04.到着
始発電車に乗り、高速電車を何回か乗り換え、バスに乗り換え、宿に着いたのはお昼遅くになった。この国も狭くなったもんだ。
夫人から指定された宿は、昔に使用人の遠縁が宿を始めるときに出資したとかでかなり要望を伝えられるらしく、先遣隊もここに泊まったそうで、ある程度の事情は知っているようだ。
まだ明るいうちに着いたので、玄関で宿帳を書いて荷物を置いて、そのまま御神体に行くことにした。
御神体の周辺は広い公園になっていて、灯台や展望台もあるのだが、御神体のところが一番眺望が良いのだそうだ。ガイドブックには展望台は展望台、御神体は御神体だけの説明が書かれているだけなので、お参りに行った人だけが一番良い眺めを見ることができるようになっている。もちろんその素っ気なさは不心得者が御神体にイタズラをしないようにという配慮でもあるらしい。
宿から公園までは細い道路で、両側が森になっている。シーズンオフなのでほとんどない走る車も地元ナンバーだけだ。
十分くらい歩いたところで入り口に着き、そこから灯台までが十分、展望台ルートは三十分、御神体までは一時間弱か、ずいぶんかかるな。
灯台にも行きたいのだが、道筋が全然違う。展望台ルートを歩いて途中で分岐した道を進む。
道は掃除が行き届いているし、自動販売機のそばにゴミ箱があって、きちんと人の手が入っているのが解る。落ち葉も数枚しか目にしないのは掃除をした直後なのか毎日掃除をしているのか。道順の看板も古いのに壊れている部分がない。
上り坂がきついのは仕方がないし私の体力不足も原因だろう、荷物を置いてきてよかった、バスは終点が公園入り口で、宿の近くのバス停は終点の一つ前なので、公園に寄ってから宿に行こうかとも考えたのだ。
雨が降ったら足下はどうなるのかなと考えていたら、御神体エリアの入り口が見えてきた。誰か立っている。
黒服、黒眼鏡、黒帽子と黒ずくめの男が一人。
むこうもこっちを見て、奥の物陰に隠れる。
疲れた頭で、あーだれだろー、と思いながら入り口に着くと、もうどこにいるのか解らない。
中を見ると、それなりの広場になっていて、右側が海、左側が崖、御神体である。
そこから海は水平線もぴたっと見られるし、いくつかの小島も絶妙な配置になっている。
…ぎりぎりの所に、人が立っていた。
ど真ん中に、こっちに背中を向けていて、その背中も身長もどっしりとした存在感を放っている。軽く葉巻の香りも漂っている。
私も風景を見たいけど後着なのでずうずうしくなれない。先に御神体に挨拶に行こう。あっちの人はこっちに気がついていないようで、振り向きもしない。
御神体の前まで行く。
御神体は石と書かれているが、私の身長の倍ほど高く、両手を広げて四人分くらいの幅で、これ岩だろ。
綱や柵は無く、直接触ることが出来る。この神様への作法が解らないので心を込めたいい加減な礼と拍手をして、小声で名乗り「よろしくお願いします」。
当然なんのリアクションもない。
そして私が始めたのは、「この岩に何か文字が刻まれていないか」の触診である。左端まで行き、腕を伸ばして両手を上下に岩に触れ、そのまま右に移動。
岩や石にもいろいろ種類があると聞くが、詳しい分類は知らない。こういう分類がいいのか知らないが、この岩は土質ではなく砂質に近いようで、カリカリする感触である。
文字が刻まれて風雨にさらされて読めなくなる場合、土系と砂系では崩れる度合いが変わってくると思うのだが、カリカリで、特に何かが刻まれていた感触がしない。
ということはやはり最初から何も刻まれていないのか。
右端に到達し、低い位置にして左端へ。やはり何も感じない。
私の背の届かない上はどうしようもないが、できるところは確認しないとと続けていたら、
「そこの人」
と声がかけられた。
さっきの先に来ていた人だ。
テノールの重みと幅のある声で、女性だ。
「すまんが、ちょっと話がある」
振り返ると短髪で整った男顔(岩に変なことをしている者を警戒した表情付き)、がっしりした肩の、服の上からも鍛えた体であることが一目で分かる体型、足は解らないが、武道者かヤクザか…雰囲気としては軍人だ。普段なら綺麗だけどすれ違っても目を合わせない類いの女性。
「なんでしょう」
軍人は私のやっていることにはノーコメントに決めたようで、懐から写真を一枚出した。
「この女の子を知らないか」
写真には学校の制服を着た、たぶん十代の清楚な女の子が写っている。
「いや、見てません。私もさっきここに着いたばかりです」
「そうか」と区切って
「私の姪なんだ。ここに来たことは解っているんだが、ここからどこへ行ったのかが解らない」
…それはあれじゃないですかね、と思うのだが口には出せない。
「もし見かけたら後ろに書かれた番号にかけてくれ。礼はする」
そう言って踵を返すと、この広場から出ていった。
いやー、歩幅が大きいし、一歩一歩がガシッガシッと音がする。すぐ出口に着いてこっちも見ずに行ってしまったのだが、その後ろにさっきの黒服が付いていった。ボディガードか。
戻って岩に刻まれた文字がないかの触診を続けるのだが、やはりなかった。
離れて正面に立ち、また両手を合わせて目を閉じて、無礼を謝り、ここに来た理由を口にする。
やはり返事はない。
溜息を一つつき、この広場でエリートさんは儀式を行ったのかーと見渡し、水平線に着いた太陽を見る。
あちこち旅はしてきたけど、雲一つない空で海へ没する太陽は、初めて見る。
太陽が落ちてもすぐ真っ暗になるわけでもなく、公園の入り口まで走る。下り坂だし地面はしっかり整備されているので足を挫くこともない。灯りがないのが不安だが、これは仕方がない。道々森の切れ目から灯台に明かり点いたのが見える。
宿はこじんまりした平屋一軒家で、そんなに大勢が泊まる所ではないようだ。大きなホテルは近くにあって、快適さを求める客はそっちに泊まる。年配のご主人と女将さんの二人でやっている。私一人への食事にご飯が四膳ぶんくらい炊かれている。多い。
お風呂は三人くらいは入れる湯船で、とくに温泉を引いているわけではなく、夫人と関係ない人が泊まるにはリーズナブルな宿である。
ご主人は挨拶だけすると奥に行ってしまい、私と話すのは女将さんが担当である。
女将さんに詳細な話をするわけには行かないが、電車の中で考えた私の計画には、女将さんの協力が不可欠である。
一通りの社交会話が終わってから「お願いしたいことがあるんですけどね」と本題に入る。