後日談③「肉じゃが(今年の6月9日)」
時系列で言えば、塗り壁編の少し後です。
料理が出来る女性は、肉じゃがが美味しい人と言う謎の不文律がありますが
肉じゃがって想像以上に簡単にできます。
というか、料理ってほとんどなれると簡単です。
何を作るかどう作るかというのが大事なのです。
切崎メイ
銀髪の少女。学校の人気者。ピンクパーカー。
噂堂カケル
金髪。人脈の広い情報通。黒いヘアバンドを愛用している一つ下の後輩。
私、噂堂アユムは噂堂カケルの妹です。兄が不良から立ち直って(未だに金髪ですが。)真面目に毎日高校に行くようになったのは「キリサキ」という先輩のおかげだと、常日頃から兄が自分の武勇伝の様に語っていました。兄もそうですが、私もその人に感謝してもしきれません。
兄曰く、『銀髪で、肌の白い体育会系のカッコイイ先輩』だそうです。話で聞くだけでも素敵な男の先輩だということが分かります。『女の人にモテモテで、喧嘩の強い先輩』ということで、一度お会いしたいなぁと以前より思っておりました。ピンクのパーカーを愛用するお茶目心も欠かさないお方という……どんなイケメンなのでしょうか?私の妄想は膨らむばかりです。
そして兄が我が家、三人が住むにはやや狭い2DKにその先輩を招くと私に告げました。正直自分でも恋愛対象としてイケメン以外は受け付けない面食いの自覚のある私は、その言葉に心が踊りました。いったいどんな素敵な殿方がいらっしゃるんでしょうか?
その約束の日である、六月九日がやってきました。
私が家でいつものように勉強をしている頃です。部屋の鍵が開けられました。不必要に音の鳴るドアが開いて、まずは兄が室内に入ってきます。
「兄ちゃんお帰り。」
「おー、アユム。勉強してっかー?言ってた先輩連れて来たぞ」
私は兄のお世話になっている方ということなので、立ち上がってその人をお迎えします。そして入って来たのは……。
「よぉ。お前がアユムか。私、カケルの先輩の切崎メイ。よろしく!」
「おん……女…………?」
その女性はブレザーの下にピンクパーカーを着て、肩甲骨まで真っ白いくせ毛を伸ばした女性の方でした。やや赤い瞳に、真っ白い睫毛・眉毛の活力にあふれた女性の方でした。悔しいほど豊満な胸部に、初夏の訪れも感じさせないような白い肌の……女性の方でした。
芸能人に例えるなら攻撃的な目の新垣結衣でしょうか。
「ん……あれ、女の先輩って言ってなかったっけ?」
「いや……言ってないけど……」
どんどん言葉尻が弱くなっていく私。切崎と言う女の人は、部屋のあちこちを覗きながら楽しそうにしています。
「おいカケル、お前の部屋は?」
「え?いや、ウチは寝る部屋と飯食う部屋しかないっすよ。」
「そうなんだ。……お前コレ急いで片付けたろぉ」
「バレた?へへ。メイ、なんか飲みますか?」
よ……呼び捨て?兄ちゃん先輩を呼び捨てにしたの……今。敬語とタメ語が混じって、距離感がだんだん近づいてる感を私に覚えさせるけど、タメ語で話すほど仲良いんですか……?
「このコップうちにもあったよね?」
「あ!そうそうメイん家にもあった!」
え!兄ちゃん、切崎さんのお家にお邪魔したんですか!?それもう彼女みたいなものですよね!めっちゃラブラブですよね!?
「アユム、今日の晩御飯はメイが作ってくれるって」
「へぇ~……献立は?」
「肉じゃがと春雨サラダ……インスタントの味噌汁」
切崎さんが持ってきたエコバックから食材を出します。考えるのさえ楽しそうな表情で私に笑いかけます。
こっ……この女!肉じゃがとは末恐ろしい!完全に料理上手を、女としての魅力を披露しに来ています!胃袋を掴みに来ています。私の大好物の肉じゃがを使ってまでそれをアピールするつもりです!憎らしい!肉じゃがだけに……。
すみません、興奮してよく分からないギャグをかましてしまいました。
「兄ちゃん……。この人が例の人?」
「そうそう!俺を二度も救ってくれた大恩人。喧嘩となりゃ複数人相手でも負けないスーパーウーマンだよ」
「恥ずかしいから止めろ」
彼女は適当に棚の中や調理用具を確認し始めます。
ずるっ!喧嘩に強くて男勝りの癖に、こんな可愛い顔で料理得意とか……そんなんずるじゃん!ギャップ萌え!可愛いすぎるでしょ。
……このままでは兄ちゃんが取られてしまいます。厳しいソウの兄ちゃんと違って、甘やかしてくれる上に色んな相談にも乗ってくれるカケル兄ちゃんが取られてしまいます!不良時代でも私にだけは優しかった兄ちゃんが……。こんないい女に取られたら絶対帰ってこないでしょ!実家になんて寄り付かなくなる!高校出るまで甘えるつもりだったのに!
私は自他ともに認めるブラコンです。いまや真人間で金髪以外は何処に出しても恥ずかしくない兄ちゃんなら、彼女を作ることもあるとは思ってはいました。でもこのレベルの女はだめでしょ……。
私は真顔でしたが、兄がいなくなるというピンチに腹の中が煮えくり返るようでした。
「カケル……お前醤油は?」
「えっ無い?」
彼女はほとんど空の醤油の容器を見せてきました。
「醤油もないしだしの素もないよ」
「ええ!ちょっと俺コンビニ走ってくるわ!」
「ほーい」
……めっちゃ夫婦っぽい会話ですね今の。兄ちゃんは財布を取ると、あわただしく靴を履いて出て行きました。この狭い部屋の一室で私と敵の女だけにされてしまいました。私はここで考えます。この女を兄から離す方法を……!
「切崎さん……」
「なんだよアユム」
彼女はピーラーを手に取ると、ジャガイモを軽く水で洗います。
「兄と付き合っているのですか?」
「おじゃ!?」
坂ノ上おじゃる丸ですか?
「ま……まだだよ。付き合ってないよ」
『まだ』ですって?将来的には付き合う気でいますこの女……互いの家に遊びに来ておいてまだ付き合ってないとは驚きです。でもチャンスです。兄には悪いですが、彼女には兄を諦めてもらいましょう。
「兄が好きなんですか?」
「……まぁね」
兄のネガティブキャンペーンの開始です。鍋に火をかけ始めた切崎さんに、私は声を意地悪を投げかけます。
「兄は……昔結構なワルだったんですよ。相当ダメな人ですよ?」
「知ってるよ別に。カケルだけが特別なわけでもないし。それにさぁ……アイツなりに後悔もしてるらしいし、私もカケルがまっすぐ歩けるよう協力してやるだけの事さ。」
くっ……過去の過ちを包み込む包容力と、それに一生向き合う覚悟を感じさせる言葉です。いい女です。
「でも結構礼儀知らずというか……年上とか尊敬してくれませんよ?」
「私はべつにタメでも気にしないタイプだし。ま、あいつに関しては無礼を許さない別の先輩がいるし、矯正してくれるだろうよ。」
……兄の人間関係が恵まれている事が素直に羨ましい。昔から友達だけは多かったからなぁ……。兄ちゃんはいい人に囲まれているようです。それも素直に嬉しいです。
「兄は……兄は……別にイケメンじゃないですよ?」
私はなんとか絞り出した兄の悪い所を、切崎さんに提示しました。彼女はそれを聞いて大爆笑しました。
「なはははははははは!!ふふ……まぁそうだな!確かにイケメンではないなぁ!でも私ってさ、あいつの外見でアイツの事好きになったんじゃないぜ?」
「兄のどんなところが好きになったんですか?」
「んー?妹の前で言うのは恥ずかしいな」
切崎さんはジャガイモと人参の皮を剥き切ると、手慣れた様子でそれらを一口サイズに切り始めました。妙に男らしい切り方なのに、しっかり均等に食材を加工していきます。切る姿がなんだかかっこいいです……。彼女は作業をしながら私の質問に答えます。
「こんな見てくれも変な私相手でも対等に話してくれるしさ。対等じゃないところも、そうな所もちゃんとあいつは見てくれるんだよ。それを含めて、あいつは私を真っ直ぐに見てくれる。私じゃない奴も真っ直ぐに見てくれる。……半年ちょい前に知り合ったばかりなのにさ、昔から友達だったみたいだよ。」
「……」
「後さぁ……あいつ、可愛いよな。」
否定できない!全肯定したい!この人カケル兄ちゃんの良い所を余すところなく分かってらっしゃいます。悪い所は流されやすい所と、勉強がたりない所と、金髪なことだけです。
「なんだお前、カケルの事嫌いなのか?」
そりゃあこんな質問を繰り返していればそう思われても仕方がありません。でも冷静な顔で、実の所興奮していた私にはそれが煽りにしか聞こえなかったのです。
「違います!好きです!あんな優しい兄ちゃんのことを嫌いになんてなるわけないでしょ!」
私は声を必要以上に大きくして答えてしまったのです。でも切崎さんは、驚きも不快な顔もしませんでした。とてもやさしい微笑みと一緒に私の方を振り返ります。
「そうだよな。……ごめんな?」
「いえ……」
「でも分かるよ。」
「へっ?」
彼女が何を語ろうとするのか、少し気になりました。
「昔さ、兄貴が家に女連れて来た時は……私もショックだったな~。今思えばあんときはブラコンだったんだ。」
「そのお兄さんは……今はご結婚でも?」
「いや……どっか消えちゃってさ。今は……分かんないや。」
「えっ」
ただまな板に向かっているだけのはずなのに、その背中の影が濃くなっているように見えました。
「ごめん……すぐ作るからまっててな。」
「……あの……お気になさらず…………」
失踪したということなんでしょうか、亡くなってしまったのでしょうか。詳しい事は分かりません。だけど私はなんだか、残酷な事を聞いてしまったという感覚に陥りました。今カケル兄ちゃんがちょっと離れるだけかもしれないというだけでこんなに焦っているのです。きっと、一生会えなくなるだなんて事態になったら……そう思うと胸が張り裂けそうになりました。
そんな一瞬の沈黙を破壊するように、兄ちゃんが家に帰ってきました。
「ただいまぁ~!あれ……メイ、泣いてる?」
「別に……」
カケル兄ちゃんが、私に今まで見せたことの無い表情を見せました。怒りとか、疑いとか、説明を求めるような顔と言うか。その表情だけで、息が出来なくなる錯覚に陥りました。
そして少し遅れて、私は切崎さんが泣いていた事を知りました。
「アユムお前、メイに変なこと……!」
「違う!」
切崎さんは、強くそれを否定しました。手には切られた玉ねぎを見せます。
「馬鹿……玉ねぎだよ!ふふっ……こんな可愛い子が私を泣かせるわけないだろうが!ははっ」
「……そうっすよね!変なコト言ってごめんな、アユム」
私は短く「気にしないで」とだけいいました。なんだか……誰かを想うという気持ちは一緒なんだと思いました。形は違うけど、一人の同じ人間を大事にしたい気持ちって変わらないんだと私は理解しました。彼女を僻む気持ちは、どこかへ行ってしまいました。
結局そのあと、私は切崎さんに申し訳ない気持ちを抱えたままで居ました。ご飯が出来て机の上に並んできても、彼女の顔を上手く見れませんでした。
「やっぱメイの料理超美味そうなんだけど!」
「ば~か!食ってから言えよ!」
今思えば本当に玉ねぎで泣いていたのかもしれません。それくらい元気たっぷりに兄ちゃんと話をしています。……せめて美味しそうに食べなきゃ。私はそう考えました。
「頂きます!」
「頂きます……」
口に家庭的な匂いのする肉じゃがを運びました。そして……
「おいひーい!!」
私は心の底から叫びました。偽りとか、忖度とかありません。どちらかと言えば甘い味付け、とってもジャガイモに染み込んでいています。作るのに数時間も掛かっていないはずなのに、火が通っていてホクホクです。
「そっかー美味しいか~!」
切崎さんは子供をあやすように私の頭を撫でてくれました。とんだイケメンムーブメントです……。自分で大きくリアクションしようと思っていたクセに、逆に恥ずかしくなってしまいました。決まりの悪い一方で、肉じゃがを食べる手が止まりません。
「前にお前の兄ちゃんが遊びに来たときさ、これと同じの食ったんだよ。」
「……」
口にジャガイモが入っているので、首を振って返事をします。
「そしたらコイツがさ、世話かけてる妹にも同じの食わせてやりたいって言ってさ!今日は作ってやることになったんだよぉ」
「え、ちょっと!言わんでくれよ、恥ずかしい」
兄ちゃんが慌てています。既に兄に手料理を振る舞っているという事実は……まぁ置いておいて、兄ちゃんの思いやりとか切崎さんがそれを教えてくれたことがなんだか嬉しかったです。私は照れて、少し下を向いてしまいます。
「兄ちゃん……ありがとう」
「べ……俺に言うなって。メイに言ってくれよ、作ったのはメイだ。」
私は切崎さんにゆっくり向き直りました。
「あの……とっても美味しいです……!」
「そっか、嬉しいなぁ」
彼女はとっても上機嫌そうに笑っています。
「えっと……その。」
「ん?」
「兄が迷惑をかけるとは思いますが、よろしくお願いします。……メイさん」
非常に不本意ではあるのですが……兄や小姑の私でさえも気遣ってくれる彼女なら、兄の事を任せても良いと思いました。
「おう、任せてくれよ」
それに……また肉じゃがを作って欲しいと心から思いました。あれ?私の方が胃袋掴まれてないですか?