お嬢様は導かれる
学園の奥まった場所。学舎を離れ、緑の美しい広大な庭園で隔てられた静かな場所に、礼拝堂がある。
その裏手に当たる場所。日が落ちた今となっては、誰もいないはずの場所であった。
しかし、そこにうずくまり、光魔法で手元を照らしている相手に、エリーゼは見覚えがあった。ありまくった。
「ディール?!」
「お嬢様? なんでこんな時間にここにいるんだ?」
「……あなたこそ、どうして?」
「あ、いや……」
ディールは、少しばつが悪そうな顔で、手元に視線をやった。
まるで、さっきからそうしていたかのように、ディールの差し出している何かに食いついているのは、ヴァイスだった。甘えるような子猫の鳴き声を出して、手をぺろぺろと舐める。
「……ヴァイス」
いつの間に。
エリーゼは、ヴァイスの導きによりここに来たはずだ。なのに、さっきからディールから餌を貰っていたかのような状況だ。
――まさか、分身だろうか。それとも二匹いるのか? 似ているだけ?
――ディールは、ヴァイスのことを知っているのか? どこまで? 使い魔であるということを知っているのか? それとも、まさか主人というのは――
「ヴァイス? ああ、なんだ、こいつ、お嬢様の猫だったのか」
「は?」
「相変わらず、ペットは全部ヴァイスって名前なんだなぁ、お嬢様」
ディールは笑みを含んだ声色でからかうようにそう言った。心外な。黒猫にヴァイスと名付けたのは、今回ばかりはエリーゼではない。
「ち、違うわよ。私じゃないわ」
「はいはい。そういうことにしておくよ。学園じゃ動物を飼うのは禁止だもんな」
「まったく信じてなんかいないじゃない! 冤罪よ!」
「はいはい。でもヴァイスだろー。お嬢様は人間だってヴァイスだもんなー」
「あれは、事情が違うでしょ!」
思ったよりも自分の声が夜闇に響き、エリーゼは思わず口をつぐんだ。
「なるほど、その靴を使って抜け出してきたってわけか」
ディールが、エリーゼの足下に目を止める。ただの布靴に見えるが、ディールにはもちろん魔道具であるとわかる。何を隠そう制作者だからだ。
「使い心地はなかなかだわ。布なので、外にはなかなか使えないのが問題だけど」
「当時は魔導文字を刺繍する腕がなかったからな。次作るときは革靴で作るさ。外部だと汚れてほつれる可能性がやはり高いな……次は内部に編み込む方法を考えるか。しかしお嬢様、靴の内部だとやはり履き心地は悪そうだと思うか?」
「……そうね、こすれるし、少し気になるかも」
「そうか、ならばやはり外側になるな。革靴の外側となるとなかなか難易度が高いな。縫い取りをしながら複雑な魔導文字を刺繍するとなると、そんなに精巧なものは縫いとれないから、文字数を少なくし簡略化することで効力を高める方法を考える必要があるということか。というわけで、お嬢様、次はもっと改良するから楽しみにしておいてくれ!」
「……楽しみにしているわ」
ディールは魔法オタクで魔道具オタクである。その性質を知っているエリーゼとしては、自分の世界に入ってしまっている間は話しかけないようにしている。というか話しかけても無駄なのである。
しかしながら、このまま黙っているのも不自然だ。
「それよりもディール、あなたどうしてここに……」
小さな声でエリーゼが聞いたときだった。
押し殺したような、かすかな悲鳴のような声が、確かに聞こえた。
はっとしてディールを見たところ、ディールにも聞こえていたらしい。真剣な顔で一方向を見ている。
この方向は……礼拝堂だ。
咄嗟に動こうとして、ディールに腕を掴まれる。彼は小さく首を振り、そろりと動いた。エリーゼも気を落ち着かせ、ディールと同じようにそろりと動く。
音がしないように足音にも動きにも気を使い、礼拝堂の窓の下までたどり着く。窓は少し隙間が開けられていた。
ディールから、魔力を発動した気配がした。エリーゼでは、礼拝堂の中の人の気配までは探れないが、おそらくは人がいるか、何か声がしないかを探るための魔法なのだろう。
基本的に、人が魔法を使う場合、呪文を唱えるだけでは発動しないものが多い。人間の内なる魔力だけで足りる簡単な魔法ならばともかく、少し複雑になると、内なる魔力以上の魔力が必要になるか、儀式やそれを省略するための道具が必要になる。魔力を含む魔硝石を使用し、魔道具として作成すれば、ものによれば今のように呪文なくして魔力を流し込むだけで魔法を発動することも可能だ。
しばらくそのまま動かなかったディールが突然立ち上がり、窓を外から開け放ってその中に飛び込んだ。
慌ててエリーゼもそれに続く。しかし、ディールの動きはしなやかで速く、エリーゼでは追いかけるのが精一杯だ。
「誰だ!」
飛び込むとわかる人の気配。ぼうっとした弱い光魔法の灯りが足下に転がっている前に、人が三人。
学園の制服を着た男が二人、そして、もう一人は――
「リューネ姫?!」
「……エリーゼ?」
男に両腕を掴まれてへたりこんでいるリューネ姫と、そんなリューネ姫の腕を上に引き上げるようにしている男が一人。
ディールとエリーゼ、二人の乱入者を見るや否や、男たちはリューネ姫を抱え上げ、盾にするように抱き寄せた。
先ほどから男たちは一言も発しない。落ち着き払っているのが不気味だ。学園の制服を着てはいるが、さて、本当にこの学園の生徒なのか……。
「お嬢様、目を!」
ディールの鋭い声に、エリーゼは咄嗟に柱へと跳び、背中を守りながら目を閉じた。
詠唱は耳では聞こえなかったが、魔力が弾ける感覚とともに、瞑った目の前がカッと明るくなった。
おそらくは光魔法による目潰し。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
悲鳴がおさまるとともに、エリーゼは目を開ける、まだ視界が戻らないのだろう、男たちと巻き込まれたリューネ姫の動きが止まっている。
そこに回り込んだディールが、リューネ姫を戒めている男を蹴り飛ばす。
「うぐっ!」
――な、なんて乱暴な!
もちろん、衝撃でリューネ姫ごと転がる男に、思わずエリーゼは焦る。
ディールのやり方には、リューネ姫を丁寧に扱おうなんて考えはいっさい見受けられない、なんてこと。
しかしその容赦のなさが逆に男の不意をつくことに成功したのか、ゆるんだ腕からディールはリューネ姫を取り上げることに成功した。
「貴様!」
一瞬の攻防ののち、もう一人の男の視界が回復したのだろう。ディールにつかみかかろうと走る。ディールはリューネ姫を抱き起こすために背を向けている――。
「『風よ、さらに風よ、我が足下を惑わせよ』!」
エリーゼは靴に風魔法を纏わせて勢いよく跳んだ。そのまま、男の死角から、側頭部へと容赦のない蹴りを浴びせる。
男は声にならない悲鳴を上げ、そのまま地面へと転がった。
「お嬢様、はしたないぞ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう?!」
空気を読まないディールの呆れ声に、興奮したままのエリーゼは噛みつくように怒鳴った。
「とりあえず行くぞ」
見れば、攻撃により衝撃を受けたのは確かだが、男二人の意識を刈り取るまではいっていない。何故かリューネ姫の方がぐったりしているのは、ディールに倒されたときの衝撃が……いや、考えまい。
奇襲だからこそ成功したのだ。このまま、リューネ姫を守りながらだと分が悪すぎる。男二人が立ち上がる前に、さっさとこの場から逃げ、助けを求めるのが最善の手段であろう。
「『風よ、さらに風よ、我が手元/足下を惑わせよ』!」
ディールがリューネ姫を俵抱きに担ぎ、風魔法でブーストをかける。エリーゼもそれに続き、窓から逃げ出した。
どこへ行くのか、ディールの足取りは迷いがない。逃げ込む場所があるのだろう……おそらくそこは……。
ただ、エリーゼの中で、一つ、確信があった。
ヴァイスはきっと、この事件に、エリーゼを導きたかったのだと。




