなかったし、断りもしなかった。徹底して私に任せるようだ。しかし公園入り口までは車で行きたかったろうに、この三人を車に乗せるわけにはいかない。箱と私で満席になるのだ。
そんなに遠くないからと歩いて行くことになり、軍人グループが先行することになった。
その道々
「神様に会うかも知れないのでお風呂場で水垢離をしていたらあの女性が入ってきたのですけど、あなた何を話したのですか」
「いや何も話してませんよ、あの人はあの人で、身内が行方不明になって探しているんです。動き回っている私に捜索を頼んできまして」
「見つかったんですか?」
「たぶん」
「それで何故あの人も同行するのですか?」
「今回のことを綺麗に終わらせるには、あの人が必要なんです。大丈夫です、こっちの事情は何も知りませんよ」
夫人はそこで話を止めた。他の人たちはもとより無言だ。
最初に私もボディガードに箱を持とうと申し出て断られたのだが、そんなに重くもなさそうだ。扱い方を知らないし。神様に執事二人は招かれるのだろうか?夫人は扱い方を知っているのかな、などと思っているうちに御神体の前に着いた。
深夜で誰もいないはずなのに、この町の人には注目の的なんだろうな。そして人外の者たちも興味津々に見ているはずだ。そのことをこの人たちは感じているのだろうか。
私が全員に、空気がおかしくなるまで自由時間で、と言おうとしたら、何かに思い切り頭を殴られた。
うずくまって頭を抱え、顔を上げたら暗闇の中にいた。
また闇が私を飲み込む。もう私を調べるのではない、粘液に飲まれる感じだ。昨日より全てが気持ち悪くなっている。
夫人の組も軍人チームもいない。しかし白木の箱は足下にあった。
「ソレハナンダ」
興味津々か。気が早いというか気が短い神様だな。
「これだ!って物を持ってきましたよ」
蓋を開ける。
少女の生き人形だ。
やはりさっき見なくて良かった!無茶苦茶すげぇ!
造形はスレンダーな現代的美少女で、目元も唇も頬も髪も、全てが色艶を放っている。着物も友禅か?布が最上等だわ絵柄も刺繍も緻密で精密で、香も焚きしめられている。お腹の上に組まれている手、足は足袋に包まれているのに、表情があるし、解る。手足で表情を表現をするって、小説家とか舞踏家の領分だと思っていたが、人形作家はここにも命を吹き込むことができるのか!私のようなおっさんが触ったら、それこそ穢れる菌が移ると嫌悪されて、それが当たり前だと納得する、
いくらだよこれ。いや、夫人の権勢がこの形に結実しているだけか。私が欲しいと思うのもおこがましい。
闇もこれは触っちゃ駄目だ!と解るのだろう、止まっている。そりゃそうだ、物理的な光がないこの世界で、煌々と輝いているんだもの、これに勝てる闇なんてのがいたら、相当の闇だぞ。
「ソレヲクレルノカ」
いささかの沈黙の後、二つの光が言った。
「はい、これが贈り物です」
さらなる逡巡があり
「シカシ…」と迷っている。
「神様、ここがこうなっているのは、その迷いの元が原因ですね?」
返事がない。
「神様であっても死者を蘇らせてはいけない、その死者を手放せないことが、ここがこうなっている理由ですね?」
私を飲み込んでいる闇の感触が変わった。後悔とか孤独とか哀しみとか、自分を責めるネガティブな感情だ。
自責の感情に飲み込まれそうになったので、思考を「いじけモード」にする。目の前でどんなに感情を奮わせることが行われていても「どうせ俺には」という完全他人事のいじけモードである。やりすぎると鬱を発症させるが、今はこれをしないと二進も三進もいかなくなる。
「この場所、死体の腐敗が穢れとなって神域なのにこんなになっているんでしょう!この人形に替えましょう!さもないとこの町にまで悪影響が及びますよ!」必死になって言う。
神様の絶叫がほとばしる。
闇が海のように荒れる。
まぁ想像はつく。
もともとこの岬は投身自殺の名所であった。神様の縄張りで人が次々に身を投げていくなんて、神様の世界で外聞がよくないだろうし、何も出来ない自分も信じられなくなっていくのだろう、この町の人は神様を愛し、慕ってくれるけど、なんで外部の人がわざわざここにきて身を投げるのか。
それでも近年は町の人の尽力で防止策が巡らされて、その数は止まっていた。しかし少女が身を投げた。
死体を目の前に置き、自分を責め続け、人知れず状況が悪化していたわけだ。それが人外の者たちも人間に助言したくなった理由かもしれない。
「とにかくこれは良くないことです!もっとこの町の人たちと力を合わせて…」
そのために必要な人形、悔恨の象徴だけは、町の人に頼むわけにはいくまい。
言っているうちにみるみる闇が晴れ、明るくなり、夫人や女軍人たちが立っている。
「…どこに行っていたの?」
ここに来たのは深夜なのに、もう日が昇っている。何時間か経っていたのか。
「いや、別に。それより、終わりました」
それを聞いてみな怪訝な顔をする。
箱の蓋を開ける。
夫人と執事は声を出して驚いた。
人形を運んで長い距離走ってきたのに、腐乱死体が入っているのだ。あちこちぶつかって手足はねじれ、右の頭が陥没し、目はなくなっており、顔が苦痛で恐ろしく歪んでいる。そりゃ驚かない方がどうかしているだろう。
しかし女軍人は驚きこそすれ、声を挙げることはなかった。
人の死には三つの形があるという。
一人称の死、二人称の死、三人称の死。
一人称の死は自分の死で、知覚出来ない。二人称の死は知人の死で、三人称の死は赤の他人の死だ。
そして二人称の死と三人称の死の一番大きな違いは、その遺体に取りすがることができるかどうか。
軍人は初めて私たちに見せる表情を見せ、跪いて少女の頬に手を触れた。
おまけ
私は夫人に、これ以上やんごとない方々の世界に私の名が広がらないようお願いした。
すると
「あら、あなたの家とはもう話が付いたわよ」
おい。
「大丈夫。この男は一緒に風呂に入れば、頼みを聞いてくれる」
おい。