お嬢様たちは絶体絶命になる
リット伯の頬がひくりと動く。さすがの海千山千の鉄面皮も動揺したと見える。
「これはこれは、王子の右腕のリヒャルトくんまで私を訪れてくれるとは」
リヒャルトは、正式な騎士の礼をとった。当然ながら、リット伯は目上に当たるからである。
「遅い時刻に申し訳ございません。本日は、フェリクス王子の名代として、そしてリューネ姫の騎士として参りました」
「若いというのはいいことだ。無謀という言葉と隣り合わせでもあるが
」
「私ひとりではございません。王子のご指示で、この離れを複数名で護衛させていただくことになりました」
もちろん、裏の意味は、『この屋敷は囲まれているぞ』である。
「そうか、ご苦労なことだ。フェリクス王子にご挨拶したいところだが、ここにはいらっしゃっていないようだな」
「残念ながら。しかしながら、王子は、非常にご立腹ですので、伯爵をお呼びでいらっしゃいます。つきましては、私がお迎えに参りました」
「そうか」
それだけ言うと、リット伯の口元が歪む。
「……王子もまだお若いな」
「どのような意味でございましょうか」
「何もまだ、わかっておられぬ、ということだ。お前もだ、リヒャルト」
くくく、と唸るように笑い声をあげる。
「これこそが忠義だというのに」
「何が忠義でありましょうか。王子はそのようなことを望んでおられません」
リット伯の言い分に、リヒャルトが異議を唱える。
しかしながら、リット伯は不敵な笑顔を浮かべたまま、さらに言葉を続けた。
「まだ若い王子には清濁の濁がまだ理解できないのだ。後々、必ず私の忠義がわかるはず。そのためには、この国は王子派にまとまらなければならない。もっとも簡単に国をまとめる方法は、リューネ姫に王位継承権を放棄してもらうこと、そのためには魔導証明をしてもらわなければならない。ただそれだけで、様々な争いが未然に防げるのだ。情よりも重要なのは、この国が一丸となり、今後来る西からの危機に備えることなのだよ」
ーー今後来る西からの危機?
あまりにも確信をもって言い切られる言葉に、エリーゼは少し違和感を覚える。西と言うからにはランサイスだ。まさか、リット伯は、ランサイスが攻めてくるという情報でも掴んでいるのだろうか?
いや、とエリーゼは思う。リット伯は、別にランサイスにつながりが深いわけではなく、情報に明るい貴族でもない。もしそうであれば、リット伯が掴んでいる情報くらいは、王家だって掴んでいるだろう。
では、単なる一般論……ということだろうか。
「伯爵のご高説は承りました。しかしながら、重ねて申し上げますが、王子はそれを望んではおられません。リューネ姫とのお話の途中でたいへん恐縮ではございますが、一緒に来てはいただけませんでしょうか」
「せっかくの王子のお招きとのことだが、お前のようなまだ学生のひよっこに言われて、正式の書面によるお招きもないというのに、はいそうですか、とは行けぬな」
「……騎士たちも護衛に来ておりますので。私としても来ていただけなければ困ります」
リヒャルトの言葉に、リット伯は立ち上がった。
一喝する。
「人を動かすならば、それ相応の礼儀が必要だと言っているのだ、この若造が! この場で黙って頭を垂れよ!」
「……!」
何が起こったのか、誰にもすぐはわからなかった。リヒャルトが、突然身体の制御を失い、倒れたのだ。地に這うように伏し、立ち上がろうとしてはもがく。
「何を……」
声をあげるのもつらいのだろう。リヒャルトは意のままにならない身体のまま、それでも注意をリット伯とリューネ姫に向けていた。
「態度のなっていない子供には躾が必要だ。そう思わないかね」
エリーゼはディールを見た。ディールもまた、目を見開いたまま驚きの表情を浮かべていた。
「ああ、外にいる騎士たちも同様に、静かにしてもらっているよ。目上の人間への対応を教えるのもまた、私の仕事だからな」
エリーゼは迷う。リヒャルトの身体を戒めている魔法がどんなものかまったく検討は着かないが、もしかしたら、エリーゼの能力で、触れることで魔力を喰えるかもしれない。
しかし、それを今、してもよいものか……。この魔法を使っているのがリット伯ならば、どうやって魔法を解いたのか、そこに疑念を持ってしまうかもしれなかった。
リューネ姫を守るためならば自分の能力を使うことになるかもしれないと思っていたし、そのつもりもあるが、今がその時なのか、もう少しディールに任せて様子を見るべきか、判別がつかなかったのだ。
エリーゼは迷いながらディールを見つめた。しかし、ディールは何故か、びくりと肩を震わせるとものすごい勢いで扉の方に身体ごと向いた。 エリーゼもまた、つられてそちらを見る。
リヒャルトによって開け放たれた扉に、いつの間にか人影があった。
足音もなく、こちらへと近づいてくる。
おとぎ話の魔女のような見事な長い長い赤毛は左側だけに纏めて垂らされ、青く美しいドレスの裾がひらひらと揺れる。まっすぐこちらを見つめる瞳は、ギラギラと生命力に溢れる深い森の緑。
「おや、我が養子ではないか。いつリューネ姫に鞍替えしたのかね?」
「師匠……」
ディールが唸るように呟く。
そこにいたのは、よく知った顔。ディールの養母でありエリーゼの師匠、この国にその武勇の名を轟かせる魔導士の、ツェツェーリエ・フォン・リートベルクであった。
「師匠、何故ここに……」
警戒を込めて睨みつけるディールに対し、ツェツェーリエは春の風のように軽やかに答えた。
「もちろん、雇われたのさ。証人になってくれってね。まあわたしは王子殿下の味方でも王弟殿下の味方でもないが、もらった金の分は働く予定でね?」
「この、銭ゲバめ……いずれバチが当たるぞ……」
「我が弟子ながら毎度毎度甘ちゃんなことを言うね? 地獄の沙汰も金次第って言うだろ? ねぇディール」
猫なで声とも言えるほどの優しい声に、ディールは呆れた視線を投げかけた。
「リューネ姫、こちらをご覧になってください」
リット伯は、丁寧にリューネ姫の前に書面を広げ、ペンと筒状の魔導具を置いた。
「この場にいる者の命運も、あなたの母親の命運も、すべてこの書面にあなたがサインをし、魔導証明をするかにかかっているのです」
リューネ姫は、無表情でリット伯の瞳を見据えた。
「さあ、どうなさります?」
「断るわ。嘘はつけない」
「この状況で、それが許されるとでも?」
「許されるわ。だいたい、いくらあなたでも、私に危害を加えることはできないでしょう」
「そうでしょうか?」
「ならば聞くわ。あなたは私にどんな危害を加えることができるというの? この離れで、私を殺す? それとも私をさらう?」
「さらうのは難しそうですな。さすがにこの離れはともかく、屋敷自体は今日の夜会のために警備が厳重だ。そして、王族殺しはもっと割に合わない」
「私に人質は何の意味もないわ。そもそもリヒャルトもディールも、私の部下ではなく、おにいさまの部下だわ。外の騎士たちも無力化したのかもしれないけれども、それだっておにいさまの手の者であり、私とは関係ない。むしろ内紛で力を削いでくれてありがたいわ」
この状況で、堂々とリット伯の要求を蹴るリューネ姫は、まだ学生ながら、さすがは王族といった風格だった。
「ルイーズ殿の居場所を教えると言っても……ですか」
「どうせ間に合わない。ルイーズは死ぬわ。あなたたちのせいでね。王子派である、あなたたちのせいであって、私たちのせいではない。私はそこは間違わない」
自分の申し出を蹴られているにもかかわらず、リット伯は感嘆したように微笑んだ。
「さすがは姫。ご立派な志でいらっしゃいます。……実に、残念ですよ」
「……!」
リューネ姫の身体が不自然に強ばる。勝手に腕が動くのが見えた。
「……どういうこと、これは……」
さすがに声に怯えが混じる。
他人の身体を思いのままに動かすことができる魔法……そんなものが存在するのか。そんなことが可能であれば、とんでもないことになる。しいかも、ただ腕を動かすだけではなく、まさか字を書かせようと言うのか……。
「さすがに、字を書いていただくのは難しいでしょうけど? ただ、血判ならば、同じ効果があるでしょうしね?」
「あなた……ツェツェーリエ、王族にこんなことをして……許されるとでも……」
「さあて。そこらへんはリット伯が考えてくれるっぽいので? 私は新しい術式を試しているだけってやつでしてね?」
「……!」
咄嗟に動こうとしたところ、エリーゼの身体にもまた、突然の負荷がかかる。自分にかけられた魔法であるから、エリーゼの能力で解除もできるが、エリーゼはそのまま素直に地面へと伏した。
なるほど、これはつらい。体中が鉛になって融け固められたようだ。息をするのがやっとで、指一本すら動かせない。少しくらいならば能力を使って楽になりたいが、正直、エリーゼは能力の加減が下手だ。このままか、完全に解いてしまうか、どちらかになってしまう可能性が高い。
「見ても無駄だよ?」
ツェツェーリエの声が凛と響く。
「残念だろうが、あなたの魅了の力は効かないように対策しているんだよ。ディールに効かないものが、私に効くわけがないのだからね?」
一瞬、なにを言われたのかエリーゼにはわからなかったが、すぐに、その意味に気づく。
ツェツェーリエは、リューネ姫の侍女役をやっているのが、アリィシアだと思っているのだ。
それはつまり、二つのことを意味する。
前もって計画をバラした人間が王子側にいるということ。
そして、ツェツェーリエは、自分にかかる認識阻害の魔法をわざわざ解いて侍女が……自分が誰か確かめていないということだ。
つまりーー彼女は、ここにいるのがエリーゼだと気づいていない。
「そう、あとは、魔導証明をしていただくだけで良いのですよ」
ツェツェーリエの声がした。魔導具を起動させるためだろうか、魔力が高まるのを感じる。
「やめなさい、こんなことは許されない、やめなさい!」
リューネ姫の悲鳴のような声が上がる。
ーーきっと、今しかない。
もはや迷いなどなかった。タイミングを計らうならば、今しかないのは明白だった。
エリーゼは、自分にかかる魔力を喰らい、立ち上がった。




