お嬢様は探る
「来ると、思ったわ」
「そうか。それは両思いだな、お嬢様。喜ぶべきかな?」
「……どうかしらね」
いつもと同じ、窓から現れた黒猫に、エリーゼは振り向かずに声をかけた。
何か事柄が進む、そのたびに黒猫は目の前に現れる。
はっきりと進むべき道を教えてくれないくせに、そういったことは正確なのだ。はぐらかされているだけで、ヴァイスはーーもしくはその主人はーーこれから起こることを知っているはずなのだ。
ーー未来のことを知っている
本当なのかもしれない、とエリーゼは、段々そう思い始めている。
「イシリーデルのことがわかったわ」
「そうか。いったい何だったのかな?」
「……知っているのでしょうに」
「だから、俺はなにも知らないと言ったじゃないか?」
「信じないわ。ご自分でお調べになって」
「この、生まれて間もない子猫にそんないじわるを言うのか? お嬢様はひどいなぁ」
焦る様子も見せない。エリーゼはイライラとして、語気が荒くなった。
「……だから、知っているのでしょうに!」
すっかりエリーゼがへそを曲げてしまっていることがわかったのか、ヴァイスは小さな肩をすくめると、目を閉じて小さくあくびをした。
「ご機嫌斜めだな」
「そうね。誰かさんが、この後のことをすっかり教えてくれるならば、今すぐに機嫌をなおしてもいいのだけど」
「お嬢様、いったい何に腹をたてているのだね? イシリーデルについて不用意な発言をしたことか? 今更アリィシア嬢に能力を開示した迂闊さか? それとも、ディール・リントに八つ当たりしたことか?」
エリーゼはぎょっとして振り返り、ヴァイスを見た。
知らないどころか、どこまで知っているのかーーこの猫はーー!
「余計に腹が立ったわヴァイス。あなた、語るに落ちたわね。すべて、知っているんじゃないーー!!」
「……俺が知っているのは、あなたが知っている範囲のことだ」
「どういう……まさか!」
ーーあなたの心の中までわかるものではない
最初に出会ったとき、お互いの心で会話できるように魔法を使ったヴァイスは、そう言った。
……まさか、心の中まではわからなくとも、エリーゼの状況自体はわかるようになっているーー?
エリーゼは顔をひきつらせた。もしこの推測が正しければ、とんでもないことを許したことになってしまう。自分のすべてがのぞき見られるなど、耐えられる人間がいるだろうか。
ヴァイスは金色に光る瞳でエリーゼをじっと見つめた。
「俺を、あのときよりは信じてくれているようだな。まあ、当然か」
「……あなた、いったい、何をしたいの……?」
ヴァイスに問いかける言葉は、いつもそんなに変わらない。
得体がしれないままなのに、つい信じてしまう、毎回そんな自分をエリーゼは殴りたい気持ちで後悔するのだ。
「最初から言っているだろう。お嬢様、あなたの死を回避したいのだと。ただ……俺と会った時から、もう既に未来は変わってしまっている。だから、俺は、具体的に、未来に何が起こるかまではわからないのだ」
理屈は通っている。しかし、信じるには難しい。
「ならば、なぜ、あのときにそう言わなかったの」
「そんな不安要素を聞かされて、疑心暗鬼になっているお嬢様が俺の言葉に乗ったか?」
「……そうね。そうかもしれない。でもそれならば、別の不安が出てくるわ。あなた、未来のことが、本当にわかるの? 私にアドバイスできるというの?」
「それは、できると信じているし、できると信じてもらわなければならない。わからないのは細かい部分だけで、大きな流れ自体は把握しているんだ」
「……」
納得したわけではない。しかし、ヴァイスの忠告で様々なことが好転してきたのは確かだーー。
いや、果たして、好転したのだろうか?
塔から脱出し、アリィシアを助けられたーーのはまだいいとしよう。
しかし、リューネ姫の問題に巻き込まれたり、王子の問題に巻き込まれたり、というのは果たして『事態の好転』と言えるのだろうか?
そう、むしろ、問題を増やしていると言えるのではないだろうか。
「ヴァイス、塔から脱出した時のことは、確かにあなたに助けられたわ。でも、それから後のことは違うわよね。リューネ姫や王子の問題に巻き込まれたりしたのは、危険に飛び込んでいると言えるのではないの?」
「それも一つの見方かもしれないな」
エリーゼは、ぐっと拳を握りしめて、ヴァイスの瞳を見つめ返した。
「あなた、私に、人間関係の構築を求めているのね。それは、誰とのどんな人間関係なの? そもそも、私の死因は何なの? 私の死を避けるために、その、誰かの力が必要だということ?」
そう。誰だってたどり着くのは、この結論だろう。
ーー具体的なことはわからないが、大まかな流れはわかる。
ーー人に興味を持ち、関わってほしい
ヴァイスのアドバイスも、言葉も、その一点を指し示しているに違いないのだから。
しかし、ヴァイスはふいと視線を逸らした。
「そこまでわかっているのならば、安心だ」
「答えない気なの?!」
「そうではない。まだ、お嬢様に知ってもらうわけにはいかないのだ」
それは、真剣な声だった。金色の瞳が、見開かれる。
「俺があなたに提示している選択肢は、別に俺が考えたものではない。あなたが実際に選んだことのあるものだけだ」
おかしな言い回しだった。
「私が……実際に選んだことがある……? まるで、過去形のように言うのね? しかも、複数の選択肢なんて選べるわけが……」
「未来から見て、過去の可能性のあなたが選んだ、というべきか」
「意味がわからないわ」
「では、あなたが行動する可能性のあるものしか、俺は提示できない、と言えばわかるか?」
「……それならば、少しわかる気がするわ」
「ならば、それで理解してほしい。だから、今のあなたが知り得ない未来のことを告げて、選択肢を排除するわけにはいかないのだ。それは、俺の判断にもかかわる」
「……予断を与えると、私が正しい選択をできなくなる、ということが言いたいのね、あなた」
「納得してくれたか?」
エリーゼははっきりと首を横に振った。
「納得するわけがないでしょう!」
「そうか、それは残念だ。でも、お嬢様だって、今や俺の情報に頼ってくれているのだろう? だって、イシリーデルについて失言した時に、選択肢が出なかったということは、致命的な間違いではない、と安心しているのではないか?」
エリーゼはドキリとした。ヴァイスの言葉どおりだったからだ。
確かに、ディールの前では一瞬取り乱したが、その後、ヴァイスからの忠告もなく、選択肢も出なかったということは、間違いではなかったのではないか、と気づき、今は気分が落ち着いたところだった。
気づいた後、ならば何か教えてほしかったーーと腹が立ってきたところにヴァイスが顔を出したわけだが……。
はあ、とエリーゼはため息をついた。
ヴァイスが言っていることが正しいのか、煙に巻かれたのかはわからないが、しかしエリーゼにもわかることがあった。
多分、この猫は、それ以上の情報を与えないだろうということ。
今日は。
しかし、明日以降はわからない。今日だって、新しい情報は引き出せたのだ。……余計にこんがらがったとも言えるが。
ーー根気良く聞き出していくしかないわね。
ヴァイスは、子猫の見た目とは違い、老練な雰囲気すら感じる。中に入っているのが何なのかは知らないが、悔しいことに、今のエリーゼに太刀打ちできる相手ではないのだろう。
本当にエリーゼの命を救おうとしているのかすらわからないが……。
ーーエリーゼ様の勘の良さを期待しているみたいですよ
エリーゼの家の仕事についても、周囲の人間関係についても、問題の解決についても、今のところは、良い方向に向かっていると思ってよいのだろうかーー。
「ところでお嬢様。これは未来の予測にはまったく関係のない、個人的な質問なのだが」
「珍しいわね、そういう前置き。何よ」
「お嬢様にとって、ディール・リントとは、どういう存在なのだ?」
その日の最後に、ヴァイスは、思いもかけない問いかけをした。




