お嬢様は脱出しようとする
塔から屋敷へと続く渡り廊下を小走りで抜ける。人の気配はするが、今まで人と会うことはなかった。
この屋敷は誰のものなのだろうか? 飾り気のない古ぼけた様式は、時代遅れのものである。おそらくは数十年前に住むための屋敷として作られた後、たまにしか使われない別邸のようなものだろうか。
天井を、そして壁を、床を、エリーゼは注意深く見る。
(……装飾が少ない、床の石材は頑丈だが美麗さはない、色はこの国の南で採れる灰色がかった石……金をかけていないわね。誰かを招く用の屋敷ではなさそう。奥向きなのかしら……)
しかし、明らかに人が使っていることはわかる。今までは人に会わなかったが、屋敷部分に入ってからはその限りではないに違いない。緊張したのだろうか、頭に血が上った感じと、耳鳴りがする。しかし、ここで深窓の令嬢よろしく倒れるわけにはいかない。くらくらする頭と息を整えるために、少しエリーゼは足を緩め――。
足音を、その耳が拾った。
確かに、非常に遠く、よく耳を澄ませなければ聞こえないが、確かに人の足音がした。
(誰か、来る……!!)
エリーゼは、辺りを見回した。左には小部屋、廊下にはずらりと飾り甲冑が並んでいる。
(部屋に入ってやり過ごす……いや、もし足音の主が部屋に入れば、万事休すだわ。でも、廊下の甲冑の裏なんて、少し角度を変えれば、すぐに丸見えになってしまう……。走ってやり過ごす? いや、足音をたてれば、すぐに相手も気付く……)
その瞬間、目の前に文字が閃いた。
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右手から足音がする
左の小部屋に隠れる → デッドエンド
走って逃げる → デッドエンド
甲冑の後ろに隠れる → 次へ
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突然、未だ消えない視界の選択肢に、エリーゼは立ち止まる。
どうやら、親切にも、ヴァイスは選択肢を見せてくれたらしい。
――しかし、本当に、鎧の後ろ・・・・・・?
エリーゼは身を震わせた。鎧は確かにエリーゼの背を越すほどに大きい。しかし。ほんの少し角度がズレれば横から丸見えだ。もし、この足音の主が廊下に入った瞬間に鎧を見れば、エリーゼのことが見えてしまうのではないか?
エリーゼはすがるように斜め前を走っていたはずのヴァイスを見たが、既に隠れたのか、いつの間にか姿が見えなくなっている。
(ええい! とにかく信じるしかない!)
小部屋にとび込む方が気持ちとしては安心だ。でも、もうこうなったらエリーゼはヴァイスを信じることにした。
(毒をくらわば皿まで!)
足音を立てないように、しかし迅速に。鎧の後ろに隠れ、不安にぎゅっと身を硬くする。
コツン、コツン、コツン、コツン……。
ホールの床を、鈍いが音高く革靴の音が近を履いた誰かが近づいてくる。
足音を抑えていないところを見ると、誰かがいるとは思っていないだろう。
しかし、身体が勝手に震える。自分が立っているかすらわからなくなるような震え。体中が心臓になったかのような動機。
ギィィ……。
その誰かは、エリーゼに、いや、甲冑には目もくれなかったのだろう。
小部屋の扉を開け、その中へと入っていった。
鳴り止まない心臓の音を抑えきれないまま、エリーゼは冷たい甲冑に背を預けたまま、床へとへたりこんだ。
ヴァイスの選択肢の有用性は、証明された……と断じるには早計だが、少なくとも、ある程度信頼しても良いのかもしれない。
エリーゼは、腹を決めた。
「エリーゼ様?」
これ以上は目を見開けないだろうというほどに真ん丸に目を見開いて、アリィシアは信じられないという声をあげた。
屋敷の二階、隠し部屋というわけでもない普通の客間に、アリィシアはいた。
今まで通ってきた通路や部屋は質素なものだったが、この部屋葉不思議と、しそなのには代わらないが、華やかな気がした。窓から日の光が燦々と降り注いでいるからかもしれないし、少しではあるが壁と天井を彩る金具が金色で統一されているからかもしれない。
「なにこれ、私と扱いがぜんっぜん違うじゃない」
「エリーゼ様? どうして、ここにいらっしゃるんですか? 鍵は?」
「同じ鍵を使い回しているのは不用心だと思うわ。おかげで助かったけれど。……そしてここにいる理由は、私にもわからないわ。もしかしてあなたは知っているんじゃないかと思うんだけど」
「私は……」
思いっきり皮肉を込めて言うと、アリィシアは、目を伏せて、自分の体を抱きしめた。
涙をこぼしているわけでもないのに、その伏せられた瞳が濡れたように煌めく。
そんなに美人というわけでもないのに、その横顔を見ていると、守ってあげたくなるような可憐さと愛おしさが胸の底で蠢いた。目が離せない、いつまでも見ていたくなるような不思議な感覚だ。
低い身分、新参者でありながら、王子とその仲間達に紅一点混じって取り入ったという、彼女の魅力なのかもしれない。
「申し訳ありません、エリーゼ様。きっと私が、あなたを巻き込んだのだと思うのです」
アリィシアは顔を上げ、まっすぐエリーゼを見た。
「私を妻にしたいと言う人がいて、断ったのですが……しつこくて」
「なっ、ななな、妻、誰なのそれは!」
「センヴァイグ伯です」
「センヴァイグ伯?! まさか息子ではなく、伯爵?!」
思わずエリーゼは素っ頓狂な声を上げる。
センヴァイグ伯爵は、この国が興った時からの名家である。数代に渡って放蕩者の領主が出て、金には大分困っていると聞くが、それでも権勢は中々なものだ。特に、政治的に力が強い。
確かに貴族ではこの年齢で結婚する者も皆無ではないが、まだ16歳のアリィシアを見初めたその相手は、40を越えた壮年の男のはずだった。妻を数年前に亡くし、まだ10歳にならない跡継ぎの息子がいたはずなのだが。
「センヴァイク伯ほどの名家の領主が、吹けば飛ぶような子爵令嬢とは言え、誘拐など……何を血迷ったことを……」
「はい……。フェリクス王子についていても、いずれ没落するだけ、自分の妻になれば、名誉も権勢も思いのまま、いい生活をさせてやると……」
「信じられない。確かに、性質の良い人ではないけど、こんな、嫌がる娘を無理矢理になんて……?」
ふと、エリーゼは言葉を切った。
何かがひっかかった。
フェリクス王子についていても、いずれ没落するだけ?
フェリクス王子は、同じ学園の同じ年の、王太子だ。現国王の弟の息子。子供のいない国王は姉弟の三人の子供を養子待遇としているが、その中ではたった一人の男子、跡継ぎ。いずれ、国王となるだろうと言われている。
器量も魔力も問題ない。母親は王家の血を濃く引く名家ながら、政治力がないため、後ろ盾が弱いのが難点といえば難点ではあるが、彼が成長すれば些細なこととなるだろう。
ただ、彼が生まれるまで、長らく跡継ぎがいなかった国王の皇太子として扱われていた、年の離れた王弟、アレス様という存在が、陰を落としてはいるが……。
血の気がひくのがわかる。
「まさか」
アリィシアの瞳が煌めく。ゆっくりと首を横に振った。それ以上、何かそのことについて話すのは、お互いのためにならないというように。
王弟派が謀反をほのめかした、などということは。
「申し訳ありません、エリーゼ様。おそらくは、しばらくすれば助けが来ると思います。しかし、エリーゼ様が見つかれば、ただでは済まないかもしれません」
エリーゼはごくりと喉を鳴らした。
「その、私としても、エリーゼ様を巻き込んでしまったことに対して申し訳なく思っています。きっと、王子は、私を助けに来てくれるはずですから! それを信じて、私は待っているんです!」
無理やりに笑顔を作って明るい声を出したアリィシアを、黙ってエリーゼは見つめた。
エリーゼは何故そのことを自分に言ったのだろう。
エリーゼの家は、はっきりと公に立場を示したことはないが、王弟派なのだということは、知っている者は知っている。
実際にエリーゼ自身、王弟アレスの一人娘であり、国王の三人の養子待遇のうちの一人であるリューネ姫の取り巻きであることは周知の事実である。
王子の寵愛を受けているアリィシアにエリーゼが関わるのも、その逆についても、後でわかれば、派閥の中で信頼を失うかもしれない。
しばしの沈黙の後、エリーゼは、ふっと視線を離す。
「助けに来たのは、迷惑だったかしら」
アリィシアは、はっと気づいたかのように気まずい表情になった。エリーゼと自分の立場に今更気づいたのかもしれない。
「私自身はこのままでは『ただでは済まない』……と思うから、逃げようと思うのだけど……あなたはどうするの?」
「できれば、ご一緒させていただいていいでしょうか」
意外にも、アリィシアは即答した。
「いずれ助けが来るとは思いますが、私も、ここにいるのは不安で。その……何をされるか、私もわからないもので」
「そうね。あなたはあなたで危険だわね」
理由が理由なのでアリィシアは大人しくしていれば殺されないだろう。しかし、大人しくしていれば、彼女は彼女で貞操の危機の可能性が高い。
「じゃあ、とにかくここから逃げ出すわよ。あなた、ここがどこなのかあわかってるのよね?」
「多分、伯爵の別邸だと思いんですけど・・・」
アリィシアが言った地名は、学園のある首都から10キロほど離れた場所だった。
「かなり遠いわね・・・」
さっそくエリーゼの心は挫けた。
逃げ出しても、追っ手がかかった状態で10キロの道のりを行くのは生半可ではない。王子たちが来るというのならば、それまでおとなしくここで待っていた方が・・・・・・
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このまま助けを待つ → デッドエンド
屋敷から逃げようとする → 次へ
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「ああもう! わかったわよ!」
「えっ?」
「なんでもないわ」
まるでエリーゼの迷いを見透かしたかのように頭に浮かんだ選択肢に、便利なものだとエリーゼはため息をついた。
「王子たちはいつ頃助けにくるのかわかる?」
言ってしまってから、ばかげた質問だとエリーゼは自嘲した。打ち合わせているのでもない限り、助けがいつ来るかなんてわかるわけがない。
しかし、アリィシアは少し考えると自信なさげにつぶやいた。
「さらわれるときに印を残してきましたし、エリーゼ様が巻き込まれたのも気付いていると思うので、きっと気付いて、助けにきてくれると思うのですけど、でも・・・・・・場所をはっきり伝えられたわけではないですし、いつになるかは」
不安なのか、自らを抱きしめて、アリィシアは震えた。
そもそも、フェリクス王子が助けに来てくれる、と自分は決めつけていたが、本当にフェリクス王子たちは、アリィシアを助けに来るのだろうか?
これは単なる情痴のもつれではあるが、同時にいみじくもアリィシアが漏らしたように、王弟派が、王子の寵愛著しい女子生徒を浚うという、政治的に微妙な案件でもある。
アリィシアの実家は男爵家なので政治にはほとんど関与できない立場だが、王子一派の巣である生徒会の一員であり、王子の庇護下にあるとみなされている彼女に無体を働くのは、明らかにフェリクス王子に対する挑戦とみなされるだろう。それは、恋人とか、友人とかではなくとも、フェリクス王子が自らの派閥を保つためには、自らの派閥に属する人間を守りきる必要があるからだ。それができないということは、王子の求心力にも影響する。
しかも、センヴァイク伯は王弟派として有名だ。政治的に実力者でもある。彼と対立するのは、王子としても難しい立場に追い込まれかねない。
王子がアリィシアをどこまで寵愛しているかわからないが、少しお気に入り、というだけであれば、彼と表だって敵対行動を取るよりも、アリィシアを差し出して、王子派に引き込んだ方が得だという結論に達する可能性はないのか――?
エリーゼはアリィシアを横目でみた。その顔に焦燥感はない。助けにくると信じ切っている顔だ。
その瞳には曇りなき信頼がある。
その色に、何故か、違和感を覚えた。
「あれ、行き止まり?」
「どうなっているのかしら、このお屋敷は……というかあなた、こっちだって自信ありげにあるからついてきたのに、これはどういうことなの?」
「……ごめんなさい、その、私、この屋敷に連れられてきたときには気を失っていて、多分こっちかなって」
「勘だったの?!」
エリーゼの悲鳴に、ペコペコと頭を下げて謝った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、こういうお屋敷はこっちに扉があるもんだろうと思って……!」
「まったく、ダメな人ねあなた!」
そう罵りつつも、通常、こういう屋敷は、正式の出入り口以外に、庭へと出る出口と、屋敷の端から雇われている人々が出入りするための勝手口があるはずだから、アリィシアの目算も、そうハズレではないはずなのだが……。
「そういえば、この屋敷には、窓が少ないわね。古い建物なのかしら。最近の建物は窓が多いのがトレンドだから、多分そうね。廊下に窓があるタイプのつくりではないようだから、方向感覚を失いやすいわ」
「……不安になってきました」
エリーゼは辺りに気を配りながら、心の中で黒猫に呼びかける。
(状況、わかってるんでしょ、どこに行けばいいのか教えなさいよ)
しかし返答はない。いざというときほど使えない……と心の中で歯噛みをする。
「あった! あれ、扉ですよエリーゼ様!」
アリィシアが喜びの声を上げた瞬間、カチリ、という機械的な音が辺りに響いた。
二人ともに音もなく警戒態勢に入る。
予想通りというか、これみよがしの足音が複数、ドタドタと、二人が来た方向から聞こえてきた。
何らかの罠が仕掛けられていたのだろう。おそらく、誰かが通れば、知らせるような仕掛けが。
ここは細い通路だ。足音は前からだけだが、二人の後ろの通路の突き当たりは壁しか見えない。つまり曲がり角になっており、その先に何があるかは見えない。
ここで待ち受けるか、それとも、右側に並ぶ部屋のどこかに飛び込むか、はたまた曲がり角までたどり着いて、追いつかれるまでひたすら逃げるか……。
(こんな時に限って、どうして選択肢が出ないのよ!」
いつの間にか自分があの怪しい黒猫に頼っていることにも気づかず、エリーゼが心の中で悪態をついたとき。
「お嬢様」
小さくささやいたアリィシアを見る。その視線が部屋の扉へと動く。
次の瞬間、まるで意識が飛んだかのように、いつの間にかエリーゼはアリィシアと共に部屋の中にいた。
(……?! 何が起こったの?!)
おまけにエリーゼは、いつの間にかアリィシアの手を握りしめている。
(……っ!)
そのアリィシアはずるりと力なくしゃがみ込んだ。何故か肩で息をしており、暗い中でもその頬が紅潮しているのがわかる。
「さすが……エリーゼ様……王子と同じくらいの……」
ほとんど聞こえないくらいの声で、アリィシアが言葉を零した。
『何もないぞ』
『しかし、仕掛けは作動していたはずだ』
『人間だったのか? この屋敷も最近使っていなかったから、何か別の生き物が入り込んでいる可能性もあるぞ』
『そうだな……一応、周囲を見て回るか』
とりあえず気を取り直す。いつの間にか小部屋の扉の鍵は閉まっている。
「大丈夫、あなた」
「……大丈夫です」
何か、この女がしたのだろう。エリーゼは薄気味悪い気持ちでアリィシアを見た。
アリィシアの得意魔法は回復魔法であり、特別な魔法に関する能力は、持っていないということになっているが。
――何か、特別な能力を持っているのかもしれない。
問いつめたいところだが、そんな時間はない。もしかしたら王子のスキャンダルを掴むことができるかもしれないので、心の片隅にはとどめておくが。
エリーゼは部屋の様子をぐるりと見回した。
(手が届く位置に窓はあるけど、頑丈な鉄格子がはまっている……。大きさは大体、人が一人やっと通れるくらい……)
部屋は物置として使われているようだった。木箱がいくつも整然と積まれている。
その木箱には、暗くてよく見えないが、横腹に、何かのマークがつけられている。エリーゼは目を凝らしてそれを見ようとした瞬間。
バタバタバタと足音がした。一瞬遅れて新手だと気づく。
『おい! 女が二人とも逃げたぞ!』
体中の血液が冷えるような衝撃。
男たちがどこかのんびりとしていたのは、逃亡者の存在を知らなかったからなのだと今更ながらに気づく。
『なんだと?!』
『じゃあ……もしかして……』
男たちは急に声を潜めた。気づかれたのだとエリーゼでもわかる。
部屋の中は袋小路。窓には鉄格子。アリィシアは、少し息が整った様子だが、まだ床にへたりこんだまま俯いている。
『何考えてんだお前等! おい! 何をわけのわからないことを!』
いったい何があったのか、扉の外では男たちが揉めているらしい。時間に少し猶予ができたのかもしれない。
でも、それが一体何だと言うのだ?
袋のネズミには違いがない。この部屋からエリーゼとアリィシアが逃げる方法などない。
窓。
あの窓の、鉄格子が、なければ。
エリーゼは制服の下に仕込んだ護身具を思い出す。魔法学校の貴族たちに人気の護身具。エリーゼのものは、さらに特注のものだ。普段は小さな棒だが、自分の魔法を通すと身を守るための魔法の道具になるというものだ。
あくまで小道具であり、そんなに耐久性はないが、鉄格子くらいならば叩き斬れないだろうか?
(ダメだわ、音が出る)
鍵がかかっているとはいえ、こんな扉、すぐに破られる。
音をたてずに……鉄格子を破る方法……。
その選択肢が頭に浮かぶ、エリーゼはただその事実だけで、背筋を凍らせた。
それを見計らったかのように、エリーゼの脳裏に文字が浮かぶ。
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窓を魔法斧で破る → デッドエンド
そのまま隠れる → デッドエンド
鉄格子を魔法で破って逃げる → 次へ
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エリーゼは目を閉じた。体中が心臓になったかのように、脈打つ。
血の気が全身から引いていき、気すらも遠くなる。
ふわふわと足下がおぼつかない。
――ああ、何故
――何故、ヴァイスは
――私の秘密を――知っているのか――
――この力を使わないと――死ぬと――言うのか――
ゆっくりと、まるで幽霊のように、エリーゼは窓へと向かう。
エリーゼは、決して今まで人前で外したことなどない白いレースの手袋を外した。
この手袋は、別に何の意味もない。ただ、この手袋がほつれもせずにこの手にあることが重要だっただけだ。
鬱蒼と茂る木々が窓のすぐ外にある。その枝葉を透かして光る木漏れ日がエリーゼの白い手に映る。そのまま、エリーゼは鉄格子を握った。
酩酊するかのような感覚。体の中に何かが流れ込み、そして出て行く気持ちの良さ。ほぅと息をつく、その息が甘い。陶然とする。こんなに、こんなに気持ちがいいのに……これは、許されないことだ。
アリィシアには見えているだろうか。酔ったような頭でエリーゼはぼんやりと思う。
この、鉄格子が、まるで数十年、数百年の時間を早回しにしたかのように、みるみるうちに、錆びて、崩れて、なくなっていくのを――。
「エリーゼ、様」
いつの間にか鉄格子はすっかり錆び、崩れて、その姿を失っている。
その窓にはめられたガラスもまた、白く崩れて、もはや影も形もなかった。
振り返ると、これ以上ないほどにまん丸に目を見開いたエリーゼが、いた。
何も、質問させる気などはなかった。
「ここから、逃げましょう」
最高潮に昂ぶった気分のまま、エリーゼは満面の笑みでアリィシアに手をさしのべた。




