お嬢様は生徒会室で夜のお茶会をする
「生徒会室……」
「今ならば誰もいない」
ディールは光魔法でランプに灯りを点した。生徒会室は何部屋かあり、窓のある部屋は念のために使わず奥まった部屋を使っている。
とはいえ、静まりかえり誰もいない校舎である。気配を感知できる魔道具もないわけではない。
「……逆に危険なのではないの?」
「大丈夫だ。王子が常に過ごしている部屋だぞ。魔法的な護りを発動させれば、まず普通の人間では入ってこれない。王子に連絡をとるから、お嬢様、リューネ姫を頼む」
「わ、わかったわ」
なんとか男たちを撒くことができたらしい。ディールに手荒に運ばれたせいか、ぐったりと動かないリューネ姫をいかにも高級でふかふかしているソファへと運んで寝かせる。
「とりあえず、何があったか聞くべきかしら」
「姫の気がついたら、速やかにそうすべきだろうな。俺は王子に連絡をとってみる」
「……どうやって?」
「この部屋は王子への連絡機能がついている」
通信機能? 伝書鳩でも飛ばすつもりなのだろうか? エリーゼは首を傾げた。ディールはそれ以上の説明はせず、壁にかけられていたトランクを外し、それを開けた。中にはよくわからない小さな魔道具がいくつも整然と並び、それらをコードが結び、魔硝石があちこちに埋め込まれて光っている。
「離れた場所であっても、声を瞬時に伝えられる魔道具だ。北の共和国で発明されたばかりの軍用品でかなりの機密だからな。お嬢様、他人に喋ってくれるなよ」
「何それ……すごいじゃない。信じられないわ」
離れた場所に瞬時に情報を伝えられる道具など聞いたこともない。
この国の北にある共和国は、昔は貧しい国だったというが、現在では航海技術の発展とそれに伴う商業の発展により、様々な地域の物品が集まる大貿易港を擁する国へと成長著しいと聞く。それに伴い、知の集積も進んでいるというが……ここまで魔導技術の発展がなされているとは。
「……それなら、おにいさまをここに呼んでくれないかしら」
どこかぼうっとしたような声がした。エリーゼははっとしてその声の主に駆け寄り、支えて起こす。
「リューネ姫! 大丈夫でいらっしゃいますか?」
「大丈夫だと思う? ディール=リント、あなた本当にレディの扱い方がなっていないわ」
しかしながら、リューネ姫はエリーゼを無視し、ディールにのみ話しかけた。
「それはたいへん失礼いたしました、姫。なにしろ火急の事態でしたので」
「仕方ないので許すわ。……その火急の事態について、おにいさまに、いえ、おにいさまにしか伝えられないことがあると言っていると言いなさい」
「承知いたしました」
必要以上にうやうやしく言葉を発したディールは、何やら呪文を唱える。通信器具が淡く光を放ち、魔力がその場に横溢する。
見たこともない魔道具が使われる様に、エリーゼもリューネ姫も思わず固唾を飲んで凝視してしまう。
ディールは右耳と口元にそれぞれ同じ形の金色の漏斗のようなものを当て、何か喋っているようだった。内容は、不思議なことにまったく聞こえない。
しばらくして、ディールは道具をトランクに終い、魔力を切ってトランクを閉め、再度壁へとかけた。
「伝えました。何人か連れてですが、フェリクス王子はすぐにいらっしゃるそうです。
「ありがとう。おひとりでいらっしゃるのは危険だから、それが妥当ね。でも、お話しするのはおにいさまだけにしたいわ」
「それもお伝えしました。そうしていただけると思います」
「そう。それならいいわ……それでエリーゼ、あなたがどうしてここにいるのかしら」
先ほどのディールへの鷹揚な雰囲気とはうってかわって、姫はエリーゼに対し、不満な色を隠さない口調でギロリと睨みつけた。突然矛先を向けられて、エリーゼは縮みあがった。
「あなた、どうしてディール=リントと一緒にいたりしたの。こんな時間に、あんな場所に」
言外に、王子派と通じていたのかと詰られているのだ。
本当のことを言うか?
黒猫ヴァイスを追って来たのだと――わざわざ寮の窓から抜け出して?
あまりにもタイミングが良すぎた。そんな理由など、何の言い訳としても響かないだろうということくらいわかる。
特に、寮を正当な手段で出なかったことがこの場合には不利に働くだろう……。
瞬間、強ばったエリーゼに、ディールが不自然なほど近くに寄りそう。そっと肩に触れられる。驚いてディールを見ると、至極まじめな顔をしている。
「……察していただけると」
ただ、それだけ告げると、リューネ姫は真っ赤になり、次に目を爛々と輝かせた。
「何、あなたたち、えっ、どういう知り合いなの?」
「俺が養子になったのは、シュッツナム伯爵夫妻の後ろ盾あってですよ。……ただ」
「ええ、ええ、わかるわ! それ以上言わなくてもいいわ。そうだったのね!」
突然、頬を両手で挟み、身をよじって照れ始めたリューネ姫をぽかんと見ながら、エリーゼはどこか腹立たしい気持ちになった。
――こんな誤魔化し方、どこで覚えたのかしら。
しかし、同時に、肩に触れられた手が少し震えていることに気づいた。
背の高さがほぼ変わらない、ディールの横顔を横目で伺うと、かすかに緊張の色が見える。視線に気づいたディールがまじめ腐った表情のまま、小さな声で問うた。
「……なんだ」
「別に」
なんだ、そんなに慣れているわけではないのかも。
そう思うと、何故か心が少し晴れた気がした。
リューネ姫は、何故かまだ悶えていた。
◇◇◇
奥まった部屋をフェリクス王子とリューネ姫に明け渡し、エリーゼたちは窓のある部屋へと移った。
灯りをつけて大丈夫かと再度問うたが、王子の側近であるリヒャルトもディールと同じく問題ないと答えた。
まあ、あの男たちは二人だったので、人数が増えていなければ、王子と姫を除いても、4人で対処できないということはないだろう。
「で、何故あなたもここにいるのかしら」
にこにこと笑うアリィシアが、勝手知ったるなんとやらということで、てきぱきとお茶を入れながらにこにこと笑っている。アリィシアに引きずられるようにして、ディールとリヒャルト、エリーゼもいつの間にか彼女のペースに巻き込まれて、夜も遅いというのに、まるでお茶会を始めるかのような雰囲気となっていた。
「えーと、こっちに……あったぁ! この間貰ったお菓子を出すね」
「おい! アリィシア、その菓子は勝手に出していいものでは……」
「いーじゃない! せっかくエリーゼ様に来ていただいてるんだから、高級なお菓子を出さないと!」
アリィシアとリヒャルトが仲良くぎゃあぎゃあと言い合ってお茶の用意をしている。
どういうことなの、とエリーゼは動揺を隠せなかった。
リヒャルトは王家にも血の繋がる武に秀でた辺境伯の出身であり、フェリクス王子が第一王子として王家に養子として入った頃から、王家の肝いりでその側近として育てられていると聞く。いずれ国家の重鎮となっていくべき貴族だ。
幼い頃から自分の立場を十分弁えて感情を見せることもなく、いつも王子の横に影のように控えている姿しか見たことがない。
長いプラチナブロンドの髪をさらりと一つにまとめて深い紫にも見える青い瞳がどこかいたずらっぽい雰囲気を纏わせている王子とは対照的に、暗めのブラウンの髪にヘーゼルの瞳を光らせて武人然と傍らにいつも佇むリヒャルトは、物静かで硬派なところが素敵であると女性たちに人気も高い。
あんなに表情豊かに話しているところなど、彼のファンが見たら卒倒するのではなかろうか。
「あの二人、仲がいいのね」
前の話では最初に魅了の力をかけてしまったというので、まさかアリィシアの魅了の力だろうかとも思ったが、例の魅了の魔力はまったく感じられない。
「アリィシアはああいうタイプだからな」
「ああいうタイプ?」
「物怖じしないというか。人の懐に飛び込むタイプというか。いざとなったら『力』を使えばいいと思い定めているからかもしれんが」
魅了の瞳。そのことに簡単に言及されて、エリーゼはぎょっとした顔でディールを見た。
「なんだお嬢様、知ってるんだろ。アリィシアからバラしたという申告があったぞ」
「……し、知ってるけど。そ、そうなの。結構軽い秘密なのね……」
「そんなわけないだろう。生徒会でも、王子とリヒャルトと俺とあと一人くらいしか知らないんだ。報告を受けたときは阿鼻叫喚だったぞ。特に、王子なんてしばらく口を開けたまんま、何も言えなかったくらいだ」
「……そ、そうなの」
エリーゼはディールの様子を伺った。
秘密がバレたのはエリーゼも同じだったのだが、もし、それをディールが知っていれば、何か言ってくるはずだと思ったのだ。しかし、ディールが何も言わないところをみると――
(……あの子、私の秘密については、誰にも言わなかったのかしら。でも、何故?)
「お茶、入りましたよぉ」
アリィシアがお茶の入った盆を持ってにこにこ顔でこちらに来た。その横では憮然とした顔をしたリヒャルトが砂糖掛けのバームクーヘンの乗った盆を持っている。自分よりも貴族としての地位の高い貴公子をパシリに使っているようで、なんとなくエリーゼは落ち着かなかった。
6人分あるところを見ると、王子と姫にも持って行く予定なのだろう。
「ゆっくりしていってくださいねぇ」
「そういう場面ではないと思うのだけど……」
相変わらず緊張感のないアリィシアに脱力する。
「わたし、王子たちにお茶持って行くね」
「待てアリィシア、私が持って行く」
しかし、茶と菓子を入れた盆を持ったのは、リヒャルトだった。
「お前が部屋に入るのはよろしくないだろう。私が行く」
「そう? じゃ、お願いしますねぇ」
身分差を一体なんだと心得ているのか。アリィシアはひらひら、と手を振ってリヒャルトを見送った。
「……」
エリーゼは白目を剥きたいくらいの気持ちになった。
「エリーゼ様、いきなりこんなことになって緊張されてると思いますけど、とりあえず、どうぞ」
「そ、そうね、いただくわ……」
香りの良いお茶は、かなり良い茶葉を使っているのだろうことがわかる。菓子もまた、非常に高級なものであろう。しかし、なんとなく、エリーゼは味がわからないような気持ちでそれを口にした。
喋る気にならずにぼんやりしていると、ディールとアリィシアがなんでもないような授業の話を始めているようだった。それすら、何やら遠くの会話のように思えた。
そのうち、リヒャルトが部屋から戻ってきた。席につくと、少し冷めてしまったであろう、自分の紅茶を一口飲む。
「おふたりはもう少し時間がかかるとのことだ。もし問題がなければ戻っても良いとのことだが……一人で戻ることは勧められない。戻るならば皆で戻る方が良いだろう」
「そうだねぇ。わたしもそう思うよ」
アリィシアも力強く頷く。
「そういうわけで、待っていただいて良いだろうか、エリーゼ嬢」
「へ? 私……は、まったく構いませんが……あっ」
「どうなされた?」
「いや……」
エリーゼは言い淀んだが、ここで隠しても仕方がない。
「私、窓から抜け出したので、正面から帰ると、不審がられる可能性があるのです」
「窓から?!」
リヒャルトは心底驚いたようだった。それはそうだ。エリーゼの階級の貴族であれば、寮では最上階に部屋をあてがわれるのが通常である。
そこから何をどうやって抜け出したのか、不思議に思われるのは当然であった。
「その、猫をですね、追いかけたんです」
「お嬢様の飼い猫だな。黒猫だがヴァイス(白)と言うらしい」
半笑いでしどろもどろのエリーゼの言葉にディールが続けた。
思わず睨むが、助け船であることは事実であるため、エリーゼは何も言わなかった。
リヒャルトは、なんとも言えない顔になった。
「……何か方法を考えましょう」
今すぐここから消えたい、とエリーゼは思った。




